7-18
「……なんだ? 騒がしくないか?」
『戦車』がそう言って兜を脱いだ。
確かに、耳をそばだてれば階下から配下が騒ぐ声が聞こえてくる気がする。
扉の方を見てみるが、特に誰かがやってくるような気配はない。
そのまましばらく扉を眺めた後、『愚者』も『戦車』も視線を外して会話に戻った。
「大方、あのババアが無茶をしているんだろうさ。手駒も全部失って、もう後がないからな。これでダアトの力を手に入れられなけりゃ、もう奴に従う人間なんて出てこなくなる」
まったく、『女教皇』のせいでとんだ迷惑を被っている。
これまで数百年の間、順調に勢力を拡大してきたというのに、ここ数ヵ月でその努力の跡も一気に後退してしまった。
すべて『女教皇』のせいだ。
「その代わり、ダアトの力さえ手に入れば晴れて神の一柱の仲間入りというわけか。そうなってしまえば俺たちも逆らう事は出来なくなるが、それはいいのか」
一応は『愚者』の派閥に入っている『戦車』がそう言うが、当の『愚者』はそんなことは心配していなかった。
「……そもそも、そのダアトの力なんてものも僕は眉唾だと思ってるからな。だってさ、あれに関しちゃ一から十まであのババアにしかわからない要素ばかりなんだぞ。確かにそれなりに成果は上げてたが、いっそ全部ババアの妄想だって言われた方が納得できるって話だ。
この世に神は十柱しかいない。隠された神ダアトなんて存在しないんだよ」
そう、それが真実だ。
女神教の連中が奉じる女神とやらも、第10の神マルクトを守護する天使にすぎない。
そして『女教皇』の言う11番目の知識の神とやらも、この世界には存在しない。
だいたい知恵の神コクマーがいるというのに、知識の神など必要あるのか。
「だがな。俺の立場でこう言うのもなんだが、実際のところ十柱の神々だって直接お目にかかったわけじゃあないだろう。そういう意味じゃ、『女教皇』の話だけ眉唾扱いするっていうのは……」
「直接見たりなんかしなくたって、僕らがその権能から力を賜っているのは紛れもない事実だろ。でも、『女教皇』の言うダアトだけはそれが証明されていない。あいつの力だって、元はダアトなんてよくわからん存在じゃなくて別の神から賜ったものだしな」
異界の知識を掬い上げる、とかいうよくわからないスキルについては不明だが、それも『女教皇』にしか効果が実感出来ないものだし、すべて妄想だと考えればつじつまが合う。
『魔術師』はそれでもあの女の妄想を理解しようと話を合わせていたようだったが、『愚者』は違う。
「そんなありもしない妄想に取りつかれて、マルゴーなんて未開の蛮族どもにちょっかいかけて、その結果があれだ。哀れだとは思わないか?
僕らはただ粛々と、神より賜った知恵と力でこの世界を支配していけばいいだけなんだよ」
「──ああ、やはり最上階にいましたか。貴方がたが賢くなくて助かりました。
それはそれとして、今マルゴーの悪口が聞こえたような気がしましたが、気のせいでしょうか」
「なにっ!?」
突然声が聞こえた。
扉の方を向いてみると、そこにはあのマルゴーの娘が立っていた。
さっきまでその扉は閉まっており、そこには誰もいなかったはずである。
どういうわけか、扉を開けた音さえ聞こえなかった。
「……君、『女教皇』とお話していたんじゃなかったのか。何でここにいる? 『女教皇』はどうした?」
「申し訳ありませんが、私はその、アンティスティタというのがどなたの事なのかわかりません。先ほどまでお話していた方でしたら、最期まで名乗ってくださいませんでしたし」
妙な言い方がひっかかる。
「……最後まで、だって?」
「はい。最期まで」
言って娘はにこりと笑った。
娘の人間離れした美貌も相まって、底知れない不気味さが漂ってくる。
直感的に理解した。
おそらく、『女教皇』はもう死んでいる。
やらかした、と思った。
たとえどれほど無力な少女に見えたとしても、この娘はマルゴーの人間なのだ。
仮にも古くからあった拠点をひとつ、たった数人で潰した連中の関係者なのだ。
こんな所に連れてくるべきではなかった。
いや、そもそもそんな予定ではなかったはずなのだが。
しかし、人形が置いてあっただけのあの拠点とは違い、ここにいた『女教皇』は本体であり、十全な力を発揮できる状態だったはず。
であればいくら人間離れした者が相手だったとしても、そうやすやすとやられるはずがない。
もちろんそれは『愚者』にしても同じなのだが、もし本当に『女教皇』が死んでいるのだとしたら、そしてこの娘がそれをやったのだとしたら、『愚者』もただでは済まないかもしれない。
さらに言えば、『愚者』のスキル構成は対生物において無類の強さを誇るものだが、その全ては相手の精神に働きかける効果に頼っている。
これまで試した限りでは、この娘にはそのいずれもが効果を発揮しなかった。
『愚者』にとっては相性最悪というやつだ。
聞きたい事が多すぎて、何から聞いていいのか分からない。
そもそも呑気に話を聞いていられる状況なのかも分からない。
だいたい、この砦には『愚者』たち幹部以外にも、戦闘に長けた部下が山ほどいるはずだ。
なぜ誰もここに来ないのか。
「……今、扉を開ける音がしなかったな。どうやって開けた? 鍵もかかっていたはずだ」
『戦車』が尋ねる。
そうだ、それも気になっていた。
しかし、今聞くような事だろうか。もっと他にあるだろうが。こいつはアホか。
「ああ、申し訳ありません。鍵は持ち合わせていませんでしたので破壊しました。音が鳴ってしまうといけないので、そこは遮断しました。それで解除したところでちょうどズギュラ様のマルゴーに対する誹謗中傷が聞こえてきましたので──」
「ちっ! 遮音の結界魔導具でも持ち込んでいやがったか」
手荷物の類は持っていなかったので油断していた。
どうせ娘1人と侮った結果がこれだ。
いや1人じゃなかった。問題なのは犬と猫もだ。
そういえば、犬と猫の姿が見えない。
そうか、部下が誰も来ないのは犬と猫の相手をしているからに違いない。
ならば、今ここに娘1人しかいないのならば、力押しで何とか出来るかもしれない。
幸いここには物理戦闘力では屈指の実力を持つ『戦車』もいる。
「いいえ、そのような物は持ち込んでおりません。音はこの子にお願いして消してもらいました」
娘の胸元から、ひょっこりとヒヨコが顔を出した。
犬猫だけでなく鳥まで連れ込んでいたのか。
少し大きめのヒヨコにしか見えないが、犬や猫だって見た目にそぐわぬ恐ろしい魔獣だった。
このヒヨコは一体どれほどの実力があるのだろう。
犬猫の恐ろしさを身に染みて知っている『愚者』と『戦車』は警戒を強めた。
「遮音の結界については、実は私も見た事があります。便利そうだったので、この子にも出来るようになってもらったんです。この子は風系の魔法が得意なので、圧縮した風の膜を作り、それで空気の振動を完全に止められるよう練習させておいたんです。試すのは初めてでしたが、うまくいったようで何よりでした」
「か、風……? 音じゃないのか?」
遮音結界は結界内を特殊な魔力で満たし、発生した音をその魔力で捕らえて外に出さないようにする仕組みだ。風がどうとか聞いた事がない。この娘は何を言っているのか。
「遮音結界が音を吸収する魔力で構成されているのは視てわかりましたが、音を吸収する魔力とかちょっと意味がわからなかったので、もっと現実的なやり方に変えました。たぶん、無駄に物理法則を捻じ曲げていない分だけ、こちらの方がコストパフォーマンスがいいと思います」
何を言っているのか半分も理解できない。
先ほどまでとはまた違う得体の知れない恐怖が『愚者』の肝を冷やした。
この娘の言っている事はおかしい。『愚者』の常識とはかけ離れている。
しかし、この娘が音を遮断して扉の鍵を破壊したのはまぎれもない事実だ。しかも、従来のやり方は完全に無視しているという。
常識外れの、まったく未知の技術だ。
ではその技術の源泉は、一体どこからやってきたというのか。
突然何の脈絡もなく現れた、どこまでも異質な──
「──そうか。まさか、本当の事だったのか。君が、お前が、『女教皇』が言っていた異界の魂を持つ者だな……!?」
『愚者』の言葉に、娘はスッと目を細めた。
娘の美しい顔から、全ての表情が抜け落ちる。
「な!? あれは『女教皇』の妄想だってたった今──」
「うるさいな! 何でもかんでも僕の言う事を真に受けてるんじゃない! 事実として、目の前にいるんだから認めるしかないだろ! だからお前はアホなんだ!」
「……そちらがどうかは知りませんが、私は別にそれを認めてはいませんよ」
「いや、間違いない! そうでもなければ、こんな……! 数百年も続いた結社がこんな、簡単に……、あり得ない!」
そんな事を叫んだところで意味は無い。『愚者』にもそれはわかっていたが、言わずにはいられなかった。
すると娘はため息をつき、言った。
「……否定しても無駄なようですね。どうやら、貴方たちは私の事を異界の何とかだと信じて疑わないご様子です。
であれば、いずれはマルゴーまで私を求めてやってくるのでしょう。そしていずれはその醜い欲望の赴くがままに、私の家族に害をなそうとするのでしょう。あの女のように。
いえ、その前に貴方はグレーテルを狙っているのでしたね。
やはり、ここでみんな綺麗にしておかないと、私たちのようなか弱い花は安心して咲き誇る事が出来ないようです」
まずい。またやらかした。
何か、言ってはならない事を言ってしまったらしい。
雰囲気が変わった娘の様子を察してか、胸元のヒヨコの目が怪しく虹色に輝いていく。
慌てて弁解しようと口を開く──が、口がそもそも開かない。
焦って口元に手をやろうとするが、それも無理だった。
視線ももう、ヒヨコの瞳から動かす事が出来なくなっている。瞬きすらも叶わない。呼吸も出来ていない気がする。息苦しい。何が起きているのか。
「たぶん、もう動く事は出来なくなっていると思いますが、どうでしょうか。ちょっと動いてみてください。
試しましたか? やっぱり無理ですよね? まあ、貴方が私のお願いを無視しているのでなければですが。
どちらにしても、動かないでいてくれるのでしたら構いません。
では、まずはお2人の仮面を頂きますね。家族へのお土産にします。その後、お命も頂きますね。
よし。仮面が取れました。じゃあちょっと腰の剣をお借りしますね──」
ヤる時はヤる男──の娘
なお、魔力さんはあんまり物理法則に縛られないので、音という概念を吸い取った方が安い模様。
 




