第4章 不破めるの眼光と、迷走神経のエロス
「あ、あはは……。僕は、その……愛に飢えた化け物かもしれません!記憶を失って、鷹宮さんの優しさが欲しくて、つい悠斗君の真似を……」
「……お前、頭も打ったのか?」
懐石料理店での絶体絶命の瞬間。悠斗は全力の迷演技でなんとかその場を切り抜けた。
(距離確保。あぶね……。でも待てよ。俺、これからずっとこの『キモい愛』を演じて暮らすのか?マジかよ……!)
悠斗のノンケとしてのプライドが、ダムの決壊のような音を立てて崩落していく。
翌朝。三階の自室で目覚めた悠斗は、枕に顔を埋めてのたうち回った。
(死にてえ……。なんだよ『愛に飢えた化け物』って。深夜2時のテンションで書いたポエムかよ。叔父さん、絶対ドン引きしたぞ。)
悠斗は自己嫌悪に悶絶しながらも、階下から漂うブラックコーヒーの香りに、医学生としての本能が警報を鳴らした。
(いかん、叔父さん、朝からカフェインだけで脳を回すつもりか。血管壁がボロボロになるぞ。俺が止めなきゃ!)
家政婦の野村さんを「これも新しい芸術の仕込みです!いわば内臓へのアプローチ!」と強引に押し出すと、大量のセロリとブロッコリーをミキサーにぶち込んだ。
出勤前の鷹宮の前に、どろりとした深緑色の「液体怪物」を差し出す。
「……蓮。お前、昨夜の失態を、毒殺で帳消しにするつもりか?」
「いいから飲んでください、鷹宮さん!最高のアンチエイジングですよ。QOL爆上がりしますから!」
鷹宮は怪訝そうに眉を寄せながらも、そのスープを飲み干した。そして、去り際に一言、氷点下の声で残した。
「……今日から、外出には常に運転手を付ける。お前の『迷走』は、放置しておけるレベルではないからな」
(うわ、怖っ!叔父さん、それ保護じゃなくて、リアル監禁じゃねーか!)
数時間後。悠斗は湊からの連絡を受け、画材店の裏口から脱走するという古典的な手法で運転手の監視を振り切り、母校へと向かった。
医学部の古びた廊下。角を曲がった瞬間、悠斗はそこに「いるはずのない影」を見て、心臓が跳ねた。
幽霊のように佇む重めのボブカットの少年、不破めるが壁際に立っていた。
「……あ。早坂くん。その『ガワ』、すごく綺麗に縫合されてるね」
「うわああ!びっくりした……めるか。……って、え?今なんて……?」
前髪の隙間から覗く猫のような瞳を細め、獲物を解剖するような手つきで空気をなぞる。
「君の魂、今の体に馴染もうとして……なんだか拒絶反応を起こした移植臓器みたいな色をしてるよ。すごくエロいね」
(こいつ、中身が俺だって秒で気づいた!? 怖っ!精神医学専攻の直感、デバフすぎだろ!)
めるは相手の表情筋のわずかなピクつきや呼吸の深浅だけで、その日の深層心理を暴き出す、学内でも有名な「歩く診断書」。
解剖オタクの悠斗、建築学科の湊、精神医学専攻のめる。この三人が親しくなったきっかけは、めるが語る「神経構造の美学」に、他の二人が異様な興味を示したからだ。
「める、お前、こいつが悠斗だって気づいたのかよ」
影から湊が呆れたように現れた。
「当たり前じゃない。脳波の波形が早坂くんそのものだもん。美しい失敗作みたいで見惚れちゃう」
(失敗作って言うな!一応これ、最新の美形モデルなんだぞ!)
「そんなことより湊!叔父さんがロッカーにいるってマジか!?」
「ああ。めるが事務局の噂を聞いて連絡くれたんだ。遺品整理だってさ」
悠斗は血の気が引いた。ロッカーの奥底には、秘かに書き溜めていた「叔父さんの観察日記」がある。
(『今日の叔父さんのネクタイの結び目はディンプルが完璧。頚椎のラインが神』……。終わった!あれ本人に見られたら、ただの医学的変態ストーカーじゃねーか! マジかよ!)
「……急がないと。あの独裁者、今頃、君の脳内の恥部をスキャンしてるよ」
めるがゆらりと歩き出す。その後を、悠斗と湊が必死で追いかけた。だが、辿り着いたロッカー室はもぬけの殻。悠斗のロッカーだけが虚しく開かれ、あの日記入りのノートが消えていた。
「マジかよ……終わった。俺の魂の叫びが、本人の手に……」
膝をつく悠斗の肩を、めるが冷たい指先で叩く。
「早坂くん、そんな顔しないで。脳の鮮度が落ちちゃう。後で僕が、君の脳が腐らないように『防腐剤』を届けてあげるから。……あ、湊くん。この子の魂がこぼれないように、ちゃんと家まで送ってあげてね」
「……え?める、届けるって、どこにだよ」
悠斗の問いかけを無視して、めるは不気味に微笑みながら雑踏へ消えていった。
屋敷に戻った悠斗は、生きた心地がしないままアトリエに籠もった。
いつ鷹宮に呼び出され、あの日記の処刑を受けるか分からない。そのパニックをぶつけるように、赤いワイヤーを激しく編み上げた。
完成したのは、まるで激痛にのたうつ心臓から溢れ出したような、不気味で艶めかしい「迷走神経」のオブジェだ。
「……あ、できた。我ながら、解剖学的に見て……エロいな」
自画自賛した、その時だった。
「……何がエロいんだ」
「ひぎゃあああっ!?」
背後から突然響いた低い声に、悠斗はペンチを放り出して飛び上がった。
振り返ると、いつの間にか鷹宮が立っていた。音もなく背後に佇むその姿は、獲物を追い詰めた猛獣そのものだ。
(いつからそこにいた!? 怖っ!叔父さん、気配を消す技術をどこで習得したんだよ……!)
「……蓮。今日の大学での不審な行動、そしてこの……内臓を引きずり出したような造形は何だ」
悠斗は、めるから教わったイカれた芸術家のフリをして、精一杯の虚勢を張った。
「お、おかえりなさい!これは、あなたのための『愛の迷走神経』ですよ!ほら、このワイヤーの締め付け、あなたの指先の動きを再現してて……エロくないですか!?」
(やべえ、自分でも何言ってるかわからん!通報案件だこれ!)
鷹宮は、無言でオブジェを見つめていた。やがて、彼は内ポケットから一冊のノートを取り出した。あの日記だ。
「お前が悠斗のロッカーからこれを持ち出し、……死んだ甥の心まで模倣して、私を弄ぶつもりか?」
(げっ……!本人に見られた!終わった、俺の社会的な死が確定した……!)
「それは、その……!」
「お前が何者かは追々吐かせる。……だが、死んだ甥の遺品まで汚すなら、相応の報いを受けてもらう」
鷹宮が悠斗の顎を強引に持ち上げた。瞳の奥に、かつてないほど昏い執着の火が灯る。
「……やはりお前を、私の手元で徹底的に管理する必要がありそうだな」
(管理!?マジかよ、それって着替えも風呂も監視されるってことか!?)
悠斗の脳裏に、あの臀部のホクロがフラッシュバックした。
「か、管理って……まさか一緒にお風呂に入るとか、そういう卑猥なことじゃないですよね!? 僕、そういうのは3ヶ月……いや、一生お断りですからね!特に背面は見せませんから!」
鷹宮の眉がぴくりと動く。
「……何を怯えている。背面に何があるというんだ」
(しまっ……墓穴掘った!背面限定の防御宣言とか、余計に怪しいだろ!)
その時、重厚なインターホンが鳴り響いた。モニターに映し出されたのは、門の前でボブカットを揺らし、虚空を見つめている青年。
「……あ。氷の独裁者様。聞こえてる?その『ガワ』を被った子を、あんまり檻に入れちゃダメだよ。彼の脳が、ストレスで腐ったイチゴみたいな色になってるから」
めるはカメラの向こうの鷹宮を見つめて、無機質に笑った。
「約束通り『防腐剤』を持ってきたよ。これを飲ませないと、彼、壊れちゃうから」 そして、追い打ちをかけるように付け加える。
「それにそのガワ、見えないところに『印』があるでしょ。それ、すごくエロいよね」
(める!余計なこと言うな!叔父さんがさらに食いつくだろ!……ってか、めるのやつ、俺のホクロまで見え透くのかよ。怖っ!)
鷹宮の視線が、射抜くように悠斗の背後に向けられた。
鷹宮の執着と、めるの狂気。そして「ホクロ」という名の時限爆弾。悠斗の第二の人生は、もはや制御不能なカオスへと突入しようとしていた。




