懲罰勤務の日々
我々は制空権を失いつつあった。
航空支援がないと、艦船は裸になったに等しい。
英国と欧州を隔てる海域は、大型の戦艦は配備が不能になり、こそこそと逃げ隠れるしかない状況だった。
海域を支えているのは、勇敢なSボートなどの小型艦艇、それに不屈のUボートたちだけだった。
大規模な反攻作戦があるという噂が流れていた。輸送船の生き残りに無慈悲な止め刺しやがった米国の航空隊は、その象徴だった。本土防衛で疲弊しきった英国に、続々と駐屯基地を作り、兵力を蓄えている。
英国との距離が近い、カレーやノルマンディなどの海岸線ではかなり緊張が高まっていて、大規模な部隊の移動なんかも行われているらしい。
私が奉仕を命じられたのはヴィルヘルムスハーフェンという古い軍港だった。嘆かわしいことに、独国本国であるこの地にも、まれに爆撃機が飛来し、適当に爆弾を落としてゆく。
これも、英国のどこかに作られた米国の駐屯地からの攻撃だった。
私はタグボートが貸与され、湾内の巡回警備や入港する艦船の水先案内を行い、海上任務がない時は、爆撃によってできた瓦礫の山の撤去作業などをして過ごしていた。
いわゆる、港の「何でも屋」をやらされていたのだった。
片足を失い、海上任務に耐えられなくなった退役軍人が、私と同じように何でも屋をやっていた。
その人物は『クルト爺さん』と皆には呼ばれていた。
陸軍払い下げのサイドカーに乗り、ヴィルヘルムスハーフェン海軍基地の司令部からの伝令の任務を担っている老人だった。
サイドカーには、まるでシンリンオオカミと見まごう巨大なジャーマンシェパードの雑種が乗っていて、この軍港の一種の名物みたいなものになっていた。
灰色がかったその巨大な犬は、クルト爺さんがサイドカーを離れている間、その爺さんの乗り物を守るのが役割になっていて、
「バイクを盗もうとする不届き者は喉笛を喰い千切られる……」
と、まことしやかに語られていた。
私があてがわれた宿舎に、クルト爺さんと巨大な犬が着たのは、懲罰期間が明ける一週間前のことだ。
ほぼ毎日、1ヶ月近く顔を合わせているのに、この無愛想な犬は私の顔を見ると低く唸る。飼い主と認識している爺さん以外は、大体こんな反応らしい。まったく、融通のきかないバカ犬め。
クルト爺さんが持ってきたのは、指令本部への出頭命令だった。
「また、海にでられるかもな」
爺さんは、そう言ってニヤリと笑った。彼の情報網はとても優秀で、この港内では知らないことはない。
「何か知ってるなら、教えてくださいよ」
私は、ヒントを求めたが、爺さんは首を左右に振っただけだった。
「早く行った方がいいな。なんなら、わしのバイクに乗るか?」
何か気配を感じたのか、犬がひときわ大きな唸り声をあげた。晩飯代わりに足を喰い千切られてはかなわない。
自転車で行くことに私は決めたのだった。




