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欺瞞作戦

 水船になりかけている小型漁船に接舷する。額から血を流してすごい形相になっているカエルが、我々に手を振った。私は、バルチュ伍長に周囲を警戒するように命じて、キューポラから出る。

 操縦手横のハッチから、装填手のバウムガルテン一等兵が外に出て、もやい綱を投げた。

「手を貸してくれ」

 カエルが、沈み始めた漁船の甲板から声を上げる。

 私は、小型漁船に飛び移った。

 操舵室には、舵輪にもたれかかるようにして、女の姿があった。たしか、英国に侵入した姉妹のうちの一人だ。後頭部がザクロのように爆ぜていて、明らかに死んでいる。

 MP40短機関銃を抱えたまま、うつ伏せに知らない男が倒れている。彼の下は血の海だった。

 カエルが肩を貸して、助け起こしたのは、姉妹のうちのもう一人。たしか、妹のカマラだったか。

 脇腹から大量の血が流れ、夜目にも彼女の顔が蒼白なのがわかる。

 私は、カエルの反対側から彼女を支えて、バウムガルテン一等兵を呼んだ。

 バウムガルテン一等兵は、我々から彼女を受け取り、軽々と持ち上げると、小型漁船からペンギンに飛び移る。

 それを見て、安心したのか、カエルががっくりと膝をついた。

「まだ終わってないぞ、そろそろ哨戒機が飛んでくる頃合いだ。さっさと逃げないといかん」

 私は、崩れ落ちそうになるカエルを励まし支えながら、ペンギンに飛び移った。バルチュ伍長に、砲塔へ引き上げてもらいながら、カエルはキューポラからペンギン内に入る。

 私も、キューポラに身を踊りこませながら操縦手のベーア曹長に、

「コンラート!出せ、出せ、撤退するぞ」

 と、叫んだ。

 哨戒艇の連絡を受けて、航空機が殺到するはずだ。なるべく早くここから立ち去りたい。

 ベーア曹長もそれを理解していて、最高速度でペンギンをかっ飛ばす。

「対空警戒だ、バルチュ伍長」

 私はそう言い残して、カマラを横たえている操縦手横の機銃手待機場所のベンチ兼物入れに向かう。

 P-07備え付けの救急キットの箱が開けられていて、バウムガルテン一等兵が、ガーゼの束でカマラの脇腹を圧迫止血しようとしていた。

 カエルは、自らの傷を顧みず、ナイフでカマラの服を裂いて、負傷個所を露出しようとしていた。

「血が、とまりません」

 泣きそうな声でバウムガルテン一等兵が訴える。だが、ここは病院ではない。出来る事は限られていた。

「ひ……羊と、牛……寝返っ……」

 カマラが、なんとか声を出そうとするが、血が詰まって、途切れ途切れにしか声が出ない。

 私は、応急処置をカエルから替わる。カエルは、耳をカマラの口に近付けて、声を聞きとろうとしていた。

「羊と牛が、裏切ったんだな? 確かか?」

 カマラがうなづく。彼女の顔色はますます白くなり、だらんと下がった手の指は死人の色をしていた。

 重要器官を守ろうとして、末端向かう血流が停止したためだ。ショック症状を起こさないのが、奇跡のような状態なのだ。

「カエル! いい加減にしろ! 怪我人だぞ!」

 私は怒鳴ったが、それでも、カエルは彼女から情報を聞くのをやめない。

 私は、圧迫止血をしているバウムガルテン一等兵の手をどかし、受傷部を見る。白い肌に、機関銃弾らしき銃創が三つ並んでいた。

 まるで、肌に寄生した人面疽のように、呼吸のたびにその表情をゆがめ、目に相当する箇所からも、口に相当する箇所からも、血があふれ出てゆく。

 私は、消毒薬の粉末を傷にふりかけ、モルヒネ注射の準備をするべく、薬箱を探った。

 血でぐずぐずになったガーゼを捨てて、新しいガーゼでバウムガルテン一等兵が圧迫止血を再開する。

 彼は、呪文のように「がんばれ、死ぬな、がんばれ、死ぬな」という呟きを繰り返していた。

「奴らが……探り出して……『ボディガード作戦』……贋物……ノルマンディ……ノルマンディ……」

 どこに、こんな力が残っていたのか、カマラがカエルの胸ぐらをつかむ。そして、それを引き絞るようにして、一言

「ノルマンディ」

 と言って、力尽きた。彼女の芽は虚空を睨み、しかし何も映していなかった。

「受け取ったよ、カマラ。もうゆっくりお休み」

 カエルが、見開いたままのカマラの眼を閉じさせてやる。そして、カエルの胸ぐらを掴んだままの手を、指を一本づつほぐすようにして離してやっていた。

「くそ! くそ!」

 罵りながら、バウムガルテン一等兵が拳で涙を拭った。それで、カマラの血がバウムガルテンの顔になすりつけられ、涙で滲む。

 私は、モルヒネのアンプルを薬箱に戻した。そして包帯と新しいガーゼを取り出して、カマラの髪を撫でてやっているカエルの頭の傷に応急処置を施した。

「彼女らは、娘みたいなものでした。諜報活動のイロハから、私が教え込んだんです」

 ポケットからハンカチを出して、カマラの頬についた血を拭いながら、ぽつりぽつりとカエルが言った。

「羊は英国軍部に送り込んだ工作員で、牛は米国の軍部に送り込んだ工作員でした。情報は正確なのだが、いつも一歩遅れるから、おかしいと思って、彼女らを潜伏させたのですが、やはり、二重スパイになっていたようです。彼らが探ってきた、カレーと諾国同時侵攻作戦である『ボディガード作戦』は、欺瞞作戦の可能性が高まりましたね。彼女らのお手柄です」

 額から流れたカエルの血が、顎に伝って、ポツンと床に落ちた。カエルは無表情だったが、それはまるで彼が流した涙のように見えたのだった。

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