没落御曹司今川氏真の華麗なる逃走(「転生したら北条氏康の四女だった件」セルフパロディ)
※エイプリルフールに便乗して、拙作「転生したら北条氏康の四女だった件」のセルフパロディをお送りいたします。キャラ設定は拙作に準じております。本編とは異なり、考証ガン無視で制作しております。
拙作に興味を持たれた方は、本編をどうぞご覧ください。
詠録4年(西暦2022年)5月19日正午 静岡県掛川市 芸能事務所IMAGAWA
――改めて、本日は取材を受けて下さり、ありがとうございます。
「いえ、こちらこそ。御社の報道姿勢には常日頃より感銘を受けておりまして…僕たちの活動をより多くの方々に知っていただけたら幸いです。」
――何はともあれ、大学ご卒業おめでとうございます。
「ありがとうございます。多くの支援者の後押しがあればこそ、無事に卒業できたと思っています。恥ずかしながら、一時は学業はおろか、日常生活さえ危ういという有様で…。」
――それはやはり、『桶狭間インシデント』が転換点だったと?
「そうですね。まさか自分が映画の主人公のような事態に巻き込まれるとは…ご存知の通り、あの事故から間も無く『IMAGAWA』は空中分解してしまい…名前は言えませんが頼りにしていた親戚にも見放されてしまって。本当に、あの時は途方に暮れました。」
――しかしその後、こちらの事務所を立上げて、現在は世界的なインフルエンサーとして活動していらっしゃいます。
「お褒めにあずかり光栄です。世界の目が自分の一挙手一投足に注がれていると思うと、身の引き締まる思いです。」
――やはり将来的には、お父様同様に『IMAGAWA』ブランドを復興する事を目標とされておいでで?
「…ハハッ、凄いですね。そんな事考えもしませんでした。ご覧の通り、今の僕たちにはそんな力はありませんし…そもそもこうして企業や自治体が暴力で要求をぶつけ合う世の中が正しいのかどうか。」
――お父様の偉業を否定するかのようにも取れますが?
「もちろん今でも父の事は尊敬しています。僕が何不自由無く育つ事が出来たのも、父のお陰ですから。ただ、同じ日本人同士が傷つけあうこの状況が、一刻も早く終わってほしいとも思っているんです。…綺麗事だと分かってはいるんですけどね。」
――いえ、そんな事は…本日はどうもありがとうございました。
「こちらこそ、ありがとうございました。」
――最後に、読者に向けて何か一言いただけますか?
「芸能事務所IMAGAWAは、これからもLOVE&PEACEを合言葉に活動を行って参ります。この記事を読んだ方が、出来る範囲で僕たちの活動にご協力いただければ幸いです。」
「お疲れ様です。社長。」
掛川市内の――およそ一等地とは言えないがそこそこ利便性の高い立地に建てられた――二階建てのビル、その二階にある事務所フロアの窓から車道を見下ろしていた青年は、女性の声に振り返った。
そこそこのフロアに事務スペースと応接セットを詰め込み、パーテーションで区切っただけの狭苦しい事務所に、眼鏡をかけ、レディススーツに身を包んだ凛々しい女性が立っている。
「ありがとう、風間さん。いつもながら、社長秘書にお茶くみなんてさせちゃってごめんね。」
「やむを得ません。現在弊社は正社員十名未満の零細企業ですから。とは言え、社長とお嬢さ…副社長におかれましては、もう少しお体を労わっていただきたく。本日も本来ならばお休みの所を、取材をお引き受けなされて…。」
「うん、気をつけるよ。ただ、太田出版の取材は受けておきたかったんだ。このご時勢、『中立』や『信憑性』を投げ捨てたメディアの方が多いからね。」
高身長かつ引き締まった肉体、整った顔立ちに穏やかな微笑みを浮かべながら、社長――今川氏真が返すと、秘書の風間は片手で眼鏡を直し、何か考え込む素振りを見せた。
「現状、太田出版は独立した企業体です。しかしかつては『あの』織田ファンドの傘下…忖度が無いとは言い切れませんが。」
「その時はその時、かな。まあ大丈夫だよ。副社長や風間さんがしっかり調べてくれた相手だし。実際に会っても悪い人じゃなさそうだったし…そう言えば、今日のお昼はホーム掛川だったよね?楽しみにしてたんだ――」
ヴーッ、ヴーッ。
氏真の言葉を遮るように、スマホのバイブレーション音が室内に響き渡った。風間は慣れた手付きでスマホを取り出すと、画面に指を走らせる。程無くして、その眉間に深いシワが刻まれた。
「社長、申し訳ございませんが…。」
「…緊急事態だね?」
窓から離れ、事務スペースのロッカーに早足で向かう氏真を横目に、風間はリモコンを操作してテレビを点けた。
『――引き続き臨時ニュースをお送りします。掛川市役所は先ほど会見を開き、芸能事務所IMAGAWAとの提携を、本日をもって終了するとの方針を明らかにしました。関係者によりますと、次の提携先として徳川工務店が最有力候補に挙がっているとの事ですが、事前の通知無く行われた決定に、市議会の反発は必至と見られ――』
「よし、行くぞお前ら。」
黒いバンの助手席でスマホを見ていた男がドアを開き、歩道に降りると、後部座席からも男達がゾロゾロと湧き出す――手に金属バットや鉄パイプなど、安上がりな凶器を提げて。
バンが停められていたのは芸能事務所IMAGAWAの正面から少し離れた道端。二台並んだバンから8人の男達が降りると、通行人を威圧しながらビルへと向かって行く。
「兄貴、本当に大丈夫なんで?さすがに警察が出て来たら…。」
「馬ァ鹿、だからこそ今なんだろォが。次の提携先が決まるまで、掛川はどこのモンでもねえ。万一死なせちまっても、『雇い主』サマが面倒見てくれるってよ。…おら、お前らは裏口を固めろ。絶対に逃がすんじゃねェぞ。」
兄貴分の男は4人をビルの裏口に回すと、残る3人を率いて事務所への階段を昇る。
途中、壁に張られたチラシを目に留めた男は、それを剝ぎ取ると鼻を鳴らした。
「LOVE&PEACE、日本に再び友愛と平和を取り戻そう…へっ、ボンボンの考えそうなこった。そんな甘い考えだから、ここまで落ちぶれちまったんだろ、っての。」
やがて事務所の入口に立った男は、磨りガラスの向こうから漏れ聞こえるテレビの音声に唇を歪めた。
「突然の事に唖然呆然か…温室育ちのお坊ちゃんに、世間の厳しさってやつを教えてやらねえとなあ?」
そう言って事務所の入口のドアノブを握り、開いた男は、内部から噴き出した悪臭に一転して顔をしかめ、目を見開いて叫んだ。
「やべえ!降りろ――」
『カチッ』
「…?今何か爆発した?」
男達が侵入するより前に事務所を去り、近場の車庫に駐車していた愛車――国産の軽自動車――を走らせていた氏真は、背後から届いた爆音に眉をひそめた。
「さあ…最近多いですから、ガス爆発。ところで社長、今後の行程に関してですが…。」
助手席の風間はカーナビを操作し、東名高速道路を経由して小田原に向かう経路を設定した。
「小田原?副社長と合流するって事?」
「はい。ただ合流するだけではなく…事務所を移転します。すでに副社長が北条フーズと調整を済ませ、ビルを確保したとの事で…主要なデータの転送もつつがなく進んでおりますのでご安心を。」
「さすが、二人には頭が上がらないな…ッ!」
氏真は強くブレーキを踏み込み、車を停めた…いや、停めざるを得なかった。何故なら、片側二車線の国道を遮るように、黒塗りのバンが3台横向きに停車していたからだ。
それぞれのドアが開き、薄ら笑いを浮かべた男達がゾロゾロと降りてくる様子を見た氏真は車をバックさせようとするが…すかさず、後方から現れた黒塗りのバン2台が退路を塞ぐ。
「徳川工務店の執行部?」
「いえ、今回の市の決定は徳川工務店にも予想外だったようです。どうやら動いているのは民間軍事警備会社(PMSC)の渇魂党、恐らく武田建設の依頼を受けたものかと。」
武器を手に、じりじりと迫る男達をきっと睨む氏真をよそに、風間は膝上のデスクトップパソコンを叩く。
「この場合の最適解は?」
「しばらくお待ちください。具体的には――30秒ほど。」
直後、後方からけたたましいクラクションが連続して鳴り響き――。
ガガッシャアン‼
氏真車の後方を塞いでいたバンがはね飛ばされた。
2台の装甲車によって。
「はっ…はぁ⁉装甲車ぁ⁉一体どこの…。」
「やべえ、こっち来るぞ!散れ散れ!」
装甲車はなおも猛進し、氏真の行く手を阻んでいた男達とバンを蹴散らして停車する。
その背面には、白い塗料で『F&K警備保障』と書かれていた。
「F&K…不破さんと門脇さんの会社だ。」
「社長、お電話が入っております。スピーカーにいたします。」
風間はそう言うと、通話状態のスマホを掲げた。
“毎度おなじみF&K警備保障、只今参上!若社長、ご無事で⁉”
「大丈夫です…って不破さん⁉大丈夫なんですか、社長がこんな所に…。」
“ご心配なく!お嬢さ…副社長にはいつも世話になってますから!自分はF車、先導します!後ろは門脇のK車が守るんで、間隔に気を付けて!”
「不破さん、秘書の風間です。東名高速道を利用して北条フーズの勢力圏に向かいます。武田建設の勢力圏に入り次第攻撃が激化すると思われますので、留意願います。」
“アイアイサー!”
力強い返答と共に、F車が前進する。
ここから先は銃火が入り乱れる戦場になる――その現実を前に喉を鳴らして、氏真はアクセルを踏み込んだ。
「…それで?高速に入るのを指をくわえて見てたって訳か。」
“か、勘弁してください社長!F&Kつったら、陸自の一個連隊と一対一でやりあえるっつーゴリゴリの武闘派じゃないっすか!拳銃じゃ装甲車に歯が立ちませんて!事務所を襲った連中も、ガス爆発で病院送りになってるし…。”
「もういい分かった。警察に身柄を押さえられる前に全員掛川から撤収しろ。…運が良ければ減給で済ませてやる。」
ブツッ、ツー、ツー、ツー…。
「さすが、あの地獄を生き延びただけの事はある…まあ、お手並み拝見と行こうじゃねえか。日本一の兵力を相手にどこまで逃げ切れるか、な。」
第二次戦国時代が始まって以来、日本の市街地で突発的に鈍器や小火器を用いた戦闘が勃発する事は珍しくなくなった。
よって、これもその一ケース。――東名高速道路において、銃撃戦を交えたカーチェイスが展開されている。
“ザザ…ルタ11よりチャーリー6、間も無く東名高速道に入る。目標の気を引い…ザザ…”
「不破さん、門脇さん、風間です。次のインターチェンジで敵の新手が合流します。」
“F車了解。K車、後続に適当に撃ち返せ。こっちは先回りして新手を潰す。”
“K車了解、1台だって前には通さねえだよ。”
氏真が運転する車両が法定速度ギリギリで走行する前後をF&Kの装甲車が固め、後方から追いかける黒塗りのバンからの銃撃をシャットアウトする。
渇魂党側も増援を呼び寄せる等して事態の打開を図っていたが、目標の足止めは全くと言っていいほど成功していなかった。
「ここまでは順調…社長、ご無事で?」
「大丈夫、僕も車も問題無し。…みんなのお陰だよ。特に風間さん。スパイ映画みたいだ。」
氏真が強張った微笑みで軽口を叩くと、風間は作業を一時中断し、片手で得意気に眼鏡を直した。
「実は私、米中央情報局(CIA)本部――の近所に住んでいた事がございまして。情報処理能力にはそこそこ自信がございます。」
「そこそこ、ってレベルじゃないと思うな…っ!」
後方から飛来した銃弾が車体をかすめる音に、氏真が息を吞む。
“こちらK車!すまねえ風間さん、後続の中に狙撃兵気取りが混じっとる!こっちも蛇行運転で邪魔するで、どうにか直撃を避けてくれ!”
「了解しました。せめて私も援護いたします。」
そう言って、どこからともなく大きな拳銃――デザートイーグルを取り出す風間を視界の端に捉え、氏真は目を見張った。
「風間さん⁉拳銃で何を…いや、その前に…使えるの?拳銃…。」
銃器への忌避感と秘書への気遣いが入り混じった言葉に、風間はまたも眼鏡を直した。
「ご心配なく。イスラエル諜報特務庁の食堂で勤務していた際に支給されたものです。日本の火器携行免許は取得済みですので、問題は…。」
「いや、僕が言いたいのは法律上の問題じゃなくて…。」
なおも言い募る氏真を尻目に、風間は助手席のパワーウィンドウを開けると、身を乗り出して後方に銃を構えた。
「目標をセンターに入れて…狙い撃ちます!」
バァン!バァン!バァン!バァン!バァン!バァン!バァン!バァン!カチッ、カチッ…。
「…申し訳ございません。思いのほか反動が強く…全弾外しました。」
「あ、はは…いや、良かったよ。…風間さんが人殺しにならなくて。」
「ひゃあーーーーっははは!あいつら、右に左にフラフラしてやがる!」
氏真車を追走するバンの運転手が、下品な哄笑を上げてハンドルを叩く。その隣、左利き用にカスタムされた狙撃銃を構えた男が、窓から身を乗り出した体勢で咥え煙草を吐き捨てた。
「そんなにケツを振って…誘ってんのかい、お嬢ちゃん。焦らなくても今にデカいのをぶち込んで…ッ!」
目標の車の助手席から連続して閃いたマズルフラッシュに、狙撃手は身を強張らせる。が…銃弾が見当外れの方向に向かったと見るや、銃を構え直し――
「ん?…のわぁっ⁉」
「ぐえふっ‼」
突如、落下して来た道路標示の看板により、黒塗りのバンの大群は連鎖的に衝突事故を起こした。狙撃手をはじめ、窓から身を乗り出していた男達が窓枠で腹を打ち、悶絶する。
「い、一体…何が…?」
狙撃手の男が気を失う前に見たのは、四隅のボルトを破壊され、落ちてひしゃげた看板と、その向こうで走り去る3両の姿だった。
“こちらK車、なんかいきなり看板が落ちて…追手がクラッシュしちまっただよ。”
「運はこちらに味方したようですね。社長。」
「…そうだね。」
風間の弾んだ声に言葉少なに返すと、氏真は一息ついてハンドルを握り直した。
「だいぶ静かになった。けれど…ここから先も武田建設の勢力圏。無事に北条フーズの勢力圏に入れるかどうか…。」
「その件ですが…たった今、副社長からメールが。…『道はわたしが啓きます』…との事です。」
“いい加減にして頂きたい。再三『要請』している通り――東名高速道の封鎖を、至急、直ちに実施して頂きたい。”
「いやいや武田建設さん。要請にお応えしたいのは山々なのですが…なにぶん急な申し出で関係各所との調整に時間がかかっておりまして。」
“…もし弊社と他社を天秤にかけておられるようであれば…。”
「まさか。御社との提携は来年度も継続させていただきますよ。市議会への根回しは済んでおりますからな。…封鎖は出来るだけ急がせます。他に用件が無ければ、これで。」
静岡県東部のとある市役所。その最上階の一室で、豪奢な調度品に囲まれた中年男が固定電話の受話器を置く。そして、ズボンのポケットからスマホを取り出し、耳に当てた。
「もしもし、桂山ですが。…ええ、これから道路交通課に指示を出します。もしかすると、封鎖までに何台か通過してしまうかも知れませんが…やむを得んでしょうなあ。」
“ご協力、感謝いたします。約束通り、例の件を進めておきますので…今後ともよろしくお願いいたします。”
「いえいえこちらこそ。社長とお父様によろしくお伝えください。では…ふう、やれやれ。」
通話を終えた中年男――桂山は、スマホを元の位置にねじ込みながら鼻を鳴らした。
「実家に残れば安泰の所を、没落した許婚に嫁いだ時はとんだ箱入り娘と思ったが…中々どうして、抜け目の無い。とりあえず道路交通課に電話と…そうだ、秘書の後任を探さねば。あのお嬢様に教えてもらわねば、奴が武田建設の手先とは気付けなかっただろうしな。」
「次のインターチェンジ…沼津で降りましょう。」
「どうして?沼津はまだ武田建設の勢力圏じゃ…。」
夕暮れが迫る中、助手席から風間が発した提案に、氏真は疑問の声を返した。
「東名高速道の封鎖が予想より早まりそうですので…一般道を経由して三島市に入ります。幸い、沼津には副社長の『後援会』がございますので…その方がより安全かと。」
風間の提案に従い、軽自動車と2台の装甲車は沼津インターチェンジで東名高速道を降りる。
氏真の目に飛び込んで来たのは――
『沼津秋祭りスーパーリハーサル‼開幕だぜFooooo!』
「…なんだこれ。」
幹線道路の両端で歌い踊る市民の姿だった。
目を白黒させながら赤信号で停車していた氏真に、筋肉質な身体を法被で包んだ、眉毛の太い中年男が近寄って窓ガラスをノックする。氏真が恐る恐るパワーウィンドウを開けると、男は綺麗に生え揃った歯をむき出して笑った。
「お嬢から話は聞いた!俺達はあんたの味方だ、ここから三島まであんたらしか通れないようにしてある。とーぜん不許可だけどな!邪魔が入る前に、行きな!」
「あ、ありがとうございます。せめて名前を――」
聞こうとした氏真の目に入ったのは、中年男の背後で折り畳み式のナイフを振り上げる若者の姿だった。
「後ろ!あぶな――」
「ふん‼」
氏真が警告するより早く、中年男は若者の刃をかわし、首根っこを抱えて手首をねじり上げる。そしてナイフが落ちると――若者の口に缶ビールの飲み口を押し当て、無理矢理飲ませていく。
「おうおうどうした若いの?酔ったか?酔っちまったか?よーし、あっちでじっくり話をしようじゃねえか…おっと、そんじゃあな、IMAGAWAの若社長。お嬢によろしく言っといてくれ。」
中年男が豪快に笑いながら若者を連行すると同時に、信号が青になる。
氏真はアクセルを踏み込みながら呟いた。
「やっぱり凄いなあ…僕の奥さんは。」
“すみません社長!マジでヤバいんですよ沼津の奴ら!車のタイヤが全部パンクさせられて…修理業者も、渇魂党の車は扱わないって!”
「…もういい。」
“え?”
「もう言い訳は十分だっつってんだよこの無能!カス!穀潰し!てめえら全員クビだ!」
“ちょまっ――”
民間軍事警備企業『渇魂党』本社ビル。その社長室で、激昂した男はスマホを床に叩き付けると、それにオートマチック式拳銃を向け、弾切れになるまで連射した。
「ハァ、ハァ…クソが、マジで使えねえ…成功すりゃあもっとでけえ仕事が舞い込んで来るハズだったってのに…このままじゃ前金を返さなきゃならねえ――」
次の瞬間鳴り響いた音に、男――渇魂党の社長は凍りついた。それは、胸元のスマホから発せられた着信音――限られた相手からのみかかって来る筈のものだったからだ。
ノロノロとした動作でスマホを取り出し、画面に表示された『非通知』の三文字を視認してからおよそ5秒後、ようやく受話器のアイコンをタッチする。
「…もしもし、どちら様…。」
“お忙しい所、失礼いたします。今川氏真の妻でございます。”
耳元に届いた若い女性の声に、男はスマホを一度耳から離し、画面表示を確かめ、もう一度耳に当てた。
「…なんでこの番号をあんたが知ってるんだ?お嬢さん。」
“僭越ながら、私、芸能事務所IMAGAWAの副社長を務めております。お見知りおきを。”
「そういう事を聞きたいんじゃねえ。なんでこの番号を…いや、もういい。何の用だ。負け犬を嗤いに来たのか?随分と暇だな。」
“単刀直入に申し上げますと、今回の件について和解の申し出をさせていただこうと思いまして。”
「…和解?」
“今回の『行き違い』で、御社に相応の損失が発生した事と思います。幸い当方に死傷者は発生しませんでしたので…御社の損失の補填をさせていただくと同時に、今回の事は水に流していただければ、と。”
続いて、具体的な金額が示される。男の葛藤は一瞬だった。話を受けるメリットが、デメリットよりはるかに大きい。
(前金を返してもお釣りが出る金額だ。どうせ武田建設の傘下に入る話はパーになったし…だが、このままってのはちと癪だな…。)
“いかがでしょうか?”
「…他に選択肢も無さそうだ。その話、飲ませてもらおうじゃねえの。だが…一つ聞かせてもらいてえ。」
“何か不審な点でも?”
「あんたが若いのに大したタマだって事はよーく分かった。分からねえのは…どうして落ち目の坊っちゃんとの婚約を破棄しなかったのかってこった。…そこまでする価値があんのかい?」
“…ええ、勿論。ただ、どんな価値があるのかは――”
「――今後の弊社の活動を注視していただければ、ご理解いただけるかと。…送金は3日以内に済ませます。それでは。」
小田原市、北条フーズ本社の一室。通話を終えた少女は、スマホをしまうと室内にいた男に向き直り、深々と頭を下げた。
「失礼いたしました。この度は突然の要請に応じていただき、誠にありがとうございます。」
パイプ椅子に腰掛けていた男――北条フーズ代表取締役社長、北条氏康は、腕を組んで鼻を鳴らす。
「れっきとした会社が、然るべき手続きを踏んで、魅力的な取引を求めて来たんだ…応じない理由がねえだろう。」
「ですが、その過程で血縁関係を利用した事は紛れもない事実ですので…。」
少女が言い募ると、氏康は重々しく立ち上がり、出入口へと足を向けた。
「相変わらず器用なんだか不器用なんだか分からねえ娘だぜ。…取締役会には反対派も多い。なるだけ早く成果を上げとけよ。…あー、体を壊さねえ程度にな。」
氏康が退出した後の室内で、手荷物を整理していた少女のスマホが着信音を鳴らす。それに応じた少女は、花が咲くような笑顔を見せた。
『続いてのニュースです。昨日掛川市で発生したガス爆発について、静岡県警は事故であるとの公式見解を発表しました。SNSでは、同日東名高速道路上で発生した銃撃戦との関連を疑う声が多く見られましたが、今の所明確な関連は確認されていません。なお、ガス爆発が発生した現場は芸能事務所IMAGAWAが入居していましたが、同事務所は小田原市の新社屋に移転しており、社員に怪我人はいなかったとの事です。社長の今川氏真さんはSNSにコメントを発表し――』
これは、有ったかも知れないし無かったかも知れないが、多分無かったであろう日本近現代史の一ページ。
日本有数のセレブから転落した青年が、一人の少女と、彼女を支える多くの人々の力を借りて再出発し。やがて別の幸せを掴む――そんな物語。
To be continued...?
※続かない。
筆者が尊敬する小説家にならって、セルフパロディを書いてみました。
九割趣味ですが、少しでも楽しんでいただければ幸いです。