第九話 天才美少女魔導師ユーナと会った日の話(一部過大広告有り)
通りの真ん中でいきなり魔道具を撃ち込まれたせいで、シロウはすっかり肩を縮こまらせていた。
元々、知らない土地も知らない人も苦手だ。そこへ来て、初対面の相手に何の前触れもなく魔法をぶつけられたのである。無傷だったとはいえ、心が追いつくはずがない。
ローブの奥で視線を泳がせながら、シロウは半歩、いや一歩、しっかりとリテュシアの後ろへ下がった。
「リテュシアさん」
「何ですか」
「この人、怖いです」
声が小さい。
だが、聞こえないほどではなかった。
「聞こえてるよ」
女魔導師はけろりと言った。
年齢はどう見ても成人前だ。せいぜいシロウと同じくらいか、少し上。そのくせ態度だけは妙にでかい。焦げ跡のついた外套をひらひらさせ、片手にはさっきシロウを撃った魔道具をぶら下げたまま、まるで昔からの知り合いにでも接するような距離でついてくる。
リテュシアはうんざりしたように目を細めた。
危ない。うるさい。距離感がおかしい。
それが今の印象のすべてだった。
「聞こえるように言いました」
リテュシアが冷たく返すと、女魔導師は少しだけ肩をすくめる。
「正直だねえ」
「あなたが正直に危険人物だからです」
「危険人物はひどいなあ。わたしはただの研究者だよ」
「通行人を的にする研究者を、一般には危険人物と呼びます」
その間にも、シロウはじわじわと距離を取っている。だが、女魔導師はその分だけ当然のように詰めてくる。詰められたシロウがまた下がる。するとまた詰めてくる。
いたちごっこだった。
もう気にしない方が早いと判断したリテュシアは、そのまま歩き出した。シロウも慌ててついてくる。女魔導師もついてくる。
しばらく無言で進み、通りを二つ曲がったところで、その女は何でもない調子で言った。
「えー、でもそっちの彼、悪魔でしょ」
足が止まりかけた。
シロウは本当に止まった。
「え」
情けないほど素直な声が出る。顔色まで変わったように見えるのは気のせいではないだろう。ローブの奥で尾が小さく揺れ、完全に怯えているのが分かった。
リテュシアの胸の内では、一瞬で警鐘が鳴った。
まずい。
自分が慣れすぎていた。
シロウの姿にも、行動にも、この少年が悪魔であることにも。自分が日常として受け入れ始めていたせいで、他者の目を前提にした警戒が鈍っていた。
リテュシアは表情を変えず、即座に言葉を返す。
「未開地から来ただけです」
「えー」
「辺境の蛮族は珍しくありません」
未開地には、街の論理とは違う部族がいる。見た目も、文化も、常識も、街側から見れば何もかも異質だ。シロウの異形さを完全には隠せなくとも、そこへ押し込めればぎりぎり言い逃れはできる。
少なくとも、普通の相手なら。
だが、この女は普通ではなかった。
「えー、でも」
楽しそうに首を傾げる。
「そっちの彼、違う世界から来たアーシアンでしょ」
今度は、二人とも止まった。
シロウは理解が追いつかずに固まり、リテュシアは理解した上で止まった。
アーシアン。
聞いたことのない言葉だった。だが、文脈だけで十分だった。
違う世界から来た。
それを、知っている。
リテュシアはゆっくりと振り返った。
女魔導師はその瞬間、ほんのわずかに表情を変えた。ふざけた軽さは消えていない。だが目の奥だけが、一歩引いた。気づいたのだ。今、リテュシアの中で何が起きたかを。
殺気だった。
声もなく、露骨でもなく、それでも確かに。
リテュシアは一歩も動かなかった。だが、その場でこの女を消すことを、ほんの一瞬、真面目に考えた。
面倒だが、それが最善かもしれない。
知りすぎている。
軽すぎる。
危険すぎる。
「大丈夫、大丈夫」
女魔導師は両手を上げた。
「敵意ないから」
その言い方が軽すぎて腹立たしい。だが、怯えてはいない。いや、怯えながらも誤魔化しているのではなく、本当に敵意がないらしい。そこがまた腹立たしい。
「わたし、別に言いふらす気もないし、害する気もないよ」
リテュシアは何も答えない。
女魔導師はその沈黙を許可と取ったのか、少しだけ声を落とした。
「他にもいるから」
「何がですか」
リテュシアの声は静かだった。
「悪魔も。他のアーシアンも」
シロウが小さく息を呑む。
「……他にも」
その呟きに、女魔導師は頷いた。
「いるよ。珍しいけど、いないわけじゃない」
リテュシアは相手の顔をじっと見た。
嘘をついている顔ではない。
悪意も害意も感じない。
ただ、純粋に好奇心と探究心だけで行動している。そういう種類の危険さだと理解するのに、時間はかからなかった。
むしろ、その方が厄介かもしれない。
「アーシアンとは何ですか」
リテュシアが問うと、女魔導師は少しだけ嬉しそうに目を輝かせた。
「研究者の間で使う言葉。地球由来の転移者とか転生者とか、そういうのまとめて呼ぶ時のやつ」
地球。
それもまた初耳だ。
リテュシアは知らない単語を顔に出さず、ただ頭の中に留める。
横ではシロウがますます不安そうになっていた。
「リテュシアさん」
「何ですか」
「やっぱり、この人、怖いです」
「分かっています」
「なら」
「ですが、話を聞く価値はあります」
はっきり言うと、シロウは困った顔をした。
「ええ……」
嫌そうだ。
分かりやすいほど嫌そうだ。
そこへ女魔導師がぐいと顔を寄せてきた。
「大丈夫だって。怖くないよ」
「近いです」
シロウが即座に後ろへ下がる。
「え、そんなに」
「そんなにです」
また詰めようとした女魔導師を、リテュシアは手で制した。
「シロウに触らないでください」
「触ってないよ」
「これ以上近づくなという意味です」
「厳しいなあ」
ぶつぶつ言っているが、そこで一応は止まる。
リテュシアはシロウへ向き直った。ローブの奥の目は完全に警戒している。知らない相手に弱いのは前からだが、今回は理由が理由だ。怖がるのも当然だった。
「シロウ」
「はい」
「話だけ聞きます」
「でも」
「大丈夫です」
断言する。
シロウは迷う。だが、その迷いは長くない。
「わたしがいます」
その一言で、シロウの肩から少しだけ力が抜けた。
完全ではない。だが、受け入れる準備はできたらしい。
「……分かりました」
小さく頷く。
それを見て、女魔導師が妙に感心した声を出した。
「え、すご」
目を丸くし、それからまじまじと二人を見る。
「完全に信用してるんだ」
シロウはその言葉に、なぜか少し胸を張った。
「当たり前です」
言い切ったあとで、本人だけが一番自然な顔をしている。
リテュシアはその横顔を見て、少しだけ困った。正面からそう言われると、反応に困る。
「シロウは」
照れを誤魔化すように、先に口を開く。
「わたし以外と、ほとんどまともに話したことがありません」
「え、そうなの」
「はい」
シロウが頷く。
「ぼく、一人だと無理なので」
堂々と言うことではない。だが、事実だ。
リテュシアは続けた。
「わたしたちは助け合っています。それだけです」
すると女魔導師は、ふうん、と鼻にかかった声を出してから、にやりと笑った。
「ラブラブなんだね」
空気が止まる。
「違います」
リテュシアが即答する。
「違うんですか」
シロウがなぜかそちらに反応した。
「そこは黙っていてください」
「はい」
シロウはすぐに口を閉じたが、耳の辺りが少し赤くなっている。
女魔導師はますます面白そうだった。
「でも、そう見えるよ」
「あなたの目が節穴なんです」
「ひどいなあ」
「事実です」
そのやり取りをしている間にも、周囲の視線が少しずつ気になり始めていた。大通りの真ん中で立ち話を続けるには、内容が内容だ。
リテュシアはすぐに話を進める。
「用件を」
「え?」
「何が目的ですか」
聞くと、女魔導師はぱっと表情を変えた。
「じゃあ、うち来る?」
「行きません」
即答だった。
相手の研究室だか住処だか知らないが、信用できない相手の支配領域へ自分から入る理由はない。
「早いなあ」
「当然です」
「話だけでも」
「それも断ります」
女魔導師は少し考え込む仕草をしたあと、顎に指を当てる。
「じゃあ、人のいないとこで話す?」
リテュシアは一瞬だけ沈黙した。
「……どこですか」
「近くの森でいいかな」
その言葉を聞いた瞬間、リテュシアははっきりと理解した。
賢い。
あるいは、悪知恵が働く。
森なら街の外だ。街の外へ出るには門を通る。門を通れば確実に顔を見られる。つまり、この女と一緒に出た事実が残る。そのあと森で消されたりしたら、女を最後に見たのが自分たちだとすぐに分かる。
こっそり始末する余地を潰された。
無自覚かもしれない。だが、結果としてそうなっている。
リテュシアは相手の顔を見た。にこにこしている。たぶん自覚は半分もない。だが、それでも厄介さは変わらない。
「そこが、ぎりぎりの妥協点です」
リテュシアが言うと、女魔導師はぱっと明るくなった。
「じゃあ決まり」
決めるのが早すぎる。
横でシロウが、まだ事態を半分も理解していない顔をしていた。
「森、行くんですか」
「行きます」
「なんで」
「話を聞くためです」
「この人の」
「この人のです」
シロウは明らかに不服そうだったが、それ以上は言わなかった。納得はしていないが、リテュシアが決めたなら従う。そういう顔だ。
三人で街の外れへ向かう。
魔道都市の通りはやはり落ち着かない。どこから何が飛んできてもおかしくない空気が常にある。途中で金属の塊を抱えた集団が道を塞ぎ、別の路地では妙な煙を吐く筒を振り回している男がいた。誰も彼も少しおかしい。
門番は行きと同じ顔で三人を見たが、特に止めることはなかった。ユーナは顔見知りなのか、軽く手を振るだけで済ませている。そこでもまた、この女がこの街にきちんと根を持っているらしいことが分かった。
門を抜け、人目が減ったところで、リテュシアは足を止めた。
「ここからは飛びます」
シロウが、嫌な予感を隠そうともしない顔になる。
「飛ぶんですか」
「歩くより早いでしょう」
「それはそうですけど」
「わたしと、彼女を抱えてください」
シロウの顔が引きつった。
「二人」
「ええ」
「無理です」
「できます」
「やったことありません」
「今やります」
「高いところは嫌です」
「高く飛べとは言っていません」
「でも二人ですよ」
珍しく言い返しが多い。それだけ本気で嫌なのだろう。自分一人で飛ぶだけでも好きではないのに、二人抱えるなど未知そのものだ。
ユーナはその横で、興味津々という顔をしていた。
「おお、本当に飛ぶんだ」
「静かにしてください」
リテュシアは短く制し、再びシロウを見る。
「大丈夫です」
「何がですか……」
「わたしがいます」
その言葉に、シロウは一度だけ目を閉じた。
諦めるように、深く息を吐く。
「……やります」
「ええ」
「落としたくないので、絶対に暴れないでください」
「わたしは暴れません」
「わたしも暴れないよ」
ユーナが楽しそうに言うと、シロウはますます不安そうになった。
それでも逃げない。
リテュシアを先に抱え、次に少し迷った末、ユーナも反対側の腕へ抱える。二人分の重さが乗る。シロウの肩と腕に一気に力が入った。
「ほんとに大丈夫かな……」
「大丈夫です」
「言い切るんですね」
「言い切らないと飛べないのでしょう」
「はい……」
それは認めるらしい。
次の瞬間、背中の皮膜が大きく開いた。
風が起こる。
地面が遠ざかる。
シロウはやはり嫌そうな声を喉の奥で漏らしたが、それでも飛んだ。二人を抱えたまま、ぐらつきながらも、きちんと前へ進む。
ユーナが楽しそうに笑う。
「すごい、本当に飛ぶ」
「うるさいです」
シロウが即座に返した。
その声に、リテュシアはほんの少しだけ口元を緩めそうになった。
魔道都市を背に、三人は森へ向かう。
これから聞く話が、何を変えるのかはまだ分からない。
だが少なくとも、もう後戻りはできなかった。
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