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遅れてやってきた衛兵に、ユージーンが事情を説明する。
状況から見て貴族の馬車が襲撃されたというのは明らかなので、頭ごなしにこちらが何かの容疑をかけられるような事は無かった。
いざとなればグレーテルが話せばいいだけだが、そうするまでもなく丸く収まりそうだった。
ただ、ユージーンの説明を聞いていた衛兵の顔色は徐々に悪くなっていった。
それも当然だろう。
ここは学園のすぐ近く、貴族街の中だ。
普通なら怪しい人間の立ち入りは制限されているはずで、制限しているのは他ならない衛兵たちである。
にもかかわらず、貴族街の中で貴族どころか王族が襲撃されてしまったというのは、言い逃れようもなく衛兵隊の失態だ。
たぶん、何人か首が飛ぶ事になる。
私個人の見解としては、ユージーンたちでさえ直前まで警戒出来なかったわけだから、その変装を見破れというのは衛兵たちには酷な事であるように思う。
しかし問題が発生してしまった以上は誰かが責任を取らなくてはならないのだ。誰が悪いとか言う話ではなくて、それが責任者の役割である。
事情の説明が終わった後は、王城にグレーテルを送り届けて屋敷に帰る。
また後日何か聞かれる事があるかもしれないとは言われたが、正直見たままありのまま以上に言うべき事はない。忍者に襲われ撃退したが、犯人は爆発四散した。まさにそんな感じの現場である。もっとも、忍者というものはユージーンも知らないようだったので、衛兵には「黒ずくめの襲撃者」とだけ話していたが。
衛兵たちへの説明が終わってもユージーンたちの仕事はまだ残っている。
屋敷で待つ、我が母コルネリアへの報告だ。
今の『餓狼の牙』の雇い主は母だし、与えられている仕事は私の護衛なので、これはきっちりやっておかなければならない。
報告を受けた母は扇子で口元を隠しながら鋭い視線をユージーンに投げかける。
「──衛兵の頼りなさについては後日クレームを入れておくとして。
その曲者の実力はどうだったの、ユージーン」
「戦闘力は大したことはありませんでした。そこらの騎士と同程度といったところでしょう。問題なのは変装能力と、戦士としての気配を隠す隠密能力、それから自爆ってとこですな」
「自爆、ね。それは全く何の兆候もつかめないものなのかしら」
母の視線がさらに鋭くなる。
ユージーンは大きめの身体を小さくしながら答えた。
「ああっと……。すみません。油断していて気付くのが遅れました。こいつは俺のミスです」
ディーが言っていた失態というやつだ。
護衛対象である私が窓から顔を覗かせたタイミングで自爆されてしまった件である。
結果的には無傷だったが、あれで私が顔に怪我を負っていた可能性だってあった。
まあ、至近距離にいたユージーンがほぼ無傷だったので、周辺に被害をもたらす事が目的の爆発ではなかった可能性もあるが。
ユージーンがレスリーに視線をやると、レスリーが頷いて口を開く。
「……俺の見立てでは、あれは体内の魔力を暴走状態にして自ら爆発したものだと思われます。すぐ側にいたユージーンに大したダメージが無かったところをみるに、完全に自分たちという証拠を隠滅するための技でしょう。
魔法の一種と言えますが、俺は聞いたことがないものです。言うまでもありませんが、魔法は意思とイメージが何より重要ですから、普通は自分自身を直接爆発させるような事は出来ません。それを考えると、彼らはそのために特殊な訓練を受けているか、あるいは専用の補助アイテムか何かを──」
「過ぎてしまった事は! 仕方がないし、結果的に被害は無かったわけだけれど……。次は無いわよ」
長くなりそうだったレスリーの解説を強引に打ち切って母が宣言した。
ユージーンたちは小さく丸めていた身体をピンと伸ばして返事をしていた。
まるで女王か何かだ。
父と結婚するまで母は何をしている人だったのだろう。
「さて。では問題は、どこの誰が私の可愛いミセルを狙ってきたのかと言う事ね」
母が私の頬を撫でながら言った。心配せずとも傷ひとつ負ってはおりませんよ。
「お母様。あの馬車は確かにマルゴーのものでしたが、中にはグレーテルも乗っておりました。普通に考えれば、私ではなく王女を狙ったものという可能性もあるのでは」
グレーテル本人は知らないが、何しろつい最近も誘拐されかけたばかりである。
首謀者であった『愚者』は儚くも彼自身の剣の錆と消えてしまったが、彼の命令を受けて行動していた配下などが状況を知らぬまま任務を遂行中という可能性もないではない。
「連中の狙いなど重要ではありません。大切なのは、結果としてミセルの乗った馬車が襲撃されたという事実です」
先ほど誰が狙ってきたのかとか言っていた気がするのだが、狙いなど重要ではないとはどういうことなのか。言いたい事はわからないでもないが。
つまり、敵の目的はともかく実害を受けたのは私なのだから、その報復はマルゴーがするという意味だろう。
それ自体には大いに同意する。地方の領地持ち貴族が背負う看板とはプライドだけで出来ているわけではない。領主が舐められてしまえば、ひいては領地やその民までもが舐められてしまう事にもなりかねない。
何者かは知らないが、マルゴーの家紋を掲げた馬車を襲った報いは受けさせなければならない。
「仮にグレーテルを狙っていたのだとしたら、結社の残党などでしょうか。『愚者』はもういませんが、彼の部下が生き残っていないとは限りません」
「そうね……。砦にいたのも、『愚者』も入れて幹部が3人だけだったのよね」
「はい」
正確に言えば地下で始末した女が誰だったのかは確認していないが、『愚者』の言葉からするとあれが『女教皇』で間違いないだろう。
「アインズの話によると、幹部は全部で22人。そのうち『女教皇』、『愚者』、『戦車』、『剛毅』、『塔』、『刑死者』、『女帝』は死亡して、『悪魔』と『死神』は確保。『隠者』はマルゴーの犬。
あと12人もいるものね……」
何人か知らない人がいますね。いつの間に死んだのだろう。
「奥様。発言をよろしいでしょうか」
「ええ、ディー。許します」
「狙われていたのはお嬢様でも王女殿下でもなく、お嬢様のクラスに留学しているオキデンス王国の王子である可能性はないでしょうか」
王女には敬称を付けるのに王子には付けないのか、と思ったが、王族と言っても他国のだからだろうか。
母は少し考え、続きを促すようにディーに頷いた。
「お嬢様がたが学園内で王子と懇意にしているのは少し調べればわかることです。学生の皆様はそれなりのお立場の方々ばかりなので意識も高いかもしれませんが、その使用人たちはそうではありません。口の軽い者たちが小金欲しさにおしゃべりしてもおかしくないかと。
そして王子の動向を探るか、出方を見るために、この国で王子と関わりの深いお嬢様に狙いを定めた、というのは」
私も王子を襲うとしたら彼の母国の関係者だろうとは思っていた。しかし、馬車に乗っていたのは私とグレーテルとディーだけだし、彼の母国の関係者がマルゴーの馬車を襲撃する理由はない。
一応、留学と襲撃のタイミングを考えれば王子関連の可能性が最も高い──と言いたいところだが、ここ数週間とかのスパンで考えると、最近は血生臭いイベントが目白押しだったのでどうにも判断できない。
エドゥアールを狙った線も、グレーテルを狙った線も、あるいは私を狙った線もどれも怪しいと言える。
ただエドゥアールを狙っていたとしても、学園で仲良くしているだけの私やグレーテルが狙われる理由としては弱い気がする。
陰ながら護衛をしている話はマルゴー家以外では学園長とグレーテルしか知らないはずなので、護衛を始末するためというのも考えにくい。
ただこういうブレーンストーミングでは、たとえ多少荒唐無稽でも考えられる可能性はすべて絞りだし、ブラッシュアップしていくのが常道だ。
その意味ではどんなものでも可能性を提示する事に価値がある。
「なるほど。あるかもしれませんね。それ以外だと、あとはそうですね……。
例えば、護衛の『餓狼の牙』の皆様に恨みを持つ集団、というのは無いのでしょうか。傭兵という稼業を続けてこられたのなら、どこかで誰かと利害が対立した事もあったのではと思うのですが」
私もそういうつもりでアイデアを出してみたのだが、母のユージーンたちを見る視線が鋭くなっただけだった。
「今のはあくまで可能性のお話ですよ、お母様。とりあえず、他にも色々アイデアを出してみて、可能性の高そうなものから順に当たっていくのがいいのではと思います。
と言ってもどう当たればいいのかわかりませんが」
「……そうね。ミセルを狙うとしたら結社の残党。オキデンスの王子を狙うとしたらオキデンスの残党。王女殿下を狙うとしたら国内の不穏分子、といったところかしら」
オキデンスは厳密にはまだ滅んでいないので、残党はないのでは。
「どうします? マルゴーからアインズの奴を呼び寄せますか? 奴なら戦闘力はともかく、結社のやり方かどうか探らせるなら適任だと思いますが」
アインズは油断すると私のストーカーをやりかねないので少々アレだが、有能ではあるらしい。ユージーンがマルゴー人以外を褒めているのを初めて聞いた気がする。
「……難しいでしょう。彼は表向き国に仕える騎士ですから。私たちの都合で動かすのは問題があります。それに、もう休暇も残っていないはず」
アインズもう休暇使いきっちゃったのか。
元社会人として言わせてもらえば、有給休暇は計画的に利用しないと本当に休まないといけない時に詰む可能性があるので注意した方がいいと思う。
「そういえば、仮にエドゥアール王子が狙われていたとして、オキデンス王国のどういった勢力が狙ってくるのでしょう。その辺りの詳しい情勢などは聞いていなかったのですが」
「ああ、そうでしたね。そういった背景を知る前に貴女が受けてしまったものだから、話すのを忘れていました」
「しっかりしてください、お母様」
「普通はそういったことを聞いてから話を受けるものなのよ。貴女こそしっかりなさい」
確かに拙速に話をまとめたのは私だが、あれも母がキレ倒していたのが恥ずかしかったからである。
とはいえ本来聞いておくべきだったのも間違いない。
母は知っているようなので、遅まきながらここで聞いておくことにする。
オキデンス王国は現在、事実上国王不在の状態にあるらしい。
正式に崩御が発表されたわけではないが、ここしばらくは国王も王妃も公に姿を見せる事がなくなっているとか。
ではその代わりに誰かが台頭しているのかといえばそういうわけでもないらしく、上層部はとにかく混乱状態で、国家としてまともに機能すらしていないようだ。
基本的に国王夫妻の指示を受けて実務を行なっていたらしい宰相をはじめとする大臣たちも困り果て、どうしようかと右往左往していたところに、中央の異変を感じ取った各地の領主たちが野心を持ち、兵を掻き集めたせいで内乱の兆しが見え始めている、という話だ。
行きあたりばったりマンしかいないのは結社の薫陶を受けたおかげかな、と思わずにはいられない。
いや、これまでは国王夫妻とかいう結社の操り人形がうまくやっていたようだから、『女教皇』の統治はそこまで悪くなかったということだろう。
無能な善人が治めるよりは優秀な悪人が治めたほうがマシと考えると切ない話だ。
あの女もオキデンスの支配で満足しておけば早死にすることもなかっただろうに、実に残念なことだ。
「となると、エドゥアール王子はその内戦を恐れてインテリオラに亡命していらしたという事でしょうか」
王族ならば残って国内をまとめ上げてほしかったところだが、これまで結社が国王夫妻を操って国内を統治していたところに急にそんなことを言われても困るだろう。エドゥアールは言わば、ちょっと生まれがいいだけの普通の少年だ。今後も結社が統治する予定だったのなら余計なことは教育していなかっただろうし、仕方ないといえば仕方ない。
「そうなりますね。まあ、エドゥアール王子はというか、逃げたのは王子だけではないらしいけれど。
我が家や王家が掴んだ情報では、オキデンスからは複数の王族がそれぞれ別々に亡命したという話で、誰がどこへ逃げたのかまではわからなかったのよ。今思えばそれもオキデンス王室なりの撹乱だったのかもしれませんね。でもエドゥアール王子がこちらに来たという事は、こちらが本命だったのでしょうね。
革命を目論む地方の領主たちとしては、今後国をまとめ上げる大義名分を持った王族が生きているのは望ましくはない。だから命を狙われる可能性もある、といったところかしら」
なるほど。
しかしだとしたら、ますます今回の襲撃とは関係が無いような気がする。
エドゥアールはともかく、私やグレーテルがオキデンスの地方領主に狙われる理由がない。
そんなことをすれば国際問題だし、内戦を控えた領主たちにインテリオラまで相手にする余裕などないはずだ。というか、インテリオラ国内で軍事行動や犯罪行為をするだけでも非常にリスクが高い。
王子をやるならオキデンスから出る前に始末を付けるべきだったのだ。王子が亡命に成功した時点で、もはや彼らに出来ることはない。
「とりあえず、今は相手の出方を窺うしかない、のではないでしょうか。今回の襲撃者から情報が得られなかったのが悔やまれますね」
また私を攫ってくれれば手っ取り早いのだが。
と思ったのがわかったのか、母に鋭く睨まれた。はい、ごめんなさい。もうしません。




