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静かな海

 突き出た百五ミリ砲のずんぐりとした砲身に靄をまとわりつかせ、微細な氷片が舞っているかのような冷たい霧雨のバレンツ海をゆく。

 キューポラから頭をだし、双眼鏡を構える私の防水外套と鉄兜はびっしょりと濡れ、カチカチと歯が鳴るほど体は冷え切ってしまっていた。

 もし『ブラックキャット・エクスプレス』が同じコースを辿っているなら、間もなく接敵してもいい頃合いだった。

 これだけ、視界が悪いと偵察機も出せないだろう。飛行機のエンジン音は意外と遠くまで響く。それで、逆に敵を発見できることだってあるのだ。制空権を失った現在、飛行機と見れば敵国のものと考えればいいのだ。今日は、それがない。

 静かな、そしてしんと冷たい、いつものバレンツ海の夜だった。


 エンジンはアイドリング状態にしてあった。我々は三キロ間隔で横隊を作って波間に浮かび、それが貧弱ながらも『ブラックキャット・エクスプレス』を捉えるペンギンの咢だった。

 発見した者が、無線封鎖を破り敵の座標を通信する。

 我々はその座標に参集し、第一目標である護衛空母セイレム号を叩く。ペンギンを個々の機体として扱わず、集団で使用する試み。

 前回は、護衛空母の艦載機ワイルドキャットに阻まれて、効果的に運用できなかったが、今度は試作対空戦車『クーゲルブリッツ』の砲塔を搭載した『禿ペンギン』がいる。上下左右ぐるりと自在に動く球形砲塔は、ワイルドキャットを牽制できるだろうか。

 にわか仕立ての戦法だ。通用するかどうか誰にも分からない。だから、我々が実地で検証するしかないのだ。命をかけて。

 夜が明けてきた。ベア島の北二百キロメートルのところにあるスパールバル諸島では、八月末まで白夜がある。九月の後半である現在、ベア島周辺も夜明けは早い。

 機銃手のバルチュ伍長が、温かいココアを持ってきてくれた。シープスキンの手袋をぬいで、直接マグカップを包む。悴んだ手に、じんわりと温かみが染みるようだった。

「見張り、替わりましょうか?」

 ほぼ徹夜で海上を監視していたのだった。体を伸ばしたいところだ。

「すまん、十分だけ頼む」

 箱ごと、バルチュ伍長がラッキーストライクを差し出してくる。緑色のインクは鉄を使うから、白いパッケージに変えて『ラッキーストライクの緑は戦場に行きました』などというバカけだ宣伝をしているタバコだ。

 いかにも米国らしいプロバカンダだ。独国も他国の事は言えないがね。

 一本を抜き出して、同時に差しだされたオイルライターで吸いつけ、ラッキーストライクとライターを返す。

 ピッチングとローリングを繰り返す甲板にあたるエンジンルームの上の装甲板に私は立った。

 ここは本来テントが立つ場所なのだが、今は予備タンク代わりのドラム缶が一本立っているだけだ。使い切っているので、皆が起きたらこれを切り離して投棄しないといけない。

 美しいバレンツ海に、ドラム缶を捨てるのは、なんだか冒涜行為のような気がするが、わずかに残った軽油に引火して、ペンギンが火だるまになるのは避けたいところだ。

 マグカップをドラム缶の上に置いて、煙突につかまりながら、放尿する。我慢していたので、じつに長々とした放尿だった。

「馬じゃあるめぇし、まぁずいぶん出ますね」

 悪態をつきながら、寝ぼけナマコで砲手のクラッセン軍曹が甲板に出てくる。

 くわえタバコのまま、片手でマグカップを持ち、片手でズボンのチャックを開けて、ペンギンの舷側から放尿していた。

 揺れる機上をものともしていない。おっかなびっくりだった、彼ら戦車乗りだが、すっかり船乗り並みにバランスを取れるようになっていた。

「さて、麗しのツレションも終わった事だし、ドラム缶を捨てちまいましょうぜ」

 

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