1-8
レスリーが言うところの出口側の泉はそこからしばらく離れた場所だった。
これだけ離れていれば、入口側の泉が騎士たちに見つからなかったのも頷ける。瘴気の薄いアングルス領では魔物の泉に関する情報などほとんどないだろうし、ゴブリンの目撃情報が多い雑木林の中で泉を発見したのなら、あえて危険な林の中をそれ以上捜索しようとはしないだろう。
出口側の泉周辺は溢れるゴブリンと騎士たちとですでに乱戦になっていた。
こちらは林の北の外縁部に近い。
そのため討ち漏らしたゴブリンが林から出ていってしまったようで、林の周辺の騎士たちも突然現れたゴブリンに浮足立っているようだ。
「そいつは魔物の泉か! 俺たちは依頼を受けてゴブリンの討伐に来た傭兵だ! 助太刀するぜ!」
「すまない! 助かる!」
ユージーンが大声を出す。地声か何らかのスキルか魔法かはわからないが、その声は辺り一帯に響き渡ったようでそこかしこから騎士たちが返事を返した。
この乱戦だ。まずは敵ではないと宣言しなければ、助けに入る事も出来ない。
ユージーンは泉の最も近くにいる騎士を助けに入り、溢れてくるゴブリンを鎧袖一触に片付けていく。
溢れるよりも斬り捨てる方が速い。あのペースなら押さえきる事も可能だろう。やはりユージーンたちはアングルスの騎士と比べてもその実力は抜きん出ている。
すでに林の中や外に散ってしまったゴブリンは、足の速いサイラスや魔法が使えるレスリーが片付ける。
ルーサーは私の護衛だ。投げナイフなど攻撃手段がないわけでもないが、牽制ならともかく敵を殺すには向いていない。
私は大人しくしている。
マルゴーのゴブリンと違い、ここのゴブリンはかなり弱いが、私は武器を持ってきていない。それに下手に割って入ってユージーンたちの気を散らせたり、騎士たちの連携の邪魔をするわけにはいかない。
一流の傭兵である『餓狼の牙』の参戦により、溢れたゴブリンの波は次第に鎮静化していった。
林の中はどこもかしこもゴブリンの血と臓物の匂いが充満し、死体で足の踏み場もないほどだ。
正直耐えがたいが、この地獄にユージーンたちを連れてきたのは私である。文句を言うのは筋違いだし、匂いで顔をしかめたり、えずいたりするのも美しくない。必死で何でもない顔をし続けた。
「そろそろ、落ち着きそうだな」
「林の中にはもう、問題になるほどの数のゴブリンはいないよ」
サイラスが血まみれの短剣を弄びながら近づいてくる。
「外に出ていった分もおそらく問題ないだろう。騎士たちで対処できるはずだ」
レスリーはこの見通しの悪い林で、しかもあの乱戦の中正確に魔法で援護を続けていた。魔法の事はよくわからないが、相当な実力だ。
「……いや、まだ終わっていないよ。その泉、物凄く嫌な感じがする。これは……!」
ルーサーが片腕で私を抱きかかえ、庇うようにして泉から遠ざける。
そしてユージーンたちもそんなルーサーと泉の間に身体を滑り込ませた。
「──あいつらか! 始末しておくべきだったか!」
まともに動けないよう縛ってもらったつもりだったが、何かやらかしたようだ。
しっかり殺しておくべきだったのかもしれない。
アングルスの騎士に助太刀し、敵からは後で情報を絞り取ろうと考えたのは虫が良すぎたのだ。
どちらかを選ぶべきだった。
これは私の判断ミスだ。
そして、そのミスの結果は目の前にすぐに現れた。
仮称出口の泉から、長身のユージーンよりさらに一回り大きい巨大なゴブリンが現れたのだ。
そしてその顔は先ほど見た、あの敵リーダーにそっくりだった。
「これは……!?」
「まさか、人が魔物に……!?」
──グゥオオオオオォォ!
敵リーダーに似た大ゴブリンが咆哮を上げる。
「いや、理性があるようには見えない! 人が魔物になったというよりは、単に素材になっただけって感じだ! 入口側の泉に自分自身を投入したのか!」
どちらにしても、人を材料に魔物が生み出せてしまう事に変わりはないように思える。
何もしなくても魔物が湧いてくるマルゴーに住む私にはピンと来ないが、これはきっと恐ろしい技術だ。あってはならない禁断の技だ。
「あいつもしかして、まだ他に魔石を持ってやがったのか? さっきまでの雑魚とは比べ物にならねえ存在感だ……。
こいつは下手すりゃ、地元のゴブリンキングに匹敵するぞ……!」
ユージーンが冷や汗を拭った。地元というのはマルゴーの事だ。
私たちは別に頼まれて来ているわけではないため、マルゴーの名を出してもいい事はない。
しかしマルゴーのゴブリンキングと同格となれば相当な戦闘力だろう。
以前に上の兄がゴブリンジェネラルを討伐したと自慢していた事があった。
あの兄が自慢するほどだ。ジェネラルの時点でそこらの魔物とは格が違うのは間違いない。キングとなればその上だろう。
「ユージーン様! 何とか……出来ますか!? 被害を出さずに!」
「……何とかは出来ると思うが……被害なしってのは、ちっときついかもな……!」
ユージーンでさえ冷や汗を掻くほどの相手となれば、私はもとよりアングルスの騎士たちでさえ足手まといになりかねない。
半ば成り行きのようなものだったとは言え、私がここに来た事で事態が急速に動いてしまったのは確かだ。
そのせいで私がどうにかなる程度なら構わないが、ユージーンたちや騎士団に被害を出してしまうというのはあってはならない。
しかし、少なくともユージーンたちは私を守るためならばその身を投げ出してしまうだろう。
その覚悟は美しいが、結果は美しくない。
「……では、先日のあの馬のように、もし皆さんが頑張ってくれるとしたら、どうでしょう」
私に出来る事は少ない。
私の取り柄など、所詮この美しさくらいのものだ。
しかし、この街に来るまでの間、凄まじい速度で走り続けてくれた馬の事を思い出した。レスリーが言うには、あれはさすがに有り得ない事らしい。
それが私の美しさによるものであるならば、今ここでも同じ事が出来るのではないだろうか。
ましてや、ここにいるのは人間の男ばかり。
さすがに馬よりは私と美的感覚が近いに違いない。
ならば、私の美しさも多少なり彼らの力になれるかもしれない。
「……あれなら、確かに。だが、ひとりふたりを強化したところで大差はねえ。これだけの人数だ。出来るのか? お嬢」
ユージーンが辺りを見回す。
アングルスの騎士たちがいる。
皆、新たに現れた圧倒的存在感を持つこのゴブリンに対して身を竦ませながらも、ピンチに助けに入った傭兵たちを期待のこもった目で見ている。
彼らを死なせないためには、彼ら全員を奮い立たせてやる必要がある。彼ら自身の限界を超えて。
「問題ありません」
私は私の美しさを信じている。
私の美しさはすでに人としての限界を超えているはずだ。
ならば、それを以て彼らに限界を超えさせる事もまた可能だろう。
「無茶だ! この人数の【鼓舞】なんて、総本山の大神官でも……!」
ルーサーが叫ぶ。
どうやら【鼓舞】というスキル、女神教のお家芸らしい。偶然だが私も持っている。
何故私がそれを持っているのかはわからないが、女神に仕える神官にも出来るのであれば。そしてそれが役に立つのであれば。
「ですから、問題ありません。言ったことは無かったかと思いますが──」
私はローブを脱ぎ捨てた。
「私の美しさは世界──いえ宇宙一。女神の下僕に出来るのならば、私に出来ない道理はない」
顕になった私の美貌に、傭兵も、騎士も、異形の怪物さえ目を奪われる。
「──勇者たちよ! 恐れるな! 貴方たちの勇姿は、この私がしかと見届ける!」
初めて、自分の容姿を意識して利用するからだろうか。
身体の奥から熱がせり上がってくるのを感じた。
本能的に理解する。
この感覚がスキルと呼ばれるナニカだ。
【超美形】、【美声】、【魅了】、【鼓舞】、【威圧】、【煽動】──
いくつもの単語が脳裏を流れては消えていく。
若干気になるフレーズも混じっていたが、重要なのはふたつだけ。
すなわち、【超美形】と【美声】だけだ。
「ゆけ! 殺せ! 美の名の元に!」
「ウオオオオオォォォォォ!」
「あれなる異形の血と肉を、我が眼前に捧げてみせよ!」
「ウオオオオオアアアアアァァァァァ!」
騎士たちが気炎を上げる。
傭兵たちの気迫が迸る。
異形は動かない。
まるで何かに魅入られたかのように微動だにしない。
そこへレスリーの魔法が突き刺さる。ルーサーのナイフが突き刺さる。サイラスの短剣が突き刺さる。
騎士たちの剣が殺到する。
腹に穴が開く。臓腑が抉られる。
腕が落とされる。足がへし折られる。
異形は動かない。
耐えられず膝をつく。
ちょうど、異形の顔が私の顔と同じ高さになる。
遠く視線が交差する。
その目はまっすぐに私を見ていた。
瞳の奥に見えるのは、恐れと憧れ、怒りと──
その時、すっ、と視線が遮られた。
ユージーンの背中だ。
次の瞬間、異形の首が宙を舞った。