7-9
その日、ルイーゼは憂鬱と苛立ちを抱えて帰路についていた。
第二クラスのクラスメイトから聞いた話だが、ユールヒェン・タベルナリウスは卑怯にも王女と仲の良いミセリア・マルゴーという伯爵令嬢を取り込み、彼女の美貌を利用して人気取り作戦をしたらしい。
その効果はちょっと信じられないくらい絶大で、ルイーゼと同じ第二クラスであるにもかかわらず侯爵令嬢支持を表明している学生まで出る始末だ。
さらにどうやら侯爵側は決闘を興業化するつもりらしく、ルイーゼがよく行く下町の商店街でもその話題で持ちきりだった。
王都有数の商会を経営する、金にがめつい金満侯爵の娘らしい実に浅ましい考えだ。
それが神聖な決闘を受けた者のすることなのかと呆れてしまう。
やはりいくら自分たちで高貴だと言ってみたところで、その本質が変わるわけではない。
欲に満ちた貴族など所詮そんなものなのだ。
しかしそうだからこそ、タベルナリウス侯爵家が力を持っているのもまた確かだ。
そして悔しい事に、その力は直接的な戦闘力ではどうにもならない性質のものである。つまり、財力と権力。侯爵家はそのふたつを押さえている。
これは決闘そのものではなく、決闘が始まるその前に行使される可能性がある危険な力だ。
例えば代役。
ルイーゼは詳しく知らないが、何らかの条件を満たせば決闘を受けた側は代役を立てる事ができるのだという。
もしそこで、金に目がくらんだ高位の傭兵などを呼ばれてしまえばどうなるだろう。
平民時代の労働で培った技術と経験から、ルイーゼも同年代の学生よりは戦いの心得がある自信がある。子供向けの日雇いの仕事とはいえ、中には害獣を追い払うような内容の物もあったからだ。
ただ普通に戦うだけならば、ぬくぬくと温室で育てられた貴族の令嬢などルイーゼの敵ではないはずだ。
しかし代役で傭兵などを雇われてしまってはそうもいかない。
傭兵が魔物を狩りに行く時の荷物持ちの仕事をした事があったが、今の自分があんな連中に勝てると考えるほどルイーゼは向こう見ずではなかった。
他にも、決闘の前にこちらの妨害を仕掛けてくる可能性もある。
例えばルイーゼの口にするものに毒物を入れるとか、ルイーゼが使えそうな装備を予め買い占めてしまい、装備を整える邪魔をするだとか。
一週間も時間があれば、その気になればルイーゼを干上がらせてしまうことさえ可能だろう。
考え出せばきりがない。
どうすればいいのか。
不安な気持ちが湧いてくる。
そうなってくると、あれほど勇ましかった気持ちにも影が差してくる。
あの判断は正しかったのだろうか。
オットマーはかなり困った顔をしていた。あれは本当に侯爵令嬢に忖度したからだったのだろうか。
もしや、決闘なんてふっかけるべきではなかったのでは。
そんな事を考えながら、1人自宅への道を歩く。
領地持ちや要職に就いている貴族など、実家に余裕ある学生は普通に馬車を利用するが、そうではない学生や平民の学生などはほとんどが徒歩で通学している。このあたりの不公平さもルイーゼの怒りを助長する一因になっていた。
それを改めて自覚し、ルイーゼは苛立ち紛れに足元の小石を蹴る。
蹴られた小石は勢いよく転がっていき、誰かの足に当たって止まった。
「あっごめんなさい!」
小石が当たった足は、ごつくて立派な鎧に覆われていた。足の部分はサバトンとか言うのだったか。
そこから視線を上に上げていくと、サバトンからグリーブ、キュイス、フォールドと、それぞれが立派に作られた鎧の各部が目に入る。しかし立派でありながらも使い込まれた鎧特有の鈍い輝きがあり、見た目だけではない力強い何かをルイーゼに感じさせた。
そこには、全身鎧を身に纏った傭兵然とした人物が立っていた。
「……足元の小石を思わず蹴ってしまうほど、嫌なことでもあったのかな」
謝るルイーゼに、その全身鎧の人物は気遣うように話しかけてきた。
表情の見えない、フルフェイスの兜の奥から。
◇
「──なるほど。つまり君は、大貴族の横暴に我慢できず、義憤を以て立ち上がった正しき貴族というわけか。
しかしその志の高さだけでは、大貴族に対抗しうる実力そのものにはなりえない。だからどうすればいいのか思い悩んでいると」
顔も分からず、声も不明瞭で、しかし何を言っているのかははっきりとわかる。
そんな怪しげな人物を相手に、ルイーゼは気付けば決闘騒ぎの事を詳しく話してしまっていた。
その傭兵に連れられてきたここは、下町にある酒場だ。
まだ日が高いので客の入りはそれほどない。とはいえ、いないわけではない。
にもかかわらず、店の中で兜を脱ごうともしない傭兵をいぶかしがる客はいなかった。
それはマスターも同様だ。
なんとなく不思議に思いながらも、ルイーゼ自身もこの人物にはあまり不信感や疑問を感じられずにいた。
こんなごつい見た目をしていながらも、どこか安心してしまうというか。
初めて見た時は確かに迫力を感じたのだが、よく見てみればそれは鎧の醸し出す雰囲気であり、中の人物に由来するものではなかった。
こんな鎧を着て普通に行動しているくらいなのだから中の人物もそれなりの実力者なのだろうが、何故かどうにもそうは思えなかった。
何の脅威も感じない。つまり、敵ではない。
敵でないなら、きっと味方であるのだろう。
そんなあやふやな感覚に支配されたルイーゼは、傭兵に求められるままに学園での事を話して聞かせた。
「いや、君の懸念は正しいかもしれないな。確かに、相手は金も権力も握っている。何を仕掛けてくるかはわからない。
しかも決闘だ。相手にとっては絶対に負けるわけにはいかない勝負だろう。なりふり構わずという事も十分考えられる」
「そう、そうよねやっぱり。私、どうしたらいいのかしら……」
平民上がりのルイーゼと言えども、侯爵令嬢のように品のある物言いは無理でも、さすがに少々丁寧な話し方くらいは出来る。
しかし何故か、この傭兵に対してはそういう言葉遣いをする気にはなれなかった。
「もしよかったら、なんだが」
ルイーゼが伏せていた顔を上げる。
「せめて君が全力で戦えるよう、決闘の日まで僕らの傭兵団で訓練を受けてみないか? なんなら食事もそこで摂ればいい。いっそ泊まり込んでもいいかもな。そうすれば少なくとも大貴族とやらに毒を盛られる事もないし、嫌がらせを受ける事もないだろう。
もちろん、訓練には傭兵団を上げて協力すると約束しよう。もし必要なら、当日使用する装備も貸し出そうじゃないか。プロの傭兵が普段使うような装備だから、信頼性は折り紙付きだぞ」
突然思わぬ提案を受け、ルイーゼは固まった。
と同時に少し不審にも思った。
そんなうまい話があるわけがない。
だいたい、そんな事をしてこの傭兵に何の得があるというのか。
この言い方からすると傭兵団の拠点はこの王都にあるのだろうが、今のルイーゼに味方するということは王都有数の大貴族を敵に回すということでもある。しかもその大貴族は王都の商工会に顔が利く大物だ。
そんな人物に敵対するとなれば、侯爵傘下の商店は傭兵団には何も売ってくれなくなるかもしれないし、下手をすれば傭兵団はこの王都から撤退せざるを得なくなる可能性すらある。
ルイーゼがそう尋ねると、傭兵は笑いながら言った。
「なに、簡単な事だ。僕の傭兵団はみんな、前から君のように貴族の横暴が我慢できないと思っている者ばかりでね。君の志に胸を打たれたってやつだ。なんて言うんだったかな、義を見てせざるは勇なきなり、とか言ったかな。
とにかく、これは損得の問題じゃない。この地に生きる者の尊厳の問題だ。だから君に協力するんだ。君はそんな事は気にしないで、全力で戦えばいい」
「でも、私に……出来るかしら……」
「出来るさ。君にならきっと。傲慢な大貴族に罰を与えることがね」
「罰を、与える……?」
「その通り。言うまでもないと思うけど、決闘というのは貴族同士でしか成立しない制度だ。平民には名誉だのなんだのなんていう、生活の余裕なんてないからね。
だからこそ、貴族でありながら平民の辛さもよく知っている君だからこそ、これを逆手に取って貴族たちに罰を与える事が出来るんだよ。これは君にしか出来ない事だ。
そして僕たち傭兵団のような、貴族の横暴に我慢の限界が来ている者たちにとって、そんな君の存在は一筋の希望になるんだ。
だから君は決して負けてはいけない。もちろん君が全力で戦えれば勝つのは当たり前だろうけど、そのための準備を怠っちゃいけないし、そのサポートをするのは僕らの使命とも言える」
なんということだろうか。
市井にもこんな、熱い心を持った傭兵がいるとは。
「そうして君が大貴族を罰する事が出来れば、それはそのまま皆の希望になるはずさ。新しい時代の幕開けだ。これからも君が決闘を利用して理不尽な貴族たちを罰していけば、それがこの国をいい方向に変えていくことになる」
ルイーゼはそこまで考えて行動したわけではなかった。それどころか、安易に手袋を投げつけた事を後悔しはじめてもいた。
しかし、この傭兵の言葉を聞いて考えを改めた。
自分がこの国を変える。その可能性になる。
それはとてもとても素晴らしい事のように思えた。
そしてその可能性を示唆してくれた傭兵の事が輝いて見えた。
そう、本来ならばこういう人たちこそが貴族になるべきなのだ。
ただ血が繋がっているというだけで後を継がせ、一部の貴族たちだけで国を動かしていくというのは正しい姿ではない。
自分のような存在が生まれたのは、つまり平民として育ち、貴族としての立場を与えられた者が現れたのは、あるいはこのためなのかもしれない。
ルイーゼは不意にそう思った。
貴族でありながら、貴族の不義を誅する存在。
この立派な傭兵団の力を借りる事が出来れば、そんな夢のような存在にもなれるかもしれない。
いずれはそれが、この国のよりよき未来を作る事になる。
「──ありがとう。お言葉に甘えさせてもらうわ。あなたの傭兵団にお世話になります。
えと、ところで、お名前は……?」
「僕のかい? ああ、名乗っていなかったか。
僕の事は、そうだな。スキュラとでも呼んでくれればいいよ。姓はない。ただの愚かな傭兵さ」
◇◇◇
少女を一旦帰らせ、ひとり残った傭兵は兜を脱いだ。
とは言っても、兜を脱いだその顔も上半分はまた別の仮面に覆われていたのだが。
「──ああ、疲れた。【煽動】なんて軽々しく使うものじゃあないな。たった一人を唆してるだけなのに、魔力の消費が激しすぎる。女神サマはなんでこんなクソ使えないスキルなんてご創造あそばされたのかね。少なくとも、僕のスタイルには合わないな。まあそもそも働く事自体が僕に合わないんだけど。あのクソババアがヘマさえしなきゃあ、こんな事しなくても済んだんだが」
そう言って脱いだ兜をそこらに放る。
『愚者』にとって、『女教皇』のヘマの尻ぬぐいは我慢がならない話だった。
そもそも、事の発端はあの女が失敗作で金を稼ごうなどとしたからだ。
あれさえなければ、マルゴーとかいう頭のおかしい戦闘狂どもに目を付けられる事もなかったはずだ。
領地へも手駒を侵入させていたらしいが、それについては決行後何年も音沙汰がなかったことを考えると気づかれていたとは考えづらい。
結果的にその手駒にも手を噛まれてしまったのはさすがに笑えなかったが。
活動資金が必要なら、わざわざ稼がずとも持っているところから借りればいい。
あとは返す必要がなくなるように、その貸主を操って証文を処分してしまえばいいだけだ。
今『愚者』がこの王都で有数の商会の子供を操ってそうやっているように。
「この鎧も無駄に重たいし。『戦車』もよくこんなもの着て動けるよな。あいつも頭おかしいんじゃないのか」
店の中にいる、客もマスターもぴくりとも動かない。この店にいる者はすべてこの傭兵の【催眠】によって、起きながら夢を見せられているからだ。
「まあ、でも。
あの子を利用すれば、最近妙に警備が厳しくなった例の学園にも本体で堂々と侵入できるようになるかもしれないしね。もう少しの辛抱だ。
それにしてもあの子はいいな。実に愚かで、僕の好みだ。用が済んだら本格的にうちにスカウトしようかな」
煽動とか使うやつにロクな人間はいないな(




