第10章 甘い強制介入
「……あの、鷹宮……さん?」
「……蓮。そんな風にずっと私を見るな」
鷹宮の声が、微かに低く、掠れた。
「……それ以上見つめられると、こちらも、遠慮したくなくなる」
(え………………はい!?)
その言葉の持つ意味を脳が処理しきれる前に、悠斗の顔面は一気に沸騰した。「遠慮したくない」という言葉の裏にある、ドロリとした執着の温度が、肌から直接伝わってくる。
「あ、あーーーー!! メシ!! 飯だ!! 腹減った、野村さんの絶品夕飯が待ってるんだった!!」
悠斗は火が付いたような勢いでベッドから飛び起き、捲れた裾もそのままに、脱兎の如く部屋から逃げ出した。
(無理無理無理!! 今の顔は反則だろ!!叔父さん、あんた今、完全に『男』の顔してたじゃねーか!!)
心臓の脈拍が150を突破し、脳内が「男・鷹宮」の残像でショートしかけた悠斗は、とにかくその場から逃げ出した。階段を二段飛ばしで駆け下り、食堂へ滑り込むと、そこには悠斗が愛してやまない「ガッツリ系」のメニューが並んでいた。特製唐揚げに、とろとろのポテトサラダ。
(……何これ、俺の脳内メーカー読み取ったのか!?正解すぎるんだけど……!)
さっきまでの動揺はどこへやら、視界を埋め尽くす茶色いご褒美を前に、悠斗の生存本能が歓喜の声を上げる。そこへ、背後から鷹宮がやってきた。
「……座れ。冷める前に食べるぞ」
「あ、はい……いただきます」
気まずさを唐揚げの衣と一緒に噛み砕く。 サクッとした食感の後に溢れる肉汁。炊きたての白米。
(うまっ……! なんだこれ、細胞の隅々まで栄養が染み渡る……。やっぱりこれだよ、これ!)
夢中で箸を動かす悠斗を、隣に座る鷹宮は無言で見守っている。その視線は相変わらず重いが、今はそれ以上に「飯の美味さ」が勝っていた。
食後、お茶を飲み干した悠斗は、ある「防衛作戦」を思いつく。
(このまま部屋に戻ったら、また叔父さんと二人きりの密室だ。なんとか時間を稼がないと……)
「あの、野村さん。俺、皿洗い手伝います!」
「あら、悠斗さん、そんなこと……」
「いいから、いいから! 野村さんも休んでください!」
キッチンへ逃げ込もうとする悠斗に、鷹宮は特に追及する様子もなく立ち上がった。
「……蓮、私は書斎で残りの仕事を片付ける。終わったら、早めに部屋へ戻ってこい」
その「戻ってこい」という言葉に背筋を凍らせながらも、悠斗はキッチンへ潜り込むことに成功した。
(……ふぅ、一時の安全圏確保)
鷹宮が去った後、シンクの前で皿を洗い始めた悠斗に、横で拭き掃除をしていた野村さんが、ふいに不思議そうな顔をして話しかけてきた。
「蓮様。……お好みが変わられましたか?」
「えっ? あ、いや、その……」
「実は今日、蓮様がお好きな白身魚の蒸し物を用意しようとしていたのよ。でもね、鷹宮様が『今日はそういう気分ではないはずだ。もっとガッツリしたスタミナのつくものにしてやってくれ』って、わざわざ指示を出されて……」
悠斗の、皿を洗う手が止まった。
(……叔父さんが?俺の『本当の好み』を把握して指示出したのか……!?)
「蓮様、今まで揚げ物は胃もたれするからと、ほとんど召し上がらなかったのに。……でも、今日は本当に美味しそうにお召し上がりになったので、私も嬉しいですよ」
野村さんの何気ない一言が、悠斗の背中に冷たい汗を走らせる。
(……あの人、どこまで気づいてんだよ……)
手元の泡が、鏡のように自分の動揺を映し出している気がした。 書斎で一人、獲物が戻るのを待っている鷹宮の顔を思い出し、悠斗は再び心臓が嫌な音を立てるのを感じていた。
野村さんが片付けを終えて帰宅した後、悠斗はしんと静まり返ったリビングで一人、現実逃避の時間を過ごしていた。
(……戻りたくねえ。……よし、コーラ飲んでテレビだ。深夜番組をダラダラ見て、自然消滅的にここで寝てやる)
冷蔵庫からキンキンに冷えたコーラを取り出し、一気に煽る。
(……炭酸、効くなぁ……)
テレビではバラエティ番組が賑やかに流れている。1日の極限状態と満腹感、そして炭酸の刺激は、悠斗の意識をあっさりとシャットダウンさせた。
寝ぼけた悠斗の口から、無意識に職業病が漏れ出す。
「……先生、あと……縫合……お願いします…………すぴー……」
「……寝言でまで何を縫っているんだ、お前は」
「……っ?」
ふわりと自分の重力が消失したような、浮き上がるような感覚で目が覚めた。夢心地のまま重いまぶたを数ミリ開けると、視界に飛び込んできたのは、見慣れたリビングの天井ではなく、自分を真横から支える強靭な腕と、整った顎のラインだった。
「……お、叔父、さん……?」
寝ぼけて掠れた声が漏れる。悠斗をお姫様抱っこで抱え上げ、階段を上っているのは、間違いなく鷹宮だった。 近すぎる胸板から、規則正しく、どこか重い鼓動が伝わってくる。
「……起きたか。リビングで寝ると風邪を引く」
「あ……いや、下ろして、自分で歩け……」
「いい。大人しくしていろ」
抗う力を奪うような低い声。そのまま寝室へ運び込まれると、そこには巨大なキングサイズのベッドが鎮座していた。
「……っ! 待って、鷹宮さん! 僕、あっちのソファとかで寝るから……!」
パニックで跳ね起きようとした悠斗だったが、鷹宮はそれを許さず、ゆっくりとだが逃げられない強さで悠斗をシーツの上へ沈めた。
「蓮。……『自分の檻に引き摺り込む』と、お前の友人は言っていたな」
至近距離で、鷹宮の指先が悠斗の頬をゆっくりとなぞる。 その瞳には、昼間の「優しい叔父さん」の面影は微塵もない。
「……間違ってはいない。」
(無理……! この距離、この密度……! 叔父さん、あんた今、絶対『男』の目をして俺を獲物として見てるだろ……!)
「……しゃ、シャワー!! 汗かいたから、シャワー浴びてきます!!」
キングサイズのベッドに沈められた衝撃と、至近距離で見せつけられた「男・鷹宮」の熱視線で、脳内の許容容量を大幅に突破した悠斗は、バネが弾けたような勢いでベッドから飛び起き、バスルームへと転がり込んだ。
(無理無理無理!! あのまま隣にいたら、心停止する前に脳が溶ける!!)
カチリ、と鍵を閉める音だけが、今の悠斗にとって唯一の防壁だった。 とりあえず服を脱ぎ捨て、熱めのシャワーを頭から被る。
(……落ち着け。俺は医学生だ。この異常な心拍数は単なるアドレナリンだ……!)
全裸でシャワーを浴びている最中、悠斗はある致命的な事実に気づき、血の気が引いた。
(……あ。……着替え、持ってきてねえ。……どうする!?全裸で『叔父さん、パンツ取って』なんて言えるわけねーだろ! 詰んだ。完全にオペ失敗だ……!)
外に出る勇気が1ミリも湧かず、悠斗は何か名案が降ってくるまで、ひたすらシャワーを浴び続けた。5分、10分……。浴室の鏡が真っ白に曇り、指先がふやけ始めても、名案など降ってこない。ただ、無情にも時間は過ぎていった。
「……蓮。入ってから一時間が経過しているぞ」
ドア越しに、鷹宮の低く落ち着いた声が響いた。
(ひっ……! 数えてんのかよ!)
「の、のぼせてるだけだから! あと少し……!」
「開けろ。倒れられたら困る。……それとも、私が開けて入ればいいか?」
「出ます! 今すぐ出ます!!」
強制介入の予告に悲鳴を上げた悠斗は、慌ててシャワーを止め、一本のバスタオルを腰に巻き付けた。湯気で真っ赤になった顔のまま、意を決してドアを開ける。
「……あの、その……着替え、忘れて……」
視線を泳がせながら一歩踏み出した悠斗を待っていたのは、ソファでくつろぎながら本を読んでいた、パジャマ姿の鷹宮だった。彼は本を閉じると、湯気を纏い、白いタオル一枚で立ち尽くす悠斗の姿を、爪先から濡れた髪の先まで、ゆっくりとなぞるように見つめた。
(……やばい。この視線、さっきの100倍濃いんだけど!! 叔父さん、頼むから、服を……服をくれ!!)
剥き出しになった悠斗の肩、鎖骨、そして湿り気を帯びた肌。鷹宮は静かに立ち上がると、悠斗の目の前まで歩み寄り、その熱を持った頬を冷たい指先で押し上げた。
「……蓮。一時間も待たせて、この格好で出てくるとは。……お前は、私がどれだけ我慢強いと思っているんだ?」
(……我慢? ……何を!?)
悠斗の鈍感センサーが、かつてないほどの最大警報を鳴らし始めた。だが、反射的に逃げようとした悠斗の腰を、鷹宮の逞しい腕が引き寄せる。
(……待て、この状況、医学的に説明がつかない。心拍数は上昇、末梢血管は拡張、脳内の危機管理機能は完全にフリーズ……。これ、叔父さんと甥っ子の距離感じゃねーだろ!)
湯気に濡れたバスタオル一枚の自分。逃げ場のない密室。そして、目の前には「もう遠慮しない」と宣言したばかりの、理性の境界線に立つ男。
「のぼせて動けないのなら、私がすべて『世話』をしてやろうか。……お前の望む通りに」
(……望んでねーよ!……っていうか叔父さん、その目が全然『世話』する側の目じゃねーんだよ!!)
悠斗の喉が、引き攣ったように鳴った。
隠しきれない肌の赤みが、のぼせのせいなのか、それともこの男に向けられた羞恥のせいなのか。その正体を突きつけられる前に、鷹宮の手が、ゆっくりと悠斗の腰に巻かれたタオルの端へと伸びていく。




