去りゆくカエル
高速輸送船団のドクトリンに固執した米軍は、三度新しい護衛空母を仕立ててバレンツ海に挑んできた。
その都度、我々A部隊五機は護衛空母だけを標的にした作戦を行い、ドッグ入り世余儀なくされるほど叩いたのだった。
輸送任務はコストとの戦いでもある。
いちいち空母を壊されていたら、割に合わないのだ。
それに、露国への輸送ルートは、伊国が降伏したことにより、黒海からウクライナ地方を回るルートの安全が確保され、未だに抵抗を繰り返すバレンツ海を経由しなくても、物資を輸送することが出来るようになったのだ。
輸送船攻防の要だったバレンツ海、白海の制海権は、こと輸送に関しては意味がなくなっており、静かな凍れるバレンツ海は、再び見捨てられた海へと変わっていった。
我々A部隊も配置転換が行われ、大規模な反攻作戦が噂されている英仏海峡にある鄙びた港町メール・レ・バンが新しいA部隊の拠点として提供された。
カエルたち情報部が探り出してきた大反攻作戦の標的は、セーヌ湾の中心であるカーンと、大型艦艇が入ることが出来るシェルブールと読んでいた。
ただし、裏切り者の『牛』と『羊』が流していた作戦『ボディガード作戦』が実に説得力があったので、最も英国と近いカレーの防備を解くことが出来なかったのである。
我々は、カエルたちに協力した関係上、ノルマンディ地方が主目的であるという情報を信じていたが、上層部の意向を異様に気にかけるアルブレヒト・ホフマン司令官の意見も尊重しなければならず、提示された拠点のうち、カレーとノルマンディの中間という、半端な位置につかざるを得なくなったのだ。
ノルマンディがあるセーヌ湾まではおよそ百キロ。上陸作戦が開始された場合、およそ一時間で現場に急行できる位置に我々は居る。
メール・レ・バンにカエルがひょっこりと顔を出したのは、一九四四年六月一日だった。
「BBCで、ラジオ放送があってね、これが対独レジスタンスに対する上陸作戦が近いという暗号なのだよ」
夕日に赤くそまる英仏海峡を見ながら、カエルが言う。
しばらく見ないうちに、彼はまた老け込み、老人の様になってしまっていた。
「やっと、探り出した情報なんだよ。優秀な情報員が、何人も死んでいる。それを、奴ら……」
カエルが口をつぐんだ。
私はカエルの頬に涙が流れているのに、気が付かないふりをしてやった。
我が国の同盟国である日国ではこれを『ブシノナサケ』と言うそうだ。
「君は疲れているのだよ。しばらく休め。そう言われたよ。私は退け時かもしれないねぇ」
私は海を見つめたまま、ジンが詰まったスキットルをカエルに渡した。
カエルはそれを無言で受け取り、喉を鳴らしてそれを飲む。
「色々、世話になった。一言、お礼が言いたくてね」
スキットルの注ぎ口をハンカチで丁寧に拭いながら、呟くようにカエルが言った。
「いや、世話になったのは、我々の方だよ」
海岸では、P-20、21、22の少年兵たちが、石を海に向かって投げ、誰が一番遠くまで放ることが出来るかを競っていた。
赤く輝く海に、彼らはまるで影法師のようだった。
「ヴェルレーヌの『秋の歌』第一節の前半部分、『秋の日の ヴィオロンの溜息の』をBBCが使ったら、反攻作戦開始の合図だ。BBCを聞き逃すなよ、シュトライバー大尉」
カエルは、立ち上がって砂を払い、私に手を差し出す。
私はその手を握った。骨ばかりの痩せた手だった。
「死ぬなよ。アルフレード」
震える声で、カエルが言う。
「君も」
私はそう答えて、カエルの手を離し一歩下がった。
そして敬礼を送る。
「よせやい」
ほろ苦く笑って、カエルは私に背を向けた。
そのまま、駅がある方向に歩いてゆく。
私は、彼が見えなくなるまで、その背中を見送っていたが、カエルは一度も振り返ることなく、歩み去って行った。
それが、私がカエルを見た最後の姿だった。




