7-15
人目を避けるように男が用意していたローブを被せられ、連れていかれたのは王都の平民街にある大きめの建物だった。
何とか商会とか看板が出ていたように見えたが、名前まではわからない。
その建物の一室に入ると、そこには全身鎧を着た怪しい人物が待っていた。
何が怪しいのかと言えば、兜のスリットから例の仮面が見えているところだ。フルフェイスの兜の下にわざわざ仮面を付けているという事になる。ローブとフードに仮面をしている男もそうだが、どれだけ顔を隠したい集団なのか。
出来得る限り自分の顔を見せびらかしたい私とは絶対に相容れない集団だ。
「……『愚者』よ。この国の王女を攫ってくるって計画じゃなかったのか。頭はあんただから任せるが、さすがに計画変更するんだったら連絡くらい入れてくれ。バックアップも楽じゃないんでな」
兜と仮面越しで少し声がくぐもってしまって良く聞こえないが、たぶん今「ズギュラ」って呼んだと思う。
やはりローブの仮面男の名前はズギュラで確定でいいだろう。
言われたズギュラは部屋に入るなり、ハッとして膝から崩れ落ちた。
「……ああ、くそ、その通りだ。王女を攫う計画、だった。
だってのに、何で僕はあんな妙な判断を……。くそ、あの時はあれが最善手だったはずだ……。いや、本当にそうか……? なんだ……? なんか妙だぞ……。まさか、この僕が精神攻撃を──」
「何をぶつぶつ言っているんだ。まあお前の行動が突拍子もないのはいつものことだが」
落ち込むズギュラに全身鎧が声をかける。
ズギュラは何かに気が付きそうになっていたが、全身鎧に声をかけられたせいでその思いつきもどこかに行ってしまったようだった。
機嫌が悪そうに全身鎧の男と話す。
会話の内容は現状のすり合わせと今後の動きについてのようだ。
部外者の私がいる前でそんな重要な話をしてもいいのかと思うが、それは私が心配する事じゃないなと思い直す。
前提知識がないのですべて理解するのは無理だったが、わかる範囲で彼らの話をまとめたところによれば、こうだ。
グレーテルを狙ったのは、王女であるグレーテルを完全に洗脳してこの国の乗っ取りをしかけるためだったらしい。
お隣のオキデンス王国でも何十年も前から似たような事をやっていたようなのだが、最近その工作の本拠地が襲撃を受けて壊滅してしまったのだとか。
そのせいでオキデンスの首脳は随分と混乱してしまい、今は制御が利かない状態になっているらしい。
悪い事を心おきなくするためには国家のサポートが不可欠なので、一旦オキデンスは置いておいて急遽近隣の別の国に手を伸ばす計画を立てたという事だった。
またこのズギュラとは別にマグスとかいうリーダーもいるようで、そちらは南のメリディエス王国に何らかの工作をしかけているらしい。
南と言えば、メリディエスとの国境地帯を任されているアングルス家のギルバートは元気だろうか。
「──賢い僕が、戦略目標を見失うだなんて愚かなミスをするはずがない。
だからたぶん、この娘を攫ってくる事が王女誘拐よりも利益のある事だったんだ。そのはずだ」
立ち直ったらしいズギュラがそう嘯く。
言うほど賢くは見えないし、何ならその論法がすでに馬鹿っぽいのだが、誘拐犯を刺激してもいい事はないので黙っておいた。
ちなみにビアンカとネラはここに来る途中でとうに我に返っており、今は警戒したまま私の足元で仮面の男たちを睨みつけている。可愛い。
「『愚者』がそう言うのなら、まあそうなんだろう。
で、そいつは何者なんだ。まさか顔で選んで攫ってきたってわけじゃあるまい。王女の代わりにそいつを使うにしても、ここから計画を練り直すにしても、そいつが何者なのかによって変わってくるだろう。まあ、全部聞かれちまってるから、最終的に始末する事だけは決まってるが」
全部聞かれたから始末するとか、全部そっちが勝手に聞かせてきたのではと思わないでもないが、曲がりなりにも秘密結社とか言うくらいだし、目隠し無しでここに連れてこられた時点で私を始末するのは決まっていたのだろう。
あるいは私の身元によっては、グレーテルにそうするつもりだったように洗脳してどうのこうのする事を考えるのかもしれないが。
それはそうと、あの時ズギュラが私の言葉に納得して誘拐対象をグレーテルから私に変更したのだとしたら、まさに顔で選んで攫ってきたということで間違いない。
わかっていて言っているのかどうかわからないが、この全身鎧は中々切れ味のいいツッコミをする。
「ぐっ……。まあ、いい。
さて、じゃあ将来が楽しみな美人の君。彼に自己紹介でもしてやってくれ」
私に言わせる事で、自分も私の正体を知らない事を誤魔化そうという魂胆だろうか。賢いというより小賢しい。
どうせ知らないのなら偽名でも名乗ってやろうかとも思ったが、調べればすぐにわかってしまう事だ。最近は何かと結社の関係者と縁があるので、もしかしたらそのうち私の顔を知っている登場人物も現れるかもしれない。
それに偽名というのは咄嗟に出すのが難しい。
今思いついたのは「ユールヒェン・タベルナリウス」くらいだが、それは普通に友人の名前だし、これだと偽名ではなく詐称になる。それにズギュラはそもそも彼女とルイーゼの決闘に便乗して現れたのだから、速攻でバレてしまうだろう。
やはりここは正直に名乗っておく事にした。
何より、嘘やごまかしというのはあまり美しい私には似合わないし、自分の素性には何ら隠すべきものはない。
「──私はミセリアと申します。ミセリア・マルゴー。マルゴー辺境伯、ライオネルが長女です」
いつもそうしているように名乗り、スカートの端を摘んで礼を──しようとして失敗した。
そういえば今スカートは少し短くなってしまっているのだった。
するとズギュラも全身鎧も一瞬動きを止めた。
カーテシーに失敗したのが見苦しかったのかな、と思ったが、少し違うようだ。
今聞いた言葉を反芻し吟味しているかのような様子だった。
ややあって、2人同時に叫ぶ。
「マ、マルゴーだって!?」
「馬鹿な!? 何故いきなりマルゴーの人間がここに!?」
何故ここにとか言われても、それは連れてこられたからに決まっているが。
やはりズギュラはあまり賢くないようだ。
◇
それからズギュラと全身鎧との間で盛大な言い争いが勃発していたが、最終的には私をそのままグレーテルのポジションに据える事で決着したようだった。
つまり、グレーテルを洗脳してインテリオラ王国を乗っ取ろうとしていた計画を、私を洗脳してマルゴー家を乗っ取る計画に変更したというわけだ。
自分で言うのもなんではあるが、私は皆に愛されている。
だから私を洗脳してマルゴー家を乗っ取るという計画は実に理に適っていると言えるだろう。完璧な作戦だと言ってもいい。
ただ一点、実現不可能である点を除けばだが。
その後、ズギュラは私を洗脳しようと何か色々やっていたが、当然ながら私にはどれもピンとこなかった。
私には結社自慢の仮面の効果も効かないのだから、たぶん何をやっても無駄だと思う。
精神攻撃は効かないと知った彼らは、次に暴力でどうにかしようとしてきた。全身鎧の彼が主導だ。
しかしマルゴー出身者に対して暴力で対抗しようというのはあまり賢い判断ではない。
もちろん私は非力な令嬢にすぎないが、頼れるペットたちは違う。
哀れな全身鎧はビアンカに腕を噛まれて悶絶し、すぐに諦めていた。
噛まれた鎧の腕部分には歯型の穴が開き、ビアンカの小さな口の形に成型し直されていた。たぶん、中の腕も同じ形に成型されていると思う。
私は前世の、古い映像で見た切符のパンチャーを思い出した。非常に痛そうで見ていられないので目を逸らす。あの鎧は果たして脱げるのだろうか。いっそ斬り落とされてしまったりとかならむしろ平気で見ていられるのだが、ああいう中途半端なのはかえって困る。
何で犬や猫まで連れてきたのかとまた言い争いをする2人だったが、ひとまずズギュラが例の催眠攻撃を放つ事でビアンカたちを止めようとしていた。全身鎧の男も意識を飛ばされていたが、それを飲み込んでもビアンカを大人しくさせようと考えたらしい。
しかし何度も同じ手にやられる我がペットではない。
即座に私が叱責してやると、ビアンカもネラもすぐさま背筋をピンとして、再び鎧の男の腕に噛みついていた。
その後はもう、ズギュラが何度スキルを発動しても惑わされる事はなくなった。
普段はあまり叱らない私が珍しく叱ったので、きっとビアンカたちも深く反省してくれたのだと思う。
そのうち、疲れてスキルの発動が出来なくなったズギュラも諦め、効果を何度も受けてフラフラしていた全身鎧の男から腕の痛みの記憶だけを消し去っていた。いや、痛みは消せても傷は消せないので、なんの解決にもなっていないと思うのだが。
その後は、とにもかくにもこのまま王都に潜伏しているのはまずいと2人の意見が一致し、すぐに王都を出て彼らの拠点に退く事になった。
私はと言えば、何かもうビアンカ一匹だけでも対処できそうな連中なので、この時点で逃げてもよかった。
しかしビアンカだけでも対処が出来るのなら、逆に拠点にお邪魔してからそうしても遅くはないかと思って大人しく付いていく事にした。
先ほどのズギュラの催眠攻撃についてはビアンカたちにはもう効かないが、それ以外にも洗脳する手段があるのだとしたら見ておきたかったという事もある。
それに今後もこういう事があると今度こそグレーテルがどうにかされてしまうかもしれないので、ここで拠点ごと全部始末しておこうと考えたのだ。
こんな行き当たりばったりで賢くない人たちがトップだとは思えないし、おそらく拠点には彼らの上司もいるはずだ。
雑草というのは、上辺だけ刈り取っても根元からどうにかしなければまたすぐに生えてきてしまうものである。
私やグレーテルのような美しい花、それにユールヒェンのようなそこそこ美しい花、さらにはルイーゼのような素朴な花が心おきなく咲き乱れるためには、花壇の雑草の根絶は決して避けては通れない作業なのだ。
次回は学園に残されたほうをルイーゼ視点から。




