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第7章 感性のテロリズム

事務所の応接室。

待つ間にすでに限界まで緊張してきた石橋が、床にへばりついて悠斗の「生命の循環」のオブジェを眺めていた。


「……何度見ても、この結び目の緊張感は異常だわ。この規則性、『逃げ』を一切許さない締め上げ方……。祈りというよりは、生命を無理やりこの世に繋ぎ止めようとする剥き出しの執着、あるいは……おぞましいほどの愛情だな」


石橋は独り言をこぼしながら、吸い寄せられるようにオブジェへ指を伸ばしかける。


「石橋。朝から熱心だな」


鷹宮の声で、石橋が弾かれたように飛び上がった。


「ひゃあ、鷹宮社長、それに蓮さんも! ごめんなさ~い!この子の『結び目』があまりに美しいから、つい深層心理が共鳴してしまって……」

「あ、石橋さん、お疲れ様です……。えっと、昨日言ってたアドバイザーを紹介します。不破めるくんです。……める、こちらマネージャーの石橋さん」


悠斗の紹介が終わるか終わらないかのうちに、めるは石橋の鼻先まで歩み寄っていた。その幽霊のような雰囲気に、石橋は一瞬息を呑み、すぐにメガネのブリッジを押し上げて興奮気味に言った。


「……不破……める……。君、いい目をしているわね。まるで自ら意識を手術して、感情というものを取り除いてしまったような静謐さを感じるよ」


特有の挨拶に対し、めるは石橋の瞳の奥をじっと覗き込み、無機質な声で答えた。


「石橋さん、でしたっけ。あなたの眼底、毛細血管が限界まで怒張してる。芸術への執着っていうより、ドーパミンの過剰放出による急性の中毒症状起こしてるみたい。……いい脳の焦げ方だよ。すごくクリエイティブ」

「脳の焦げ方! そう、それよ! 魂が燃え尽きるぐらい熱くならなきゃ、本物の美なんて見えないのよ!」


(……ん?噛み合ってる!? なんで!?)


悠斗さんが戸惑っているのをよそに、石橋とめるの「すれ違いの対話」はどんどん加速していく。


「君、この作品の表現、どう思う!?」

「……これは自律神経への暴力だね。見る者の呼吸中枢を麻痺させて、『蓮』という個体の支配下に無理やり置こうとしている。……極めてエロティックな精神攻撃だよ」

「エロティックな精神攻撃! 素晴らしいわ! つまり、視覚を通じた魂のレイプね! 蓮さん、あなたはやっぱり天才よ!」

「えっ、あ、いや。 ただの解剖学的正確性を追求したというか……。 誰も攻撃してません!」


悠斗の必死の訂正は、芸術的変人と精神医学的変人のデュエットにかき消されてしまった。

その様子を後ろで見ていた鷹宮が、冷たい声で呟く。


「……蓮。類は友を呼ぶと言うが、お前の周りには、まともな人間はいないのか?」

「うっ、あ、あはは。それは……」


その時、事務所の重厚なドアが、スーッと開いた。

現れたのは、仕立ての良すぎるチャコールグレーのスーツを纏った背の高い男だった。


(……デカい。なんだ、この無駄のない体つきは。広背筋から大臀筋にかけてのラインが、完全に強者の解剖図だな……)


黒崎凱くろさき がい

引き締まった顔立ちに、意志の強さを感じさせる顎のライン。成功した経営者特有の洗練された余裕を漂わせているが、その奥底には、一度狙った獲物を決して逃さない猛禽類の眼光が潜んでいる。


「お待たせしました。石橋さん、そんなに見つめられると、作品も照れてしまうのではないですか?」


低くて落ち着いたバリトンボイス。言葉遣いは極めて丁寧だが、部屋に入った瞬間に場の空気を自分の色に染め上げる圧倒的な存在感がある。

黒崎の視線が悠斗へと向けられたその時、隣にいためるが、青い液体が入ったボトルを揺らしながら音もなく一歩前へ出た。


「……強奪者様。あなたの前頭葉、さっきから『支配欲』で異常な熱を持ってる。……その野心に満ちた心拍の刻み方、まるで――」


(「まるで」の先を言うな! める! ストップ! 心肺停止レベルの暴言、緊急停止!!)


「あ、あはは! こいつ、ちょっと感性が独特なんです! すみません!」


悠斗は冷や汗を流しながら、めるの背中を強引に引っ張った。

黒崎は、自身の領域に土足で踏み込んできためるに対し、不快感を示すどころか、わずかに目を細めてその姿を精査するように見つめた。


「……構いませんよ。ずいぶんと面白い観察眼をお持ちのようだ」


その時、横で腕を組んでいた鷹宮が、悠斗を背にかばうように前に立った。


「黒崎社長。わざわざ出向かせたな」

「いえ、鷹宮社長。あなたのような多忙な方が時間を割いている作品は、見届ける価値がある」


二人の視線が空中でぶつかり、バチバチと火花が散る。鷹宮の冷徹な静寂と、黒崎の動的な圧力が、悠斗を挟んで拮抗していた。


(うわっ、怖っ!やめてくれ……!俺の至近距離で高気圧と低気圧をぶつけ合わせるな! 線状降水帯が発生したら……俺の精神が水没するだろ!)


石橋がそのヒリついた空気を強引に割るように、手を広げて紹介し始めた。


「さあ、皆さん! 本日はすごいメンバーが集まりました。こちら、若き天才アーティスト・蓮さん。そして蓮さんのアドバイザー、不破めるくん。……そして皆さんご存知、我が国の至宝とも言える経営者、鷹宮社長。そしてこちらが、芸術への深い造詣をお持ちの黒崎氏です!」


一周の紹介が終わると、黒崎は悠斗の前に立ち、「生命の循環」のオブジェへと視線を落とした。


「……蓮さん。実物は画像で見る以上に……業が深い。このパーツ同士を縛り上げている糸の規則性。これはただの技術じゃなくて、何かを必死に繋ぎ止めようとする、凄まじい執念を感じる。……何が、あなたにこれほどまで切迫した『生』を造らせているのですか?」


(何が……? そりゃ、中身が入れ替わってバレたら殺されそうになってるっていう、切実すぎる生存本能に決まってんだろ!)


「あ、それは……。その、バラバラになったものを一つに繋ぎ止めたいという、純粋な……構造への欲求、です。」

「……構造への欲求、ですか。興味深い」


黒崎は悠斗の言葉を繰り返すように、静かに頷いた。

その様子を横で見ていた石橋が、興奮を抑えきれずにめるへと話を振る。


「不破くん、アドバイザーの君から見て、この『執念』はどう映る!?」


矛先を向けられためるが、無機質な声で淡々と語り出した。


「……そんなの、蓮くんの脳内にある『死への恐怖』を、芸術という名の防衛機制で魂ごとパッキングしただけでしょ。この規則性は、パニックを抑え込むための強迫観念の表れだよ。……ねえ黒崎さん。この結び目のキツさは、彼が自分の魂をこの世に縫い止めておかないと、すぐに霧散してしまうっていう悲鳴なんだ。不健康で……すごく美しいよね」


部屋の空気は一変した。

めるが放った「魂のパッキング」という言葉に直撃されたようで、石橋は震える手で自身の顔を覆い、その言葉を何度も繰り返している。

一方、鷹宮の周囲の空気は、無神経な友人を持った「妻」への不快感か、また別の理由からか、絶対零度まで下がっている。


(……める、頼むから、叔父さんの前で『死への恐怖』とか言うな!……頻脈で失神レベルなんだよ!俺は!!)


その沈黙を破ったのは、黒崎の低い笑い声だった。


「……ふっ、はは。……なるほど」


それは、称賛とも呆れとも読めない、だが確実に何かを見つけた男の笑いだった。

黒崎は、作品から完全に視線を外し、今度はじっと、めるのことを鑑定するように見つめ返した。

事務所の空気は、石橋の熱気と二人の怪物の沈黙でパンパンに膨れ上がっていた。石橋はハンカチで顔を拭いながら、助けを求めるように時計を見て声を上げた。


「あ、あらやだ! もうこんな時間じゃない! 鷹宮社長、黒崎様。予約している料亭のお時間が迫っておりますわ。続きは……ええ、最高級の料理をいただきながら、ゆっくりと。車はもう用意させてありますから」


黒崎は余裕の笑みを浮かべたまま頷いた。それは単なる社交辞令ではなく、何か獲物を定めた捕食者の笑みだった。


「賛成です。素晴らしい作品を鑑賞した後は、味覚を刺激するのも悪くない」


そして石橋の先導で、全員が部屋を後にした。


二人の怪物に一人の毒舌アドバイザー。 悠斗の嫌な予感は見事に的中した。めるという劇薬を投入したことで、地獄の火力は制御不能なまでに引き上げられた。

高まりきったその熱量は、料亭という次のステージで、さらに爆発を予感させていた。

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