7-14
慌てて振り返れば、ステージの外でグレーテルの腕を掴む怪しげなローブの男がいた。
どのくらい怪しいかと言えば、事前の情報全く無しで出会う我が兄の鏡仮面くらいに怪しい。
そう、男はローブのフードの下に例の謎の仮面を付けていた。
これはあれだ。秘密結社なんとかの幹部だ。
その幹部らしき怪しい男が、グレーテルに狼藉を働こうとしている。
ルーサーがグレーテルの側にいれば防げた事態だったかもしれないが、あいにく彼は私を追ってステージまで上がってきてしまっていた。
下手に動けばグレーテルに危害が加えられるかもしれない。
そのせいで、周りの誰も行動を起こせないでいるようだ。
当のグレーテルも、最初こそよそ行き口調で騒いでみせていたが、今は冷静に状況を見極めている。
王女だけあり、変態に腕を掴まれるなど日常茶飯事なのだろう。
どうするか、と思っていると、男がこちらに顔を向けて口を開いた。
「──おや。僕のスキルが強制解除されてるな。剣が暴走しすぎたせいか? まったく、『魔術師』の奴もロクなアイテムを作らないな。せっかく長いことかけてあの子を洗脳状態まで持っていったのに。まあ、でも解けちゃったんならもういらないか」
洗脳、とか聞こえた。
しかも剣についても何か言っている。
状況から考えると、あの幹部の男が洗脳していたのはルイーゼで、あの怪しい聖剣をルイーゼに与えたのもあの男なのだろうか。
となると、暴走中にルイーゼが叫んでいた「ズギュラ」というのがこの男の事なのかもしれない。
そうだ、組織の名前も思い出した。
名前は確か。
「──アルカヌム……」
「んん? 何で知ってるんだ? そもそも、君は誰なんだ。やけに美人だけど」
男が急に口説いてきた。
私が美しいのはただの事実なので、そんな当たり前の事を言われても靡いたりはしないが。
「その気持ち悪い剣に乗っ取られた少女を救おうとした蛮勇には敬意を表するけど、君がそんな余計なことさえしてくれなけりゃあ、僕が注目されちゃう事もなかったんだけどな。まあ、今さらいいけど別に。
ていうか、どうやってその剣黙らせたんだ? 何か僕の知らないスキルでも持ってるのか? どこかの家系の血統スキルとか。実は君が本物の王女だったり……ってことはないか。王女の髪は珊瑚色って話だし」
男は腕を掴んでいるグレーテルと私を交互に見ながらそう言葉を漏らす。
その様子と口ぶりからすると、やはり彼の狙いはグレーテルのようだ。
そしてこの混乱した状況でピンポイントにグレーテルの傍に現れた事を考えると、元々ルイーゼを洗脳して騒ぎを起こさせ、それに便乗してグレーテルを攫う計画だった、ということだろう。
それにしてもずいぶんとおしゃべりな幹部である。情報がダダ漏れなのだがいいのだろうか。
秘密結社の癖にほいほい転職するアインズみたいな構成員もいるし、あの組織のコンプライアンスというか、運営ポリシーは一体どうなっているのか。
しかし決闘自体がルイーゼを洗脳して行なわせた事だったとしても、何事も無ければただルイーゼとどこかの貴族が決闘しただけで終わっていたはずである。もしそうなっていたら、この男もここまで容易に学園に侵入する事は出来なかったかもしれない。
となると、決闘を私がイベント化してしまったせいで一時的に学園を開放してしまう事になり、それが結果的にアルカヌムの手助けをしてしまった事になる。
何という事だ。
私が良かれと思ってやることは、だいたい裏目に出ている気がする。
「誘拐犯がどうして呑気におしゃべりを、って顔してるね。まあ、答えはこれだ。
──【神の戯言】! 愚か者たちよ、今見た事は忘れちまうがいい!」
仮面の男がそう叫ぶと、彼を中心にピンク色の魔力の波が広がっていき、それを受けた人々の表情が一瞬で抜け落ちる。
たまに見かける、結社の人間の放つ大仰なスキルとはまるで逆のイメージだ。
あれはだいたいいつも周りの魔力を集めて放っているが、今回の仮面の男は自分の持っている魔力を周囲に放出している。
魔力の波動を受けて無表情になってしまった人々には、何の意志の光も見られない。まるで催眠術か何かにかけられてしまったかのようだ。
仮面の男が大声で妄想を垂れ流しているだけとかでなければ、今発動した何かによって、周囲の人間からここ数分の記憶を失わせるとかそういうスキルだろうか。
私の意識ははっきりしているので、あの認識阻害の仮面同様にたぶん私には効いていないが。
「ま、早い話が集団催眠みたいなものだよ。【煽動】と違って意志や考えそのものを変えてしまうほどの効果はないけど、短時間ならこっちの好きなように弄くれる。効果時間が短くても、その前後の記憶を無くさせてしまえば何をしても同じってわけだ。支払うコストは変わらないけど、やっぱりこっちの方がはるかに使いやすいな」
仮面男は小脇にぼうっとしたグレーテルを抱えたまま一気にステージまで上がってくると、短刀のような何かを私に向かって突きつけてきた。
「ついでに、判定成功時の意識の空白を利用しての不意打ちなんかも可能なんでね。
……なんで結社の事を知ってたのかわからないけど、君はなんかヤバそうだからここで死んでおいてもらおう。将来が楽しみな美人だしもったいないけど」
頼みの綱のビアンカもネラも、それにルーサーでさえ茫洋とした瞳で動かないでいる。
敵の【神の戯言】とやらにかかってしまっているらしい。
ビアンカたちもルーサーも、マルゴーの民ともあろう者が情けない。これは後で良く言い聞かせておかなければならない。
とはいえ、それもここを切り抜けてからの話だ。
私はこれまであまり怪我とかもしたことがないので、その短刀による一撃でどのくらいの傷を負うのかわからない。もしかしたら死んでしまうかもしれない。
いずれにしても、私がここで倒れれば男はグレーテルを連れ去ってしまうだろう。
洗脳だの催眠だのを平気でするような変態だし、そんな男に連れ去られてしまえばグレーテルが何をされるかわからない。
男が迫る一瞬の間に、私は色々考えた。
この変態は言っていた。
私の事を将来が楽しみな美人だと。
そしてもったいないと。
ならば。
「──お待ちなさい!」
「っ!? なんで君は意識がはっきりしてるんだ!?」
驚いた男が硬直する。それで短刀が止まったのは僥倖だった。
「それは今重要ではありません」
「いや僕にとっては重要だけど! てかやっぱり何かヤバいな君! ここで──」
何となくだが、何かに失敗した感覚がした。こんな言葉では男は止められない。
だったらやはり、いつも通りにやるしかない。
「貴方はグレーテル──王女殿下を攫いに来たのですよね。その理由が何かはわかりませんが、果たして貴方にとって本当にそれが必要なことなのでしょうか。
きっと、もっと他に賢いやり方があるはずです」
私を警戒している様子の男は、これを聞くと一瞬ぴくりと反応した。
今度は失敗ではない。何かのとっかかりを掴んだ、様な気がする。
キーワードは「賢い」だろうか。そこに強く反応していたように思える。
もしかしたら普段、周りの人に馬鹿にされたりしているのかもしれない。例えばことさらに愚か者とか言われているとか。
なんであれ、話を聞いてくれそうであるなら都合がいい。
「よく、見比べてみてください。王女殿下と私の顔を。そうすれば、貴方にもわかるはずです。
私の方が少し、いいえ、かなり美しいという事が」
私にとってのいつも通りのやり方。
それはこうして、私の美しさを知らしめてやることだ。
というか、どこまで行っても私に出来るのはそのくらいしかない。
男は黙って私の顔を見ている。仮面越しなのでたぶんだが。
このままグレーテルを攫わせるわけにはいかない。
かと言って、この状況で私ひとりでこの男を処せるとは思えない。
ならば、ここは別の何かで妥協してもらって、一旦諦めてもらうしかない。
相手の気を逸らすという意味では、私のこの美しさ以上に効果がある物などないはずだ。
「であれば、答えはもう出ています。
──より美しい方を攫った方がいい。
そうに決まっていますよね。何と言っても私はうちゅ、世界一美しいのですし」
男が一瞬身じろぎをして、グレーテルを抱える腕の力が緩んだ。
今度こそ、成功したという確信があった。
私の脳裏に【交渉】、【論破】、【説得】の文字が浮かぶ。
「……確か、に、そう……だな。そっちの方が賢い……かも。
王女には王女としての価値しかないが、君はその容姿だけで値千金とも言える。王女と違って、何にでも使えるかもしれない……」
グレーテルは仮に王女でなかったとしても世界で二番目くらいには美しいし、王女としての価値しかないわけではないのでこの言い方には若干むっとしたが、そう思われている方が都合がいいので黙っておいた。
未だぼうっとしたままのグレーテルをどさりとステージに落とすと、男は私に向かって手を差し出してくる。
「──予定変更だ。王女ではなく、君を攫う。僕と一緒に来てもらうよ」
よし。
見たところ、男は1人だ。
国家の重要人物である王女を誘拐しようというのに1人で来るとは驚きだが、もしかしたら先ほどの【神の戯言】とか言うスキルは、範囲内にいれば敵味方関係なく作用してしまうのかもしれない。
それにあの強力な効果を考えれば、男1人でも大抵の作戦は実行可能だ。
ともかく、1人でやってきたこの男の考えを変えさせてやることが出来たのなら、これで少なくともグレーテルの安全は確保できたと言っていい。
問題は私だが、たぶんグレーテルが単身攫われるよりは私が攫われた方が何とか切り抜けられる可能性は高いはずだ。
今は頼りにならないが、平時なら頼りになる護衛もいることだし。
「あっ、と。お待ちください。せっかくですから、ご一緒にペットもいかがですか? ほら、こんなに可愛いですよ。今はぼんやりしていますけど、これはこれでぬいぐるみみたいで」
私は催眠にかかったまま動かないビアンカとネラを抱き上げ、男に見せつけた。この子たちも今程度の催眠になど二度とかからないよう後でしっかり教育してやる必要がある。
ともあれ、再び流れる【交渉】、【論破】、そして【説得】。
そうして私はビアンカ、ネラ、懐のボンジリと共に、仮面の男に誘拐された。
サクラも連れていきたかったが、それはさすがにどう話しても無理だった。
お嬢のスマイル、値千金。ご一緒にペットはいかがですか。お得なセットもございます。
【論破】は内容によっては成功率0%だけど、真実に近いほど成功率が上がる。ちょっとでも相手が「そうかも」って思うと成功率アップ。
【論破】の判定に成功すると、直後の【説得】とかのスキルの成功率にボーナスが乗る。
【説得】も内容によっては成功率0%だけど、【論破】のボーナスが乗るとどんな荒唐無稽な提案でも話だけなら聞いてくれるようになる。
【交渉】は交渉とかするときのパッシブスキル。交渉に関係するあらゆる判定の成功率がちょっとだけアップ。
例:王女を攫う
攫う→相手の主目的なのでさすがに説得は不可能。成功率ほぼ0%。
王女を→【論破】のボーナスで一応考えてくれた。低確率だが説得可能。
他にもなんやかやいろいろあって【説得】の判定に成功しちゃったせいで、何かよくわからない事態になってしまっているという。
こいつらいつもよくわからない事態になってんな(
決闘にしても誘拐にしても、本来なら脇役だったはずなのにいつの間にか事態の「中心」にいるお嬢。




