哨戒飛行
我々の目となり、輸送船団を索敵する水上機のパイロットは、『夜の魔女』だった。
劣勢を跳ね返すため、自軍の将兵を恐怖で縛るのは露国の伝統のようなものだが、彼女らはそれに屈することを潔しとせず、その結果彼女らの家族は粛清された。
敵軍に身を投じたのは、復讐のため。カエルのような工作員が、言葉巧みに彼女らを取り込んだのだろう。
救難ボートをさかさまに伏せて、屋根の代わりにした小屋は、彼女らに譲ることになった。しっかりとした大地に足を降ろせるだけでも、我々にとってはありがたいことなのだ。贅沢はいってられない。
それに、若い女性と同じ小屋で寝泊りなどムリだ。
ニーナ・マカロフもイリーナ・メクリンも、十人並み以上に美しい娘で、我々はただでさえ、十代の少年たちが多い部隊なのだ。浮つくのは避けたいところである。
それは、P-07と08の乗組員もご同様なのであるが。
「なぁ、アルフレード。彼女らはすごく別嬪さんじゃないか?」
やれやれ……バウマン大尉まで、この体たらくだ。
小屋では、五人の艇長と二人の飛行機乗りとで、哨戒範囲の確認を行った。我々が使った時は埃だらけだった小屋も、きれいに掃除され、バスまで設置してあった。
少し気が弱いところがあるP-22艇長のハンス・カッツパルゲル准尉などは、バスを見ながらポーっとなっていたので、私は拳で彼の頭を叩いた。
ブルネットが美しいイリーナ・メクリンは、その様子を見てくすくす笑い、可哀想にカッツパルゲル准尉は夕日の海のように真っ赤になってしまった。浮かれるな、馬鹿もん。
「午前と午後の二回、ベア島を中心に哨戒に入ります。発見したら、ベア島に帰投。口頭で連絡。そういう手順でいいですね?」
ニーナ・マカロフが、赤みがかった金髪をかきあげながら、確認する。黄金を炎にかざした様な不思議な色合いだった。たしか、ストロベリー・ブロンドとかいったか? こういうことは、私は疎い。バウマン大尉になら知っているかもしれないが。
「それで結構だ」
私が、海図を見ながら答える。氷国、バレンツ海、そしてベア島。地図ではちっぽけな海域だが、フェアリー・ソードフィッシュが無ければ、船団を見つける事すらできないのだ。
「無線で、伝えれば早いのに」
小腰に手を当てて、ニーナ・マカロフが文句を言う。まぁ、その疑問はごもっともだ。
「米英の駆逐艦にはHF/DFという電波探知機があって、短波レーダーと組み合わせることによって、かなり正確に無線の発信源が判明します。Uボートの『群狼作戦』が事実上無力化したのはこのためです。航空機なら、楽に逃げ切る事は出来ますが、無線のせいで相手に襲撃があるかもしれないと、思わせるのは得策ではありません」
ペンギンの利点は、奇襲だ。しかも、今回は初陣のひよっこを連れている。まぁいいだろうといった妥協はしたくない。彼らを死なせたくはないのだ。
午後になり、彼女らはパイロットスーツに着替えて、船着き場に現れた。
我々は機体の整備をしていたが、その手を休めて彼女らを見送ることにしたのだった。
ニーナ・マカロフが操縦席に座り、イリーナ・メクリンがフロートの上に立つ。そして、クランクを取り出して、エンジンの横にある差込口にクランクを差し、それを回し始めた。
最初はゆっくり。次第に勢いをつけて回している。
不意にせき込むような音を立てて、エンジンが始動した。ぽかーんと、その様子を見ていた少年たちが、思わず拍手をする。
外したクランクを左右に振って、イリーナ・メクリンがその拍手にこたえていた。
身軽に機体の小さな取っ手に体重をかけ、ひらりと後部座席に収まると、備え付けの機関銃をの作動確認をしていた。
多分、グロスフスMG42機関銃だ。七.九二ミリライフル弾を発射する、非常に連射性の高い機関銃である。
一発一発の発射音が聞き取れない連続音になることから、『電動のこぎり』という仇名がついているらしい。
暖気運転を終えて、エンジンの回転数が上がると、ゆっくりと水上をフェアリー・ソードフィッシュは進み始め、徐々に速度を上げて行く。
操縦席から、ニーナ・マカロフの腕が突きだされ、親指が立てられた。
少年兵たちから歓声が上がり、指笛までが吹かれる。
操縦席と背中合わせに座っているイリーナ・メクリンがほほ笑みながら、我々に向かって手を振る。
私も、手を振った。
エンジン音が変わり、フロートで水面をバウンドするようにフェアリー・ソードフィッシュが走る。
思ったより短い滑走で、ふわりと機体は空に浮き上がってゆく。
フロートに付着した海水が、キラキラと空に散って虹がかかる。
一度だけ『夜の魔女』は、翼を上下に振って我々に別れを告げると、飛び去ってゆく。
陸と海のあいの子であるペンギンのために、空と海のあいのこである水上機が索敵する。
ともに、記録には残らない『存在しないはずの部隊』だ。
だが、たしかに凍えるバレンツ海に居て、祖国のために、または復讐のために、戦っているのだ。




