待機の時間
何度か、高速輸送船団の情報は入った。しかし、輸送船二十隻、護衛艦七から十隻では、単独行動のP-07では手も足も出ない。
コストがかかって、ざまぁ見ろとしか言えないのがもどかしい。
二機編成のペンギンの在り方も、考え直さなければならない時期に来たのかもしれない。最低四機。それが走り回って、多方向から同時に攻撃する。そういった策が必要だ。
米国海軍は、柔軟に輸送方針を変えてきた。当方も、今までの方法論から、脱却しなければならない。
といっても我々は最前線の、公式には存在すら否定される特殊な部隊だ。
唯一の救いは、いかにもお飾りという感じのロストック基地司令官、ニクラス・ディートリッヒ陸軍大佐が、各自ペンギン艇長の自由裁量で行動させてくれることだ。
彼は海は門外漢なので、ペンギン部隊の渉外担当と割り切っている風があり、今のところそれでうまく行っている。
前例のない部隊なのだ。最前線の意見をくみ上げてくれないと、効果的な運用ができない。
我々は待機中、P-07が受けた損傷の修理に努めた。
機関砲で穴をあけられたシュルツェンにパッチを当て、溶接する。
砲塔や本体の傷や凹みにもパッチを当てて、剥げた塗装を塗り直す。
酷使したエンジンは、手持ちの工具で出来るだけメンテナンスする。
砲身の錆をふき取り、グリースを塗る。
尾錠、砲塔回転ハンドル、仰角調整ハンドルの作動確認。
機関砲の整備。
照準器や『カニ眼』の調整。
ざっと、上げただけでも、やることはこれだけある。それに、今までの戦闘を振り返ってのブリーフィングも必要だ。ペンギンの運用は、実地で積み重ねてゆくしかないのだから。
カエルを通じて、情報の収集行っているが、これは暗いニュースばかりだ。
アフリカ戦線だが、ついに最終防衛ラインに定められていた『マレス・ライン』を放棄することになったらしい。
もはや、アフリカ軍団はチュニジアに追い詰められた状態になり、頑強な抵抗を繰り返して局地的には勝利しているようだが、もはや戦車を動かす燃料すら事欠く有様という。
P-03と04は、細々とした最後の海上輸送ラインを維持すべく努力していて、輸送船を襲う航空機や駆逐艦と死闘を繰り広げているらしい。
若者らしい陽気さで、勇躍海を往く彼らの姿を思い出す。歴史には残らないが、確かに彼らは存在し、乾きと飢えに苦しみながら戦う友軍になんとか手を差し伸べようとしている。
東部戦線では、露国はじめての大勝利であるスターリングラード攻防戦を宣伝に使って夏季に攻勢をかけると自軍を鼓舞している。
高速輸送船団が機能しつつあり、その結果、独海軍のUボートは不利な戦いを強いられている。だが、通商破壊をあきらめておらず、勇敢なUボートや古強者のUボートが次々と撃沈されている。
カエルが、我々に任務を伝令してきたのは、P-07が受けた傷を修理し、メンテナンスがほぼ終わった、二週間後のことだった。
四月も半ばになり、ようやく空気に差すような冷たさが無くなってきた頃だ。
再び英国本土に夜陰に紛れて接近し、今度は工作員をピックアップしてフェロー諸島に逃がす作戦の手助けをしてほしいそうだ。
ロストックで再艤装を終えたP-08は、新設されたペンギンの第三作戦群七機の臨時の指導教官を命じられて、P-07は通商破壊活動に従事できない。
P-07を遊ばせておくのも何なので、情報部で使う。そんな流れだろう。専門外の任務に使われることに不満がないわけではないが、ペンギンの作戦グループを二機から最低四機に増やすという現場の要望を通すために、カエルが尽力してくれたらしいので、借りを返す意味で承諾したのだった。
P-08は、四機以上の作戦行動の指導をしているそうだ。
指導期間が終われば、三機の新しいペンギンを引き連れてフグロイ島に来る。通常任務は、それまでお預けだ。




