夜明け前
絶え間なく上空を書ける爆撃機。
たった百五十機の独軍航空機には、抗う術は無い。
『最初の一撃を凌げれば』
防備に携わる将兵の願いはそこだ。
海岸線は強力な火点のが設置されている。
想定していた完成度に比べ、防備の具合はたった二割だったにせよ、名将ロンメル将軍の指揮のもと、その間隙を埋めるようにして地雷原が設置されている。設置された地雷はなんと六百万個。ノルマンディ沿岸は、それ自体が巨大な罠の様になっているのだった。
アフリカでの実戦に裏打ちされた方法論は、このノルマンディでも効力を発揮してくれるはず。英雄を指揮官に迎えた前線の兵士の士気は高い。
カエルが探り出した攻撃目標は、大型艦艇が寄港できるコタンタン半島の先端にあるシュブール港。それと、ノルマンディ全体を背後から支える重要戦略拠点であるカーンが攻略目標だと推理していた。
私はそれを信じる。
ペンギンA部隊は、コタンタン半島の付け根に向かう。
ブレストの軍港から出撃した、Sボートの残存兵力も当該地に出撃しており、Uボートも浮上して「浮き砲台」として運用するという絶望的な状況だった。
識別信号を上げながら、固唾をのみ待ち構える沿岸の防衛隊の前を横切ってゆく。
時間は真夜中。
暗くてペンギンの姿は、単なる小型艇としか見えないだろう。
海は荒れていた。長年の船乗りの経験からすると、朝は時化るだろう。圧倒的な不利な状況で、唯一有利な点かもしれない。
暗いうちに、コタンタン半島の基部にとりついた。
途切れ途切れに入ってくる情報は、内陸側に入り込んだ空挺師団と、後方防衛部隊との激戦の様子だ。
悪天候や、不慣れな『夜間高高度降下作戦』により、空挺師団は想定していた様な運用が出来ず、火器を満載したグライダーも、身一つで降下した空挺隊員に物資を効果的に届けることはできなかったようだ。
それでも、勇敢な彼らは想定の十分の一の兵力で、大きな損害を出しながら、各拠点をつぶし続け、決死の後方攪乱の任を果たそうとしていた。
「旗を用意しとけ」
私は、全機に指示を出した。
米軍の攻撃パターンは、艦砲射撃と爆撃による徹底した火点への攻撃。
しかる後に、一気に上陸部隊を送り込むというもだ。
カエルの情報が正しいなら、フラワー級コルベット艦や魚雷艇のような喫水の浅い小型艦艇にエスコートされて、雲霞のごとく揚陸艦が押し寄せるのが次の段階。
シャーマンDDという、水陸両用の戦車も海岸線の橋頭堡作りに、航行してくるようだ。
我々は艦砲射撃と爆撃の間、例によって岩場の陰に隠れ、上陸部隊が押し寄せてくるのを攪乱する。
因縁のフラワー級コルベット艦とは、再び殴り合いをしなければならないだろう。
旗を出すのは、混戦が目に見えているから。
動揺した友軍に背中を撃たれるのは、避けたいところだ。
国防軍海軍旗、国防軍陸軍旗、それをペンギン後部に立つ煙突二本にそれぞれ括り付けるつもりだ。
ペンギンは、存在が認められていない部隊。幽霊部隊だった。
だが、この決戦の日、堂々と戦旗を挙げて戦おう。
私はそう思っていたのだ。
「いいねぇ。戦旗を翻して海を駆けるか。ペンギンにしては上出来だ」
私は、とっておいた真新しい一番上等の軍服を引っ張り出す。
そして、丁寧に髭を剃った。
下着も靴下も、新品に変える。
多分、ペンギンにとって、これが最後の戦いになる。欧州に上陸されてしまっては、もうペンギンが生きる場所は無い。
それが、分かったのか、全員が私のマネをして、身支度を整え始める。
悲壮感はなかった。
むしろ清々しいとさえ、思える空気だった。
私は素晴らしいスタッフに恵まれた。死ぬべきだった私にとって、ともに生き抜いてきた彼らは、私の誇りですらある。
「一歩、前に進め。その一歩分だけ、大事なものが守れる」
私の手は拳銃を持つ手だ。
殺したり殺されたりする手だ。
だから、無駄に生きる事はすまい。
だから、無駄に死ぬ事もすまい。
手段がある限り戦う。
その結果は神にゆだねよう。
静かな緊張の中、夜が明けてきた。
海は時化ていて波が高い。
遠くからは、爆撃の音。爆撃機は爆弾を落としては、英国に帰り、燃料と爆弾を積んで再び飛来する。
まもなく、ここも地獄の釜の底のようになる。
ここは、連合国の作戦名で言うところの『オマハ・ビーチ』という上陸拠点だった。
『血のオマハ』と呼ばれるほど、酸鼻を極めた激戦地になることは、その時、我々は誰も知らなかったのだった。




