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夜の海を越えて

 私は、丁度分解掃除を終えたワルサーP-38をホルスターに戻し、

「総員! 搭乗!」

 と、命令を下した。

 軍の上層部では、カエルたち情報部が取ってきた情報である「ノルマンディ」に対して根強い不信感があり、アフリカから帰国したロンメル将軍以外はノルマンディに注目しなかったのである。

 カレーの防備は八割がたの完成。

 セーヌ湾一帯のノルマンディ方面の防備は二割という完成度だった。

 優先順位が下だったことが、この一事をもってもわかる。


 上層部の意向を異様に気にするアルブレヒト・ホフマン司令官は、カレーを重視すべしという立場だった。

 私は違う。

 私はカエルを信じた。

 だから、我々が唯一行使できる権限『強行偵察』を盾に、一気にノルマンディまで突っ走る気だった。

 明らかな命令違反で、私はまた軍法会議にかけられるだろう。

 下手すれば銃殺刑だが、それでも私はカエルを信じる。彼らが血を吐きながら得た情報であることを知っているから。

 密封した命令書には、私が無理やり部下を連れ出したという証拠を入れておいた。

 少年兵たちは、この密封命令書の意味が何も分からなかったようだが、バウマン大尉は、意図を見抜いていた。

「水臭いぜ、アルフレード。死なば諸共だろうがよ」

 そういって、私の目の前で命令書を破り捨ててしまった。まったく、バカな男だ。わざわざ面倒に首をつっこむとは。

「度し難いバカモンだよ、貴様は」

「おいおい、悲しいねぇ。ここは、感動の場面でしょうが」


 エンジンが唸りを上げる。

 ドロップタンク代わりのドラム缶は一缶積んだ。

 なるべく身軽にするため、帰りの燃料は考慮に入れないことにした。

 遥か上空を爆撃機が飛んでいる。

 カエルの話では、大規模な空挺部隊を防御線後方に展開させ、補給線を攪乱するつもりらしい。

 重量のある装備はグライダーで、運んだりするそうだ。

 海岸線の火点には、爆撃と徹底した艦砲射撃。

 投入される航空機も、艦艇も桁違いだそうだ。

 水際ではSボートが迎撃するつもりで待機しているらしいが、コルベット艦や魚雷艇が揚陸艇に先行してSボートをねじ伏せる気だ。

 私はSボート乗りだった。

 Sボートは木造船で船体が軽く快速。ゆえに、攻撃には強いが、防御はからっきしだった。

 『Sボートは捨て駒』

 そんな意図が透けて見える。


「全速前進! 各機風下の位置につけ!」

 もう、無線封鎖もなにもない。

 各地で、夜陰に紛れた爆撃機が対空砲火をものともせず、これでもか、これでもかと爆弾を落としているのだ。

 それに対し、わが軍の使用できる戦闘機はたったの百五十機。戦力差を比較するのもバカバカしい差だ。

 夜の英仏海峡を走る。

 空には不気味なゴンゴンという、爆撃機のエンジンの響き。

 夜空を引き裂く、赤いアイスキャンディのような曳光弾。

 P-21のクーゲルブリッツのMk103三十ミリ機関砲でも届かないはるか上空に、どれほどの爆撃機がひしめいているというのか。

 暗闇に高々度からパラシュート一つで飛び出してゆく、空挺隊員たち。

 各地で蜂起するレジスタンスたち。

 寡兵のまま戦う独国兵たち。


 ペンギンは走る。暗い海を超えて。

「強行偵察に出ます」

 その無線を最後に、司令部との通信は切った。

 行方不明になった我々A部隊と、必死に連絡を取ろうとしているのだろうか。それとも、混乱の中、何もできずにいるのか。

 もともと、我々は独立性の高い部隊だ。

 幽霊とまで言われた、神出鬼没にして正体不明の部隊なのだ。だから、主戦場に突然現れ、敵の横っ腹を殴る。

 カエルの情報が正しいなら、敵の規模は空前絶後だ。ペンギンごときの代用兵器は、その渦の中に巻きこまれ、木端微塵に擂り潰されてしまうだろう。

 我々が一歩前に出れば、その一歩分大事な者や物が守られる。

 そのために、絶望の海に我々は飛び込む事だって厭わない。


 走れ、ペンギン。


 夜の海を越えて。

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