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悪魔の花嫁 エルフの花婿 〜悪魔のぼくと美人なエルフのお姉さん〜  作者: よるねこ


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第六話 初めて魔物狩りをした日の話


 朝の市は、まだ本格的に騒がしくなる手前だった。


 石畳は夜の冷えを少し残していて、靴底からじんわりと冷たさが伝わってくる。通りには干し肉の匂い、焼きたての平パンの匂い、濡れた木箱の匂いが混ざって流れていた。荷車を引く男が店先で声を張り、まだ眠そうな子どもが水桶を運び、店の戸を開けた女が朝の空気を追い出すように箒を動かしている。


 その中を、リテュシアは迷いなく歩いていた。


 外套の裾を揺らし、必要な店だけを選んで足を向ける。後ろには、ローブを深く被ったシロウが大人しくついてきていた。大人しくはついてきているのだが、大きい。周囲より頭ひとつどころではなく高く、肩幅もある。気配を消したいらしく背を丸めているせいで、かえって余計に目につく気もしたが、本人は真剣だった。


「そんなに縮こまらなくても、もう少し自然に歩けますよ」


 前を向いたまま言うと、後ろから低い声が返ってきた。


「これでもかなり自然です……」


「自然な人は、そこまで自分の足元ばかり見ません」


「だって見ないと人にぶつかりそうで」


 その答えに、リテュシアは少しだけ肩をすくめた。


 まず入ったのは、道具屋だった。表に吊るされた籠や革袋の奥に、刃物や火打ち石、野営用の小鍋が並んでいる。店主は二人を見ると一瞬だけ目を細めたが、金になる客だと判断したのか、すぐに商売人らしい顔になった。


 リテュシアは余計な世間話もせず、棚を見て回る。


 厚刃のナイフ。刃渡りは長すぎない方がいい。解体用なら薄い刃よりも、多少重くても厚みがある方が使いやすい。柄を確かめ、重さを見て、一本を選ぶ。


「これを」


 店主が頷く。


 次に見たのは弓だった。あくまで自衛用だ。大物を倒すためではなく、近づけさせないための手段でいい。張りの強すぎないものを一本取り、矢も最小限だけ揃える。


 最後に、魔石を入れるための袋を手に取る。血や泥が付いても洗いやすい革製のもの。小さすぎず、大きすぎず、口がしっかり閉まるもの。


 必要な品を集めていく一方で、リテュシアは別の棚へも目を向けた。剣、斧、槍。まともな戦闘用の武器だ。


 そして、その前で少しだけ足を止める。


「シロウ」


「はい」


「何か持てそうですか」


 シロウは言われて剣の前へ立ち、並んだ品を見下ろした。一本持ってみる。手の大きさに対して柄が短く、刃の長さも体格に比べると妙に頼りない。次に斧を持つ。悪くはないが、振るえば周りごと壊しそうだった。槍は長さ自体は足りていても、指と手首の動きに対して軽すぎる。


「……なんか」


 少し困ったように言う。


「どれも、壊しそうです」


「でしょうね」


 リテュシアも同意した。


 そもそもこの少年は、武器を持たなくても十分すぎるほど危険だ。素手で伝説の暴虐の悪魔を仕留めた時点で、その辺の剣や槍より彼自身の方がよほど厄介だと分かっている。


 だが問題は別のところにあった。


 シロウは強い。しかも、かなり強い悪魔だ。だが強いからといって、狩りができるとは限らない。相手を見つけ、仕留め、必要なものを確保し、危険を避ける。その一連をこなせるかどうかは別だ。


 しかも、シロウはお人好しすぎる。


 暴虐の悪魔を倒しておきながら、迷宮の最奥で正座して「もうお婿さんになれない」と泣くような少年である。魔物をきちんと狩れるのか。そもそも殺すことに躊躇しないのか。


 会計を済ませて店を出たあと、リテュシアは人通りの少ない路地へ入り、足を少し緩めた。


「シロウ」


「はい」


「狩りはしたことがありますか」


 シロウは一瞬だけきょとんとした。


「狩り、ですか」


「ええ。動物でも魔物でも」


 シロウは首を横に振る。


「ありません」


 予想通りの答えだった。


 それから、少し考えたあとで続ける。


「でも、がんばります」


 妙に真剣だった。


 その言い方が年相応で、リテュシアは少しだけ目を伏せる。これで不安が消えるなら苦労はしない。むしろ増した。だが、今日の目的を切り替えればいい。


「今日は試しです」


 リテュシアは言った。


「最初から多くを求めません。まずは慣れてください」


「はい」


「狩れたらよし。狩れなくても構いません」


 そのつもりで場所も選んでいる。街から少し離れた、森の深い場所。人は少ないが魔物は多い。王国側よりも管理の薄い土地だ。昨日までの聞き込みで、そこが一番無理のない狩場だと見当をつけていた。


 昼前には町を離れた。


 街道を少し進み、周囲に人の姿がなくなったところで、シロウはローブの下で皮膜を広げる。飛ぶことそのものには、相変わらず慣れていない顔をしていたが、もう以前ほど酷くはない。怖がってはいるが、怖がりながらきちんと飛ぶ。


 森の上を越え、さらに人の手の入っていない奥へ進む。枝葉の密度が濃くなり、地面が見えにくくなってから降りると、そこはもう別世界のように静かだった。


 高い木々が日を遮り、薄暗い。湿った土の匂いが濃い。どこかで水が流れる気配があり、遠くで鳥とも獣ともつかない声がした。


「ここですか」


「ええ」


 リテュシアは周囲を見回した。


「この辺りなら、魔物はいます」


 シロウはこくりと頷いたが、明らかに緊張していた。人のいない場所では少しは肩の力が抜けるのかと思ったが、そう単純でもないらしい。


 二人で森へ踏み込む。


 そして、数歩で問題が起きた。


 バキ。


 太めの枝が折れる。


 ボキ。


 今度は枯れ木が鳴る。


 ガサガサと葉が揺れ、足元の小石まで転がる。


 リテュシアは立ち止まり、振り返った。


 シロウは気まずそうにこちらを見ている。


「……今のはわざとではありません」


「分かっています」


 わざとならもっとひどい。


 リテュシアは額を押さえたい気分を抑え、息を一つ吐いた。


「静かに歩いてください」


「頑張ってるんですけど」


「頑張る方向が違います」


 シロウが肩を落とす。


 リテュシアは少し場所を変え、足元の落ち葉を指さした。


「まず、自分の音を消して歩きます」


「はい」


「枝を踏まない。葉を払わない。足を下ろす前に地面を見る」


「はい」


「何か音や気配を感じたら止まる」


「止まる」


「そうです。森では、先に自分の音で獲物を逃がしたら終わりです」


 シロウは真面目に聞いている。聞いてはいるのだが、体がその通りに動くわけではない。長い腕に長い脚、重い体、それを気遣いながら動く経験がそもそも足りていないのだろう。


 リテュシアが先に歩き、シロウが真似をする。


 少しだけましになる。


 だが、少しだけだ。


 リテュシアが木の根を避けるように足を置いたあと、シロウがその横へ置いた足で小枝を砕く。自分では抑えているつもりでも、体格が違いすぎた。


 それでも続けるしかない。


 最初は小さな気配を二つ感じた。地を這う何か。恐らく小型の魔物だ。だが近づく前に、すっと気配が遠ざかる。もう一つも同じだった。


 リテュシアは眉を寄せた。


 また一つ、薄い気配。これも逃げる。


「……」


 少し離れた木の陰から、何かがこちらを窺った気配がした。だがシロウの方へ意識を向けた瞬間、ぱっと消える。


 小物が逃げている。


 リテュシアは理解した。


 歩き方だけではない。シロウそのものの気配だ。悪魔のそれを、小さな魔物は本能的に避けている。ならば小物狙いは最初から無理だったのかもしれない。


 計画失敗か、と一瞬思う。


 だがその直後、別の気配を感じた。


 濃い。重い。小物ではない。しかも逃げない。


 シロウの存在を感じてなお、そこに留まっている。


 大物だ。


 リテュシアは足を止め、息を殺す。気配の位置を探る。正面よりやや右。木々の向こう。距離はそれほど遠くない。


 狩るか、引くか。


 今日は試しと決めた。無理をする必要はない。だが、この機会を逃せば今日一日が完全な空振りになる可能性も高い。


 どうする。


 判断しかけたその時、横のシロウがしゃがみ込んだ。


「シロウ」


 止める間もなかった。


 彼は足元にあった大きめの石を拾い上げる。人間なら両手で持ち上げてやっとの大きさを、片手で持つ。軽く重さを確かめるように揺らし、それから気配の方へ目を向けた。


「たぶん、あっちですよね」


 低く言う。


「待って」


 リテュシアが口にした時には、もう遅かった。


 シロウが石を投げる。


 空気が裂ける音がした。


 凄まじい速度で飛んだ大石が木々の間を一直線に突き抜け、次の瞬間、鈍く重い衝突音が森に響いた。鳥が一斉に飛び立ち、葉がざわめく。濃い気配が、一瞬で消えた。


 沈黙。


 リテュシアはシロウを見る。


 シロウは少し不安そうにこちらを見返してきた。


「だめでしたか」


「……確認します」


 二人で近づく。


 倒れていたのは巨大な魔物だった。毛の硬い、太い牙を持つ四足獣。大きさは馬に近いが、胴回りはそれ以上に厚く、首も太い。イノシシ型だ。頭部のあたりが大石で潰され、体が横倒しになっている。


 シロウがそれを見下ろして言った。


「イノシシみたいですね」


「魔物です」


「はい」


 素直に訂正を受け入れる。


 リテュシアは倒れた魔物とシロウを見比べた。狩りの手順として正しいかと言われれば、正しくはない。だが、自分で考えて動き、実際に仕留めたのは事実だ。


「自分で考えて動いたのは正解です」


 そう言うと、シロウは一瞬目を見開いたあと、少しだけ嬉しそうな顔になった。


「ほんとですか」


「仕留めましたから」


「よかった……」


 この反応である。


 リテュシアは厚刃のナイフを抜き、魔物の胴へ膝をついた。まずは魔石だ。身体の中央付近、深い位置にあるはず。


 刃を入れる。


 だが相手が大きい。皮も厚い。手順は分かっていても、こういう大物を相手にするのは久しぶりすぎた。刃が滑るわけではないが、思ったより手間取る。


「代わります」


 シロウが言った。


「無理にやると怪我します」


「あなたも初心者でしょう」


「でも、こういうのは」


 シロウは少し考え、爪を出した。黒く鋭い爪が、獣じみた音もなく指先から伸びる。


「たぶん、できます」


 そう言うと、ナイフの代わりに爪を差し込んだ。


 力任せだった。だが無理やり開くには、それで十分だった。厚い皮と肉を裂き、胴の中央をこじ開ける。繊細さはない。だが速い。深い位置を探る手つきは、妙に迷いがなかった。


「あった」


 シロウの指先が中から丸いものを引きずり出す。


 血と体液に濡れた魔石だった。大きさはそれなり。リテュシアの手のひらに収まる程度だが、濁りは少ない。


 リテュシアは水筒の水で軽く洗い、光にかざす。


「悪くありません」


「どのくらいですか」


「銀貨五枚以上、十枚以下でしょう」


 シロウがほっとした顔をした。


「じゃあ、ちゃんと稼げますね」


 その言い方に、リテュシアは少しだけ目を細める。


 おかしい。


 この少年は狩りに慣れていない。森も不慣れだ。魔物の解体など初めてのはずだ。それなのに、仕留めたあとも率先して動く。躊躇がないわけではない。だが止まらない。


 なぜか。


 答えは、すぐに見つかった。


 自分のためだ。


 この少年は、自分が稼げるかどうかより、リテュシアの役に立つかどうかで動いている。


 だから頑張る。だから率先する。だから慣れていなくても手を出す。


 リテュシアは内心で息を吐いた。


 本当に、お人好しだ。


 その時だった。


 別の気配が来る。


 今度は先ほどより明確に強い。しかも速い。森の奥から、太い幹の間を縫うように近づいてくる。重い。獣臭い。危険だ。


「シロウ」


 リテュシアはすぐに声を低くした。


「戻ります」


 その一言が終わるより先に、空気が変わった。


 シロウの肩が跳ねる。


 次の瞬間、彼の喉の奥から、低く荒い咆哮が迸った。


 森の空気が震える。


 普段の彼の声とは違う。もっと獣じみていて、もっと熱を帯びていて、聞いただけで背筋が強張る音だった。


 木々の間から現れたのは、クマ型の大型魔物だった。黒く重い体毛、太い腕、地を掻くような爪。立ち上がれば人間を簡単に踏み潰せる大きさがある。しかも、その小さな目は真っ直ぐリテュシアの方へ向いていた。


 シロウが動く。


 考える前に飛び出していた。


「シロウ」


 呼び止めても止まらない。


 クマ型魔物が吠え、前足を振り上げる。だが、その前にシロウが間合いへ入った。力任せに、正面から。回り込まない。避けもしない。振りかぶった拳をそのまま叩き込む。


 鈍い音がして、クマ型の巨体が後ろへ吹き飛んだ。


 木にぶつかり、幹を揺らし、それでもなお起き上がろうとする。だがシロウはその前に踏み込み、もう一撃を叩き込んだ。


 今度は完全に沈んだ。


 森が静かになる。


 リテュシアは、少し時間を置いてから近づいた。シロウの背中はまだ熱を帯びているように見えた。肩で息をし、拳には血がついている。


「シロウ」


 呼ぶ。


 シロウが振り返る。


 一瞬、目つきが違った。ぎらついていて、熱が残っていて、人間の少年ではなく悪魔の顔をしていた。


 だが、リテュシアの姿を見た途端、その熱がすっと引く。


「大丈夫ですか」


 最初に出た言葉がそれだった。


 リテュシアは静かに頷く。


「ええ」


 シロウは少しだけ困った顔になった。


「こいつを見た時に、頭が熱くなって」


 自分でも上手く説明できないらしい。


「もう大丈夫です」


 リテュシアはそこで初めて、自分の指先が少し冷えていることに気づいた。


 今のシロウは危うかった。あのままなら、自分に向けられてもおかしくなかったほどには。だが現実にはそうならない。自分を見ると止まる。それもまた事実だ。


 悪魔だ。


 そして、自分には向かない。


 それを再認識する。


 少し移動した先に小川があった。二人はそこで手を洗う。シロウは拳の血を落とし、リテュシアは二つ目の魔石を水にくぐらせた。クマ型の魔物の中央から取り出したものは、先ほどのイノシシ型より大きく、色も深い。


 水の流れにさらしながら、リテュシアはその感触を確かめる。


「これは高いです」


 シロウが手を止めてこちらを見る。


「どのくらいですか」


「かなり」


 それだけで十分だった。


 そして、魔石に残る気配を辿るようにして、リテュシアは理解する。


 この魔物は、自分を狙っていた。


 獲物として。あるいは、もっと単純な本能で。


 シロウはそれを感じ取って怒ったのだ。


 頭が熱くなるほど。


 リテュシアは魔石を洗いながら、少しだけ呆れたように息を吐く。


 危うい悪魔だ。だが、その怒りの向きは自分を守る方へしか向いていない。


 やはり、お人好しの悪魔だった。


 町へ戻ったのは、日が傾き始める頃だった。


 魔石屋へ持ち込むと、店主は最初の一つを見て頷き、二つ目を見たところで目の色を少し変えた。手慣れた動きで明かりに透かし、重さを確かめ、表面を布で拭う。


「銀貨三十枚」


 提示された額に、シロウが思い切り目を見開いた。


「三十」


「高いですね」


 思わずそう口にしたシロウに、店主が鼻を鳴らす。


「こちらはかなり良い。傷も少ない」


 それで十分だった。


 店を出たあと、シロウはまだ信じられないような顔をしていた。


「すごいですね……」


「ええ」


 リテュシアは銀貨の重みを袋越しに確かめる。かなり助かる。最初の狩りとしては上出来どころではない。


「宿を変えます」


「え」


「少し良いところへ」


 そう告げると、シロウは何か言いかけて、結局頷いた。


 移った宿は、今までより一段上だった。廊下の板もきしまず、部屋の戸も厚い。何より、浴室がついている。しかも湯は、火を焚くのではなく、備え付けの魔道具で温める形式だった。


 シロウはその仕組みを見て、露骨に身構えた。


「どうやって入るんですか、これ」


「服を脱いで湯に入るだけです」


「そういう意味じゃなくて」


 リテュシアは半ば強引にシロウの背を押した。


「今日は入ります」


「え、ぼくもですか」


「当然でしょう」


 森を歩き、魔物の血を浴び、汗もかいている。入らない理由がない。


 浴室へ押し込み、湯の張られた浴槽の前へ立たせる。シロウは窮屈な服をぎこちなく脱ぎ、長い腕を持て余しながら困ったようにこちらを見た。


「本当に大丈夫ですか」


「何がです」


「ぼくが入って」


「湯船が壊れたら考えます」


「考えますって」


 情けない声を出しながらも、シロウは言われるまま湯へ入った。肩まで沈んだ途端、顔が少しだけ緩む。


「……あったかい」


「当たり前です」


 リテュシアは桶に湯を汲み、無遠慮にシロウの頭からかけた。


「うわっ」


「騒がない」


「びっくりしますよ」


「汚れています」


 森でのことを思い出す。クマ型の魔物を見た時の咆哮。あの一瞬の熱。危うさ。正直に言えば、少し怖かった。


 だからというわけではないが、しっかり洗ってやることにした。頭も、首も、肩も、腕も。長い腕は洗う面積が多い。背中も広い。尾の付け根の辺りなど、シロウが明らかに落ち着かない様子になる。


「リテュシアさん」


「何ですか」


「そこ、別に自分で」


「届きますか」


 問われると、シロウは言葉に詰まった。確かにこの体では、以前より洗いにくい部分も多いだろう。


「……届かないかもしれません」


「なら黙ってください」


 しっかり隅々まで洗われ、シロウは最後には少ししょんぼりした顔になっていた。年齢相応に、何となく気恥ずかしいのだろう。大きな体を縮こまらせている様子は、やはり妙にアンバランスだった。


 リテュシアはその顔を見て、少しだけ面白くなる。


「なんなら、わたしを洗いますか」


 何気ない調子で言うと、シロウはびくりと肩を震わせた。


「いや、無理です」


「即答ですね」


「無理です」


 耳まで赤くなっている。低い声が少し裏返った。


「どうしてです」


「どうしてって」


 シロウは湯の中で視線を泳がせた。


「そういうのは、だめです」


「何がです」


「だめなものはだめです」


 リテュシアは笑わなかった。ただ、内心では十分に面白かった。


 やはりこの少年は、シロウだ。


 森で頭が熱くなり、クマ型の魔物を一撃で叩き潰した悪魔でもある。だが、それだけでは終わらない。からかわれれば赤くなり、少し踏み込まれるだけで全力で後ずさる。


 そのちぐはぐさに、リテュシアは妙な安心を覚えていた。


 風呂から上がったあと、二人は部屋で湯冷ましを飲んだ。窓の外はもう暗い。通りの明かりが、照明魔道具の淡い光となって石畳へ落ちている。


 机の上には銀貨三十枚の重みがまだ残っていた。今日の成果だ。


 シロウは髪を拭きながら、少し疲れた顔で椅子に座っている。だが、その表情にはどこか満足げな色もあった。


「ちゃんと稼げましたね」


 そう言う声は、少しだけ誇らしげだった。


「ええ」


 リテュシアは短く答えた。


「十分です」


「よかった」


 本当に、それだけで嬉しそうにする。


 リテュシアはその横顔を見た。


 狩りは成立した。シロウは圧倒的に強い。危うい瞬間もある。けれど、その危うさの向く先は今のところ自分を守る方だ。利用価値は高いどころではない。


 そして何より。


「やはり」


 リテュシアは小さく呟いた。


「お人好しの悪魔ですね」


 シロウが首を傾げる。


「何か言いましたか」


「別に」


 リテュシアはそれ以上何も言わず、窓の外へ目を向けた。


 少し良い宿の、少し柔らかな夜だった。明日からもまた動く。稼ぎ、情報を集め、次へ進む。


 だが今夜だけは、初めての魔物狩りの成功をそのまま受け取っていい。


 隣では、湯で洗われて少しだけしょんぼりした悪魔の少年が、まだ耳を赤くしたまま座っていた。

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