私が殺したのは、
そのとき私の背骨を針金が貫いた。
着慣れたセーラー服を身に纏い、見慣れた景色を闊歩する。
貫かれた私の体は地に対して垂直のまま、ぎしりぎしりと音を立てる。背中に金属質の冷気が常に離れない。
それでもいつも通り教室に辿りつく。仲の良い友人と挨拶を交わし、先日のテレビについての論評を開始する。誰も針金には気づかない。
いつもなら見ているはずの番組の話も、今日は参加できない。見ている場合じゃなかったから。適当に言い繕ってその場を離れた。
『いつも通り』、そう形容しないと全ての物事があっさりと非日常へ変化してしまいそうだ。いや本当はもう、非日常に傾いてる。
ひとり友達の輪とは離れた席に腰掛ける。いつも通り座ったつもりだったのだが、背中の針金が大きく軋み、金属音が木霊する。その音のあまりの鋭さに思わず周囲を見渡すが、誰も気づいた様子は無い。胸をなでおろして鞄の中身を机の中に移し始めた。
数学、英語、古文、日本史。一番好きな生物の教科書に手を伸ばしたところで、私は影に囲まれた。古ダンスのような臭いにどこか埃っぽい気配。ああ、彼らには針金の音が聞こえてしまったのだ。私は生物の教科書を鞄から出す事はせずに、静かにその声を受け入れた。
「伊勢奈保子。殺人の容疑で逮捕する」
小さな教室が、破裂した。
私 が 殺 し た の は 、
柔らかく滑らかなシーツの感触、目の前には大きな背中。心臓はまだ激しく震えていて、額には汗が滲んでいる。
ゆっくりと背中に手を添えると、微かに鼓動が伝わってくる。
夢、だったのだ。私は夢のなかで高校生に戻り、誰かを殺して捕まっていた。
けれど私は、誰を殺して捕まったのだろう。それだけが思い出せない。
怖くなって、目の前の背中に寄り添って腕を回した。確かな体温。少し汗ばんだ背中。背骨の窪みに鼻を埋める。触れた部分が吸い付くように彼と同化していく。そのぬくもりは何より私を落ち着かせた。
気づいた彼が体を回転し、私と向かい合う。そのまま恐らく無意識にだろう。私を胸の中に抱き寄せた。耳元で響く鼓動が自分のものなのか彼のものなのかそれすらもわからない。瞳は閉じたまま、彼の右手は私の髪を静かに撫でる。
あれは夢。そしてこれが現実。
こわばっていた体も、優しく溶けていく。
「理恵……」
硬直する。
彼の腕は強く私を抱きしめ、胸に押しつけられた私は半ば呼吸困難に陥りながらそれでも動けない。どうして、その名を呼ぶ?
抱きしめられているにも関わらず、背中に総毛立つような悪寒が走る。冷気を伴ったそれは夢の中の朝と全く同じだ。
――ああ、思い出した。
私が殺したのは。