砲撃開始
およそ五千メートルの距離をとって、船団をやり過ごす。狙うは最後尾の高速輸送船。護衛の駆逐艦は三隻。
最新鋭のフレッチャー級駆逐艦だ。事前の情報によれば、旗艦はアーチャー号。先導している駆逐艦がそれだ。船団の進行方向左を守っているのがチャフィ号、右がビショップ号。
中立船護衛での任務で、対潜戦闘の経験も十分に積んだ手ごわい相手である。
等間隔できちんと二列縦隊を保ち、規律正しく船団がバレンツ海をゆく。
言うことを聞かない商船乗りに悩まされた護衛駆逐艦乗りなら、実に羨ましい光景だろう。
一千メートル弱も続く隊列の最後尾の艦とすれ違う。
航空機の姿はない。露国海軍の増援もない。船団とサシで遣りあう時がきたようだ。
「進路変更。面舵一杯!」
ザッザッと横滑りしながら、ペンギンが急角度で曲がる。右舷前方では、P-08が取舵一杯に切りながら、旋回しているはずだ。我々は進行方向左の列の五隻のうち、その最後尾を撃つ。P-08は右側の最後尾を狙う。
交戦規定に定める二千メートルまで距離を詰める。
「全速前進! 進路そのまま!」
旋回を終えると、エンジンを全開にする。
放たれた矢の様に、凍てつくバレンツ海をペンギンが疾走した。
砲手のクラッセン軍曹が目測でおおまかに左前方に砲塔を向ける。砲塔に固定されている『カニ眼』を私は覗いて、ピント調整のツマミを回した。
鉄兜が邪魔なのだが、何度もキューポラに叩きつけられた経験上、それを脱ぐという選択肢はない。多少の不便は仕方がないと諦めるしかなさそうだ。
砲手のクラッセン軍曹が、例によって軍帽を逆向きにかぶり、軍帽の庇が照準器に当たらないようにしている。
七十五ミリ砲弾に比べて、だいぶ大きくなった百五ミリ砲弾を砲弾架に移しているバウムガルテン一等兵が、丸太のような太い腕の筋肉をうねらせていた。かなり重いのだろう。十発以上を砲弾庫から運び上げた彼の背中にはうっすらと汗が染みていて、湯気が上がっていた。
今は直進するだけなのだが、戦闘開始となれば忙しいのは操縦手のベーア曹長だ。前進と後退。減速と加速。左右の舵取り。場合によっては、フリッパー・ターンも行わなければならない。機体が大型化したおかげで、船体の安定は増したが、ペンギン特有の機体操作法『フリッパー・ターン』のタイミングがシビアになったと、ベーア曹長は言っていた。
これもまた、慣れてゆくしかないのだろう。
簡易測距儀にもなる『カニ眼』を覗き込む。うっすらと、艦影が見えた。
ピント調整のツマミを回す。ぼやけた像が、海上を走る高速輸送船の像を結んだ。
目盛を読む。およそ二千五百メートル。『カニ眼』の中心は砲身の向きに合わせてあるので、中心から何ポイントずれているか、砲手に伝えなければならない。
「敵艦発見!これより戦闘に入る!」
通信機に向かって宣言する。『テルモピュライ作戦』は始動した。P-08からは受信を応答するクリック音が二度。バウマン大尉たちに幸運を。
「機関減速! 三十ノット!」
改正交戦規定に定める適正交戦距離に達しているため、敵艦と速度を合わせる必要がある。
「距離二千五百! 方位右に四ポイント!」
機体操作の指示を飛ばしながら、観測手もこなさなければならない。艇長は実に忙しい。
カチカチと、砲塔が微妙に動いて、左に寄っていた高速輸送船の船尾の画像が中央の目盛に入る。
「方位ヨシ! 狙いが付き次第撃て!」
距離二千五百メートルだと、照準器では見えるか見えないかの距離だ。砲手の勘に任せるしかない。
仰角を微調整しつつ、クラッセン軍曹が慎重に狙いを定める。同軸機銃は撃たなかった。百五ミリKwK L/28戦車砲は、初速の遅い榴弾を撃つための砲だ。山なりの軌道を描く長距離射撃では、同軸機銃は意味がない。
腹に響く重低音の砲声。これが百五ミリ砲だ。
私が覗きこんでいる『カニ眼』の映像の中で、水柱が立つ。かなり近い位置だった。水柱が、艦影をにかぶる。つまり、手前に着弾したのだ。飛越したなら、水柱は艦の後ろに映る。
「至近弾! ショート! 方位ヨシ!」
私の観測結果を受けて、照準器から目を離さす、クラッセン軍曹が仰角を調整している。装填に関して、クラッセン軍曹はもう指示を出さなかった。
ペンギンに積んでいるのは榴弾とHEAT弾しかなく、HEAT弾は特殊な砲弾なので頻繁に使うものではないからだ。
さすがに七十五ミリ砲の時より装填に時間がかかる。それでも八秒以内ならいいタイムっすよと、クラッセン軍曹は言っていた。
砲手のクラッセン軍曹が仰角を調整し、装填手のバウムガルテン一等兵が次弾を装填している僅かな時間、キューポラから頭を度して護衛の駆逐艦の動向を見る。
砲撃を受けたという報告が入ったところだろう。我々に一番近いのはビショップ号。おそらく回頭しただろうが、まだ双眼鏡の視界には入っていなかった。
ガシャンという、装填が完了し尾錠を閉める音を聞いて、『カニ眼』を覗く。高速輸送船の船長は、経験豊かな退役軍人だ。隊列を乱すことなく、粛々と進路を保っていた。高速で動く者同士、そうそう砲弾が当たるものではないと知っているのだ。
ただし、ペンギンは戦車が母体だ。砲撃をするために作られたのが戦車で、百戦錬磨の砲手が乗っている。
「二発目。次は当てる」




