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悪魔の花嫁 エルフの花婿 〜悪魔のぼくと美人なエルフのお姉さん〜  作者: よるねこ


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第十話 九大悪魔なんて物騒な話を聞いた日の話


 森へ降りた瞬間、シロウの膝がわずかに沈んだ。


 踏みしめた土が湿っていて、着地の衝撃を鈍く返してくる。腕の中の二人をゆっくり下ろしてからも、肩に残った重みはなかなか抜けなかった。背中の皮膜を閉じると、そこだけがじんと熱を持っているのが分かる。飛ぶのは好きではない。まして二人抱えてとなれば、なおさらだった。


 それでも休む気にはなれなかった。


 下ろした直後に、シロウは一歩だけ前へ出る。意識したわけではない。ただ気づけばそうしていた。ユーナと向かい合う形になり、そのすぐ後ろにリテュシアがいる。


 守れる位置だ。


 それを見たユーナが、ふうん、と小さく鼻を鳴らした。


「疲れてるのに、そこはちゃんとやるんだ」


「……当たり前です」


 返した声に覇気はなかったが、引く気もなかった。ユーナは面白そうに目を細めただけで、詰めてはこない。


 森は静かだった。街道からも外れているのか、人の気配がまるでない。風が枝の先を揺らし、葉擦れの音が頭の上でさざめく。その音の奥で、鳥が一度鳴いてすぐ黙った。


 リテュシアが、そっと腰の小袋に触れた。


 指先が重さを確かめるように一度押さえ、離れる。視線は動かさないまま、それだけで十分だったらしい。


 宿に置いてきた荷物のことを、シロウも考えないわけではなかった。着替えや細々したものは惜しい。だが金は持っている。今日は魔道具を見るつもりだったから、手持ちは全部持って出ていた。街へ戻れなくなるのは面倒だが、それで終わる話でもない。そう判断したのだろう。リテュシアはもう荷物のことを切り離した顔をしていた。


 やがて彼女が口を開く。


「では、話を聞きます」


 声は落ち着いている。冷たいが、急いてはいない。


「あなたもそのつもりで来たのでしょう」


「もちろん」


 ユーナはあっさり頷いた。魔道都市で見た時と同じ、焦げ跡のついた外套を羽織っている。年はシロウとそう変わらなく見えるのに、妙に図太い。さっきまで魔道具を平然と人へ向けていた相手だと思うと、見ているだけで落ち着かなかった。


「何から聞きたい」


「まずは悪魔です」


 リテュシアは迷いなく言った。


「あなたは、それを知っているようなので」


「うん。知ってるよ」


 ユーナは木の幹に軽く背を預けた。緊張感がない。だが隙もない。そのことが余計に気持ち悪い。


「悪魔はね、思ってるよりずっとたくさん存在してるよ」


 あっさりした口調だった。


 けれど、その一言で森の空気が少し重くなった気がした。


「普通は魔力の澱みから生まれる。そこからヒトや魔物の魔力を奪って、どんどん強くなる」


「奪う」


 リテュシアが静かに繰り返す。


「うん。そうやって育っていって、ある程度まで強くなると迷宮を作る」


 シロウは喉の奥が引きつるのを感じた。


 迷宮。


 その言葉だけで、胸の内側に冷たい石が落ちる。何も分からないまま目を覚ましたあの場所。濃すぎる空気。息をするたび身体の奥まで入り込んでくる何か。思い出したくないのに、簡単に思い出せてしまう。


「今、迷宮を作っている悪魔は九体」


 ユーナが言う。


「九大悪魔なんて呼ばれてる」


「九大悪魔」


 リテュシアの声は変わらない。だがシロウは、無意識に指先を曲げていた。


 ユーナはそんなことを気にした様子もなく続ける。


「その筆頭格が暴虐の悪魔。とにかく厄介で、強くて、有名。昔話でも名前だけはよく出てくるし、悪魔を語る時はだいたいあいつが強さの基準になる」


「暴虐の悪魔」


 リテュシアが小さく繰り返す。


 そこでユーナはシロウを見る。


 じっと見て、それから首を傾げた。


「君も悪魔なのは間違いないんだけどね」


 シロウの背筋が硬くなる。


 けれどユーナの言葉はそこから先へは飛ばなかった。


「アーシアンでもある。そこも間違いない。でも、不思議なんだよね」


 シロウは黙った。


 アーシアンという言葉にもまだ慣れない。地球から来た者たちをまとめてそう呼ぶのだと街で聞いたばかりだ。ユーナは最初からそれを見抜いていた。その時点で危険だと思っていたが、今こうして改めて言われると、なおさら居心地が悪い。


「不思議、とは」


 リテュシアが問う。


「悪魔としての特徴が、私の知ってる傾向とは当てはまらないってこと」


 ユーナはあっさり言った。


「それだけで、通りすがりに魔道具を撃つ理由にはなりませんが」


 リテュシアが冷たく返すと、ユーナは肩をすくめた。


「それはごめん。でも確認したかったんだって」


「確認して、人が死んだらどうするつもりだったんですか」


「死なないと思ったから撃った」


「最悪ですね」


「そうかな。研究者としてはだいぶ真面目な方だけど」


 シロウは思わず口を挟んだ。


「ぼくは全然そう思いません」


「うん、知ってる」


 ユーナは悪びれない。


「だから今こうしてちゃんと話してるんでしょ」


 その開き直り方が腹立たしい。けれど、街で逃げながら話すよりはましなのも確かだった。


 リテュシアはそこで話を切り替える。


「悪魔のことを、あなたはどう見ていますか」


「どう、ねえ」


 ユーナは指先で木の表面を軽く叩いた。


「生き物って言うには変。仕組みって言うには生っぽい。倒されると力が移るし、能力まで持っていかれる。普通の種の増え方とも違う。だから私は魔法生物みたいなものじゃないかと思ってる」


「かつて悪魔が倒され、魔石が残った記録があります」


「ああ、あれね」


 ユーナはすぐ頷く。


「強い魔物が悪魔呼ばわりされることはよくあるから、その辺が混ざってるんだと思う。本物と偽物の区別がついてない話は多いよ」


 シロウは話を聞きながら、ますます落ち着かなくなっていた。


 自分のことを話されている気がするのに、まるで知らないものの話みたいでもある。悪魔。アーシアン。魔法生物。どの言葉も自分に引っかかるのに、まだ上手く噛み合わない。


 そんなシロウを見たユーナが、ふっと笑った。


「そんな顔しなくても、君だけが特別ってわけじゃないよ」


「……どういう意味ですか」


「他にもいるってこと。アーシアンはね。悪魔の中にも」


 シロウは息を止めた。


 街で一度聞いた言葉だった。けれど、森の静けさの中で改めて言われると、重みが違う。


「他にも……」


「いる」


 ユーナは頷く。


「珍しいけど、ゼロじゃない。だから君を見て、ああそういう系か、とは思った」


 リテュシアがその言葉を受ける。


「アーシアンが全員悪魔になるわけではないのですね」


「ならない」


 ユーナは即答した。


「一般人が圧倒的に多い。そもそもアーシアン自体が少ないし」


 シロウはそこでようやく、胸の中に引っかかっていた問いを口にする。


「じゃあ、どうして……」


 声が少し掠れた。


「どうして、ぼくはこうなったんでしょう」


 ユーナは答えを急がなかった。


 少しだけシロウを見つめ、それから視線を上へ流す。


「そこが分かれば苦労しないよ。転移した場所、時期、元の資質、運、色々あるのかもしれない。でも、決め手まではまだ見えてない」


 まだ、という言い方だった。


 つまり、探っているのだ。この女はそこまで本気で。


 リテュシアはその響きを聞き逃さない。


「あなたは何者ですか」


「研究者だってば」


「それ以外を聞いています」


 ユーナは一瞬だけ黙り、それからあっさり言った。


「私もアーシアン」


 シロウは目を瞬かせた。


「転生者。前世は日本人」


 あまりにも簡単に言うので、逆に現実味がない。リテュシアは初めて聞く単語にも顔色を変えないまま問い返した。


「前世の記憶があるのですか」


「全部じゃないけど、そこそこ」


 ユーナは笑う。


「四十代の、セクシーダイナマイトな熟女だった」


 シロウは反応に困った。


 リテュシアはもっと困っていそうなのに、顔には出さなかった。


「自己評価はともかく、記憶があるのは分かりました」


「そこ否定しないんだ」


「必要がありませんので」


 淡々と返すリテュシアを見て、ユーナがくすりと笑う。シロウだけが、なんだか置いていかれた気分になっていた。


 しばらく沈黙が落ちた。


 風が木々を揺らし、上の枝から細い枯葉が一枚落ちてくる。シロウはそれが地面に届くまで見てから、やっと息を吐いた。


 リテュシアが口を開く。


「シロウ」


「はい」


「話してください」


「何を」


「ここまでのことを。あなたの口から」


 シロウは反射的にユーナを見る。


 話したくない気持ちはある。知らない相手に自分のことを明け渡すようで嫌だ。けれどリテュシアの顔は変わらない。必要だと判断した時の顔だ。


「……分かりました」


 そう答えてしまう自分に、シロウは少しだけ情けなくなる。けれど、リテュシアが必要だと言うならそうなのだろうとも思う。


 シロウはゆっくり話し始めた。


 日本にいたこと。ある日突然、訳も分からないまま迷宮にいたこと。自分の身体が変わっていたこと。何が何だか分からず怖くて、逃げることしか考えられなかったこと。


 ユーナは口を挟まない。


 リテュシアも黙って聞いている。


「それで、あいつが来て」


 シロウの指先が少しだけ震えた。


「ものすごく大きくて、怖くて、もうだめだと思って、必死で」


 言葉にするたび、あの時の圧が蘇る。濃い魔力。理不尽な殺意。自分よりずっと上だと、本能が叫んでいた相手。


「ぼく、よく覚えてないんです。怖くて。気づいたら、倒してて」


 そこで初めて、ユーナの目が少しだけ鋭くなった。


「倒した相手は」


「暴虐の悪魔、です」


 森が静まった。


 さっきまで同じ話題に触れていたのに、今度は重さが違う。名前が具体になった瞬間、空気まで変わったようだった。


 ユーナはシロウを見つめたまま、ゆっくり息を吐く。


「そういうことか」


 それだけで、何かが繋がったのが分かった。


 シロウは続きを話す。倒したあと、何かが流れ込んできたこと。身体の奥に押し込まれるような、熱くて重い感覚。そこでリテュシアに会ったこと。外に出るのを助けてもらったこと。そしてここまで一緒に来たこと。


 話し終わると、ユーナはしばらく無言だった。


 やがて額を押さえるようにして、小さく笑う。


「じゃあ君が今の、暴虐の悪魔なんだ」


「嫌です」


 シロウは即答した。


 あまりにも早かったので、ユーナが目を丸くする。


「そこ否定するんだ」


「呼び方として嫌です」


「でも事実としてはそうでしょ」


「嫌なものは嫌です」


 ユーナは吹き出したが、すぐ真顔に戻った。


「いや、でもこれは驚くな。九大悪魔の筆頭だよ。それを倒して吸収して、今ここにいるのが君って」


 そこで彼女は改めてシロウを見る。


「……それなのに、全然暴虐って感じじゃない」


 今度の言葉は、前半の軽い観察とは違った。


 意味を持って落ちてきた。


 シロウは顔をしかめる。


「だから嫌なんですって」


「わたしもそこは同意します」


 リテュシアが言った。


「シロウと暴虐という言葉は噛み合いません」


 シロウは少しだけ救われた気分になる。けれど次の瞬間、ユーナがさらに面倒なことを言った。


「これで三体目か。私が把握してる範囲で、だけど」


「三体目ですか」


 リテュシアが目を細める。


「私が把握してるアーシアンの悪魔が二体。そこに君が加わる。やっぱり偏ってるなあ」


 楽しそうな顔だった。純粋な好奇心がむき出しだ。シロウはそれを見るだけで逃げたくなる。


 リテュシアはその間もユーナから目を逸らさない。


 驚き方。息の置き方。言葉の間。どこかに嘘が滲まないか、ずっと見ているのが分かった。


 長い沈黙のあと、リテュシアが言う。


「少なくとも、今の話に不自然な点は見当たりません」


「それはどうも」


「ですが」


 リテュシアの声は冷えたままだ。


「完全に信用したわけではありません」


「うん。それでいいよ」


 ユーナはあっさり受け入れた。


 むしろ当然だという顔をしている。


 リテュシアは短く息を吐く。


「一応、あなたの話は信じます」


 それが決断だった。


 敵として切るには、得られるものが多すぎる。かといって無条件に受け入れるには危険すぎる。ならば残す。ただし握らせすぎない。その線で。


 ユーナは頷き、それからにやりと笑った。


「じゃあ次。シロウを調べさせて」


「嫌です」


 またしてもシロウは即答した。


 自分でも驚くほど早かった。考えるより先に口が動いた。


「まだ詳しく言ってないよ」


「言わなくていいです。嫌です」


「即決だねえ」


「当然です」


 シロウは本気で後ずさりそうになったが、そこを踏みとどまる。逃げればリテュシアの前からどくことになる。それはしたくなかった。


 ユーナは少しだけ真面目な顔になる。


「でも必要だよ。君、自分の中に何があるか全然分かってないでしょ」


「それでも嫌です」


「知らないままの方が怖くない?」


「怖いですけど、知られるのも嫌です」


 うまく言えないが本音だった。自分でも分からないものを、他人に覗き込まれるようで気持ちが悪い。


 リテュシアがそこで口を挟む。


「シロウ」


「……はい」


「調べてもらうべきです」


「リテュシアさんまで」


「あなたの力を把握することは、今後の生存に直結します」


 冷静だった。情に流される気配はない。


「わたしにとっても、あなたにとっても利益がある。分からないまま抱えている方が危険です」


 シロウは言い返せない。


 実際、その通りだと思う部分があるからだ。怖い。自分のことなのに、自分が一番分かっていない。それはずっと不気味だった。


 リテュシアはユーナへ向き直る。


「条件があります」


「何」


「シロウを傷つけないこと。危険なことをしないこと。無理をさせないこと」


「いいよ」


 ユーナは即答する。


「いきなり大がかりなことはしない。軽く見るだけで十分」


 シロウは嫌そうな顔を隠さなかった。


「軽くでも嫌です」


「シロウ」


 リテュシアの声が少しだけ低くなる。


「受けてください」


「断れない言い方やめてください」


「断れます」


「今の流れでですか」


「勧めませんが」


「同じです」


 ユーナが笑いをこらえるように肩を震わせた。シロウはそれがまた嫌だった。


 けれど、リテュシアの視線はぶれない。


「わたしが見ています」


 その一言で、シロウは黙った。


 それだけで安心できる自分が悔しい。けれど嘘ではない。リテュシアがいるなら、むちゃくちゃなことにはならない気がする。


 長くためらった末に、シロウは肩を落とした。


「……少しだけです」


「よし」


 ユーナが嬉しそうに拳を握る。


「その反応がもう嫌です」


「正直だねえ」


「あなたが言わないでください」


 リテュシアが周囲を見回した。


「ここでは長居したくありません」


「じゃあ、二人が泊まってる宿に行っていい?」


 ユーナが言う。


「落ち着いて見たいし」


 シロウは露骨に顔をしかめたが、リテュシアは頷いた。


「構いません」


「え、早くないですか」


「場所は必要です」


「必要でも」


「今さらです」


 ばっさりだった。


 シロウは深く息を吐き、諦めたようにしゃがみ込む。


「……じゃあ、行きます」


「嫌そう」


 ユーナが面白がる。


「嫌です」


「飛ぶの」


「嫌いです」


「悪魔なのに」


「悪魔でも嫌なものは嫌です」


 リテュシアは先にシロウの腕に収まった。もう慣れている。身体を預けるのに迷いがない。そのことにシロウの胸が少しだけ落ち着く。


 反対側からユーナが覗き込む。


「落とさないでね」


「…落としません」


「今ちょっと間があった」


「気のせいです」


「本当かなあ」


「静かにしてください」


 ユーナも抱え、二人分の重みが腕に乗る。やはり重い。だが持てないわけではない。背中の皮膜がざわりと広がり、森の空気が動いた。


 飛ぶのは嫌だ。


 高いところも好きではない。風を切る感じも、足元が消える感じも落ち着かない。


 それでも腕の中に二人がいると、やるしかなくなる。


 リテュシアが胸元で静かに言った。


「早くしてください。長引くほど疲れるでしょう」


「分かってます……」


 シロウは地面を蹴った。


 身体が浮く。森の上へ抜ける風が頬を打つ。腕の中の重みを確かめながら、シロウは嫌々ながらも前へ進んだ。


 下で木々が流れていく。


 ユーナが楽しそうに下を見ているのが腹立たしい。リテュシアは静かだ。けれど、その静けさが今はありがたかった。


 面倒なことになった。


 そう思う。


 けれど腕は離さない。怖くても、嫌でも、それだけは最初から決まっていた。

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