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月下の二人

 月が出ていた。

 空襲対策で灯火統制が敷かれているので街の灯りがなく、星がきれいに見えている。

 テレーゼは中庭に居た。

 私は、彼女を追ってここに来た。

 彼女はまるで、幼子がするかのような仕草で乱暴に涙をぬぐい、私の方に振り返る。

「取り乱してごめんなさい。我慢していたのだけど、耐えきれなくて」

 こんな時、何を言えばいいのか私には思い浮かばない。自分で自分を殴りつけたくなるなるようなじれったさが、私の胸を焼く。

「シュトライバー大尉だけなんです。拳銃を厳重に保管しているのって」

 各部屋の掃除は、テレーゼとアヒムの姉弟でやっている。各人の部屋に入ることもあるだろう。

「私の父がそうでした。狩猟用ライフルも厳重に保管していて、過剰なほどでした。それは、私たちが触らないように安全対策でやってるんだと思っていたんですけど、違うんです」

 彼女が何を言いたいのか、私には見えてきた。

 なんだか、自分の内面に踏み込まれたようで、普通なら不愉快に感じただろうけど、不思議と不快感はこみあげてこない。

「見ていたんだね」

 私が言うと、彼女は私から目線をそらして、小さく頷いた。

 私は、厳重に拳銃を保管する。マガジンを抜き、薬室の弾も抜く。そのうえで鍵のかかる場所に厳重に保管するのだ。

 バウマン大尉などは、ホルスターに淹れたまま、机の引き出しに入れておしまい。

 酔った日などは、床に放りだしていることもある。

 私は絶対にそんなことはしない。そもそも、酔うほど酒は飲まない。

 なぜか? 理由は自分が怖いから。

「父も、葛藤していました。誘惑に負けないよう、必死に」

 鉄十字勲章を二度も受けた英雄、アルベルト・バルシュミーデ軍曹の写真を思い出す。人が好さそうな丸顔の男の顔。あの男もまた、穏やかな笑顔の裏に地獄を抱えていたというのか。

 私には罪悪感があって、それは多分あの四百人の命を救えなかったあの日のことが原因だ。

 拳銃を見ていると、そいつを咥えて引き金を引きたくなる衝動に駆られてしまう。私はそれが怖くて、拳銃を自分から隠す。そして酔わないようにしている。

 一見、鉄壁に見える私の城壁は、シロアリに内部を蚕食されたようにボロボロになっていて、少しの衝撃で崩れてしまうのだ。

 拳銃を持つ手が、私自身に向くことだってある。私は将校で、私の命令一つで部下を死地においやってしまうことが出来てしまうのだ。その重圧に、圧潰してしまいそうな時だってある。

 哨戒艇で私の副長を務めていたミヒャエル・ヤンセン少尉は爆散して、肉片も残らなかった。アルペンローゼの花が好きだったエルネスト・ボーグナイン少尉は私が殺し、凍った海の底に沈んだ。

 彼らは死んで、私は生きている。死ぬべきは、私なのに。

 取り出した拳銃から目を引き離し、弾を抜いて納めるまでに、多くの意志の力が必用だった。

 さぞ、怖い目でワルサーP38を見つめていたことだろう。テレーゼはそれを見てしまったのだ。彼女の父親も、同じことをしていたから、その行動の意味するところはすぐに理解したはずだ。

 以来、彼女は私を見ていたのだ。一線を踏み越えてしまわないように。

「父が、レニングラードに向かう前、あなたと同じ目をしていました。何もかも諦めてしまったような……そんな……」

 テレーゼが言葉につまる。

 私は、彼女にかけたあげられる言葉がどうしても思い浮かばない。

 勇気を出して、彼女を抱き寄せる。泣き疲れた子供をあやすように、背中を小さく叩いた。

 私の腕の間から、涙に濡れたテレーゼの緑の瞳が月に光って見えた。

「生きて、帰ってきます」

 ようやく出た言葉はそれだった。

 テレーゼは、コクンと頷くと、私の胸に顔をうずめる。


 月だけが、静かに二人を照らしていた。

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