7-10
「──第一学年第一クラスのミセリア・マルゴーです」
「──同じくマルグレーテ・インテリオラです」
ノックの音の後、扉越しに鈴を転がすような可憐な声が聞こえた。
「入りなさい」
この学園長室の主であるパスカル・ペルペンロートはそう入室の許可を出す。
「──失礼します」
扉を開けて入って来たのは、すでに何度か校内でも見かけている絶世の美女。いや、年齢的にはまだその卵と言ったところだろうか。
それに付き従うのはパスカルもよく知っている王女マルグレーテだ。いや、なぜ王女の方が後ろを歩いているのか。普通逆では。
連れてきている従者は部屋の外で待たせている。報告のあった白い犬と黒い猫も同様だ。
「よく来たな、2人とも。学園は楽しんでおるかね」
「はい。お陰さまで。学園長におかれましては、伺っていた通りの素晴しい運営をしてらっしゃるようで、日々驚きと共に感動しておりますわ」
用件はわかっているが、まずは差し障りのない挨拶からだ。
それが終わればソファを勧め、座ったあたりから時事の雑談が始まる。
パスカル自身もこうした無駄な作法は面倒だと思っているが、社会で通用する立派な紳士淑女を育成する事を謳っている学園の長としてそれを表に出すわけにはいかない。
それがわかっているのか、ミセリアは無難に挨拶と雑談に付き合ってくれる。
この辺りはさすがは高位貴族の令嬢といったところか。
マルゴー純粋培養、しかもあのハインリヒやフリードリヒの妹という事でその辺りはあまり期待していなかったのだが、そういえば2人も授業態度や成績については非常に優秀な結果を残しているのだった。
基本的に何もなければ非の打ちどころのない貴族なのだ、マルゴー家というのは。
問題なのは、何がハジけるトリガーになるのかがわからないところである。
とりあえず、先日の授業参観トライアルでハインリヒのトリガーがこのミセリアである事は判明したが。
在学中にハジけていた時も、今にして思えば妹についての話を振られた時ばかりだったかもしれない。
しかしそれにしても、である。
パスカルの目の前に座る2人の美しさと言ったらどうだ。
パスカルにとっては代わり映えのしない仕事場、もちろん王立学園の学長室だけあってちゃんとした調度品が置かれてはいるが、それでもこの時はいつもとまるで違う天上の空間に紛れ込んでしまったかのような錯覚を覚えた。
もちろん歳の差があまりにありすぎる事もあるし、パスカルが彼女たちに懸想するようなことはない。特に2人は年齢の割に身体の発育がやや遅いようで、そういう色気のようなものが感じられないからというのもある。
ミセリアの胸は大きく膨らんでいるが、あれはおそらく護衛のヒヨコだろう。先ほどの犬や猫もだが、彼女の実家からそのように申請が来ていた。
正直、申請と共に提供された不審な武装集団の規模から考えると、犬や猫やヒヨコがいたところでどうにかなるとは思えない。
なのでこれはあくまでミセリアを安心させるための措置ということだろう。現在の当主であるライオネルは随分と親馬鹿らしい。
マルゴー家や王家からは特にそれ以外に何も言われてはいなかったが、預かっている学生たちを守るのは学園としての義務でもある。
学生たちにわざわざ言う事は無いが、休暇明け以降、学園全体の警備は専用の補正予算を組んで人知れず強化されていた。
それはともかく、パスカルが2人の美しさに唸ったのは下世話な感情からではなく、自分の孫娘と比べての事だ。
孫も翌年にはこの王立学園に入学する事になる。
つまり、目の前の非の打ちどころのない美少女たちとは一歳しか歳が離れていないのだ。
一年後の孫の姿を想像してみる。これほど美しくなっているだろうか。いやないだろう。
何より、この完璧な令嬢たちならば、自分の祖父に向かって「おじいちゃんお口臭い」などと酷い事を言ったりはしないはずだ。たとえ事実だとしても。
「──あの、学園長先生? もしやご気分がすぐれないのでしょうか。誰かお呼びしましょうか?」
「いや、すまんの。大丈夫だ。何でもない」
気遣いに涙が出そうだ。
「さて、ではそろそろ本題に入ろう。ミセリア嬢、確か、君の第一クラスのクラスメイトが決闘を受けることになったのだったかな」
「ええ。その通りです。もうお聞きの事かと思いますが──」
決闘騒ぎは昨日の魔法実習の授業の最中に起きたものだ。
もちろん報告は魔法実習のオットマーから受けている。第一クラスの担任と第二クラスの担任からもだ。
オットマーからは決闘を行なうに至った経緯を、そしてフランツからはその決闘について有志の学生がサポートに当たる事になったと報告を受けている。
さらにフランツからは、この決闘に絡めて大々的なイベントを企画し、ただの決闘ではなく収穫祭のようなお祭り騒ぎにしてしまうという事も提案されたと聞いていた。
そしてその提案者がこのミセリア・マルゴーである事も。
今回彼女がパスカルにアポイントを取り面会に訪れたのは、その話を具体的に提案し、賛同を得るためだ。さすがに王立の学園で勝手に祭りを開催する事は出来ないからだ。たとえ王家の娘が絡んでいてもだ。
ミセリアはパスカルがフランツから聞いた物と概ね同じ内容の話を聞かせてくれた。
「──というご提案です。いかがでしょうか」
「ふうむ。面白い提案ではあるが……」
パスカルの中ではすでに答えは決まっている。
しかしここは学園だ。学生たちの学びと成長の場である。そうであるなら、こうした機会も最大限学生の成長につなげるべきだ。
そう考えてパスカルはミセリアに問いかけた。
「例えば、そうじゃな。ミセリア嬢、君が考えるに、このイベントを行なう際の問題点はなんだと思うね」
するとミセリアは少しだけ考え、答える。
「……保安上の問題、でしょうか。学園内に不特定多数の部外者を入れる関係上、どうしてもそこが問題になります。警備面での問題は私ではどうしようもありませんから、こればかりは学園長の判断にお任せするしかありません……。
ああ、それと決闘そのものの神聖性を損なう懸念があるという問題もありますね」
そう、まずはこの2点が問題だ。
しかし決闘の神聖性については、今しがたミセリアが提案の中で言ったように、催し全体を女神に捧げるという体にしてしまえばいい。
そも、決闘が神聖なものだと言われているのは、かつて決闘者がお互いに自分の正当性を女神に誓ってから戦いを始めていた事に由来している。今となっては形骸化した作法であるし、決闘を含めた催事そのものを祭事とし、女神に奉納するとなれば角も立たないだろう。
これに関しては女神教のお墨付きが必要になるかもしれないが、他ならぬマルゴーの姫の提案であればあの教会は首を横には振らないはずだ。何しろ10年ほど前からマルゴー辺境伯の女神教に対する寄進の額は王国でも随一のものになっている。ミセリアは言わば一番のお得意様のご息女だ。筋さえ通っていれば喜んで協力するだろう。
また保安上の問題は確かに頭が痛いと言えるが、それもこのマルゴーの姫の関係でちょうど特別予算が組まれ、普段の何倍も強化されているところである。
現状、警備を強化したところで敵の姿さえ見えないので、多少のリソースをイベントに割いたところで大きな問題にはならないはずだ。
問題はある。
が、それらはすべて解決済みか解決可能だ。
「ふむ。ミセリア嬢の言う問題ももちろんあるな。しかしそれは何とか出来ないこともない。
それ以外だと、例えばカリキュラムの問題がある。
その決闘は元々、放課後に行なわれる予定だったと聞いている。それであれば通常の授業の妨げになることはないし、学園としても問題ない。しかしミセリア嬢の言うような大規模なイベントにしてしまえば、とても放課後だけというわけにはいかぬだろう。少なく見積もっても一日掛かり、準備や撤収も考えるのなら三日は必要になるかもしれない。
それだけの間、グラウンドが使えないというのは学園としてはかなり痛いと言えるな」
「あっ……」
ミセリアは、それは考えていなかった、という風な顔をした。
「まあ、しかしそれも何とか出来ないこともない。問題についてはそのくらいでいいだろう。次はメリットだな。その提案は、当学園にとってどのようなメリットがあると思うかね」
「ええと、学園にとってのメリット、というのはそれほど無いかもしれませんが……」
「ふむ。では何故ミセリア嬢はこの提案をしたのかな。わざわざこんなところまで来て儂に提案するということは、少なくともミセリア嬢にとっては何らかのメリットがあったのだろう。それは何かな」
そう水を向けてやると、ミセリアはぽつぽつと話し始めた。
当事者であるユールヒェン・タベルナリウスには、最近色々と迷惑をかけてしまっているらしい。
こういったイベントで大きなお金が動けば、彼女の実家のタベルナリウス侯爵も喜ぶのではないかと考えたそうだ。
それに学生間での決闘と言えど、もしかしたら大怪我をしてしまうかもしれない。
そんな時、もし仮にお祭り騒ぎのように大勢の人に見られているような状況なら、もしかしたら相手に大怪我を負わせてしまうような一撃を放つ事を躊躇するかもしれない。
それはユールヒェンも、編入生のルイーゼも同じだ。
戦うとは言っても、同じ学園に通う2人に大きな怪我をして欲しくはないのだとミセリアは言った。
「──そうか。そうか……」
あと一年でパスカルの孫娘はこれほどの淑女に育つだろうか。無理だろうな、と思った。
「では儂の方からひとつ、教えてやろうかな。と言っても、それほど大層な事ではない。まあ課外授業だと思ってくれればよい。
かねてより、この学園で預かっている学生の父兄から、学園での子供たちの様子を知りたいという要望が来ていた。それもたくさんな。
先日君の兄君に協力してもらった授業参観だが、あれはそのひとつの回答として試験的に行なったものだった。まあ、結果としてはまだ早いという結論になってしまったがね。
今回のミセリア嬢の提案は、その要望に対する別の回答になり得る可能性を秘めたものだ。そう、一時的に学園を一般に開放するという事は、当然父兄も学園の様子を見に来る事が出来る。もちろん普段の授業風景を見られるわけではないが、それでも何も見られないよりは遙かに良かろう。
それを考えれば、いくつかの問題を飲み込んだとしても、十分に検討の余地のある提案だと言えよう」
「え、それでは……」
「うむ。詳細はまた詰めねばならんだろうが、君の提案を受ける方向で検討しよう。具体的な話は他の職員に周知してからになるから、また後日だな。その時にはもう一度君たちにも来てもらう事になるが」
「はい、それはもちろんです! ありがとうございます!」
「うむ、うむ。
いいかね、ミセリア嬢。それにマルグレーテ嬢。相手に自分の要求を飲ませたいときは、きちんと相手にとってのメリットも提示してやることが重要だ。相手にとって何のメリットもなければ、その要求を飲ませることなど出来ないからね。
さらに言うなら、デメリットがある場合は自分の方からそれを明かしてしまった方がいい。最後まで隠しきれる自信があるならともかく、そうでないなら後から発覚した方が印象が悪くなる。先に言っておけば誠実な印象を与える事もできるだろう。もちろん、解決策やデメリットを軽減する手段も用意出来るのならなお良いがね。
さて、ではこれにて儂の課外授業はおしまいだ。なに、君たちはまだ若い。精進しなさい」
「ありがとうございました!」
「ありがとうございました」
2人は学長室を出て行こうとし、その直前でミセリアだけが立ち止まった。
マルグレーテも不思議そうにミセリアを見ている。
どうかしたのか、と思っていると、ややあって彼女は口を開いた。
「……あの、今日は楽しかったです。私は早くに祖父を亡くしているので、今日はまるでお爺様とお話しているみたいでした。
その、失礼します」
そう言って王女を伴い出て行った。
なるほど。
天使だったか。




