クリストフ号を撃て
私の『カニ眼』による測距に基づき、自分の経験則も加味し、クラッセン軍曹が仰角を調整する。
「ウソのデータ、言ってないっすよね?」
照準器を覗きながら、クラッセン軍曹が言う。もちろん本気で言っているのではない。
「さあな」
私は、『カニ眼』を覗きながら、そう答えた。
「ひでぇ観測手だぜ」
引き金が引かれた。百五ミリ砲特有の野太い砲声。
火薬の燃焼した匂い。
キーンと耳を叩く残響。
初速の早い七十五ミリ砲と違って遠距離砲撃の場合、天候によっては百五ミリ砲弾は飛んでゆく姿が目視できる。
私が覗く『カニ眼』の中で、艦名不明の先頭を走る駆逐艦のすぐ手前で、水柱が立った。
至近弾。
遠距離射撃なのだ、命中とはいかなかったが、上出来だ。
チカチカと、駆逐艦の前甲板上でマズルフラッシュが見えた。フレッチャー級駆逐艦の主砲の五インチ砲の一番砲、二番砲が砲撃してきたのだ。
「反撃来るぞ! 出せ! 出せ!」
私が叫ぶより早く、右に舵を切りながらペンギンが走った。
フリッパーターンは、ある程度速度が出ていないとできない。ペンギンの水平安定翼が水を掴まないからだ。
立て続けに二つ水柱が立つ。ペンギンを大きく飛越してニ百メートル以上後方に着弾したのだ。
ペンギンの小ささとスピードにより、レーダー測量で弾きだされた距離、砲術士官が多めに見積もってしまうのだ。
相手が同程度の大きさの艦艇なら、五十から百メートルの誤差は問題ない。フレッチャー級の駆逐艦の全長はおよそ百二十メートル。その程度の誤差ならどこかに当たる。二百メートル以内なら至近暖の範疇だ。
だが、ペンギン相手にそれはない。ピンポイントで命中させる精度がないと、主砲でペンギンを仕留めるのは難しい。
三隻の駆逐艦の前を斜めに横切るようにして、もう一度行進間射撃を試みる。今度は、敵艦の左舷側に至近弾となった。
砲弾は浴びなかっただろうが、水柱が崩れた際に、左舷の兵員は冷たいバレンツ海の水を浴びただろう。
苛立った、駆逐艦から、再び一番砲、二番砲から反撃が来る。これもまた、シュルシュルという空気の裂く音を残して大きく飛越した。
先頭の艦は直進してくる。後方の二隻は左右に展開した。先頭の艦の右舷側に出た艦のナンバーが見えた。『DD-466』ベイカー号だ。続いて左舷側に回答した艦のナンバーも見える。『DD-471』クリストフ号。
艦名不明の先頭艦がP-07に直進して圧力をかけて動きを封じ、右舷から回り込んだベイカー号とで十字砲火を浴びせるつもりだ。
左舷に回ったクリストフ号は、おそらくP-08らの戦闘海域に向かうつもりだろう。
回頭後、増速してP-07を一顧だにしない。
「目標、クリストフ号。バウマンたちの所に向かわせるな!」
P-07の役目は、P-08たちが対空戦闘をしつつ、護衛空母に向かうのを助ける事。
絶対に避けたいのは、航空機と船団に残った駆逐艦三隻、そしてクリストフ号による包囲の陣形を造らせることだ。
そのために、クリストフ号はこっちに食いつかせなければならない。
併走して至近距離で殴り合う。注意を引くにはこれくらいの事をしないといけないだろう。
P-07は、艦名不明の艦、P-07を側面攻撃しようと進路を変えたベイカー号を全く無視して、クリストフ号を追尾した。
先頭艦が、こちたの意外な動きに、あわてて回頭している。『DD-463』アンブローズ号。先頭の艦はアンブローズ号だった。
『幸運の七番』ことP-07はトップスピードで走る。艦砲射撃が追尾しきれず、アンブローズ号とベイカー号が放った砲弾は、我々の航跡に水柱を立てた。
一時的だが、背後にアンブローズ号とベイカー号、左舷にクリストフ号という十字砲火の真っただ中に入ることになる。
特にクリストフ号とは七百メートルほどの至近距離での殴り合いになる。ボフォース四十ミリ機関砲ともまともに撃ちあうことになるだろう。
この距離で、薄い側面装甲を晒す。当たれば、四十ミリ機関砲ならスポスポ貫通してしまう。
今こそ、幸運と、鍛え抜かれた操船が必要だった。
「ジグザグ航行開始! クリストフ号の右舷を駆け抜けるぞ!」
ぐんぐんとクリストフ号が近づいてくる。
アンブローズ号とベイカー号はだいぶ後方に取り残された。
ダッダッダというボフォース四十ミリ機関砲の音。
P-07の前後左右に小さな水柱が立った。
私はキューポラの中に体を隠しながら、『カニ眼』でクリストフ号を見ていた。一番砲から五番砲まで、全ての砲がこっちを向き、ボフォースの銃座がマズル・フラッシュに瞬いている。
まるで、鐘が鳴るような音。
中空装甲を貫通して、砲塔に銃弾が当たった音だ。ばらばらと結露の水が散り、ベーア曹長が毒づくのが聞える。
「目標、クリストフ号! 狙いが付き次第撃て!」




