表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
129/173

追い込まれてゆく独国

 工作員カマラが生命を賭して持ち帰った情報は、すぐさま参謀本部に送られたらしい。

 牛と羊が得た情報『ボディガード作戦』をもとに、ドーバー海峡のカレー港、諾国南部沿岸の防御策を練っていた参謀本部はさぞ混乱しただろうと思う。

 カエルは、ノルマンディが敵の上陸目標であると踏んでいて、そのアマラとカマラが持ち帰った情報の裏付けを取ろうと必死になっている。

 牛と羊には、帰還命令が下った。当然だが、その命令に両名は従わず、そのまま米国に亡命したそうだ。

 英国本土に潜入させた諜報機関はほぼ壊滅状態で、カエルはその再構築にも奔走を続けている。

 通商破壊工作が行えないP-07は、フェロー諸島から英国本土に新たな諜報員を送りこむ輸送任務に従事し、合計七人の諜報員を英国本土に上陸させたことになる。


 一九四三年五月末、絶望的な状況の中、チュニジアで勇敢な抵抗を続けていたアフリカ軍団が投降した。

 地中海で、退却するアフリカ軍団を援護し、駆逐艦や航空機と壮絶な死闘を展開していたP-03とP-04も、ついに力尽きて撃沈され、あの陽気な若者たちは地中海に消えた。英国の有名な地中海艦隊『H部隊』との壮絶な砲撃戦だったという。

 出撃の夜、リリーなんとかを大声で歌いながら、肩を組んで港に向かって行った彼らの姿を思い出す。

 彼らがシチリア島に逃がした輸送船は二十隻。約三千人の負傷した将兵を伊国に送った計算になるそうだ。

 アフリカを制した連合軍の次の目標は、ギリシャかシチリア島かと言われていたが、カエルはシチリア島だと断言していた。

 ギリシャ上陸作戦の情報の出所は、羊で、彼は二重スパイだったことが判明している。

 それでも、独軍はギリシャにも部隊を派遣し、兵力が分散したことにより、一九四三年七月上旬、シチリア島は奪回された。諜報戦の敗北が遠因だ。カエルはさぞ悔しかったと思う。

 なんとこの作戦は、ムッソリーニ政権によって粛清されていた犯罪組織が、連合軍に協力して上陸作戦を手引きしたというのだから、世も末だ。


 苦戦を続ける東部戦線だが、露軍の宣伝のとおり七月に入ると大攻勢がはじまった。

 独国軍の中央軍集団と南方軍集団の間に楔のように撃ち込まれたクルスクを中心とする露国軍との間で、激戦が繰り広げられたのだ。

 最激戦地域であったプロホロスカの平原では、独国軍六百台、露国軍九百台ともいわれる機甲師団が激突し、両軍合わせて七百台もの戦車が撃破される史上最大の戦車戦が展開された。

 戦況は一進一退を繰り返したが、地中海における連合軍によるシチリア島上陸作戦が開始されると、戦力温存の観点から独国軍で慎重論が大勢を決し、その結果、露国軍はクルスクを保持したのみならず、要害のドニエプル川の渡河をゆるしてしまい、交通の要衝キエフまで奪回されてしまう。

 バレンツ海から白海への輸送ルートの確立に伴い、レニングラードでも露国軍は増強され、独国軍はますます追い込まれてゆく。

 この年の七月以降、独国軍は完全に守勢にまわり、ずるずると後退を続ける事になる。


 そんな暗いニュースが続く中、P-20、P-21、P-22の三機のペンギンを率いて、P-08が戦線に復帰した。

 フグロイ島の部隊は、A部隊と呼称され、ペンギン五機が通商破壊活動の作戦行動を採ることとなった。

 この小さな部隊の指揮官は私。その辞令もバウマン大尉は持参していた。

 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ