あなたと結婚する気はないので、安心して下さい
※本作のみで完結しておりますが、能面令嬢シリーズの関連作となります。
初めて会ったのがいつだったのかは、よく覚えていない。
親同士が親しかった関係で、3歳年上の幼なじみ――大地さんとは、物心つく前から、定期的に顔を合わせていた。一人っ子の私は、大地さんのことを、本当の兄のように慕っていたように思う。
記憶にある大地さんは、小さな頃から、物知りで穏やかだった。
両親の社交に随伴させられた際、同年代の男の子達が、賑やかに騒いだり走ったりしている中で。大地さんは、いつもベンチやソファで、静かに本を読んでいた。
口数が多いわけでも、会話が弾むわけでもなかったけれど。
私自身も、静かに過ごす方が好きだったから、大地さんがいるときは、その側で一緒に本を読むことが多かった。
幼いころには、大地さんが読んでいる本について、話を聞かせて貰ったこともあるし、頭を撫でてもらったこともある。
大地さんが他の子の頭を撫でるのは見たことがなかったから。私は、大地さんにとって一番仲の良い女の子だと思っていた。
だからこそ、互いの両親が、「大きくなったら、二人を結婚させよう」と口にしていても。私はそのことに、何の不満もなかったし、むしろ嬉しく思っていた。
――けれど。
そんな関係が続いたのは、初等科の頃までだった。
私が中等科に進級するとき、大地さんは、家族で国外に転居してしまったのだ。
そして3年後――。
大地さんはご両親と離れて、一人、国内の大学に通うことになった。
一時帰国したご両親と共に、大地さんが我が家に挨拶にやってきたのは、私が高等科に入学した、その日だった。
久しぶりに、大地さんに会えるのが嬉しくて。私は、帰宅するやいなや、真新しい制服を着替えるよりも先に、応接室に顔を出した。
「ご無沙汰しています。」
「――優奈、久しぶり。」
落ち着いた物腰で挨拶を返す大地さんは、3年の間に、ますます背が伸びて、大人っぽく素敵になっていた。
「まあ、優奈ちゃん。大きくなったわねえ。制服が良く似合うわ。」
「優奈ちゃんも、もう、高等科か。そろそろ正式に、婚約発表をしても良い頃だな。」
双方の両親は、当事者の私たちそっちのけで、盛り上がっている。
この婚約話ありきで、大地さんのご両親が不在の期間、うちの両親が大地さんの後見的な立場で関わる約束にもなっていた。
王明学園に通う生徒は、中等科や高等科の間に、婚約の話を整えることも珍しくない。私は、この話が素直に嬉しかったし、疑問にも思っていなかった。
いつも私に優しい大地さんも、同じ気持ちだろうと、思い込んでいたから。
大地さんが住む家の準備が整うまでの5日間、我が家に滞在することになっていた大地さんが、不自由なく過ごせるようにと。
私は柄にもなく張り切っていた。
「もし暇だったら、本もありますから。」
私は、お風呂あがりに、頭の高さほどに積み上げた本を抱えて、大地さんの部屋に持っていった。
これだけあれば、夜、時間を持て余すこともないはずだ。
「――ありがとう。」
少し目を見開いた大地さんは、部屋の入口で、本を受け取ろうとした。
けれど、この高さまで積み上げた本を、手渡しするのは、ちょっと無理がある。
「大丈夫、机まで運びます――。」
そう言いながら、大地さんの脇を抜けて、部屋に入ったとき。
「――あっ!」
バランスを崩して、抱えていた本が、バサバサと音をたてて落ちてしまった。
――ああ~。
しまった。折れてしまっていないだろうか。
「ごめんなさい。」
慌てて拾おうとした手が、同じく本を拾おうとした大地さんの手に触れた。
――その瞬間。
バシッと、音が鳴るほどの勢いで、大地さんは私の手を払い除けた。
――え?
思わず大地さんを見上げて、ぽかんと呆けた私に。
「悪いけど、部屋には入らないでくれる?」
大地さんは、穏やかな笑顔で、でも切り捨てるように冷たく言い放った。
どうやら、私は、大地さんに好かれていないらしい――。
その事実がようやく飲み込めたのは5日後、大地さんが自宅に戻ってからだった。
本当は、離れていた3年間の話もたくさん聞きたかったのに。本を落としたときの、大地さんの冷たい言葉と態度が、衝撃的過ぎて。
私は大地さんと、当たり障りのない話しかできなくなってしまった。
そうして、客観的に、大地さんと私の会話を見てみると。こんな状況であっても、私の思いとは裏腹に、会話自体は、問題なく成立していた。
大地さんは、今までどおり、時おり笑顔も浮かべながら、穏やかな話をしてくれた。傍からは、仲の良い二人に見えただろう。
ちょっと気まずい出来事があっても、何も問題ない。気にしているのは私だけ。――そのことによって、私は、逆に、気付いてしまった。
――大地さんは、今まで、社交辞令で、私と仲良くしてくれていたんだ。
私は、わりとクールで、冷静な判断ができる人間のつもりだったけど。
小さな頃から、大地さんのことが好きだったから、自分のことは、何も見えていなかった。
心が伴わなくても、当たり障りのない会話はできる――、それくらいは知っていたはずだったのに。何故か、大地さんも、私と同じ気持ちだと思い込んでいたのだ。
全て、勘違いだった。――大地さんは、交流の深い家の娘だからこそ、無下には扱えないだけだったのに。
――ホント、バカみたい。
独り相撲をしていた私が、一番バカなのは間違いないけれど。親に言われるままに、好いてもいない私と婚約の話を進めようとしている大地さんだって、大バカだ。
私は、私を好いていない大地さんとだけは、結婚したくないと思った。
高等科での日常生活が始まった後。
大地さんは、両親の手前なのだろう――、定期的に、学校帰りの私と食事をしたり、休日に映画を観に行くことを、提案してきた。
特別楽しそうというわけでもなく、いつもどおり穏やかに淡々と会話をして過ごすだけなのに、しばらくすると義務のように、また誘ってくる。
それに疲れた私は、大地さんから学校帰りの食事に誘われる日を狙って、友達との勉強会を入れるようになった。
大地さんとの、仮面を被ったような会話と比べて、気のおけない友人たちとの女子トークは、何て気楽で、楽しいんだろう。
『その日は、友達との勉強会があるので……。』
と一言ラインをしておけば。
学生にとっての大義である『勉強』の2文字の前に、食事会を優先させることなど、何人にもできない。
『そう、頑張ってね。』
と社交辞令を返すだけで、大地さんも、私を一応誘った――、義理を果たしたと言えるのだ。
双方にとってwin-winである。
また、あるときには。
大地さんが映画の試写会に誘ってきた。前から気になっていた映画だったし、本当なら喜んで付いていきたい。
――けれど。
映画なんて、いかにもデートみたいな場所には、大地さんとは行きたくない。
「ごめんなさい。その日は、サッカー部の試合の応援に行く約束だから。」
「サッカー部?」
私が試写会を断るとは、思っていなかったのか。
大地さんは、意外そうな顔をしている。
「何で、優奈が応援に?」
「友達が、応援に来てほしいって。」
嘘ではない。
本当にたまたま、友達と遊びに行こうという話をしていたところ、サッカー部の子が通りかかって、試合を観に行くということになったのだ。
「王明学園には、男子サッカー部しかないよね?」
「そうだけど?」
「ふぅん……。」
大地さんは、少しばかり、考えるように。けれども、いつも通りの穏やかな口調で。
晴れたら良いねと、口にした。
高等科1年の、12月。
私は、友達二人とクリスマスランチ会をすることになった。当日は、あえて安価な1000円以下のプレゼントを交換することになっている。
地下街の通路沿いの雑貨屋さんで、プレゼントを選んでいると、オシャレな男性用マグカップが目に入った。
――これ、大地さんに似合いそうだなあ……。
大地さんには毎年、うちの使用人が推薦する上質のブランド物を、クリスマスプレゼントとして贈っている。
私が適当に選んだ1000円以下の物をプレゼントするなんてことは、考えられない。
手に取った男物のマグカップを、そっと、棚に戻そうとしたとき。
「優奈?」
横から声をかけてきたのは、まさに今、頭に思い浮かべていたその人だった。
「珍しいね。一人で買い物?」
「そうです。友達へのクリスマスプレゼントを買いに。」
「へえ……。」
大地さんは、チラッと私の手元を見た。
「友達って、この間の、サッカー観戦のときの?」
「そう。」
一緒にサッカー観戦に行った友達――百佳ちゃんと瞳ちゃんとのプレゼント交換なのだけど、どうして分かったのだろうか。
「……いつも勉強会をしてるのも、その子と?」
「そうですよ。」
勉強会を理由に、何度か大地さんの誘いを断っていることが後ろめたくて。思わず、「すごく勉強になるから」と付け加えたところ。
大地さんは、「そう」と返事をして、再度、私の手元のマグカップを見た。
「――優奈は、センスが良いよね。」
「え?」
何を唐突に、と訝しむ私に。
大地さんは、にっこり笑った。
「良ければ、そのカップ、僕にくれない? 今年のクリスマスに。」
「え!? これ? いいですけど……、安物ですよ?」
「値段じゃないから。」と。
大地さんは、相変わらず穏やかにほほ笑んでいるけれど。
――まあ、たしかに……。
気持ちのない相手から、高額な物を貰っても重いだけだもの。
安価で気に入った物を貰うのが、合理的なのかな。
特に反対する理由もない私が頷くと、大地さんは、そのまま帰って行った。
そうこうしているうちに、私は高等科2年生になった。春が過ぎ、夏になり。
両親は、大地さんのご両親が帰国する来年春に正式婚約をし、秋には婚約披露パーティを行う段取りで進めたいと言っている。
――大地さんの方から、婚約を止めたいと言い出すのを待っていたけれど。
大地さんは、そもそも、結婚というものに、あまり期待をしていないのかもしれない。
私のことが好きではなくても、このまま結婚しても問題ないと、思っているのかも。
――そうだとしたら。
私から、言うしかない。
まず、大地さんに婚約はやめようと話をして、味方につけよう。
双方の両親に言うのは、それからだ。
高等科2年の秋。
今年は、高等科全体でのハロウィンイベントがあった。
皆、思い思いに工夫を凝らした仮装をして、1日、その状態で授業を受けた。
黒猫の百佳ちゃんの周りには、生徒会男子がウロウロ徘徊し、ミニスカポリスの瞳ちゃんには、サッカー部の面々が嬉しそうに話しかけている。
――そんな中。
地味に、チャイナドレスで過ごした私は、そのままの格好で迎車に乗りこみ、自宅に戻った。
「――!」
玄関の前で鉢合わせたのは、大地さんだ。今日に限って、何でうちに来ているのか。
「その格好は?」
「学校で、ハロウィンイベントだったんです。1日、皆が仮装をして過ごすイベントで……。」
説明しながら、私は大地さんを応接室に案内した。
「着替えて来るから、待ってて下さいね。」
私はいったん、退室しようとしたけれど。
大地さんは、ソファに向かうことはせず。珍しく怒ったような表情で、扉に手をついた。
「まさか、その格好で1日過ごしたの?」
「そうですけど?」
「あり得ない。腕も出ているし、スリットも――、ここまで、足が見えている。」
大地さんは、チャイナドレスのスリットを指摘すると。その隙間からスッと手を差し入れて、私の太腿に触れた。
「ちょ……!」
弾かれたように、私は、大地さんから距離を取った。
「何するんですか!!」
「何も問題ないよね? もうすぐ婚約するんだし。むしろ、優奈の方が、何をしているの?」
「はい!?」
「そんな格好で、男の前に出るなんて、信じられないよ。」
――男の前??
「私は普通に学校に行っただけだし、もっと派手な衣装の子もたくさん……。」
「でも、優奈は僕と婚約するんだから、僕の意見も聞いてくれないと。」
「そもそも、その婚約話ですけどね――。」
言うなら、今しかない。
「もう、やめませんか。」
言う瞬間は、思わず目を伏せた。
私はじっと、息を呑んで、大地さんの返事を待った。
けれど返ってきた声に滲んでいたのは――、喜びでも驚きでもなかった。
「――――やめる?」
ただ、信じられないというように。
大地さんは、目を見開くと、言葉の意味を確かめるようにもう一度、「やめる」と口にした。
「大地さんも、好きな人と結婚できた方が、良いですよね。もう、両親の言うことに無条件に従う年でもないですし。その方が、お互いにとって――。」
説得しようと思って言ったその言葉は、しかし、続けられなかった。
――痛い!!
ドン、と。
大地さんが、私の腕を強く握って、壁に押し付けてきたのだ。
「――どういうこと? 他に好きな男ができたの? 例のサッカー部の男?」
「はあ?」
サッカー部の男?
「この衣装も、そいつに見せるためなの?」
「はあ?」
そいつって誰ですか?
「許さないよ。僕以外の男と結婚するのは、絶対、認めない。」
私を壁に押し付けたまま、無理やり、鎖骨に口付けてきた大地さんを。
私は――。
膝蹴りした。
「う……っ。何を――!!」
「こっちのセリフですっ! さっきから、一体、何を考えてるんですか?」
「優奈が、僕以外考えられないように、と。」
「――あのね、大地さん?」
私は、腰に手を当てて、仁王立ちすると。ジロリと、大地さんの顔を見据えた。
「私が婚約をやめようと提案したのは、私の気持ちではなく、大地さんの気持ちを考えてのことなんです。」
「僕の気持ち?」
「大地さん、本心では、私と結婚したくないんでしょう?」
心外だというように、大地さんは、片眉をピクリと動かした。
「そんなことはない。僕はずっと昔から、優奈と結婚すると決めている。」
「でも、前に、うちに滞在したとき、私の手を振り払ったじゃないですか。」
「いつ?」
「私が本を持っていったときです。しかも、すごく怒ってたし。」
「……。」
「……。」
大地さんは、言われて思い出したのだろう、「ああ……。」と呟いた。
「あれは、長らく優奈に会えなくて、禁断症状が現れていたところに。ようやく会えた優奈が、お風呂上がりの姿で部屋に現れて。」
――禁断症状?
「青少年育成条例違反の行為に及びそうになったから。理性を総動員して、衝動を抑えていたんだ。」
――条例違反?
「優奈は、あのときのことを、気にしていたのか。そうと知っていれば、もう、条例なんて気にせずに――。」
「ちょっと待ったー!」
近寄ってきた大地さんから離れるように、私はさらに後ろに、飛び退いた。
「じゃあ、大地さんは、私のことが好きだったの?」
「もちろん。早く婚約したいし、優奈が18になるのを心待ちにしてる。」
――ええぇぇぇ〜〜。
私は、気が抜けて、その場にしゃがみこんだ。
――何だ……。私の早とちりだったのか。
「優奈は? 僕のこと、好き?」
「好き――なつもりでしたけど。」
私は、胡乱な目で大地さんを見た。
「さっきからの言動を見て、正直、考え直した方がいいんじゃないかと……。」
「ええ?」
だって――。大地さんは、知的で穏やかな、大人の男性だとばかり思っていたのに。
今この瞬間も、その目は、チャイナドレスのスリットばかり、チラチラ見ているのだ。
そうして。
その後の大地さんと、私は――。
互いに、お喋りな方ではないけれど。
少しずつ、色々と話をして。
サッカー部云々の誤解は、一応とけたと思う。
高等科2年のバレンタインには。
百佳ちゃん達と作ったチョコを、学校に持っていったことで、色々と追及されることになったり。
高等科3年の修学旅行中には。
自由行動中に軟禁騒ぎになったことで、二度と自宅から出さないと言われたり。
その都度、一悶着あったけど……。
高等科3年の秋。
何とか無事に、婚約披露パーティの日を迎えることができた。
今では、大地さんの私への愛情は、疑う余地もないし、むしろ重過ぎると思っている。大地さんは、私を傷付ける者にも、容赦はしない。
だから、婚約披露パーティの日。
大地さんのファンの一人による凶行を、百佳ちゃんが止めてくれたことには、心から感謝している。おもに、その方の身の安全のために。
大地さんと初めて会ったのがいつだったのか、私は覚えていない。
けれど、私はもうすぐ、18歳になる。
そしてこの先もずっと。私は大地さんと一緒に、年を取っていくのだろう。
どうかその日々が、穏やかで――、自由なものでありますように。
※最後まで読んで頂き、ありがとうございました。作品を気に入って頂けた方には、評価を頂ければ嬉しいです _(._.)_




