8-7
計画は当初予定していたものとは大幅に変更される事になった。
集合場所は学園になり、私も同行する事になったのだ。
当然母は難色を示したというか、はっきり反対されたが、グレーテルが来るのであれば護衛の私は行かざるを得ない。母が何と言ったとしても、この国では私よりグレーテルの身の安全の方が重要だからだ。
グレーテルを巻き込んだ事で王室も計画に参加する事になった。
あの時の襲撃者の情報が欲しいのは王室も同じなので、条件付きではあるが概ねマルゴー家主導で進められることになった。
その条件と言うのが、計画中はグレーテルに私が常に付き添う事である。聞いた話では国王陛下自らそのように言ったらしい。
確かに、『餓狼の牙-1』はどうかはわからないが、少なくとも領軍よりはビアンカたちの方が戦力になる。この中だと、おそらく私の側が一番安全だろう。
とはいえビアンカたちについては詳しく報告していないし、にもかかわらず私に全幅の信頼を寄せて来るとか、陛下も思い切りが良すぎる気がする。祖父との思い出補正で私に過度な期待を寄せているような気がしてならない。
しかしもし、国王陛下が私に在りし日の祖父の姿を見てくれているのなら、それに応えてみたいという気持ちもあった。
母に反対された時にもそう言ってみたのだが、「貴女がお義父様の真似事をする必要はないでしょう。貴女は女の子なのよ」と言われてしまった。違います私は男の娘ですお母様。「同じ事よ」だって。そうですか。
とはいえ王の意向でもあるので、そこは納得してもらえずとも頷いてもらうことにはなった。
いつもいつも母には心配ばかりかけてしまって申し訳ない。
◇
学園は試験休みに入り、程なく約束の日になった。なんかいつも休んでるなこの学校。
長期休みに実家に帰った私はともかく、王都で過ごした学生たちには退屈が過ぎるのではないだろうか。
暇な学生たちはともかく、教職員には試験結果に応じて今後のカリキュラムを調整しなければならない仕事があるため、こうした時間が必要になるのはわかるのだが。
そういうわけで、閑散とした学園に集合である。
長期休暇の時は学園全体も施錠され、侵入も出来ないようになっていたらしいが、今回休みなのは学生だけであり教職員は出勤しているので普通に開いている。
なお、ルーサーは休みである。学園までは『餓狼の牙』の他の面々と共にマルゴーの馬車を護衛してきたが、私とディーを下ろした後は馬車を屋敷へと戻し、『餓狼の牙』に合流して陰ながら私たちを監視している。
「王都の見学、でしたかしら。私やヘレーネたちは王都生まれの王都育ちですから、今さら見て回るようなものもありませんが……」
開口一番ユールヒェンがそんな事を言った。ならなんで参加したのか。
もちろん言わずもがな、エドゥアールのためだろう。
「僕はもちろんインテリオラの王都の事は全く知らないので、色々教えて下さると助かりますね」
そのエドゥアールが如才なくそう言うと、ユールヒェンは任せろとばかりに胸を張った。ヘレーネたちが苦笑している。おそらく彼女たちにとっては、王都の案内など別に胸を張るほどの事ではないのだろう。
一方でルイーゼはエドゥアールに対抗心をむき出しにし、自分にも案内して欲しいとユールヒェンに詰め寄っていた。いや、ルイーゼは王都の平民街で暮らしていたのでは。
しかしユールヒェンは苦笑しつつもルイーゼの相手もしていたので、エドゥアールとの仲を邪魔されたようには思っていないらしい。あるいは「モテる女って辛いですわ」とか思っていたのかもしれない。いや、苦笑に見せかけたあのドヤ指数高めのニヤケ顔を見るに間違いない。
仲良くなってきたせいか、最近はユールヒェンの色々な面を目にしている気がする。そしてその度に、彼女の魅力を見せつけられている。
私の美しさは普遍的で絶対的なものだが、ユールヒェンの持つそれは状況や角度によって変化する可能性の塊であるかのように感じられた。
「……何ユールヒェン嬢の方ばかり見ているの? 言うまでもない事だから敢えて言わなかったけれど、王都を案内するなら別に私にだって出来るのよ」
そこへ行くと、ある程度普遍的で絶対的な美しさを有しながらも、可能性の輝きをも持ち合わせているグレーテルはかなりのポテンシャルを秘めていると言える。可愛い。
そんなあれやこれやがありつつも、ユールヒェンが用意した大型の馬車に全員が乗り込む。
メンバーは私、グレーテル、エドゥアール、ユールヒェン、エーファ、ヘレーネ、ルイーゼと、それぞれの従者だ。
1人だけ残しておくのはかわいそうだということで、エドゥアールだけはメイドも同乗している。合計15名の大所帯だ。
これだけの人数が一度に乗れるこの馬車は、差し詰めマイクロバスといったところだろうか。
動力も馬4頭曳きという豪華さだ。でもたぶんサクラなら1頭で曳けると思う。
私とグレーテル、エドゥアールはもちろんのこと、ユールヒェンも何らかの事情で狙われてもおかしくない立場である。
これだけ餌が揃っていれば、誰かの何かの思惑で、何らかの事件くらいは起こるだろう。
それが例の忍者らであれば願ったりと言ったところだ。
とりあえずグレーテルは私の隣に座らせ、その膝にネラを乗せておく。
私にはボンジリがいるので、ビアンカは適当に馬車の床を自由にさせておいた。彼は鼻が利く。きっと効率的に危険を嗅ぎ取って皆を守ってくれるだろう。
「おおまかな見学ルートはすでに考えてあります。御者にも伝えてありますから、順番に回ってくれるはずです。では、出発しましょう」
ユールヒェンがそう言うとゆっくりと馬車が動き始めた。
マルゴーの物と同様、御者席で車内の声が拾えるようになっているようだ。
しかしあらかじめルートまで考えてくれているとは、どれだけこのイベントを楽しみにしていたのか。
微笑ましく思うと同時に、御者にも伝えてあるということは他の何者かも知る可能性がある事に思い至る。
マルゴーの手配した護衛や王家の手の者は数に任せた全当たりと追跡で馬車を監視する予定だが、そのルートの情報を知る者がいれば効率的に馬車を捕捉し続ける事ができるだろう。
ユールヒェンを疑う訳ではないが、彼女の家の部下は信用すべきか判断できない。
人が人に仕える場合、その理由は様々だろうが、基本的には金か感情のどちらかによるものと分類していいと思っている。
感情によるものにはその中にも様々あろうが、もっともメジャーなものはいわゆる忠誠心だろうか。
ただ忠誠心だけでは人は生きていけないので、その場合でも同時に金銭も支払われる事が多い。
マルゴー家の使用人たちはこれに分類していいだろう。
マルゴー家のためならば命をも捨てられる、というほどではないにしても、同条件か少し良い程度の給料の職場と比べるならマルゴーの方を選ぶというくらいには忠誠心が高い。
さんざん特別手当で釣っておいて何だが、『餓狼の牙』もこちらの分類だ。
私に従ってくれるのは、基本的に父ライオネルの子だからだろう。彼らほどの実力があれば、私の小遣い程度の金額を稼ぐことなど造作もないのは私にだってわかる。
もっとも、私がそれをわかっていることを彼らもわかっており、私も彼らがそこまでわかっていて付き合ってくれるのをわかっているので、このスタンスを変えるつもりはないが。
しかしたった一文なのにわかりみが深すぎてわかりにくい。
一方で、ユールヒェンの実家のタベルナリウス侯爵家のような商業系の貴族であれば、忠誠心より金で部下を揃える事を選ぶ傾向にある。
金は忠誠心と違って誰にとっても同じだけの物質的価値があるし、数値で確認するのも簡単だ。
管理や評価がしやすいという点においては非常に優れたシステムである。
しかし同時に、誰にとっても同じ価値であるからこそ、より大きな金額によって容易に立場が変容してしまう危険性も秘めている。
今の雇い主より大きな金額を提示されたからと言ってすぐに寝返るというのは職業倫理に反しているとも言えるが、その職業倫理も多くの場合具体的に法によって定められているわけではない。本人がどういう人間なのかによって変わってくるだろう。だから私は職業倫理については感情に分類する事にしている。
ちなみに騎士や衛兵などの職業兵士については、その辺りが法によって厳格に定められている。
命をかける職務である以上、それだけの覚悟がなければ務まらないし、金で転ぶ人間が混じっていればいざという時に国全体が足をすくわれてしまいかねないからだ。
詳しくは知らないが、敵前逃亡は重罪とか機密漏洩は死罪とかそんな感じだったはずである。
何が言いたいかというと、タベルナリウス侯爵邸で働く者の中には、お金で邸内の事を外に漏らす者がいるのではないか、という事だ。
もちろんこれはただの私の偏見なので、実際は忠誠心に溢れた使用人たちばかりかもしれないが。
実際そうであったとしたら話が早いのにな、という願望でもある。
馬車は見慣れた道を通り、巨大な建造物の方へと向かっていく。
言うまでもなくグレーテルの自宅、王城だ。
「あちらが我がインテリオラ王国が誇る、ズィルバーライアー城ですわ」
聳え立つ白亜の城は白鷺に例えられる事もあり、大陸随一の優美さを誇っている。
城の名前や来歴などは王国史の授業で習うので当然私もエドゥアールも知っているが、一応礼儀として感心してみせておいた。
紹介したユールヒェンだけでなく住んでいるグレーテルも得意げな顔をしている。
私もそうだが、エドゥアールも王族としてインテリオラに亡命してきた以上、一度は王城に参じて国王に挨拶くらいはしているはずだ。まあ、敢えて言う必要もないだろうしユールヒェンたちが気分よく過ごせるならそれでいい。
しかし王城周辺ではいつも以上に衛兵が巡回しており、若干の物々しさが漂っていた。
まあこれは当然ではある。
グレーテルを囮のひとりにし、その件について王城が了承しているとすれば、街なかで騒ぎが起きるのも覚悟しているはずだ。
とは言っても国の政治中枢でもある王城の近くで騒ぎが起きれば、それがどんな事故や事件に発展してしまうかもわからないし、警戒して予防するのは当たり前の話である。
マルゴー領軍と協力して街の中にも騎士を散らせているだろうし、その上でこの警備ということは、おそらく本来は非番だった者や予備役の者なんかも呼びつけられているのではないだろうか。
何やら大事になってしまって申し訳ない気分だ。
雰囲気も重いし、王城の見物はそこそこに次に行く事になった。
こんな中で襲撃をかけてくるアホなどいないだろうし、私としてもありがたい。