7-16
目が覚めると、すぐに子爵夫人の泣き顔が目に入った。
ルイーゼが目を覚ました事に気付いた夫人は、さらに大きな泣き声を上げながらルイーゼの身体をきつく抱きしめてくる。
抱きしめられているうちに、徐々に状況を思い出す。
そうだった。
ユールヒェン・タベルナリウスに決闘を申し込んで、そこであの魔剣に乗っ取られ、何とか助かったが、最終的に倒れてしまったのだった。
まだはっきりとしない頭でこれまでの事を考える。
今にして思えば、なぜあれほどまでにユールヒェンに反発していたのかわからない。
なんとなくぼんやりした記憶ではあるが、見聞きした事は不思議とはっきりしていた。
イチャモンをつけるルイーゼに対して、ユールヒェンが言った言葉はどれも正論だったように思う。
確かにルイーゼは貴族でありながら平民寄りの考えをしていたが、それでも貴族の事情がわからないわけではない。
ユールヒェンにとってみればルイーゼはそれは物分かりの悪い小娘に見えただろうし、よく付き合ってくれたものだと思う。
その事に思い至ったのが少々遅すぎた。
この騒ぎはそのせいで起きたのだとも言える。
はっきりと理解出来たのはあの時、隣のクラスのミセリア・マルゴーに説教をされた時だ。
ぼんやりとした記憶の中でも、彼女の太陽のような輝きだけは強烈に覚えている。
ルイーゼが持っていた魔剣が集めたような上辺だけの光ではなく、本物の太陽の輝きだ。
あの輝きに触れたところから、ぼんやりとしていた記憶は鮮明になり、自分の行動のおかしさを自覚できるようになっていた。
もし、ルイーゼも彼女と同じクラスだったとしたら、最初からこんな騒動を起こさずに済んでいただろうか。
一瞬そうも思ったが、それは物事の責任を別の何かに押しつけているだけだ。
彼女が辺境伯家の令嬢であり、ルイーゼが子爵令嬢である事実は変わらない。
であれば、ルイーゼとミセリアが同じクラスになる事はあり得ない。
どこまで行っても人は配られた手札で勝負するしかなく、その手札をどう切るかはその人次第だということは、平民の頃に嫌というほどわかっていたはずだ。
どういう偶然なのか、今回ルイーゼの手札には切ってはいけないジョーカーが紛れ込んでいた。
そしてルイーゼはそのジョーカーを切ってしまった。
その責任は取らなければならない。
貴族だとか平民だとかは関係なく、自分のやったことの責任を取るのは当たり前の事だ。
「──どうしたの、ルイーゼ。まだどこか痛いの? 身体は動かせる?」
目を覚ましてもぼうっとしたままのルイーゼに、子爵夫人が心配そうに話しかけてくる。
「……大丈夫、です。お、お母……様……」
ルイーゼが絞り出すようにそう言うと、子爵夫人は──母はルイーゼを再びきつく抱きしめた。
「大変! ミセルが居ないわ!」
「お嬢様がいません!」
「お嬢がいない! どこ行ったんだ! てか、なんで僕ステージに登ってんの!?」
◇
不思議な事に、ルイーゼ以外は誰もあの決闘の顛末を覚えてはいなかった。
決闘が開始されたあたりまではしっかり覚えているらしいが、そこから先は曖昧だという。
それは戦っていたはずのユールヒェンも同様だった。
ルイーゼの母や非常勤治癒士のルーサー、隣のクラスの王女やミセリアのお付きの少女がステージに上がっていることから、すでに決闘の決着が付いているのは確かであろうが、それがどういう内容だったのか、どちらが勝ったのかなどは誰も把握していないとの事だ。
傷ひとつないものの、運動着のそこかしこを切り裂かれたままのユールヒェンがルイーゼの元へやってくる。
「……お恥ずかしながら全く覚えていないのですが、このみすぼらしい服装ということは、私は貴女に負けたのでしょうか。ルイーゼ・ヘロイス」
ルイーゼは気を失うまでの事はよく覚えている。
決着がついたとは言えない決闘だったが、剣の力に頼った終盤はともかく、途中までの内容からすればどちらに栄誉があるのかは明らかだった。
しかしそれはどうやらルイーゼしか覚えていないらしい。
だから言った。
「──いいえ。貴女が立っていて、私がこうして倒れているところからも明らかでしょう。勝ったのは貴女で、負けたのは私よ」
ルイーゼは母の手を借り、何とか立ち上がると、改めて頭を下げた。
「数々の無礼な発言、申し訳ありませんでした。傲慢なのは私の方でした。許してくださいとは言いませんが、どうか謝罪は受け取ってもらえませんか」
許されないとしても、出来ればこの母には迷惑がかからないようにしてもらいたいが、難しいかもしれない。
何しろルイーゼは未成年で、しかも子爵家の都合で半ば強引に学園に編入させてもらった立場だ。
これだけ大事になってしまっているし、おそらく父には何らかの責が及ぶ事になるだろう。
そうなれば、配偶者である母も一蓮托生だ。
「……顔を上げなさい、ルイーズ・ヘロイス」
ユールヒェンは硬い声で言う。
「私はただ、同じ貴族として、また同じ学園に通う者として、貴女に態度を改めて貰いたいと思っただけですわ。今の謝罪の仕方もそうですが、まずは礼儀作法をしっかりしなければならないようですわね」
咎めるような口調ではあったが、その内容はあまりにも優しかった。
「私の態度がいっそう貴女を頑なにさせてしまった事は確かでしょう。おそらく、私の言い方にも問題があったのだと思います。
決闘はあくまで当人同士での納得の上で行なわれた事。結果に関わらず遺恨を残さないのが貴族の常識です。むしろ決闘によって問題を解決した家同士は、それまでよりも繋がりが強くなることさえあるくらいです。まあ、死者が出なかった場合はですが。
なまじ当事者が生きているばかりに、遺恨を残さないようにと思うがあまりかえって仲良くし過ぎてしまうのが原因なのでしょうね」
ユールヒェンはそう言ってルイーゼの、母に寄りかかっていない方の手を取った。
「ヘロイス子爵家も、色々あって大変だとは聞いております。決闘を生き抜いた者の誼です。もし困った事があれば、私のタベルナリウス侯爵家を頼ってくるといいでしょう」
なんという優しさだろうか。
今この瞬間、ルイーゼの目には、ユールヒェンの姿があの太陽の少女にも劣らないほどの輝きを放っているかのように見えていた。
「……ありがとう、ございますっ!」
感極まったルイーゼは両手でユールヒェンの手を握り、頬ずりをしてキスを落とした。
以前、平民だった頃にお忍びで下町に来ていた貴族のボンボンが、酒場の看板娘にそうしていたのを見た事がある。ルイーゼはまだ貴族の作法に詳しくないが、たぶん親愛の情とかそう言う感じのものだと思う。
「ちょっ! な、なにするんですの! いきなり距離が近いですわ! そういうところですのよ貴女!」
ユールヒェンはルイーゼに拘束されていない方の手でぐいぐいとルイーゼの顔を押しのけようとしている。
あんなに強かったユールヒェンだが、筋力自体はそれほどでもないらしい。
この程度の力ではルイーゼの唇から逃れる事は出来ない。
するとステージのすぐ側で見ていた男性が驚いて慌ててステージに上がろうとしているのが見えた。
おそらくあれがユールヒェンの父親だ。
彼は決闘中は血だらけになる娘をたいそう心配していたようだったが、今はそんな様子は微塵もない。たぶん覚えていないのだろう。
ルイーゼは申し訳ない気持ちになった。
そして、やはり決闘中の事はすべて話しておかなければ、と決意した。
そう、たとえ、今ユールヒェンから受け取った慈悲をすぐに失う事になったとしても。
◇
「──これがその魔剣か。なるほど、ヤバい匂いがぷんぷんするね。
学園長、これ、ウチに持ち帰っても?」
「うむ。そうしてくれるかねルーサー殿。学園には、残念ながらそれを解析できそうな設備はないのでな」
医務室の非常勤職員のルーサーが妙な模様の描かれた布で魔剣を包みながら、いつの間にか現れていた学園長とそう話す。
一部始終を話して聞かせたが、ユールヒェンはルイーゼに悪感情を向けたりはしなかった。
彼女の父も同様だ。
侯爵はすぐに部下らしき人間を呼び、ルイーゼが語った傭兵団の根城へ人を差し向けるよう手配しているようだった。
彼らの怒りはスキュラ率いる傭兵団に向かっているらしい。
皆、ルイーゼの事も被害者のひとりだと認識しているようだった。
現状ではルイーゼの証言には何の信憑性もないというのに。
「今の貴女のお話を出まかせだと断ずるには、あの剣の存在が異質すぎます。
私は素人なのでわかりませんが、魔導具についても造詣の深い学園長がああも警戒していらっしゃるという事は、ただ事ではありません。
そのような剣を貴女が自力で用意したと考えるより、よからぬ活動をしている何らかの組織から与えられたと考えた方が自然ですわ」
ユールヒェンがそう話す。
この場にいる他の人間にとっては今さら言われるまでもないことであろうから、これはおそらくルイーゼを安心させるために言ってくれているのだろう。
あまりの優しさにまた涙が出てくる。
「別に、合理的に考えて貴女よりも黒幕に対してリソースを割いた方が有意義だと皆様が判断しているだけですわ。貴族というのは打算的ですのよ」
ルイーゼの視線に気付くと、ユールヒェンはそう照れながら言った。
貴い。なるほどこれが真の貴族か。
ルイーゼは、本当にこれまでの自分はどれだけ視野が狭かったのかと思い知る。
これほどまでに貴い存在を知らずに過ごしていたのだから。
ルーサーが布でぐるぐる巻きにした剣を白衣の内側に仕舞いこむのを──何で白衣の内側に剣帯がついているのだろう──確認すると、学園長が口を開いた。
「ひとまず傭兵とやらはタベルナリウス侯爵の手勢に任せるか。剣の方はこれで良いとして。あとは消えたミセリア嬢の行方だが……」
「状況から考えると、そのスキュラとやらの傭兵団が怪しいですね……」
言いながらルーサーがルイーゼの方を見る。
「……ごめんなさい、私も気絶していたから、ミセリアさんがどこへ行ったのかは……。でも、その直前まで彼女がこのステージの上にいたのは間違いないです」
するとルーサーは、ステージ上の血痕の周辺に残された足跡を確認しながら首を振り。
「……さすがに足跡を残すようなへまはしないか。でも犬と猫の足跡も途中で消えているってことは、あいつらもお嬢と一緒に攫われたのかな。ヒヨコもいない。だったら、そう慌てる事もないかも……」
独り言をつぶやいた後、学園長に向き直った。
「おそらく、犯人は決闘イベントに乗じて学園に入り込み、お嬢──ミセリア様を拐かしたのでしょう。もし決闘がイベント化していなければ、なんのかんのと理由を付けて傭兵として決闘の代理人にでもなるつもりだったのかな。もしそうなっていたら、対戦相手であるユールヒェン様の命もどうだったかわからないし、その意味では良かった、のかもしれませんが──」
「でも! ミセルが攫われてしまったのよ! 何も良くはないわ! そもそもこんな、決闘騒ぎなんて起こさなければ──!」
王女がルイーゼを睨む。
全くその通りなので、ルイーゼはただ俯くことしか出来ない。
しかしそれを遮るようにユールヒェンが立ちはだかった。
「お待ちください、マルグレーテ殿下。決闘は正式な手順に則ったもので、私も承諾した上で行なわれたものです。決闘が起きた事自体に問題があるというのなら、その責は私にもありますわ。
……それに、あの娘──ミセリア・マルゴーといつも一緒におられる殿下であればおわかりのはず。
彼女であれば、こう言うはずです。たとえ自身が攫われてしまう原因になったのだとしても、それでルイーゼ・ヘロイスを恨むのは、果たして美しい行ないだと言えるのでしょうか、と」
ユールヒェンの言葉を聞いた王女ははっとしたように目を見開くと、「そうね……そうだわ。ごめんなさい」とルイーゼに謝った。
この国の頂点、王族の一員にさえ頭を下げさせるとは、さすがユールヒェン貴い。
それはともかく、たしかに居なくなってしまったミセリアの事は心配だ。
そしてそれがあのスキュラたちの仕業なのだとしたら、ルイーゼの責任はいっそう重大である。
何しろ、決闘が起きたこと自体は正規の手順に則ったものだったとしても、そこにあの傭兵たちを引き込んだのは他ならぬルイーゼなのだから。
「ま、お嬢が本当に攫われたんだと決まったわけじゃないし、意外とそこらを散歩しているだけかもしれない。
ちょっとトラブルはあったけど、せっかくお嬢が企画してくれたイベントなんだし、来てくれた皆さんには最後まで楽しんでいってもらおう。まだお祭りは終わってないからね。
僕と学園長はちょっと用事が出来たから離席するけど、後は他の先生方と係員の学生に任せるとするよ」
ルーサーはそう言いながら学園長と去っていき、王女とミセリアの侍女がそれを追いかけて行った。
見れば、タベルナリウス侯爵はもういなくなっていた。
ステージにはもう、ユールヒェンとルイーゼ、そして母しかいない。
「……心配ですが、私たちに出来る事はおそらくもう何もありません。ルーサー先生のおっしゃった通り、このイベントを最後まで楽しむのがミセリア・マルゴーにしてあげられる唯一の事かもしれません。
さあ、せっかくですから色々見て回ってみましょうか。決闘の準備もあったでしょうし、ろくに見ていないのではありませんか?」
ルイーゼを気遣ってそう語りかけてくれるユールヒェン。また涙が出そうになる。
しかし、甘えるばかりではいけない。
傭兵団の根城は確かにタベルナリウス侯爵や学園長らに伝えはしたが、実際にその場所に行ったことがあるのはルイーゼだけなのだ。
お嬢にクーラティオー!されたルイーゼ。
 




