黒煙を上げるセイレム号
数十メートルの距離。
水平に撃てば、喫水線のどこかに当たる。
ディーン号上の兵器は、仰角いっぱいまで下げても、小さなペンギンには届かない。ペンギンはコバンザメの様にディーン号に張り付き、反撃されないまま好きなだけ撃てる状況だった。
喫水線に大穴を開ける。
そのために、残されたHEAT弾を全て注ぎ込む予定だ。
追撃しようという気さえ起こさせないまま、素早く離脱するのが目的だった。
艦橋の張り出しや、マストから、ライフルの狙撃があった。
だが、ペンギンはベースが戦車である。対戦車ライフルでもない限り、貧弱な上面装甲ですら抜くことはできない。
「こんなの、本当は好きじゃねぇすよ」
ぶつぶつ文句を言いながら、クラッセン軍曹が撃つ。
HEAT弾特有の鋭い炸裂音がして、ディーン号の舷側装甲が爆ぜたようになった。
私は、執拗に機銃掃射を避難用ゴムボートに加えていた米軍機の事を思い出していた。
戦争は軍事行動だ。私怨を晴らす場所ではない。そう、何度も心の中で唱えても、ワインを飲みすぎた後の二日酔いのように胸が悪くなる。
「やれ。手加減はいらん」
気が付くと、そんなことを言っていた。
ぎょっとしたかのように、クラッセン軍曹が私の方を見る。
私は、クラッセン軍曹の視線を受け止めて微動だにしなかった。
彼は私の眼の中に何を見たのか、不意に視線を外し、「装填急げ」とバウムガルテン上等兵にがなった。
それきり、この戦闘中、彼は私を見ることはなかった。
喫水上に五つの大穴が開いた。
舷側を超えて艦上構造に被害が出るように、榴弾もぶち込んでいる。
ディーン号上の混乱は見ていて可哀想になるほどで、船乗りだった私はその惨状は理解できる。
「仰角一杯に上げろ。艦橋に置き土産だ」
離れ際、艦橋をピンポイントで狙う。私はそう命じた。
ダメージを与える事が出来れば、更に混乱は広がる。
トップスピードで、ディーン号から離れる。
射界に艦橋が入ったと同時に、百五ミリ砲が咆哮を上げた。
外しっこない距離だ。
過たず榴弾は艦橋の指揮所の側面に命中し、派手な火花が散った。
キラキラと光りながら落ちて行くのは、ガラス片だろう。ぼっかりと大穴が艦橋の指揮所の脇に開いていて、手すりに下士官らしき死体がぶら下がっているのが見えた。海上を目視で監視していた船員だろう。
ヒュンヒュンと音を立ててボフォース四十ミリ機関砲弾が頭上を飛び去ってゆく。
それも、ひときわ大きい火災が煙突基部から上がると、沈黙したのだった。
組みつき、殴り、離れた。
相手はがっくりとひざをつくかのように、動きを止めている。
撃沈まではいかないだろうが、少なくともセイレム号救援には間に合わない。
P-07は二隻を行動不能にし、一隻の武装を使用不能にした。ワイルドキャットは二機撃墜。
堂々たる戦果だった。しかし、秘匿された部隊であるので、軍報には掲載されることはない。我々は名目上は存在しない幽霊部隊なのだから。
ディーン号を置き去りして、P-07は走る。
無線が使えなくなった今、P-08と合流し、状況を確認後に撤収の時期を極めなければならない。
「発光信号機、よこせ」
装填手のバウムガルテン一等兵に命じる。
この凍てつくバレンツ海の中、重い榴弾を次々に装填していた彼は、筋骨隆々たる体からムラムラと湯気を出し、びっしょりと汗をかいていた。
装備がしまってある木箱から、銃爬がついたメガホンのような道具を取り出して私に差しだした。
「水を飲め。脱水症状になるぞ」
私はそういって、発光信号機を受け取る。バウムガルテン一等兵は、ぐいっと袖口で額の汗をぬぐい、
「うす。そうします」
とだけ言った。
水平線に黒煙が見えた。
ブンブンと飛び回るワイルドキャットも見える。
海上から曳光弾が走り、まるで作物を荒らす害鳥の群れを叩き落とそうと、誰かが竿を振り回しているように見えた。
私は、『カニ眼』を覗いた。距離があるので、双眼鏡では状況が見えない。
そして私は黒煙を上げるセイレム号を見たのだった。




