表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
6/9

7月3日


 寝ぼけた俺の耳に、水をそそぎ込んだのは、アナウンサーの声だった。


 『――政府はより高い安全基準を策定し、その新基準に基づいた厳重な管理の下、化学振興・重化学工業技術研究所の再建設を閣議決定し、来週にも衆議院――』


 今朝のニュースのせいで、俺は朝飯を食い損ねた。




「おい横路!」

「叫ぶなうるせぇ。言いたいことはわかってっからよ」

 中都方の叫び声を一蹴し、俺はため息混じりに背もたれから体を起こした。

 中都方は毒気を抜かれたように呆けた顔で一旦停止。それから顔を歪ませて呟いた。

「…本当なのか、やっぱり」

「知らねーよ。ただ腐りきったマスゴミがあそこまで大々的に報じたんだ、嘘じゃなさそうだぜ」

「……そうか」

 過去十年、事故の責任をとるように国に求めてきたデモや、大規模な座り込み、裁判その他、新聞の広告欄程度や全く報じられなかったことを考えれば、まあ、国家権力の手先の人間が自分たちから報じた、つまりそれが国の決定だと言うことだろう。

 少なくとも、今まで俺たちに何の情報も無かったことを考えれば、まず間違いない。時期としても、十年経って抗議活動自体が沈静化してきた今、畳み掛けるようにこの計画を通すことも可能だ。

 これ、久野さんが前から懸念してたシナリオそのものじゃねえかよ。

「お前なら、否定してくれるんじゃねえかと思ったけどよ……」

「生憎だな。俺は本当のことしか言わねえんだよ」

 その言葉が軽く自分を突き刺したが、しょうがない。必要に迫られてってやつよ。

「どうする?」

「どうするもなにも……今はまだ何とも言えねぇよ」

 何か言うには余りに情報が少なすぎる。余計な情報はかえって状況の混乱招くしな。

「とりあえず、俺らが今やるべきはテストだろ、テスト」

「うわ、現実的な……横路、現実逃避も必要だぜ?」

 とことん哀れむような目線で中都方が俺を見てくる。そんなあいつの様子に、俺は苦笑してそっと呟いた。

「……これが俺にとっての現実逃避だよ」

 見るべき現実は、もっと別のところにある。



 数学のテスト。

 鬼畜な教師と嫌がらせな時間設定、嫌らしい問題との闘い。まあ、全く歯が立たないワケじゃないが、気を抜くと叩きのめされる。む……公式が出てこない……

 わずかに焦りが生じた瞬間だった。


 ――ぶーん……


 ポケットの中でバイブが鳴る。慌てて咳払いをして服の上から押さえつけるようにしてバイブを止めた。試験監督にバレたらぶっ飛ばされる。幸い、試験監督は俯いて寝ていた。

 ……試験監督の意味あるのだろうか。

 しかし、今の、SIR関係からメールきたときのバイブパターンだよな。

 ……何かあったのかな。

 数学の問題と一緒にそんな考えが脳裏をよぎる。

 会議の場所変更とかならいいけどな。

 少し減った残り時間と、少しも減らない解答欄の空白を見て、俺は軽いため息と共に再び鉛筆を走らせた。

 猶予はまだたっぷりある――



 三科目のテストを受けて、現在俺は船上と並んで歩いていた。非常に比重の重い科目の取り合わせで、双方疲れ切っていたので特に会話をしていたワケじゃないんだけど。

「数学もういや……」

「文系いけよ」

「それはやだ。歴史あるもん」

「近・現代史やってんじゃん」

「それだけでいい」

 ……さっきからずっとこんな調子である。茹だるような暑さと、アスファルトからの陽炎で頭がぼんやりし始めた頃、船上が口を開いた。

「タクー」

「あー?」

「なんかあった?」

「?」

「なんかずっと上の空だよ?」

「そうか?」

 まあ、強いて言うなればさっきのバイブが気にかかってはいるんだが、そんなに表に出ていたんだろうか。

「都合悪かったかな」

「ああ、いや、別に。それより日陰ねぇの?」

「ない」

 学校を出てから日差しの下を歩きっぱなしの俺ら。

 過酷すぎる通学路だった。

「もうちょいで着くけど、お菓子とか買ってく?ウチ今、何にもないからさ」

「いいよ、水くらいならあるだろ?」

「まあ、水と氷くらいなら」

「別にそれでいいよ」

 あがる側が文句言うのもあれだし、こいつ妙なところで細かい奴だからちょっと面倒になっというのが正確なところ。

 ぼんやりそんなことを思考していると、船上がふっと横へ曲がる。慌ててついて曲がると目の前に寮が見えてきた。

 エントランスをくぐった瞬間、男子寮との圧倒的な違いに俺は愕然とした。

 ――なんか、床とかめっちゃ綺麗なんですけど。

 ――っていうか、女子寮とかマジ初めて入るんですけど。

 ――うわぁ、落書きとかどこにもないよ。なんかいい匂いするし。

 ――なんか緊張すんな……野郎がこんなとこ歩いてていいのかね、まったく……

 ――って、こんなとこで変に緊張してどうする俺!疚しいことは何一つしてないし!

 ――いやいや、気は抜けないぞ。ここは電車の中の痴漢容疑をかけられるのを回避するくらいの……

 ――ってか、俺ら以外に歩いてないし、船上いるから平気か?

「何やってんのあんた……」

「え?あ、や、いや……」

「窓の中覗こうとしたって無駄だからね。全室磨りガラスなので」

「俺が覗きみたいに言うなよ!」

「え?今わたわたしてたのって、そういうことだったんじゃないの?」

「曲解しすぎだ畜生」

「だってこの間あたしのこと無理矢理……タクがそんな人だとは、あたし思ってなかったな」

「事実無根だー!」

「男が騒がないでよ。女子寮で」

「……すいません」

 なんか、漫才みたいだった。


 船上の部屋は最上階にあった。五階。最近は学生の数が増えてきているせいか、一つ一つの寮の規模が大きくなっている。この寮も割と新しい方だから……

 ……なんか、思ってたよりあっさりしてんな。アイドルグループのポスターの一つや二つ、あるかとおもってたけど。全体的に白が基調で、カーテンとかマットとかが所々淡いピンクというか……棚の上にいくつか空手の大会のトロフィーやらメダルが飾られてるくらいか。

 なんとなく船上の見た目から抱くイメージとはギャップの大きいその部屋を見渡していると、「あんまりじろじろ見ないでよ、恥ずかしいから」と船上が戻ってきた。

「はい、麦茶。これしかないけど」

「さんきゅ」

 よく冷えていてうまい。うん、やっぱ夏と言えば麦茶だな。

「で、じゃあ、ブログ見せてよ。どうにかしてみるから」

「ん、ありがと。ちょっと待って、立ち上げるから」

 そう言ってスタスタとパソコンに近づき、起動。そんなに使ってるファイルが多くないのかあっという間に立ち上がる。俺なんかこの間にトイレ行くくらいのことはできる。

「じゃ、そのまま管理ページに飛んでよ。パスワードはお前しか知らないんだから」

「う、うん」

 カチャカチャとキーボードをいじる音。「これでいい?」と船上が体をどけたときには希望通りに管理ページが現れていた。

「上出来」

 一言そう言うと、俺は更にそこにコマンドを入力。アクセス履歴を表示させる。まずは、いつ頃からアクセスできなくなったか調べないとな。しばらくページをめくっていると、テスト前に更新したあたりからアクセスが跳ね上がっている。お……すげぇ、一番多いときとかそれまでの五倍だ。

 減ることなく増え続けている様に思われたそのグラフも、その二日後にはアクセス数がゼロになっている。

「記事のぞくけどいいか?」

「へ?あ、うん、いいよ」

 記事のページ飛ぶ?と聞いてきたが、答え代わりに三回ほどキーボードを叩いて記事のページを表示させた。隣で船上は目を丸くする。……子供っぽい顔だなおい。

「えっと……この辺の記事か。あ、見られて困るのあったら言えよ?」

 他人のプライバシー侵害しようと思うほどバカじゃねぇし。

 船上が読んではいけない記事の箇所をちゃんと教えてくれることを祈りつつ、俺は記事の捜索を始めた。

 読めなくなる直前の記事は、期末テストについてグダグダと書いてある。よほどテストが嫌だと見える。

 その前は……セントラル通りの新しいクレープ屋の記事だ。おいしいだの何だのいろいろ書いてある。

 ん……?

 6月29日の記事まできたところで、俺はその記事が開けないことに気づいた。この日付はちょうど、その翌日からアクセス数が跳ね上がっている日付で、かなり重要な日付なんだが……

 この記事は、存在しないか、削除されてしまった可能性があります…?存在しない、は無いだろうよ。だとしたって削除されただと?

「なあ、船上」

「なに?」

「お前、ここ一週間で自分の書いた記事消したりしてる?」

「んー…消してない。あたし基本記事は書きっぱなし上げっぱなしだから……って普通そうじゃない?なんで?」

「いや、見られないのが一つあってさ。何が書いてあったか知りたいんだけど」

「いつの?もしかしたら覚えてるかも」

「6月29日」

「29日……」

 そういうと彼女は額に指を当てて考え込み始めた。ってか、日付言っただけで何かいたか覚えてるんだろうか。

 思ったより早く、船上は顔を上げた。

「ああ、思い出した。その日は確か、なんかのURLについて書いた日だった気がする」

「URL?」

「チェーンメールみたいな文面であたしの携帯に届いたの。……そうだ、そのこともタクに聞こうと思ってたんだよね」

 ふと思い出したようにそう呟くと、少しばかり沈んだ表情を見せる船上。

「URLがどうしたって?ってか、どんなURLなんだ?」

「ん、ちょっと待って。たしか携帯に届いたメールだったはずだから……」

 ポケットから携帯電話を取り出し、少し操作する。一分ほどで目当てのメールを見つけたのか、彼女は携帯を差し出してきた。そのメールの最初の文面を見た瞬間――嫌な予感はしてたんだけどさ――俺はため息をつく他無かった。

「それ、俺にもきてる」

「嘘!?」

「嘘じゃない。俺だけじゃなく中都方にもきてる」

「じゃあ、このURLがのこと……」

「生憎だが、それほど多くを知ってるわけじゃないんだ。精々、このURLがなんなのか、くらいまでならわかるが、どこから、誰から、どうやって、何のために、その辺の情報はわからないんだ。何一つ」

 捜査はしてるんだけどな。

 サーバーまでは追えるため、どのサーバーからのメールなのかを突き止め、とりあえずこのメールが地上のサーバー経由で送られたものということまでは今わかっている。

 ……が、問題が一つ。そのサーバーがあくまでも経由としてしか使われておらず、その本体は別の箇所にあること、また、データから推察するに、そのサーバーは枝分かれしたネットワークの末端の中の、ほんの一枝にしか過ぎないということまでわかってしまったということだ。

 しかも、その枝を2つまでは易々と遡れるが、肝心の大元に達することができない。久野さんや、草上寺さん、岬原があの手この手で攻めてはいるものの、一週間かけても1つ進むのがやっとだった。命令系統からして、このような壁をあと8つは越えることになるし、1つを越えるための防衛ラインが最低でも各々100はあるそうで。うまくいってスムーズに越えられるのはも第38ラインまでが今のところ限界なんだそうで。

 あの3人はまことしやかに電子頭脳、人工知能が全てを操ってるんじゃないか、って言ってたけど、俺はリアルタイムで防衛ラインを組んでる奴がいると考える方が現実的だと思う……

「って…まあ、こんな感じが概要だけど」

「ふうん…なんだかよくわかんないんだけど……」

「いろいろ大変ってことだよ」「なるほど」

 うわ、俺の説明無意味!これで通じちゃうんだ!?あんな長々言っておくとこっちがアホらしいぞ……

「で、まあ……納得してもらったところで。そのURLがどうかしたわけ?」

「うん……中身、しってる?」

「一応」

「じゃあ、見られたり見られなかったりするってことは?」

「え?あ、全部見られないわけじゃねーの?」

「え?全然見られないの?」

「お前のは見られるの?」

「タクのは全然見られないの?」

「なんか特別な方法使って見たのか?」

 いや、どっちかそろそろ質問に答えようぜ。これじゃ話が進まねーっての。

「逆に、特別な方法って?」

「……パスコード書き換えたりとか」「あたしにそんなことできると思う?」

「いや?露ほども思わない」

「その通りだけどなんかムカつく!」

「じゃあ言うなよ……」

「で、タクのは見られない、の?」

 一段落したのか、船上が再び質問を投げかけてきた。俺はそれに対して小さく頷く。

「少なくとも、普通の端末からは見られなかった」

「あたしは普通に開けちゃったんだよね……パカッと」

 パカッと……ねぇ。

 そう簡単に開いていいファイルでもないと思うんだけどな、これ。

 ……とはいえ、仮にリークが目的なのだとしたら、簡単に見られなければあまり意味はないような気がするし。まったく……せめて目的さえ読めればな。「で、なんだ、つまり、お前は中身を知ってるってことだな?」

「うん……本当なの?このURLの中身って」

 逡巡。

「多分、嘘じゃないと思う。SIRの先輩が閣僚の使ってるパソコンハッキングしてきた情報にもほとんど同じことが書いてあった。一般非公開のフォルダだぜ。だから多分、八割以上の確率で嘘とは思えない」

「これが本当だった場合ってさ……」

 船上が一瞬口ごもる。言葉を選んでいるだけなのか、言いにくいだけなのか、事実として認めたくないのか。その判別は俺にはできなかった。

「本当だった場合?」

「あたしたちって、政府の実験台?」

「ああ」

 ムカつくことにその通りだった。

 あの様子じゃ、これを好機と、奴らは臨床実験に近いものを済ませようとしている。

 っていうか、下手すると、この手の病――循環系、血液系のものだ――に対する薬の臨床試験まで行おうとしているんじゃないかと。

 人為的に病を引き起こし、それに対する特効薬の臨床試験を行う。サンプルはこの町の全員。作用や副作用、その他諸々の調査を行うには十分な数だろう。

 まあ……所詮は机上の空論だから、できればはずれていて欲しい予測だが。

「まったく、やっかいな話……政府、か」

 ふと、俺の頭に光が差したような気がした。

 先ほどから行き詰まっていた復旧作業…もしこのロックが、このデータの流出を知った政府関係者の手によって施されたものだとしたら。

「……船上」

「ん?」

「ごめん。俺には無理だ」

「は?」

「俺じゃどうしようもない」

「……そっか」

 久野さんあたりならあるいは少し違ったんだろうけど……いや、俺でも無理をすれば外せないことはない。さっき、閲覧ロックをかけているシステムのフォルダと思しきものを見つけたのだが、管理パスワードが幾重にも書けられていて開くことができなかった。

 いや、それでも強引な方法はある。久野さんや岬原が『オリジナルで開発した』コード(違法すれすれのシロモノというかキワモノ)を叩き込んでウイルスよろしく内側からファイルを自壊させる手段が。ただ、所々手順があやふや、コードもあやふやなので、無理やり実行すると他のものまで消える可能性があったのだ。

 ただ、一つだけわかったこと。

 それは、ある程度条件を満たせば特に特別な操作をしなくとも、このURLを開けるってことだ。それがわかっただけでも収穫だろう。

 船上のパソコンが政府?に目を付けられたのは一気にアクセス数が伸びたことが原因だと思われる。

 なるほど、これを見た奴は既にURLについて知ってるわけだ。そう思うと、結構知ってんだな……

「とりあえず俺じゃ対して役に立てなさそうだ、ごめん」

「ん。気にしないから」

 さらりと船上は言って麦茶を飲み干した。

「原因が分かっただけでもいいよ」

「いや……わかったってのともまた違うんだが……」

「そうなの?」

「ああ」

 二杯目の麦茶を船上から受け取りながら返事をする。麦茶は少し室温になっていた。

「とりあえず、お前のパソコンはしばらく気をつけた方がいい。反政府的な書き込みとか、俺らの活動についてとか、そういうのには一切触れるな。絶対監視されてるから」

 船上の使っているサイトは、随分昔から某大国との繋がりが示唆されてるやつだしな。何があるかわかったもんじゃない。……今回のバックにもその国がついていそうでちょっと怖いくらいだ。

「試したら、記事自体を消すことはできそうだから、どうしても気になるなら消した方がいいかもな。試してねーから何とも言えないけど、記事を消したら存外それだけでロックがはずれることも無いことはない」

 あのフォルダの構造なら、不可能な話じゃないしな。と呟く俺に、船上は思いっきりクエスチョンマークを浮かべた表情を向けて見せた。

 …次はどんな風に説明したらわかってもらえるのだろうか。



 船上の寮を明るいうちに出られたのは良かった。……暗くなってからだと二人揃ってお咎めを喰らう可能性あったし。不純異性交遊とかなんとか……疚しいことはねーってのによ。

 船上に見送られて寮のエントランスをくぐった俺は、再びむせかえるような暑さの中に放り出されてちょっとげんなりしていた。

「お?あれ、横路ィ!」

「あー?あれ、トモキじゃん」

「どうしたんだよ、こんなテストまっただ中に」

「お前こそどうしたんだよ」

 渡登が道の向こうから歩いてきた。近付いてきた渡登は何故か妙にニヤニヤしていた。

「はっはーん…お前、“乙女の園”の方角から来たってことは……」

「なんだよ、ニヤニヤニヤニヤ気持ち悪い。はっきりしろよ」

 ってか“乙女の園”ってなんだよ。

「“乙女の園”とはッ!ずばり、女子寮密集地帯。女子寮が多いというか、ほとんど女子寮しかないからその近辺を歩くのは女子ばかりという地域のことだ!」

「はあ……ああ、言われてみると確かに女子ばっかりだったかもな」

「やっぱり“乙女の園”から来たなお前。あんなとこ野郎が歩くなよ。ああ、ちなみに俺の寮がある男子寮密集地域は別称かつ蔑称で“下ネタ解放区”と言われている」

「うわぁ……」

 嫌すぎる蔑称だった。

「しかし何でお前みたいなヘタレが……って、船上か?」

「ああ」

 何で知ってんだろう、こいつ。と思いながら返事をする。あとヘタレは余計だこの野郎。

「あー…まあ、お前と船上は有名だからな…」

「なんで?」

「できてるって意味」

「ちげーよばーろー。ありゃ幼なじみだ。だから仲がいいだけで、色恋沙汰じゃねえって」

 今日だって頼まれたからパソコンいじりに行っただけで……ってこいつ聞いてねえな。

 本当によく勘違いされるんだが、俺とあいつは幼なじみってだけなんだ。

「けど、船上はお前に気があるんじゃねえかと俺は思うぜ」

「ばーか。あって敵意だっつの」

 渡登のからかいを(文字通り)一蹴し、俺は溜息をついた。

「ところで何でお前はこっち?」

「ああ、俺?姉貴の病院こっちだから」

「え?」

 こいつ、ねーちゃんいたっけ。と思っていると、渡登は少し苦笑い混じりに言った。

「ちょっと前から具合悪くてよ、先週ついに入院しちまった……というか。まあ、そんな感じだ。うん」

「そうか、お大事に」

「おう。じゃ、俺行くわ」

「ん。また明日な」

「また明日〜」

 渡登と別れて再び家路へと向かう。なんつーか、どいつもこいつも大変だな。こういうときだけは自分の無駄に丈夫な体がありがたいというものだ。

 ちなみに、松部はまだ入院中。精密検査の結果待ちだとか。テスト終わったその足で最終日にでも見舞いに行くか。中都方とか船上とか、津岡とかその辺誘って、お土産にクレープ屋でクレープ買って…

「って、そうだ、メール来てたんだ」

 かぱ、と携帯を開いてメールフォルダをチェック。岬原からメールが来ていた。


『臨時会時間変更だってさー

 できるだけ早く。

 久野さんが議題を増やしたいらしい。

 目標開始時刻は23時

 場所はいつも通り。

 ……寝過ごすなよ(笑)』


「かー……まだネタにすんのかよ……」

 ……いや、今でこそ少し寝てから起きてSIRの会合に行けるようになったが、一番最初、俺は寝過ごして会合を欠席したのだった。

 ……何年前の話だと思ってんだよ、ったく。

「了、解……っと」

 メールを打ち返して、再び歩き出す。自分の寮までもう少し。というところまで歩いてきていたことに今更ながら驚いた。

 と。

「うわ……」

 目の前にヤンキー連中が。

 ……俺さ、うん、ほら、どっからどう見ても善良でひ弱な男子学生じゃん?こう見えて髪染めてないしさ、ピアスとかしたことないし?喧嘩も口論止まりだしさ?

 ……苦手なんだよなぁ、ああいう奴ら。偏見なのはわかってんだけど……

 俺は極力目を伏せて、――反対車線に渡るのもありだけど、かえって不自然だろ――その場を足早に通り過ぎようとした。

 自然に自然に……。

「マジヤバくねぇ!?」

「ちょ、お前それキてるって!」

「ぎゃははははは!」

「でさー!」

「パネェw」

「まじ乙でしたー!わははは!」

 声がどんどん近くなる。俺はいざこざに巻き込まれないことだけをひたすら考えて、ひたすら足を動かした。

「っていうか、アレだろ?上に帰ればまた解禁じゃん!」

「だよなー」

「ッハ!マジ楽しみなんスけど!」

「オンラインゲームとかやりほーだいじゃん!」

「まじネット環境ワロタ、だよな、この辺w」

「政府のせいなんだろ?情報統制とかさー」

 それは言えてるけど。

「え、マジで?」

「どっかの団体が言ってたぜ」

「宗教団体とか?」

「アナクロ乙ー」

「反政府のヤツらじゃね?」

「ああそうかも。あいつら結局なにもしてねーけど騒いでるだけだよなー」

「マジ乙ー」

 ……そうでもないんだが。

「大体よー、政府相手に叫んだってなにもできねーよな!」

「マジ言えてる!」

「つっか、国の安全守ってるはず奴らが国民に嘘つくとか考える方がバカじゃね!」

「疑いすぎだよなw」

「けど、間違ったことも言ってないんじゃね?」

「なにお前、あんな奴らの肩持つの?」

「いや…正しいことも言ってるんじゃねえのかなって思っただけ」

「ないない!だって所詮一般人だろ!」

「専門家じゃねえもんな!」

「マジ乙だよなー」

「つっか、俺ら関係ねえしw」

 ……あー。

 血管切れそう。なにも知らねえのは貴様らだとか思いながら俺は道の端を逃げるように通り過ぎる。

 まあ、そう言われるのは慣れてるさ。うん。

 そんなことを考えながら、5メートルほど彼らから離れたときだった。

「カズヤッ!?」

「オイ!どうしたんだよ!」

「おいカズヤ!」

 その声に驚いて振り返る。

 カズヤ、というのだろうか。先ほどの青年たちに囲まれるようにして、一人、倒れている。遠目から見ても泡を吹いて痙攣していることがわかった。

「――っ……ああクソッ!」

 俺はその場で体を翻し、彼らに駆け寄った。

 鞄を放り出し、青年たちの人垣に割り込んだ。

「邪魔だッ!どけッ!」

「カズヤ!って、お前誰だよ!?」

「通りすがりの高校生!ちょっと静かにしてろ!」

「なにする気だ!」

「助けるんだよバカ!足の一番速い奴、向かいのスーパーからAED取ってこい!早く!」

 物わかりだけはいいのか、1人がガードレールを飛び越えて弾丸のように走っていく。その間に俺は救急車を要請。幸い、総合病院の救急車が急行してくれるらしい。

 まあ、近いしな。

 気道確保をして、服を脱がせていると、先程走っていった一人が、AEDを抱えて戻ってきた。

「これか!?」

「それ以外にあるかっての!」

 蓋を開いて電極パッドを貼る。程なくしてAEDから「電気ショックが必要です」との声。

「全員両手をあげろ!」

 俺の声に弾かれたように両手をあげる面々。電源スイッチを押すと、ピー、という小さな音の後に、大きな音がして、体が大きく跳ね上がる。

「……ダメかっ!」

 素早く人工呼吸と心臓マッサージへ移行。

 ったく、学校の救命講習がこんな所で役立つとはな……

 AEDからの指示通り、もう一度電気ショックを叩き込む。が、指示は変わらない。

「くっそおぉおおぉっ!」

 あれ?

 俺なんでこんな必死になってんだ?



 ――気がついたら目の前に救急隊員がいた。

 俺がそのことに気づくのは、青年達の一人が強引に俺を引き起こした後だった。

「後は我々が引き継ぎます」

「お…お願いします……ああ、状況説明なら、そこの彼らで……俺、通りすがっただけなんで」

「そうですか。わかりました。一応あなたの方も連絡先を…」「あー…はい」

 カズヤという少年が搬送される準備をしている間、俺はそんな職質めいたものを受けていたのだった。

 …なんで俺こんな必死だったんだろうな。

 自分でもよくわからなかった。

「準備できました!」

「よし、総合病院だ!」

 やがて、サイレンの音が遠ざかり、道は再び静けさを取り戻す。後に残されたのは呆然としている青年たちと俺自身だった。

「…行ってやれよ」

「は?」

「カズヤって奴のとこ」

「お…おう……行こうぜ、お前ら」

「え、でも、どこ?」

「総合病院だよ」

 そう一言告げると、彼らは一応頭を下げて走っていった。

 ……今度こそ一人で俺は呆然としていた。

 あれだけのことがあったのにも関わらず、通りには何故か人がまばらで、どこか不気味だった。……そろそろ人通りが増えてもいい頃なのに……。そう思った瞬間、暑い中にいるにも関わらず俺の背筋を冷たい汗が走った。

 気味が、悪い。

 これまで自然……とは言わなくとも、不自然では無いように思えたこの町が、急に舞台のセットに置かれるハリボテのように、生活のない空間に思われてきた。

 なんだよ…なにが起きてやがる……

「あ……」

 急に現実。

 気がつけば、人の声が僅かに行き交う、どこにでもありそうな街角になっていた。

 ハリボテのように思われた建物にも、いつの間にか生活の暖かみが戻っている。

 ――まるで、俺が気づかなかっただけみたいじゃねえかよ。

 我に返った俺は、放り出した鞄を拾い上げて再び歩き出す。

「そうだ……」

 ふとした思いつき。

 携帯電話を取り出してとある番号に電話をかける。出るかは五分五分だったが、――今日は存外ラッキーな日のようだ――相手はすぐに電話に応じた。

『もしもし?』

「もしもし、松部か?」

『横路くん?どうしたの、珍しい』

「珍しいことがあったんでな。松部、まだ病院か?」

『うん。後2、3日で退院できるけど』

 そりゃ好都合。俺は心の中でそう呟いた。

『それがどうしたの?』

「たぶん、後二分くらいで急患が運び込まれると思うんだ。心臓発作の」

『うん。でもどうして知ってるの?』

「俺が応急処置したから」

『なるほど……それで、どうするの?』

「お前なら、いろんな先生から話聞けるだろ?」

『まあ、常連だからね。いろんな先生が顔知ってるよ。だから、うん、できると思うけど』

「なら、その運び込まれた急患について、出来る限り情報収集してくれないか?生死不問で。気になることは全部」

 早い話、潜入捜査をしてくれってことなんだけど。

 そう言うと、松部に経緯なんかの詳細な説明を求められた。渋る理由もないので、俺はできるだけ細かく当時の状況を説明した。

 それが終わると、松部はちょっと逡巡したような間を空けて、電話の向こうで頷いた。

『ちょうど今、救急救命の搬入口が見えるロビーにいるから、うまくやってみるよ』

「おう。悪いな」

『ううん、暇してたんだ。それに、手伝えることは手伝うって言ったの私だし』

「じゃあ、よろしく」

『うん。じゃあね』

 電話が切れる。

 まあ松部なら心配はないだろ。あいつ、めちゃくちゃ頭いいし。趣味で超難解な推理小説書けるし。多分、俺が必要な情報は網羅してくれるだろうから。

 そんな無意味で無根拠な信頼を寄せつつ、俺は残りの家路を急いだ。日が大きく傾いてきている。

 今夜は、暑くなりそうだ……そうめん、喰うか。

 晩飯決定。

 さっきの違和感は、額の汗と一緒に拭い去った。



 亀更新で申し訳ありません……これから先もきっとこんな感じです。けど、そろそろ物語を大きく動か……せたらいいな!と思ったり思わなかったりしています。今しばらくお付きあいを。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ