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悪魔の花嫁 エルフの花婿 〜悪魔のぼくと美人なエルフのお姉さん〜  作者: よるねこ


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第八話 魔道都市を歩いていたらいきなり撃たれた日の話

 夕暮れの空は、赤というより銅に近い色をしていた。


 街の外から見た魔道都市は、王国側の街とも、これまで泊まってきた協商連合の町とも違っていた。高い塔が何本も突き出し、その表面に取り付けられた金属の輪や板が、沈みかけた陽を鈍く反射している。石造りの建物はどれも背が高く、窓の形も揃っていない。丸い窓があるかと思えば、細長い穴のような窓もあり、屋根の上には煙突とも筒ともつかないものが何本も生えていた。


 それだけならまだ、変わった町で済んだかもしれない。


 だが、門へ近づくにつれ、空気そのものがどこか忙しないことに気づく。金属が打ち合わされる高い音。どこかで蒸気が抜けるような音。かと思えば、乾いた破裂音が遠くで小さく響き、そのあとで人の怒鳴り声が続いた。


 シロウはローブの奥で小さく喉を鳴らした。


「なんか、落ち着かない町ですね……」


「同感です」


 リテュシアは短く返した。


 ただ、ここまで来て引き返す理由はない。魔道具の種類が多く、物によっては他の町より安い。そう聞いてここまで来たのだ。危険そうだろうが変人が多かろうが、必要なら使う。


 門番の目つきも、これまでの町の兵と少し違った。旅人を見慣れているというより、厄介事を見慣れている顔だった。二人が門をくぐるときも、ローブを深く被ったシロウをじろりと見たが、止めることはしない。ただ念を押すように一言だけ言う。


「宿は早めに取っとけよ。暗くなってからだと揉め事に巻き込まれる」


 シロウが少しだけ強張る。


「揉め事」


「この街では珍しくないみたいですね」


 リテュシアがそう言うと、シロウは黙って頷いた。


 中へ入ると、通りにはすでに灯りがともり始めていた。まだ完全に夜ではないのに、店先や壁際に吊るされた照明魔道具が淡く光を放っている。その光は油灯のように揺れず、どこか冷たい。通りを行く人々の顔を、薄い青や黄の光が下から照らしていた。


 宿は比較的すぐに見つかった。門番の言葉通り、迷うより先に部屋を押さえた方がいい。値は少し高かったが、魔道都市まで来て野宿するのは愚かだ。


 部屋に荷を下ろした時には、シロウは明らかに安堵していた。


「着きましたね……」


 椅子に座る前からそんなことを言うあたり、本当に緊張していたらしい。


「今日は着いただけで十分です」


 リテュシアは窓を少しだけ開けた。外の空気と一緒に、煮込んだ野菜の匂いと焼いた肉の匂い、それから金属の焦げるような匂いまで入ってくる。食事は部屋へ持ってきてもらうことにした。着いたばかりの夜に、わざわざ混んだ食堂へ降りる必要はない。


 やがて運ばれてきた食事は、見た目には素朴だった。パン、塩気のある焼き肉、豆の煮込み、そして根菜や肉を柔らかく煮た汁物。だが匙を入れた瞬間に立ちのぼった匂いに、シロウの目が少し丸くなる。


「これ」


 ひと口食べて、さらに目を見開いた。


「おいしいです」


「煮物ですからね」


 リテュシアも自分の器へ匙を入れる。


 味は濃すぎず、薄すぎず、野菜の甘みが出ていた。悪くない。宿の料理としては十分だ。


 だがシロウは、そこで終わらなかった。


「なんか……」


 言いながら、もうひと口食べる。少しだけ考えるように咀嚼してから、低い声で続けた。


「故郷の煮物に、少し似てます」


 リテュシアは匙を止めずに聞く。


「同じではないんですか」


「同じじゃないです。全然違うんですけど、方向がちょっと」


 上手く説明できないらしく、シロウは少し困ったように眉を寄せた。


「でも、似てると落ち着きます」


 その言い方が、妙に素直だった。


 これまでにもシロウが食事で喜ぶことはあった。温かいもの、まともな味のもの、野菜がきちんと入っているもの。そのたびに率直に感想を口にしていたが、故郷を連想するほどの反応は初めてだった。


 リテュシアは何も言わず、自分の煮込みを口へ運ぶ。


 故郷を思い出す味か。


 自分には、もうそういう感覚がどれほど残っているのか分からない。だがシロウにはまだ、はっきりと残っているらしい。十五歳の少年だ。それは当然かもしれない。


 食事をしながら、明日の話をする。


「まずは魔道具屋を何軒か回ります」


 リテュシアが言うと、シロウは口をもぐもぐさせたまま頷いた。


「はい」


「値段と品の傾向を見ます」


「はい」


「衝動買いは禁止です」


「ぼく、そんなに衝動買いしませんよ」


 そう返したあとで、シロウは少し気まずそうに付け足した。


「たぶん」


「今の一言で信用が減りました」


「すみません……」


 謝るのが早い。


「とにかく、先に相場を見ます。高い買い物です。急ぐ必要はありません」


「分かりました」


 素直に従うところは変わらない。


 食事を終えると、風呂の用意が気になり始めた。少し良い宿を選んだ理由の一つがそれだ。魔道都市の宿だけあって、浴室の設備も今までの町より整っている。


 浴室へ入ると、石の床も浴槽もよく磨かれていた。壁に取り付けられた金属箱から湯が落ちる仕組みらしい。火を焚いて沸かすのではなく、魔道具で温めているのだろう。シロウはそれを見上げて、露骨に警戒した。


「これ、壊れませんか」


「壊れたら宿の問題です」


「ぼくが入っても」


「その時は考えます」


 いつものやり取りだ。


 だが、リテュシアの方も少しずつ慣れてきていた。以前は服ごと腕をまくるだけで済ませていたが、今は濡れないように最初から薄着になる。肘の上まで腕を出し、裾も邪魔にならない程度に整える。その方がシロウを洗いやすい。


 そして、それを見たシロウが相変わらず妙に落ち着かなくなるのも、もう見慣れていた。


「リテュシアさん」


「何ですか」


「その格好」


「濡れません」


「そうじゃなくて」


「そうではないなら何です」


 シロウは口を閉じた。答えられないらしい。


 結局、今日もいつも通りだった。


 シロウを湯に入れ、頭から湯をかけ、肩から腕、背中、首筋まで洗っていく。本人は毎回少しずつ慣れてきているはずなのに、いざ始まるとやはり落ち着かない。耳の辺りが赤くなるし、視線もあちこち彷徨う。


「じっとしていてください」


「してます」


「尾が動いています」


「それは、勝手に……」


 本当に勝手に動いているのだろう。長い尾が、落ち着かない心情そのままに小さく揺れている。


 洗い終えて部屋へ戻る頃には、シロウはいつものように少しだけ疲れた顔になっていた。戦っている時より風呂の方が消耗しているのではないかと思うことがあるが、たぶん気のせいではない。


 夜は静かに更けた。


 魔道都市だからと言って、夜通し爆発音がするわけではない。遠くで時折、何かが弾けるような音はするが、それもいずれ眠気に呑まれていく。寝台に並んで横になる頃には、シロウもだいぶ疲れていたのだろう。いつもより早く寝息が安定した。


 リテュシアも目を閉じる。


 今日一日は長かった。森をいくつも越え、最後はこの都市まで来たのだ。疲れていないわけがない。


 夜中に、一度だけ薄く目が覚めた。


 何か温かいものがくっついている。


 ぼんやりしたまま意識を向けると、シロウがこちらへ寄ってきていた。片腕が腰に回り、熱のある大きな体がぴたりと沿っている。起きるほどではないが、確かに気づく程度には近い。


「……」


 少しだけ動けば離れられる。


 だが、眠い。


 それに、邪魔でもない。むしろ、シロウは体温を調整できる。山中でくっついた時と同じように、温かいだけだ。


 リテュシアは再び目を閉じた。


 そのまま、もう一度眠りへ沈む。


 朝。


 今度ははっきり目が覚めた。


 やはりシロウに抱きつかれたままだった。しかも夜中より少し深く、腕も足もこちらへ寄っている。抱き枕か何かと勘違いしているのではないかと思うほど自然だった。


 リテュシアはしばらく、そのまま動かなかった。


 近い。


 無防備だ。


 寝顔も、やはり妙に幼い。ローブを脱いでいるせいで余計に大きく見える体とは釣り合わないほど、顔には力が入っていない。牙も、目を閉じていればそれほど怖くはない。尾は寝台の端から少しはみ出し、だらりと力をなくしている。


 起きない。


 起きる気配もない。


 リテュシアは少しだけ考えてから、軽くいたずらすることにした。


 まず、頬を指先でつつく。


 反応なし。


 次に、少しだけ指で鼻先をなぞる。


 シロウの眉が寄る。


 もう少し、と髪先で鼻先をくすぐった瞬間、シロウが「ふあっ」と変な声を出して目を開けた。


 数秒、焦点の定まらない顔でこちらを見ていたが、自分の腕の位置と体勢に気づいた途端、一気に飛び起きかける。


 だが近すぎて、逆に動けない。


「す、すみません」


 声が裏返った。


 リテュシアは平然としている。


「気にしていません」


「でも、勝手に」


「寝ていたのでしょう」


「はい……」


 真っ赤になっている。耳までではないが、首筋あたりまで熱を持っていた。


 リテュシアはそれ以上からかわず、体を起こす。


「支度をします。今日は魔道具屋巡りです」


「はい」


 返事だけはきちんとしている。まだ顔は赤いままだが。


 宿を出ようとしたところで、主人に呼び止められた。


「お二人さん、初めてかい。この街」


 中年の主人は、慣れた顔で帳場に肘をついている。目つきは悪くない。だがどこか、これまで何度も同じことを言ってきたのだろうという諦めが見えた。


「初めてです」


 リテュシアが答える。


「なら一応、言っとく」


 主人は指を一本立てた。


「路上で妙なもんが始まってても、近づかない」


 シロウが少し首を傾げる。


「妙なもの」


「魔道具の実験とか、ゴーレムの起動とか、撃ち合いとか」


 主人はさらりと言った。


 シロウが固まる。


「撃ち合い」


「路上で」


 リテュシアは眉を寄せた。


「禁止されているのでは」


「されてるよ」


 主人はあっさり頷いた。


「禁止されているのに、やるんですか」


「やる連中がいるんだよ」


 そこで主人は少しだけ肩をすくめた。


「ただ、禁止されてるからな。巻き込まれたら、ちゃんと保証は出る」


 その言い方があまりにも当然で、リテュシアは一瞬言葉に詰まった。


「……禁止しているのに、やっている時点で、あまり禁止になっていないのでは」


「その通りだ」


 主人は即答した。


「でもな、この街じゃ変わり者の魔導師が多すぎて、全部止めきれねえ」


 諦めている顔だった。


「だから、見かけたら避ける。妙な光や煙が見えたら近づかない。それだけ覚えときな」


「分かりました」


 リテュシアが答え、シロウも無言で頷く。


 宿を出て通りへ出る。


 言われたばかりのところへ、少し離れた別の通りから低い振動が伝わってきた。足元がわずかに揺れ、次の瞬間、黒煙がふわりと上がる。


 シロウがぴたりと止まった。


「早いですね」


「そういった街みたいですから」


 実際に見ると、主人の忠告が冗談ではないとよく分かる。周囲の人々も「ああ、またか」という顔で少し距離を取り、誰も大きく騒がない。慣れているのだろう。慣れたくない慣れ方だと、リテュシアは思う。


 警戒しながら、二人は魔道具屋を回り始めた。


 一軒目は護身用に強い店。壁に手のひらサイズの火炎具や、短い棒のような形の衝撃具がずらりと並ぶ。二軒目は生活系の品が多く、照明や加熱、簡易冷却などが中心だった。三軒目はやや高級で、防壁や補助系の品も置いてある。


 確かに品揃えは良い。


 そして、やはり安くはない。


 他の町で見るより選択肢が多い分、余計に悩ましい。出力、重さ、扱いやすさ、値段。リテュシアは真剣に見比べるが、決め手に欠ける。シロウはその後ろで、難しい顔をして値札を眺めていた。


「高いですね……」


 小声でそう漏らしたのは、五軒目を出た頃だった。


「知っています」


「でも、前よりはいろいろありますね」


「それはそうです」


 魔道都市へ来た意味はある。あるのだが、結局選べずに通りを歩いている現状も事実だった。


 その時だった。


 斜め前の路地から、何かが飛んできた。


 光とも火ともつかない、白く薄い塊。速い。避ける間もなく、まっすぐシロウの胸へぶつかった。


 ぱん、と乾いた音が鳴る。


 シロウがその場でぴたりと止まった。


「……え」


 自分の胸元を見る。ローブの表面が少し焦げたように黒くなっていたが、本人は無傷だ。


「ぼく?」


 へこんだ声が出る。


 次の瞬間、路地の向こうから明るい女の声がした。


「いやあ、デカいから的にちょうど良かった」


 現れたのは、若い女だった。


 年齢はどう見ても成人前。シロウと同じくらいか、少し上程度にしか見えない。髪は乱れ気味にまとめられ、外套の裾も片方だけ妙に焦げている。腰には工具らしきものがいくつも下がっていて、片手には細長い魔道具が握られていた。目つきは鋭いというより、落ち着きがない。危険そうな好奇心でぎらついている。


 リテュシアが一歩前へ出る。


「何をしているんですか」


「実験」


 女は悪びれもなく答えた。


「見れば分かります」


「通行人に向けて撃つのが実験ですか」


「当たったらどうなるか分かるじゃない」


 理屈になっていない。


 シロウはまだ胸のあたりを見ていた。


「ぼく、的に見えたんだ……」


 妙なところで傷ついている。


「平気だったでしょ」


 女はシロウをじろじろ見た。


「すごいな、ほんとに無傷だ」


「当たり前ではありません」


 リテュシアの声が冷たくなる。


「やめてください」


「やだなあ、怒らないでよ」


 まるで通じていない。


 女はむしろ楽しそうですらあった。


「だって、ちょうど良かったんだよ。こんなに大きくて丈夫そうなの、なかなかいないし」


 シロウが少しだけ後ろへ下がる。


「丈夫そうって」


「ねえ」


 女はぱっと表情を変えた。


「実験用の的にならない?」


 シロウが完全に固まる。


「的」


「うん。すごい向いてると思う」


 リテュシアは額に手を当てたくなるのを堪えた。


「断ります」


「えー」


「当然です」


 女はそこでようやくリテュシアの方を見た。


「誰、この綺麗な人」


「断る側の人です」


「厳しいなあ」


 それから女は顎を上げ、自信満々に胸を張る。


「でも、自己紹介くらいしておくか。わたしはユーナ」


 少し間を置いて、得意げに続けた。


「本物の天才魔導師ユーナ」


 自分で本物と言う時点で怪しい。


 シロウはローブの奥でおろおろしている。


「リテュシアさん、帰りたいです」


「まだ何もしていません」


「もう撃たれました」


 その通りだった。


 ユーナはそんな二人の温度差など気にもせず、シロウの周りを半歩ほど回った。距離感がおかしい。


「ほんとにすごいな。さっきの、普通ならふっ飛ぶくらいにはしたんだけど」


「普通の通行人に撃つものではありません」


 リテュシアが言う。


「分かってるよ。でも、当ててみたくなったんだって」


「もっと駄目です」


 ユーナは「うーん」と唸ったあと、急ににやりと笑った。


「じゃあ条件変える」


 何を言い出すのかと思う間もなく、彼女は魔道具を振って言う。


「店、紹介してあげる」


 リテュシアが目を細める。


「何の店です」


「ちゃんとした店。護身用も攻撃用も扱ってる。街の表通りじゃ出てこないようなのもある」


 少しだけ、興味を引く言い方だった。


「その代わり、実験の相談に乗って」


「断ります」


 即答する。


 ユーナは舌打ちこそしなかったが、あからさまに不満そうな顔をした。


「真面目だなあ」


「あなたが不真面目すぎるんです」


 シロウが小さく手を挙げる。


「あの」


「なに」


「ぼく、的は嫌です」


「そこは嫌なんだ」


 そこ以外も嫌に決まっている。


 リテュシアはため息を飲み込み、シロウの袖を引いた。


「行きましょう」


「はい」


 だが、歩き出してもユーナの気配は離れない。後ろからついてくる。距離も近い。


「ねえねえ、話だけでも」


「しません」


「いい店知ってるって」


「信用できません」


「なんで」


「通行人に魔法を撃つからです」


 あまりにも当然の理由だったが、ユーナは本気で不思議そうにした。


「でも当たっても平気だったよ」


「結果論です」


 シロウがぼそりと呟く。


「平気でしたけど、へこみます」


 その一言に、ユーナは少しだけ目を丸くしたあと、急に吹き出した。


「そこ気にするんだ」


「気にします」


「面白いな、あんた」


「面白くないです」


 歩きながらのやり取りは、すでに十分厄介だった。


 魔道都市は、思っていた以上に危険で、思っていた以上に騒がしい。そして、その危険の中身が、想像よりずっと人間臭くてどうしようもない。


 リテュシアは前を向いたまま、小さく息を吐く。


 魔道具を買いに来たはずだった。


 それなのに、気づけば妙な女魔導師にまとわりつかれている。


「リテュシアさん」


 横でシロウが小声で言う。


「なんですか」


「この街、やっぱり危険ですね」


「ええ」


「帰りたいです」


「まだ何も得ていません」


 そう返した直後、後ろから元気な声が飛んだ。


「待ってってば。ほんとに損はさせないから」


 リテュシアは足を止めなかった。


 だが、ユーナの足音もまた止まらなかった。

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