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朴念仁

 我々にも、ついに出撃命令が出た。封印のある麻袋に鉛弾が入っていて、そこに通信文が封書で入っている。

 艇長は麻袋のままこれをペンギン内に持ち込み、指定がなければ『かたつもり岩』のところで、指定があれば指定の場所で、これを開封することになっている。

「どうもまた、北海か諾海が任地みたいだぜ」

 噂集めが上手いバウマン大尉がもう情報を集めてくる。

 何のための秘密指令だかよくわからなくなるのだが、まぁ軍隊とはそういうものだ。

 恒例になった『幸運亭』の送別会が行われる。出撃の日の夕方だ。アルコールは殆ど飲まない、とてもお行儀のいい、食事会だ。

 酔ってフラフラと港を出て行くわけにはいかないし、P-07、08のおっかさんこと『幸運亭』の女将、クラーラ・バルシュミーデのご臨席をたまわるのだ。背筋にピンと一本、筋が通るというものだ。

 おふざけ好きなP-08の装填手クリストフ(PHの方の)・ブック伍長とP-07機銃手のエーミール・バルチュ伍長も、借りてきた猫のようにおとなしい。

 ペンギンは軍事機密なので、このことは話す事が出来ない。任地もしかり。任務内容もしかりだ。

 自然と話は、我々の故郷のこと、家族の事、恋人の事といったプライベートな事柄になる。

 意図せずして、我々の間にある垣根を取り除く効果があった。戦車乗りたちから見れば、操縦手と艇長は「糞たよりなくて、役立たずの海軍野郎」ではなく、アルフレード・シュトライバーと言う人間であり、エーリッヒ・バウマンという人間であると気付く機会でもあった。

 ディーター・クラッセン軍曹も、「威張り散らした戦車野郎」ではなく、ベルリンの貧民街から、青雲の志をもって陸軍に志願し、社会の底辺から這い上がろうとしている青年であると分かった。

 クラッセン軍曹にとって、戦車は初めて自分に居場所を与えてくれたもので、ロンメル将軍のアフリカ軍団に抜擢されたことは、彼の誇りなのだった。海軍に腹を立てていたのは、陸戦で勝って補給船で負けたことが悔しくて仕方ないのだろう。

 地中海への出撃を願っていたが、どうやらその願いはかなえられそうもない。

 笊をもって、クラーラの娘テレーゼが皆の席を廻る。

 乗組員は、この時のために『幸運亭』に置いてゆく私物を用意していて、紙の名札とタコ糸で個人識別が出来るようにしてあった。

 私も糸で聖書を縛り、私の名前を名札に書いて用意していた。

 テレーゼはにこやかに笑いながら、一人づつと言葉を交わしながら、私物を集めていた。

「無事に帰ってきてくださいね」

「風邪をひかないようにしてくださいね」

「神様のお恵みがありますように」

 そんな言葉だ。私が叱咤激励するより、よっぽど兵士たちに勇気を与える言葉でもある。演説が巧みなちょび髭の伍長殿でも及ぶまい。

 テレーゼは最後に私の所に来た。

「このあいだは、散髪をありがとう」

 私はそう言って、笊の中に聖書を入れた。

「はい」

 テレーゼがほほ笑む。

「床屋以外の誰かに髪を切ってもらったのは初めてなので、いい思い出になりました」

 なんだか、言葉が足りないような気がして、付け加える。

「はい」

 テレーゼの緑色の瞳が、まっすぐ私を見ていた。四十ミリ機関砲の集中砲火を受けた時より私を怯ませる、まっすぐな視線だった。

 不意に、テレーゼの笑みが崩れて泣き顔になる。

「ごめんなさい」

 そう言い捨てて、テレーゼは食事会場になっていた広間から走りでてしまう。思わず私は椅子を引き、立ち上がっていた。

「追え」

 というゼスチャーをバウマン大尉が私に送ってくる。

 招待者役のクラーラが、仕方ないという顔でうなづく。

 ここに至り、ようやく私は事態を理解した。かっと頬が熱くなる。なんという鈍さだ。ずっとテレーゼはわかりやすく私に好意を示していてくれたのに、私はそれに気がつかなかった。

 動揺のあまり、足がもつれそうになりながら、私はテレーゼを追って部屋を出る。

「見たかね、諸君。あの朴念仁が、やっと自覚したぞ」

 バウマン大尉がそう言って、グラスを掲げ、皆が笑いながらグラスを打ち鳴らしたのだが、私はそれにも耳に入らないほど、動顛していたのだ。

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