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あなたの夢

作者: 矢本MAX

あなたはゆうべどんな夢を見ましたか?

その夢を憶えていますか?

あなたの心はしばしの間この不思議な空間へと入って行くのです。

「ゆうべ、こんな夢を見たよ」

 と言って、その夢の内容を話してくれるのが、夫の靖彦の朝の儀式のようなものだった。

 妻の糸子は、それを聞くのが嫌いではなかった。

 彼女は、生まれてこの方、夢というものを見たことがなかったからだ。

 夢の内容は、日常生活の延長線上の断片的で他愛ないものから、ストーリー性のある、まるで映画のようなものまで、多彩な内容だった。

 一般に、夢をよく見る人は眠りが浅いと言われているが、夫の場合、夢の内容を話してしまうと、その夢をすっかり忘れてしまうらしく、ある時、夢の話があまりに面白く印象的だったので、帰宅した夫に

「またゆうべの夢の続きが見れたらいいわね」と言ったところ、

 夫は首をかしげて、

「実は、どうしても夢の内容を思い出せないんだ」

 と答えたのだ。

 たぶん、あの人は夢の内容を話し、それを忘れることによって、ある種のストレスから開放されているのだ、と糸子は思うことにした。

 ある時から糸子は、夫の夢を記録するようになった。

 そのまま忘れ去られてしまうには、あまりにもったいない気がしたからだ。

 最初は家計簿の余白に、簡単にメモする程度だった。

「靖彦・夢。子供の頃の事。小学校の時、遠足に行った場所。その頃の友達にまた会う。いつの間にか現在になっている」

 といった感じだ。

 それが、歳月が経つにしたがって、だんだん詳しいものになって行ったのは、夢を記述することによって、自分も夫の夢を共有しているような、不思議な気分になれたからだ。

 夫の夢の中には、たびたび糸子自身も登場することがあり、それもまた、夢を記述する喜びのひとつだった。

 靖彦と糸子は、高校の同級生だった。

 在学中は、互いを意識することはなかったのだが、卒業して三年後の同窓会で再会した時から、相手に好意を持ちはじめ、五年の交際期間ののちに結婚した。

 夢の中には、その交際期間のささやかな思い出がちりばめられていて、夫があの頃の気持ちをずっと大切にしてくれていることが伝わって来て、記述しながら涙が溢れることもあった。

 もちろん楽しい夢ばかりではなく、明かな悪夢もあった。

 高所恐怖症だった夫は、よく高いところから落ちる夢を見た。

 また、会社でミスをする夢や、上司や同僚との仲が険悪になる夢などもあった。

 ただし、夢は毎晩見るわけではなかったし、見てもあえて話さない日もあることも、長年の勘で察することが出来た。

 話したくない夢って何だろう?

 昔好きだった人の夢? 

 それとも今気になっている人?

 口に出せないほど恥ずかしいこと?

 気にすると様々な妄想や疑念が湧いてきて家事にも支障をきたすこともあるので、あえて詮索しないことにした。

 そうなれるまでは、かなり長い時間を要した。

 夢を記述していることは、夫には内緒だった。

「余計なことをするな」と叱られそうな気もしたし、せっかく忘れてストレスを解消しているのに、思い出させて負担をかけたくもなかった。

 記述の作業は黙々と続けられ、いつしかそれは、子宝に恵まれなかった彼女の生き甲斐のようになって行った。

 それでもいつかは、これを夫に見せる時が来るだろうと、糸子は思っていた。

 そしてその時期を夫の定年退職の時と心に決めるようになっていた。

 その時、彼はどんな顔をするだろう?

 いろいろと想像をするだけで楽しかった。

 しかしその時は、訪れることはなかった。

 定年を目前に控えたある日、靖彦は交通事故でこの世を去ってしまったのだ。

 夫を失った糸子は、全身から力が抜け、しばらくは何もする気力が起きなかった。

 哀しくなった時、開くのは、夫の夢を記述したノートだった。

 そこには、遠い過去から遙かな未来に至る靖彦の姿が、時空を超えて存在していた。

 そしてその中には、糸子自身の姿も寄り添うようにあった。

 死別から一年が過ぎた頃から、糸子は夢のノートを整理し、特に印象深い夢を選んでワープロ打ちをはじめた。

 生前には叶わなかったけれど、せめて夫が生きた記録として、一冊の本にして仏壇に捧げようと思ったのだ。

 纏めてみるとそれは、まさに二人の愛の記録だった。

 一年半をかけて本は完成した。

 タイトルは『あなたの夢』とした。

 少部数の自費出版で、友人知人に配った他は、インターネットで販売され、それなりに読者もついた。

 そして思いがけないことに、ある雑誌の書評に取り上げられ、本はあらためて大手出版社から刊行されることとなった。

 その知らせを受けた夜、糸子は生まれてはじめて夢を見た。

 夢の中で、夫の靖彦と再会した。

「ありがとう」と彼は言った。

「君と出会えて、本当によかった。僕の夢は今、君の夢とひとつになったんだよ」と。

                                             了


かつて江戸川乱歩は「うつし世は夢、夜の夢こそまこと」と記しました。

夢は「もうひとつの現実」と言うことが出来るでしょう。

今夜見るあなたの夢が、素敵な夢でありますように……。

それではまたお逢いしましょう。

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