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狙うは魔女の首一つ!

 バレンツ海に日が昇る。まるで、水で薄めたような弱々しい陽光だが、それでも空気は温められ、靄が溶かされてゆく。

 どこまでも青いバレンツ海でただ波間に漂っていると、あまりにも無防備な気がして、なんだか尻のあたりがムズムズする。

 靄という、自然の煙幕もなく、突然上空から襲ってくる航空機に自身の貧弱な対空砲火のみで対抗しなければならない。

 上面装甲は補強されたとはいえ、絶対安全というわけではないのだ。

 情報部から送られてきたバレンツ海近辺の気象予測は晴れ。ペンギンにとっては、あまりいい条件ではない。

 海が荒れた方が航空機が飛ばなくなる。晴天は鬼門なのだ。

 機関砲銃座につきながら、バルチュ伍長が呟くような小さな声で、歌を歌っていた。

 エリカという名前の花を、故郷で待つ女性にひっかけて望郷の念を綴った歌だ。


『窓辺に咲く小さな花よ、その名はエリカ』


 砲弾を磨きながら、バルチュの歌声に合わせてハミングしているのは、装填手のバウムガルテン一等兵だ。

 砲撃の名手クラッセン軍曹は、照準器を覗き、砲塔の動きをチェックしている。

 いつもひどい肩こりに悩まされている操縦手のベーア曹長は、首を左右に曲げてストレッチをしていた。

 私は、聞くともなしにバルチェの歌声を聴きながら、ワイルドキャットのエンジンの轟音が聞えないかと耳を澄ましている。

 この海域は、『トロールの投石』作戦で、大規模輸送船団を叩いた海域だ。おそらく、偵察機を飛ばしてくる。

 Sボートより小さな船影だからといって、もう見逃すことはない。小型漁船ほどの小さな船体に、巡洋艦並みの強力な砲を積んだ鋼鉄の船が存在していることを米英海軍は理解している。

 漁船への誤射が多いのは、裏返せばペンギンを怖がっているということ。漁師にしてみたら、たまったものではないが、米軍や英軍が民間人も平気で殺すのは、今に始まったことではない。

 病院船まで沈める独軍のUボートもいるので、彼らの事をとやかく言う事は出来ないのだが……。


 遥か上空で、ゴンゴンとエンジンの轟き。

 効き間違えようがない。護衛空母の艦載機ワイルドキャットだ。

 音が聞えた方向の水平線に、測距用の『カニ眼』を向ける。

 何か、小さな染みのようなものが見えなかったか?


「敵影見ゆ!」


 無線封鎖が破られた。P-08艇長のバウマン大尉の声だった。

 P-07は最右翼、P-08はその反対の最左翼に展開していた。彼我の距離は十二キロメートルは離れていた。

 暗号で座標が示される。全長十二キロメートルの監視網の左端に敵が引っかかった形だ。

 コースをほとんど変えないという情報は正確だったということだ。つまり、我々はなめられている。

「回頭! 取舵一杯、全速前進! 総員戦闘配置につけ!」

 ペンギンのエンジンが咆哮する。煙突が黒煙を噴き上げた。

 海軍にいた私は、突然の無線をキャッチした『ブラックキャット・エクスプレス』の各護衛艦の動きが想像できた。

 HF/DFが、無線の出所を逆算。短波レーダーが稼働を始めただろう。

 戦闘配備のブザーが鳴り響き、当直士官が矢継ぎ早に指示を飛ばしているはずだ。

 艦橋の後ろに立つ、マストの上の砲撃指揮所には、レーダー測量の技官が着席しているだろう。

 目視のために、艦橋のテラスに双眼鏡を首から下げた担当下士官が、寒風の中で四方に視線を飛ばしているだろう。

 練度の高い日国海軍と殴りあってきている米国海軍のレベルは、決して低くない。湾の奥に隠れるだけしかできない独国の海軍とは、潜ってきた実戦のノウハウの数が違う。


 ペンギンは、スピードが上がると海面を跳ねるように進む。子供が石を水面スレスレに投げて水切り遊びをするかのように。

 速度は五十ノットを超える。時速に換算すると九十キロ強の速度で海面を突っ走っていることになる。

「空母を叩く! 狙うは『魔女』の首一つ! 各機応答せよ!」

 P-07も無線封鎖を破った。『魔女』はセイレム号のコードネームだ。

 各機も、次々と無線封鎖を破る。これは、Uボートの群狼作戦を偽装したものだ。

 あたかも、Uボート同士が連絡を取り合っているかのように、HF/DFには映るだろう。

 五十ノットという、船舶では考えられない速度で海上をかっ飛びながら、時々通信を入れる。まさか、同一の機体からの通信とは考えないはずなので、いったい、何隻のUボートが隠れていたのかと混乱するだろう。HF/DFというハイテク機器を逆手にとった原始的な偽装。

「ワイルドキャットを目視! 対空戦闘を開始する! 禿ペンギン! 早く来い!」

 P-08が接敵したらしい。我々が到着するまで、翻弄するのが彼の役目になる。

 『不死身の八番』の本領発揮だ。 

 

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