7-11
「──ああいう、点数稼ぎをするなら交渉の前にやった方がよかったんじゃない? まあ結果的に許可は貰えたけれど」
学長室を辞した後、ふたり並んで廊下を歩いていると、グレーテルがそんな事を言いだした。
「点数稼ぎ、とは?」
「お爺様がどうのって話よ」
「ああ……。点数稼ぎなんかではありませんよ。あれは本心です」
私はほとんど会う事が無かった、今世での祖父の事を思い出す。
私にとって祖父は、いつも家におらず、たまに帰って来た時もやたらと甘いだけの菓子を私に与えてすぐにどこかへ行ってしまうという印象しかない存在だった。
父や兄たちからも、祖父がいかに強かったのかという話しか聞いた事が無かった。
まあそれでも最後は魔物と戦って死んでしまったし、その魔物も父が倒したので今はおそらく父の方が強いのだろうが。
屋敷を出て、領地を出て、色々な人と会い、祖父の話を聞くたびに、思うことがあった。
誰もが口をそろえて、祖父は気難しく、しかし自由で、とにかく存在感のあった人物であると評する。
私のイメージとはまるで違う。私にとってはそれほど存在感のある人物ではない。ただ無愛想だっただけだ。
だがしかし、もしかしたら。
あのやたらと甘い菓子は、不器用な祖父が私を甘やかそうとしていただけなのではないだろうか。
他にやり方を知らなかったから、私から男としての未来を奪うせめてもの償いとして、私を精いっぱい甘やかそうとした。
今思うと、そうだったんじゃないかという気がしてくる。
ある時祖父は、森から現れたという特異個体の魔物を討伐しに出かけ、二度と帰ってこなかった。
あの日の朝も、祖父は私に甘い菓子を与え、私の頭に一度手を置いてから出て行った。
パスカルが私を見る目に、あの日の祖父の目が重なった。
それでつい、あんな事を言ってしまったのだ。
「──自分で思っていたよりも、どうやら私はほんの少しだけお爺ちゃん子だったみたいだというだけです。グレーテルのお爺様はまだご壮健なので、どうか労わってあげて下さいね」
◇
そして一週間後。
この日は天候にも恵まれ、雲ひとつない青空が学園のグラウンドの上に広がっていた。
「──……という学園側のご厚意もあり、この度このような催しを女神様に捧げる運びとなりました。
覚悟を決めてこの日を迎えたであろう決闘者のお二方には、騒がしくしてしまい申し訳ありません。
ですが、聞けばそちらもほんの小さなすれ違いから引くに引けなくなってしまっているご様子。
イベント総監督として、お二方にはこの一大イベントで思う存分お互いの気持ちをぶつけ合っていただき、それを以て全ての遺恨を洗い流していただければと切に願っております。
きっと、天上におわす女神様もそれをお望みのことでしょう」
私の宣言に集まってくれていた観客が大歓声を上げる。
思っていたより大きな反応だ。
王都の人々も、よほどこの日を楽しみにしてくれていたらしい。
しかし開催宣言が終わっても人々はなかなかその場から離れようとしない。
皆私を見ている。
もしかしてまだ話が終わっていないと思われているのだろうか。
「皆様、本日は有志の方々がとても魅力的な屋台や出店を準備して下さっております。どうぞ、そちらのほうも存分に楽しんで行って下さいね。決闘は夕方からですから、お時間は十分にあるかと思います」
そこまで言ってもまだ離れない客もいたが、遠まわしにさっさと遊びに行けと言ったのが理解出来た人から順に少しずつ会場全体に散って行った。
なお、最後までどかなかった客は警備の人間にやんわりとどかされていた。
ここまでくればさすがにわかる。
どうやら私の美しさに魅了されて動けなくなっていたようだ。
やはり美しさは罪である。
挨拶と開催宣言が終わった後は、基本的に私のやる事は無い。
あとは手伝ってくれている学生や商工会の人間が全て取り仕切ってくれている。
なのでグレーテルとルーサーを伴い、イベントを見て回る事にした。
グラウンドに設置された特設会場の周りには無数の屋台や出店が立ち並び、王都の人々が思い思いに買い食いをしたり、余興を楽しむ様子が見られた。
元々は授業への影響がないようにと放課後に設定されていた決闘だが、こうなった事で結局この日の学園の授業はすべて休講になってしまっていた。
もちろん年間を通してのカリキュラムは細かく決められているので、勝手に一日休みにするわけにはいかない。
そのため話が決まってからは、毎日一単元ずつ授業を増やし、この日一日分の授業を数日に分散させる事で賄うように措置が取られていた。
前日と後日の、準備と片付けの間使えなくなるグラウンドでの授業に関しても同じだ。
これがパスカルが言っていた、カリキュラムについても何とかなるという部分の答えだ。
学生にとっては少々帰りが遅くなるだけであるが教師にとってはそうはいかない。
毎日計画的に授業が増える。
つまり、約束された残業である。
さすがにそれは申し訳ないので、私の方からも何か気持ち的な物を渡せればいいのだが、基本的に王立学園の教師が学生やその関係者から直接何かを受け取る事は許されていない。それを盾に便宜を図る事を要求されるのを防ぐためだ。
だからルーサーの言う「本当はこういうのダメなんだけどね」の中には、そもそも特別手当自体も含まれていた。
「──まあ、今回は半分は仕事だから、別に特別手当とかはいらないけどね」
「お手間をかけますね。ルーサー先生。今日はよろしくお願いします」
私が知る中で最高の治癒士はルーサーである。
だから、決闘者のために用意出来る保険というのもこのルーサーであった。
もちろん私が何もしなくとも学園側がルーサーにそう命じる可能性もあったが、その場合でもおそらく常勤の治癒士と非常勤の治癒士のどちらか片方が控えている程度になっていただろう。
なぜなら通常ならば、放課後のこの時間でも学園内で活動している学生がいるからだ。その学生たちが怪我をしないとも限らない以上、医務室を完全に空けてしまうわけにはいかない。
しかしその時間に活動する学生が全て居なくなってしまえば、治癒士を2人とも決闘に集中させる事が出来る。
常勤の治癒士と非常勤のルーサー、この2人がいれば、即死でさえなければ命をつなぐ事も可能だ。他ならぬルーサーがそう言っていた。出来れば頼りたくないが万が一の時は応援してほしい、とも。
応援するだけでいいのなら頼まれなくてもするつもりだが。
そのルーサーは学園には一応非常勤で雇われているため、授業の一切なくなってしまったこの日は、あらかじめ言われていた放課後の決闘までは自由時間だ。
私とグレーテルにこうして付き合ってくれているのはそのおかげである。
そうしてルーサーとビアンカ、ネラと、ついでにボンジリを護衛にイベントを見て回り、やがて。
決闘の時間がやってきた。
◇
「──決闘というのは神聖なものではなかったの? それが、こんな……。
お金が稼げれば何でもいいの? 貴族として恥ずかしくはないの?」
ステージに上がった編入生がそう言いながらユールヒェンを睨みつける。
それは全くその通りだと思う。
興行化したのは私の都合で私の勝手なので、ユールヒェンがそれで責められてしまうのは違うわけだが。
「……言っても信じてもらえないでしょうが、この大がかりな催しは私の本意ではありません。これはその、クラスメイトが勝手にやったことです」
対するユールヒェンはそう返す。秘書が勝手にやりましたと言い訳をする政治家のようで少し面白い。
となるとさしずめ私が秘書である。
社長令嬢のデキる美人秘書と言ったところか。悪くない。
でも普通は令嬢にまで秘書って付くのだろうか。
「しらじらしい……!」
「そうなるでしょうね……。まあ、どうとでもお思いになって下さい。
それと、貴女はまるでお金を稼ぐ事が悪であるかのようにおっしゃいますが、生きていくためにお金が必要であるのは平民だろうと貴族だろうと何も変わりませんわ」
「話をすり替えないで! 少なくとも私の知っている人たちは、自分たちが生きていくのに必要な最低限のお金を稼ぐことで満足しているわ! 必要以上にお金を稼ごうというのは強欲な証拠よ!」
そんな理由で決闘をしているのだったかな。たぶん違ったと思うのだが。
「必要以上にとおっしゃいますが、どの程度が必要最低限なラインなのかは状況によって変わってくるでしょう。今回の件は私はほとんど関わっておりませんから存じませんが、例えば父の商会の普段の業務であれば、確かに莫大な収益をあげてはいます。ですがそれは雇っている従業員が多いからでもあります。彼らに十分な報酬を支払い、また顧客の皆様に満足いただけるサービスを提供するためには、黒字という名の余裕が絶対に必要になるのです。いつもいつもカツカツの経営では──」
「減らず口を!」
編入生は最後まで聞かずに話を打ち切ってしまった。
減らず口だとは思わないが、今のは確かに話が長いと言わざるを得ない。決闘前にする事ではない。まあ、そもそも会話を持ちかけたのは編入生の方だが。
一方的に会話を打ち切った編入生は、ため息をつくユールヒェンを前に剣を抜き放った。
漆黒の剣身が傾きかけた日を弾いて鈍い輝きを返す。
なかなか格好いい剣だ。
少年の心を呼び覚まされるというか、武器にそれ必要なのかと言いたくなるような謎の装飾が施されており、要所要所に散りばめられている宝玉らしきものは明滅しているかのように見える。
このタイプのおしゃれ武器は今世に生まれて初めて目にした。
やはり、どこの世界でもこの手の物を好む人間はいるということだろう。
観客も少しどよめいている。
私も初めて見たし、メジャーではないのは間違いないらしい。ひと目見て気になってしまった者が多いのだろう。
「……な、なんなのあの禍々しい剣は……!」
私の隣でグレーテルも唸る。
いや、その禍々しさこそが少年の心を捉えて離さないのだ。
「あんたの傲慢を切り裂いてやるわ! この聖剣スケヴニングでね!」
聖剣と言うにはちょっとダークサイドに墜ちすぎている気がするが、本人がそう言うならそうなのだろう。少年とはそういうものだ。拾った木の枝だろうとアイスの棒だろうと。
ようへいさんがつかいこんだ剣借りたってよ(




