7-13
剣から伸びた触手はみる間にその数と大きさを増していき、最初は腕だけに巻きついていたのだが、腕を覆い尽くすとさらに侵食の範囲を広げ、あっという間に編入生の右半身を覆ってしまった。
「あああああ! 何これ! 何ゴレェ!」
編入生は混乱して暴れるが、暴れているのは無事な左半身だけだ。右半身はビクとも動かない。いや、剣の触手はぴくぴく動いてはいるのだが。
そして「何これ」と聞きたいのはこちらのほうだ。
本当に何なのその剣。どこで拾ってきたの。
「ズギュラッ! だずけてズギュラァ!」
編入生はしきりに「ズギュラ」という名を叫んでいる。恋人か何かだろうか。
いずれにしても、こんな風になってしまってはさすがに決闘は中止だろう。
決闘の詳しい作法は調べていないが、続行不可能であれば仕切り直しとかの条文はあった気がする。
血が止まらないユールヒェンも心配だし、ここはステージに乗り込んで強引に止める事にした。
「お、お嬢様!?」
止めようとするディーの腕を躱し、私はユールヒェンの元へ急ぐ。
乗馬の訓練のおかげか思いの外素早くステージの上へ駆けつけると、血まみれで座り込んでいるユールヒェンの肩を抱き、片側だけ膨張を続ける編入生から距離を取らせた。
ビアンカとネラもするするとステージを駆け登ってくると、私と編入生の間に入って威嚇する。
「け、決闘に手出しは……」
ユールヒェンが力無くそう抵抗するが、もうそんな場合ではない。
「決闘は中止です。主催者権限で。こんな状況ですし、決闘はまた日を改めてという形にしましょう」
私はあくまでイベントの総監督であり、決闘そのもので言えば主催は当事者の2人なので実は全く関係ないのだが、ここは勢いで押し切る。
私の腕の中でかすかに震えるユールヒェンの身体は随分と冷えていた。
失血で体温が低下しているのかもしれない。まずい兆候だ。
気丈に戦っていたが、実は体力的にはもう限界だったようだ。
「……大丈夫ですか、ユールヒェン様。傷を診せて下さい」
とはいえ、医療の心得があるわけでもない私が診ても出来る事は無い。
ただ、いつ意識レベルが低下するかもわからない患者本人の代わりに、状態だけは把握しておきたい。
私は自分のスカートの裾を少し裂き、それを魔法で浄化して、祈るような気持ちでユールヒェンの傷を拭ってみた。
すると血が拭きとられて見やすくなった傷口から、またじわりと血が滲んできた。斬られてからそれなりに時間が経っているのにまだこんなに血が出てくるとか、やはり治癒阻害とかそういう効果のようだ。
ただ、先ほどまでの滴るような勢いはない。実はあの剣の能力は毒系とかそういうもので、私の浄化の魔法で消毒出来たとかそういう感じだろうか。魔法ってすごい。
そのままもう一度拭ってみると血が完全に止まったので、これはいいとばかりに全ての傷にそれを施す。
引き裂いたスカートの切れ端はすぐに血に染まって使えなくなってしまったが、この辺りでディーもステージに上がってきて私にハンカチを差し出してくれた。受け取ったハンカチを使って処置を続ける。
しばらくそうしていると、拭ってやるたびにユールヒェンの肌も色を取り戻していき、次第に彼女の震えも収まってきた。
浄化では失われた血までは再生出来ないと思うが、これはきっとユールヒェンが基礎体力を鍛えていたおかげなのだろう。さすがは生きるノブレス・オブリージュだ。高貴な青き血は無限に湧いてくるらしい。だから血の気が多いのか。
「お嬢! ひとりで行かないでよ全く!」
後を追って来てくれたルーサーが私からユールヒェンを奪い取り、治癒魔法をかけ始めた。
これでもう安心だ。
「さすがは本職ですね。助かりましたルーサー先生」
「このために来てたみたいなものだしね。ほんとは僕の出番なんて無い方がよかったんだろうけど、あるんだったら働かないと。……でも、もう血も止まって、傷もふさがってるのか。これは……まあ、いいか」
もう傷もふさがったらしい。やはりルーサーは頼りになる。
ユールヒェンは大丈夫そうなので、後はルーサーに任せて私は立ち上がる。
スカートを裂いてしまったせいで足元が少々心もとないが、私は何故か脛毛などが生えてこないので足が見えても全く問題ない。
さて、問題は今もウゾウゾと変貌を続けている編入生だ。
右半身が肥大化し過ぎて、もはや掲げた剣が本体のように見えなくもないが、左側だけはまだ正気を保っている。
「編──ええと、ルイーゼ様」
私が声をかけると左側の目がこちらを向いた。
同時に右側も動きを止める。いや右側は呼んでないのだが。
剣に埋め込まれた宝玉がきょろきょろと背後を気にしているようだが、同時に私にも意識が向けられているのを感じた。
ビアンカとネラが警戒を高めるが、それは手で制しておく。
まずは会話が大切だ。
「勝手ながら、私の判断で決闘は一時中断とさせていただきました」
あれだけ決闘したがっていたのだし、これはきっちりと伝えておかなければならない。
「……タ……タス……ケテ……」
若干話が通じていない感もあるが、怒られないので多分わかってくれたのだろう。
決闘中止の件を了承してもらえたのなら次だ。
「決闘は終わりましたので、もうその剣は放していただいても結構ですよ」
どう見ても、この異常事態はあの剣のせいだ。
まずはあれを手放してもらわない事には話が進まない。
「ア、アア……ハナレ……ハナレナイイィィ……」
断られてしまった。
この様子だと、放したくても放せなくなってしまっている感じだろうか。
右半身は明らかに剣に浸食されているし、左側の彼女の意志で動かすことが出来なくなってしまっているのかもしれない。
であるなら、交渉相手はルイーゼの右側だ。
先ほどは呼んだつもりはなかったのだが、どうやら私を気にしてくれているようで助かった。
交渉によって相手に凶器を捨てさせるというのなら、そのやり方は古今東西だいたい決まっている。人間というのは本質的にはどこにいてもそう変わらないものだし、それは前世でも今世でも同じはずだ。
だから私が話すのは、凶器を持って立てこもる犯人に交渉役が語りかけるお決まりの第一声。まあ、実際はどうなのか知らないが。
「落ち着いて、その刃物を捨ててください。お母様が泣いていますよ」
「……母ハ……モウイナイィ……!」
そうだった。彼女の実母はすでにお亡くなりになっている。
しかし、産みの親だけが親ではないはずだ。
ルイーゼの境遇を考えれば。
彼女を引き取る話を持ちかけたのが実父である子爵本人であるのならまだわかるが、実際には子爵の夫人がそれを提案したという。
夫人には子爵との間に男児がいる。お家騒動の原因にもなりかねないルイーゼを敢えて引き取る合理的な理由は夫人にはない。
なのになぜ、子爵夫人はルイーゼを引き取るよう申し出たのか。
合理的な理由がないのなら、そこには非合理的な理由があるはずだ。
そして人間が絡んだ非合理的な理由といえば、感情によるものだとだいたい相場が決まっている。
となれば子爵夫人がそうしたのは彼女の感情によるものだと考える事が出来る。
それがどういう感情であるのかはわからないが、悪い感情を持っていたのなら引き取ったりはしないだろうし、引き取ってもルイーゼの将来を考えて学園に通わせたりなどしないはずだ。
つまり子爵夫人は、夫の庶子の存在を知った時点で、そしてその母親が死んだと聞いた時点で、自分が彼女の新しい母親になるという覚悟を決めていた、のではないだろうか。
子爵夫人も、子を持つひとりの母親だ。
ならば、若くして娘を残してこの世を去らねばならない、ルイーゼの実母の無念をどこかで感じていたのかもしれない。
夫の不始末に対する責任感と、顔も知らないひとりの母親に対する同情と共感、そして何の罪もない少女に対する憐憫と慈愛が、子爵夫人の心に覚悟を決めさせた。
だとしたら、ルイーゼ本人がどう思っていようとも、子爵夫人はすでに彼女のもうひとりの母親であると言っていいはずだ。
もちろん、全て私の憶測に過ぎない。
が、まったく根拠がないわけではない。
なぜなら、左側だけ涙を流すルイーゼの向こう側に、ステージに詰め寄って彼女の名を呼ぶひとりの貴族女性の姿が見えていたからだ。
「……ルイーゼ様、この声が聞こえませんか?」
「コエ……?」
「──ルイーゼ! ルイーゼ! 返事をして! ルイーゼ!」
聞こえたのだろうルイーゼが振りかえろうとするが、右半身がそれを許さない。
「コノ声ハ……子爵夫人……? ナンデ……」
子爵夫人と呼んでいるのか。
まあ、実母を亡くしてすぐに別の人を母とは呼べないか。あるいは何か思うところがあるのかもしれない。
しかし、彼女が「ヘロイス子爵の夫人」としてここに来ているとは私には思えなかった。
おそらく彼女がここに来たのは、ルイーゼの義母としてだろう。
「いいえ。その方はただの子爵夫人ではありません。その方は、貴女のお母様です」
「チガウ……! 母ハ、モウ死ンデ……!」
「確かに、それは間違いのない事実です。
ですが、それでも貴女は生きています。そして貴女はこれからも、お母様の居ない世界を生きていかねばなりません。
しかし、ひとりで生きていかねばならないわけではありません。よく声を聞いてあげてください。貴女の名を呼ぶその声に、貴女を想う気持ちを感じませんか?
他人の私にはわかりませんが、それは貴女と共に歩む事を、覚悟している人の声なのではありませんか?」
私にはわからないとは言ったが、同時に間違っていないとも思う。
ルイーゼの名を呼ぶ子爵夫人のあの顔は、以前に馬車を飛び出して私の頭に鉄扇を落としてきた時の、私の母と同じものだったから。
あれがきっと、子を想う母の顔なのだ。
「血のつながりも、過ごした時間も関係ありません。貴女を想い、貴女と共に歩んでくれる方こそが、貴女の家族なのです。それは平民であろうと、貴族であろうと変わるものではありません。
そして貴女のために、危険を顧みずにあのように声を張り上げてくれる女性──人はそれを、母と呼ぶのではないでしょうか」
ルイーゼの右半身が掲げる剣の宝玉は、まるで目玉のようにちらちら後ろで叫ぶ子爵夫人を気にしている。
あの距離であれが見えていないとも思えないし、子爵夫人が自身の危険を度外視して叫んでいるのは間違いない。
「……母……オカアサン……」
ルイーゼが呟いたその瞬間、私の脳裏に【啓蒙】という文字が流れた。
すると苦しんでいたルイーゼの左半身の顔が穏やかになり、今度は剣の方が苦しげに身をよじった。剣なのに身をよじるとか器用な真似をすると思うが、そうとしか言いようがないのだから仕方がない。
よくわからないが、畳みかけるならここだ、と直感した。
「その通りです。あのお方はまぎれもなく、貴女のもうひとりのお母様なのです。
そして、今ならわかるはずです。貴女が握るべきなのはその聖剣の柄などではなく、お母様の手なのだという事が!」
「アア……アアアア! オカアサン! お母さん!」
すると剣はよりいっそう苦しげに身をよじり、それまで貯め込んでいた太陽の光をすべて放出する勢いで輝いた後、すべての触手や肉々しいあれやこれやを一瞬で引き上げて、からんとステージに落ちた。
「ルイーゼ!」
そして倒れ込むルイーゼの身体を、ついにステージにまで上がって来てしまった子爵夫人が抱きとめた。
これで何とか無事に決闘は中断出来たようだ。
後はこの場の収拾と再戦の予定かな、と考えを巡らせながら感動のシーンを見ていると、甲高いグレーテルの悲鳴がその余韻を引き裂いた。
「──な、何者ですか! 放しなさい! 無礼者!」




