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異世界恋愛シリーズ

記憶喪失の冷徹婚約者が甘い言葉を囁いてくる

作者: 成若小意

「君は誰?」


 そう囁くのは、艶やかな黒髪と陶器のように滑らかな白い肌をもつ、妖艶な男。クリストファー・ラングドック。


 彼は、大きな天蓋付きベッドから半身を起こし、横に付き添う女性を見つめていた。


 女性の名前はミッシェル・ドリアス。クリストファーの婚約者だ。薄緑のやわらかな髪と翡翠色の瞳をもつ。妖艶なクリストファーに対して、もの腰も穏やかな彼女は癒やしの人と渾名されていた。


 クリストファーの紫の瞳は普段相手を射竦めるほど冷ややかなものだったが、この時は純粋な好奇心を湛えている。美しい人に優しく微笑まれ、ミッシェルは別の意味で身動きできなくなった。


 しかしその口から紡がれた言葉は残酷。幼い頃からの婚約者に対して、君は誰?と問うたのだ。


 普段どんなに毛嫌いされていても、こんなときばかりはやはり心配で、目に涙を浮かべて婚約者の目が覚めるまでそばにいたミッシェル。


 なのに、これは悪い冗談?


「そんな……こんな時にまでそんなことを」


「ああ、泣かないで、()()()()


 クリストファーの口からありえないセリフが。


 その言葉に、ミッシェルのみならず、周りの侍女やメイドたちまで固まった。


「あの、今なんて」


「泣かないで、と。こんなに美しいのだから、君は人ではなく天使?女神?それならここは、天の国かな?」


「……!!」


 普段のクリストファーなら到底出てこないであろう甘い言葉を、流れるように紡ぐ。仕草も優しく、固まるミッシェルの頬を緩やかになでる。


 混乱したミッシェルは、自分の頬を撫でるその手に自らの手をかさね、これが現実か確かめた。


「?……ああ、君は指輪をしている。そうだよね、こんなに美しいんだ。もう誰かのものなのは当然だよね。……その相手が羨ましいよ」


 本当に悔しそうに苦笑するクリストファー。普段表情が乏しいだけに、くるくる変わる今の顔の破壊力は凄まじい。彼の美しい相貌に慣れているはずの侍女も何人かやられて顔を覆ったり胸を抑えたりしている。


「あの、私は、あなたの婚約者です」


 状況が把握しきれていない中、ミッシェルはそれだけをなんとか告げた。様子の全く異なる、冷徹なはずの婚約者に。


 ミッシェルの言葉を聞いて、クリストファーは心の底から幸せそうに笑った。






 数日前クリストファーは乗馬中の事故により強く頭をぶつけ、気を失ってしまった。目覚めたときに問診した医者の見立てでは問題ないだろうとのことだったが、横に付き添っていたミッシェルのことが認識できていないと判明し、慌てて再診した医者に一時的な記憶喪失と診断された。


「記憶が戻るかはわかりません」


 医者はそう言い残して退室していった。




「あなたは私のことを嫌っているように見えました」


 クリストファーの部屋。状況が状況だけに、配慮してもらい二人きりで話をしていた。


 ミッシェルは未だ戸惑っている。


「それはないんじゃないかな?だって君は僕の好みど真ん中だ。記憶がないからって、好みが変わるとは思わないんだけど」


「いつも不機嫌そうに睨んできました」


「そうなの?照れてるんじゃないかな?」


「舌打ちもよくしていました」


「僕はそんな酷いやつだったんたね。悲しいよ。君がそんな悲しい思いをしていたなんて。そしてその原因が僕だったなんて」


「悪態をつくこともありましたし、無視もよくされました」


「そんな時にはビンタしていいんだよ」


「そんなこと、できませんでした」


 そう言って俯くミッシェルの髪を、悲しそうにクリストファーは撫でた。






 クリストファーは、ミッシェルの言う通り態度の悪い、冷たい男だった。ミッシェルの友人たちは『あんな冷徹な婚約者でミッシェルがかわいそうだ』と味方になって不満を口にしてくれていたものだった。


 しかしながら、当のミッシェルはこの婚約を取りやめたいとは思っていなかった。クリストファーのことを周りが言うほどには悪く思っていなかったのである。その理由は三つ。


 一つ目は、このクリストファーの態度がミッシェルに対してだけのものではなかったこと。誰に対しても冷たくあしらうので、自分に落ち度があるというよりかはこれはもうクリストファーの問題だろうと思えた。


 二つ目は、クリストファーの態度は悪いものの、婚約者としての要点はしっかり押さえていたこと。祝い事のプレゼントや催事のドレスはセンスの良いものを送る。エスコートはそつなくこなし、口と態度は悪いままだがミッシェルの扱いはまるで絹を扱うように丁寧。


 婚約者としての義務を遂行しているだけだという友人もいるけれど、ミッシェルにはそれだけとは思えなかった。ところどころに不器用な気遣いがみられるのだ。


 例えばこんなことがあった。ある日クリストファーと城下町を散策したときに、露天にささやかだが愛らしい手作りの小物があった。それを買いたいとミッシェルは言ったのだが、付き人に『侯爵家のご令嬢にふさわしくありません』と却下されてしまった。クリストファーはそれを手紙の封蝋のアクセサリーとして付けて送ってきたのだ。ミッシェルにとってそれは大切な宝物となり、今も棚に大切に飾ってある。


 そしてミッシェルがクリストファーを悪しからず思っている三つ目の理由。それは、単純に彼のことが好きだったからである。幼いころからの知り合いであり、彼の育った境遇も知っているため性格がああなったことにも多少の理解があった。もう少し優しくしてくれていいのにとは思いつつ、そんな理由でこの婚約に不満はなかったのだ。






「君は僕のことどう思っているの?」


 落馬事故より数日後のこと。体調にも問題ないとわかり、リハビリがてら屋敷の周りを散策するクリストファーとそれに付き添うミッシェルは穏やかに会話をしていた。


 記憶を失う前は婚約者に対してひどい態度を取っていたと知り落ち込むクリストファー。それと同時になぜミッシェルは自分のそばを離れなかったのか不思議に思い、訪ねてみた。


「……好きです」


 大好きなクリストファーが、自分が長年望んできたような優しいふるまいをするものだから、思いがあふれ出てついそう言ってしまった。自分自身で驚いて目を泳がせるミッシェルをのぞき込み、純粋に喜ぶクリストファー。


「幸せだな。ひどいことをしてきた僕のこと、許してくれる?」


「許しません。まだ……わたしへの思いを聞いていませんから」


 今までのせめてもの仕返しに、少し意地悪をしてみたミッシェルに対し、それでもまた嬉しそうにするクリストファー。


「好きだよ、大好き。愛しているよ、美しい人。他の人には触れさせない。部屋から出したくない」


「……少し執着が怖いですが。許しますよ。大切なクリストファー」


 長年こじれていた思いが、記憶喪失という予期せぬ出来事によって通じ合った。


 クリストファーは大切な婚約者の頬を掌で包み、上を向かせる。そしてお互い長年望んでいながらできなかった想いを果たすべく、その唇を重ねた。瞬間。


「……あ〜〜。思い出した」


「なにを……!」


 ひと時前まで穏やかな夕凪のようだった紫の瞳が、剣呑な光を湛えて揺れていた。ミッシェルは嫌な予感がし、一歩後ずさる。


「チッ。うるせえな」


「……!」


 明らかに人格が変わっていた。いや、戻っていた。冷徹で口も態度も悪い婚約者に。それでもミッシェルは勇気を振り絞り尋ねた。


「何を思いだしたのですか?」


「全部。記憶喪失になる前のことも、記憶喪失の最中も。ああ、最悪だ」


「あの……」


 しかし、その態度には違和感が。頬にあてられた手はいまだ離れぬまま。一歩下がった分空いた距離は即座に詰められ。無視されることが普通だったその瞳は、そらされないままミッシェルに向けられていた。


「あ〜〜かわいい」


「えっ」


「『僕』が言ってたことは、まあなんだ。本当だ。本心だ。悪かったな、傷つけて」


 記憶喪失前のクリストファーと記憶喪失の後のクリストファー。その二つの人格が混ざったかのような今の婚約者を目の前にして、ミッシェルは混乱した。


「バカみたいな理由で素直になれなかった。お前にも意地を張っていたんだ。まあ記憶を失ったおかげで本音を伝えられたわけだから、馬から落ちたのも悪くなかったな」


「あの、つまり?」


「え、まだわからない?ミッシェル、君を愛しているよ。いつもどんな時も」





 ◇◇◇


 後日談。


 記憶喪失のおかげでお互い想いを伝えることができたクリストファーとミッシェル。


 その後開催されたパーティーにて仲睦まじく登場したことで、人々はささやく。


「あの噂は本当だったんだ」


「え、クリストファーが記憶喪失になったってこと?」


「それだけじゃない。人格も変わったみたいに穏やかだ。今ならいろいろ有利に交渉できるって、ほかのやつらが言っていた」


 公爵家三男のクリストファーは、彼の家から利益をむさぼろうとする貴族たちに常に狙われていた。その他にも原因はあるが、すさんだ環境だったため彼の冷徹な態度は身を守るために必然的に身につけられたスキルでもあった。


「クリストファー。無事だったんだね。記憶もなくして大変だったって聞いて心配したよ。僕のことは覚えているかい?親友のアドニスだよ」


 ミッシェルを大切そうにエスコートするクリストファー。そんな彼がいまだ記憶のない無垢な状態だと思って早速たかりにくる令息たちに囲まれた。


「俺と取引したいのか、わかった。アドニス。いい度胸だ」


 舌打ちと剣呑に細められた瞳を見て


「あ、あ、えっと、記憶は無事もどってきたみたいだね。よかったよ」


 と噛みながらつまずきながら退散していくアドニスら令息を見て二人して苦笑した。


「相変わらずですね。ここにいる人たちは」


「そうだな」


 そんな会話をしている時ふとミッシェルがよそ見をした。それに対して露骨に嫉妬をするクリストファー。


「君はあの手の男がすきだったよね?」


「なんでそう思うのですか?」


「だって。こういうパーティーの時ずっとみつめてた」


 ミッシェルの目線の先には仲睦まじい恋人同士が。


「羨ましかったのです。あのように愛されて。わたしも……あなたにあんなふうに扱って欲しい、と思いながら眺めていたのです」


「あんなキザっぽいことを?でも君が喜ぶならしよう」


「いいのです。記憶喪失の時の甘い言葉も。その前の不器用な優しさも。今の素直さも。あなたがしてくれることのほうが、断然うれしい」


 その後も二人甘い言葉を囁きあうのだった。

読んでいただきありがとうございます。

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