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第1章 入れ替わりの代償は、あまりに重い

五月晴れの空の下、早坂悠斗の人生は唐突にシャットダウンした。大学の講義へ向かう途中の交差点。信号無視のトラックが視界を占拠した瞬間、彼の意識はホワイトアウトした。

同じ時刻。鷹宮家の豪邸では、鷹宮仁の「妻」であるれんが階段から足を踏み外して転落。専属医が駆けつける騒ぎとなっていた。

数時間後。三階のゲストルームのベッドで、悠斗が目を覚ました。


「……う、痛てて……。ここは……地獄か? 天国にしては、この部屋の壁紙、趣味悪いな」


(待て、俺の声、妙に高くないか? それにこの「地獄」、なんか見覚えがあるぞ。叔父さんの家の三階じゃねーか。……あれ、俺、トラックに撥ねられたよな?)


悠斗は這うようにして洗面所へ向かい、鏡を見て凍り付いた。そこにいたのは、茶髪で元気な医学生の自分ではなく、色白でどこか不機嫌そうな美青年――叔父・鷹宮仁が「責任」という名の事務手続きで結婚した相手、蓮だった。


(はあああぁぁ!? なんで俺が奥さんの体に入ってんだよ! 意味わかんねえ! 待て落ち着け、俺は医学部だ。こういう時は心拍数を確認して……いや、脈が速すぎて参考にならん!)


パニックに陥る悠斗を現実に引き戻したのは、部屋に入ってきた家政婦の言葉だった。


「蓮様、お目覚めですか。旦那様は今、病院にかかりきりでして……その、悠斗様が、先ほど亡くなられたと連絡が……」

「……えっ」


(俺、やっぱり死んだんだ。……っていうか、叔父さん、そんなに俺のそばにいてくれたのか。俺が死んで、叔父さん、今どんな顔してるんだろ……)


悠斗は、専属医に「ショックで記憶が曖昧だ」という設定を即座にねじ込み、数日間を泥のように眠って過ごした。そして、ついにその時が来た。


一階のリビング。 数日ぶりに帰宅した鷹宮は、疲れを微塵も見せない完璧なスーツ姿だった。だが、その瞳はいつもの鋭さを失い、底知れない暗闇を湛えている。


「……起きたのか」


鷹宮の言葉は、氷のように冷たかった。彼は「妻」の体調など一ミリも興味がないと言わんばかりに、書類に目を落としたまま告げる。


「記憶がないそうだが、無理に思い出す必要はない。お前との結婚は、あの夜の過ちに対する責任だ。これからも生活は保障するが、私に干渉するな。……それと、悠斗が死んだ。明後日は兄夫婦が帰ってきて、次の日は葬儀だ」


(うわ、冷たっ! 叔父さん、俺がいた時はあんなに優しかったのに、奥さんにはこんな態度なわけ!? 怖っ! でも、その顔……めちゃくちゃ悲しそうじゃん……)


悠斗は、鷹宮の硬く結ばれた口元を見て胸が痛んだ。自分が死んだことで、この鉄面皮な叔父がどれほど傷ついているか、誰よりも理解できてしまったからだ。


「あの……。俺も、いや、僕もその葬式に行きたいです」


鷹宮が初めて顔を上げ、鋭い視線を「妻」に向けた。


「お前が?」

「それは……その……彼とは、なんだか『他人じゃない』気がして。最後にお別れをしたいんです」


(嘘じゃない。俺は俺とお別れしたいんだよ! あと、湊に会わないと、この状況で正気を保つの無理!)


鷹宮は「勝手にしろ」と吐き捨てると、すぐに書斎へ消えた。その背中は、悠斗が見たこともないほど孤独に見えた。

悠斗はリビングのソファに倒れ込み、自分の細い指を見つめた。


(叔父さん、あんな顔するんだな……。でも待てよ。この体に入ったってことは、俺はこれから叔父さんの「妻」として暮らすのか!?マジかよ……)


悠斗の脳内に、ノンケとしてのプライドが警報を鳴らす。


(無理無理無理! 俺は女の子と手繋ぐのだって3ヶ月かかるんだぞ! こんな至近距離で叔父さんのフェロモン浴び続けたら、3ヶ月どころか3日も持たねえよ!)


その間、海外にいた悠斗の両親が急遽帰国した。葬儀の手続きや親戚への対応で家の中は騒がしくなり、鷹宮名義のこの豪邸は、悲しみと慌ただしさに包まれた。

二日後の夜。悠斗は、一階のリビングでようやく両親と対面した。


「蓮さん……体の具合はどう? 大変な時に、私たちが押し寄せてしまってごめんなさいね」


真っ赤な目で微笑む母の姿に、悠斗は胸が締め付けられた。


(母さん……。ごめん、俺、死んじゃって。本当は目の前にいるんだけど、今はこんな綺麗な男の体なんだよ。……あ、お父さんも。そんなに肩落とさないでくれよ。俺、一応ここで生きてるから!)


「……いえ。僕は大丈夫です。お二人こそ、お体は……」


不自然に丁寧な言葉遣いをする悠斗を、隣に座っていた鷹宮が、書類を捲る手を止めてじっと見つめた。その視線は、極めて冷静で、それでいて獲物の急所を探るような鋭さがある。


「……蓮。お前、そんな殊勝な喋り方をする人間だったか?」


(げっ。そうだった、この体の持ち主は、叔父さんと仲が悪かったんだ。余計なこと言わない方がいいな)


「……記憶が混乱しているせいかもしれません。……すみません、少し疲れたので、失礼します」


逃げるように席を立った悠斗の背中を、鷹宮の深い瞳が追いかけていた。鷹宮にとって、この「妻」は政略上の駒に過ぎない。ホテルで薬を盛られ、責任を取る形で結婚した相手だ。


(……何かが違うな。あんな風に人を気遣うような色の瞳ではなかったはずだ)


鷹宮は表情一つ変えず、ただ静かに「妻」の違和感を脳内のフォルダに蓄積させていった。


翌日。斎場は重苦しい空気に包まれていた。

悠斗は、蓮の端正な顔立ちを隠すように深い喪帽を被り、鷹宮の後ろについて歩いた。祭壇に飾られた自分の遺影と対面し、心の中で自分に手を合わせる。

すると、焼香の列に、見覚えのある男が現れた。親友の朝倉湊だ。彼は真っ赤な目で鼻をすすっていた。


「……悠斗、バカ野郎……。お前、女と手繋ぐのに3ヶ月もかけるヘタレのくせに、死ぬのは一瞬かよ……」


その呟きを聞いた瞬間、悠斗の理性は決壊した。


(湊……! お前、そんなこと葬式で言うなよ! 恥ずかしいだろ!)


湊がトイレに立った隙を狙って後を追う。 洗面所で顔を洗っている湊の背後から、悠斗は声を潜めて話しかけた。


「……湊」

「あ? ……誰だお前。鷹宮さんの奥さんか?」


湊は不機嫌そうに目を細めた。彼にとって、この男は悠斗を蔑ろにしていた存在だ。好感度はマイナスである。


「違う。……俺だよ、悠斗だ」

「は? ……おい、冗談はやめろよ。あんたが悠斗なわけないだろ。」


湊は吐き捨てるように背を向けた。しかし、悠斗は逃がさない。


「お前、先週、俺が『ノンケの美学』について語った時、なんて言った? 『お前は一生手の甲を拝んでろ』って言ったよな! あと、お前が俺から借りたまま返してないエロ本、ベッドの下の左から二番目の箱に隠してあるだろ!」


湊の動きがピタリと止まった。ゆっくりと振り返るその顔は、幽霊を見た時よりも青ざめている。


「……マジかよ。それ、俺と悠斗しか知らない話……」

「マジだよ。俺も信じられないけど、目が覚めたら叔父さんの嫁になってたんだ」

「……嫁に?お前、なんでよりによって鷹宮さんの……?」

「俺が聞きたいよ! 助けてくれ湊、俺、このままじゃ叔父さんに……」


その時、トイレの入り口に影が落ちた。


「蓮。こんなところで何をしている」


(げっ、叔父さん!?)


鷹宮だった。その瞳には、一欠片の感情も浮かんではいない。だが、そこから放たれる威圧感は、悠斗の背筋を凍らせるには十分だった。


「……ただの、知り合いです。彼が辛そうだったので」


悠斗は慌てて湊から離れた。鷹宮は悠斗の腕を掴むと、湊を一瞥して言った。


「朝倉君。悠斗の友人として、君には感謝している。だが、私の妻とは少し距離が近すぎるようだ。……行きなさい」


鷹宮の言葉は丁寧だったが、その裏には「これ以上関わるな」という絶対的な拒絶があった。


(……叔父さん、今、めちゃくちゃ怖かった。それに、なんか俺のこと『男なら誰でもいい浮気者』みたいな目で見てないか!? 誤解だ、俺は超絶ノンケなんだって!)


車に戻る道中、鷹宮は一度も口を開かなかった。ただ、時折ミラー越しに映るその表情は、愛する甥を失った悲しみか、それとも変わり果てた妻への不審か、判別がつかないほど深く、昏い。


(この人……やっぱりただの判断の早い経営者じゃない。何を考えてるのか、全然読めない。……俺、この家で正体を隠し通せるのか?)


屋敷に着き、三階の自分の部屋に逃げ込んだ悠斗は、ベッドに倒れ込んだ。


(女の子が大好きで、手繋ぎに3ヶ月かかる俺が、よりによって世界一腹黒そうな男の嫁……。神様、これ、なんの罰ゲームだよ!)


悠斗の新しい人生――「鷹宮の妻」としての生活は、こうして最悪のコンディションで幕を開けたのだった。



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