一九四四年六月五日、二十一時十五分
隠れ家から、一気に走り出て獲物を襲うのが、ペンギンの戦い方だ。
だから、開けた海というのは、活躍する場所がない。
極秘に作られたUボート用のブンカー(掩蔽壕)に身を寄せ合うようにして隠れる以外、我々に出来る事は無かった。
カエルからの情報は、A部隊全員と共有した。ラジオはBBCにチャンネルを合わせ、一日中流しっぱなしになっている。
暇があると遊びだす少年兵たちには、ペンギンの整備を徹底して行わせた。燃料は幸いなことに十分備蓄されており、砲弾類も運び込まれていた。
アルブレヒト・ホフマンが司令官になって、良くなった事情に『優先的な物資の配給』がある。武装親衛隊のコネとやらを使ったのだろう。人間、一つぐらい取り柄はあるものだ。
アルブレヒト・ホフマン司令官の薫陶を受け、堅苦しかった少年兵たちは、だいぶペンギンの流儀に慣れてきて、私はいつの間にか『おやじさん』で定着してしてしまっていた。
後半とはいえ、私は二十代の青年将校なのだが、下手すれば十歳も年齢が違う部下からみれば、おやじさんなのかもしれない。
呼び方など、どうでもいい。軽々しく死んでくれるなよ、ひよっこども。そればかりを思う。
一九四四年六月五日、十九時、我々は食事を終え、ラジオ当番にP-20艇長フランツ・オイゲン准尉を任命し、各自自由時間としていた。
私は、潮風に晒されて錆が浮き始めた制式拳銃ワルサーP-38の分解掃除をしていて、冷めてしまった食後の珈琲に口をつけたりしていた。
フランツ・オイゲン准尉も、我々ベテラン兵のマネをして無精ひげを伸ばしているのだが、なんだか疎らで、換毛期の雛鳥みたいだった。
それでよく、おふざけ大好きなうちの機銃手エーミール・バルチュ伍長にからかわれていたが、気弱に笑うだけの大人しい男だ。
「ボクの父親は、アフリカで死にました。チュニジアで、熱病にかかって、あっさりと死んだそうです」
BBCのラジオ放送を聞きながら、ぽつり、ぽつり、オイゲン准尉が語り始める。
アルコールランプの炎が揺れて、ジジジ……と、微かな音を立てていた。
「父親はパン職人で、厨房員として戦場に行ったんですよ。ボクはそれが、カッコワルイと思っていて、つい……酷いことを言ってしまって……」
戦争は一つの巨大な事業のようなものだ。銃を撃つばかりが、戦争ではない。だが、彼はそのことが分かっていなかったのだろう。
戦って死ぬことが美徳。そういう教育を受けてきたのだ。無理もないことだ。
「でも、決戦を前にして、父親のすごさが分かりました。戦場に、あんな淡々と赴いたなんて。ボクは今、怖くて仕方ないんです。ボクは、父さんにあやまりたい」
オイゲン准尉の食いしばった歯の間から、小さな嗚咽が漏れた。
慌てて、袖口で涙をぬぐっていた。
「戦場が怖くない奴などおらん。私も怖い。敵さんだって怖いんだ。だが、なんで我々が戦うのか、わかるか? そいつはちょび髭伍長への忠誠とかいうちっぽけなもののためじゃない。自分が一歩先進すれば、自分の大事なものがその一歩分安全になるからだ。私は、そう思うことにした。貴様もそう思うことにしろ」
気が付くと、心配そうな顔をしてバウマン大尉がP-08のキューポラからこっちを見ていた。
私は「大丈夫だ」と言うハンドサインを送る。
「意外ですよね。シュトライバー大尉はもっと冷たいイメージでした」
「失敬な。私は、ずっと私だ」
ラジオから音楽が流れる。
『秋の日の ヴィオロンの ……』
時間が凍りついた。
『身に染みて ひたぶるに うら悲し……』
本当に、流れた。これは48時間以内に戦闘開始ということ。
一九四四年六月五日、二十一時十五分の事だった。




