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凍えるほど寒い日に・たき火の前で・おはじきを・心の隙間に埋めこみました。

 寒々とした夜に、がれき同然となった家の欠片を持ってきたのは、倒壊したその家主だった人だ。木造の家はきれいに壊れてしまったと、寂しそうにだがその初老の男性は微笑んだ。その手袋は黒く汚れている。たき火を囲む全員の手が、かじかみながら震えているか、真っ黒な軍手をはめながら汗が少し混じったような匂いがしていた。だが誰もその匂いを厭う素振りは見あたらない。ただ残った人間達は、黙ってたき火を生命線とばかりに囲って、ただ黙って炎を見つめていた。着火するための道具を持っていた人間は誉められたが、その誉め言葉たちはみな力がない。世間体や社会的な観念から絞り出た言葉だからだ。本当に心から出てきたものではない。だがそれを言われた側とて、

その表面上の言葉に腹を立たずに力なく頷いただけだった。喫煙者でよかったです、と小さく自嘲めいた言葉に、はははと力ない言葉が返ってくる。会話が終わってしまうと、しんとした暗闇に全ての音が吸い込まれる感覚がした。炎はぱちぱちと音を立てて光を放つのに、周囲にいる人間は皆ブラックホールに吸い込まれるように、その身も魂と呼ばれるものさえも、暗闇に吸い込まれて抜け殻だけがそこに立っているようだった。

 遡って家ががれきになる瞬間、人々は身を守るのが精一杯だった。けたたましいJアラートに遅れて数秒後に地面が激しく揺れはじめ、二足歩行の動物は立っていられなくなってしまった。四足歩行であっても倒れてしまうだろうほど激しい揺れであった。まるでシェイカーの中で液体が振られるかのように、ああこのような事があの小さな容器の中で行われているのかと、膨大な現実から目を背けるように考える者もいた。それほどに激しい揺れであったのだ。それがようやく収まった時、人々の運命は綺麗に二極化していた。建物の下敷きになったか、建物から逃れたかのどちらかである。呆然とした逃れられた人々は、建物の下から聞こえる声にあわてて救出作業を開始した。緊急事態において、人の体というのは不思議なものである。まるで糸で操られた人形のように、誰かを助けるために吸い寄せられるように倒壊した建物に向かった。専門知識が無くとも、体が勝手に動いて行くのだ。消防団も自衛隊も警察も、どのような業務にあたったことがない人間でも、何かしなければと慌ててがれきに手を突っ込もうとして、軍手が必要だと気付くと、そこで途方に暮れた。家に戻って軍手で手を補強しなければ、このままでは破傷風の懸念があるとかつての災害に学んだ。そこでどうしようか立ち往生しながら、家が近所で無事であったのなら軍手を持ってきた人間からがれきを取り除き始め、軍手が無いのならば取りに帰ろうと急いだ。そこでようやく現場から離れられたとき、ほっとする人間もいた。これで目の前の誰かを助けるのではなく、まずは自分の家を確認しなければならないと大義名分が出来たのだ。戻ろうと思えば戻るし、家が大破していなければ戻らない。片づけが必要であれば戻らなくてもいい、そんな事を考えて、家路に急いだ。人間は誰しもが自分一人が大切なものである。責め立てることが出来る人間は、今この場には少ない。とにかく軍手を探しに、なければ買いに行けばいいのだからと安心できる我が家に急ぐ人間も大勢いた。そうこうしているうちに、救出されたのかは知らないままである。その町に住んでいなければ、人情とはその程度のつながりであろう、その町のことはその町の人間に任せて、家へ家へ。似たような人間がいるのに安堵しながら、家へ。

 家に到着したときには、ありとあらゆる物が床に倒れていた。割れていたし、壊れていたが、テレビなどの大型家電をとにかく持ち上げなければならない。そうしなければ情報が分からないからだ。いったい震度は幾つなのか、ここよりひどい被害は出ているのか、テレビの中の現実を見て、今目の前に転がっている現実から逃げ出したい気持ちもある。割れているものを靴を履いたままに踏みつけて、リビングへ急ぐとやはり家電も家具も倒れている。キッチンはことさらひどかった。食器棚に地震用の突っ張り器具を取り付けていたのに、制震機能をうたったものを買ったはずなのに、それでも食器は宙を舞ったらしい。残っているのは軽い木のお椀などだ。ぬくもりのある色合いが、今は破片にまみれた床に優しい色で転がっていた。キッチンを諦め、リビングへ。震える手でテレビを持ち上げて、いつもなら持ち上げられないと思っていたのになんだか今は妙に力が入った。ぐいと持ち上がったテレビは無事のようで、丈夫なテレビに何故か感謝をする。テレビ台に持ち上げて、今度はリモコンを探した。ソファの前にボードがあり、そこに出掛ける前に置いたから、リモコンは簡単に見つかった。震える手でテレビをつける。付かない。おかしい、おかしいと三度四度とテレビの電源ボタンを押すが、付かない。そこで生命線が絶たれたような気持ちになって、膝を着いてしまいそうになった。

 「なんで」

 そう呟いても何もならないのに、どうしても呟いてしまう。そこでテレビを持ち上げた時に、必要な線が全て抜けているのだという考えに行き着いて、慌ててテレビ裏にコードを何本かつないだ。そこでようやくテレビが映る。土足で上がり込み、まるで泥棒のような風体にリビングが自身を拒絶している気がするので、ソファには座り込まなかった。ただ立ったままテレビを眺め、ボタンをせわしなく切り替えると、速報と中継とで映像があわただしく切り替わっていた。テレビの向こうでは、無事であるにもかかわらずに懸命に情報を集めようとしている人間の姿が映っている。ここは現場だ。現場はここなのに、彼らは誰もここに来ようとしていない。それが何故か無性に寂しくも腹立たしくもなり、リモコンを切った。軍手を探さなければ。家を片づけるのにしても、軍手は必要だ。確か防災用品はどこかに置いているはずである。


 「なんだそれ」

 ほかの被災者にそう問われ、かち、かちとある老婆が車いすに座りながらおはじきを鳴らす。

 「知らないの? おはじきよ」

 なんだか子供のような言い方で、老婆は答えた。確かこの家は認知症の母を義理の娘と息子が世話をしており、デイサービスなどは利用しているが居宅での介護を選択していた。だからこそ、呆然とした義理の娘が押す車いすにのんきに座っている。

 「こうやって遊ぶのよ、こうやって・・・」

 老婆はそう言って手にしていたおはじきをばらばら、と地面にばらまいた。暗い闇の中に、きらきらとしたガラスが散らばる。明かりはたき火の炎だけである。倒れなかった街頭はあるものの、何も照らしてはくれなかった。停電になっているのは目に見えて分かった。慌てて周囲の人間が拾おうとするが、その前に車いすから老婆が転げ落ちた。まさかの行動に更に慌てる周囲に反し、義理の娘は呆然としている。どうやら息子は、外に働きに出ているので帰ってきてはいないらしい。転倒した老婆は、たき火にわずかに光るおはじきを一つ掴むと、周囲に散らばっているおはじきに向かわせようと指で弾こうとする。だが指は固まってしまってなかなか弾けずにいると、ようやく我に返った義娘が老婆の両肩を掴んで抱えようとした。だがその手を振り払うでもなく、娘に向き直ると諭すように言う。

 「お・は・じ・き。おはじき、こうやって遊ぶのよ」

 「おかあさん、おかあさん。しっかりしてください」

 「お・は・じ・き。おはじきで遊びましょ~」

 息子の安否はまだ分からない。もしかしたら都市部には壊滅的な被害を受けている可能性もある。誰もがここで気休めを口に出来ず、ただ上機嫌に歌う老婆の声を聞いていた。

 「そうか、遊びたいのか。じゃあ遊ぼうか」

 周囲にいた初老の男がそう言ったので、周囲は少しぎょっとした。先ほど家のがれき片を持ってきた男性である。だが彼は気が狂ったと言うよりも、どこまでも続く悲しみの中に何かを見いだそうとする強さがあった。

 「どれを狙うんだい。暗くて見えないね」

 「見えないわねぇ、昔みたい」

 「昔みたいか」

 「ねえヨシエちゃん、ヨシエちゃんはどう思う? スミダくん? 男の子はだめよぉ、おはじきを蹴っちゃうんだもん」

 「蹴っちゃうんだ、ひどいね、ひどいねおかあさん」

 話を合わせようとして義娘が続いて話しかける。彼女の言葉に、周囲はようやく落ち着いたように顔を見合わせた。まるで老婆の保護者が現れたかのように。

 「たき火の、小さいのをもらってこよう。おはじきが出来るように」

 「暗いねえ」

 「ええ、暗いねおかあさん」

 「おかあさんなんてやーよ。マスミって言うんだから」

 「そうねマスミさん」

 義娘は涙ぐんでいるようだった。だがたき火によって何もかもが見えない。初老の男性が新たながれきに火を付け、どこかに転がっていた缶にがれきを置いた。少々手元が明るくなると、老婆の顔がぱっと浮かび上がる。少女のような顔をしていた。その顔に、なぜだか見ている側は胸が締め付けられ、そして少しだけ慰められた気がした。

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