7-8
チョトナガメ
決闘の手袋が投げつけられる、というアクシデントはあったものの、一応授業中だったので残り時間は普通に授業が行われた。あのまま2人が別々に去っていったりすれば絵にもなったのだろうが、現実はそんな映画のようにはいかない。特に真面目なユールヒェンが授業を放棄して立ち去ってしまうなどありえない。
遠くから見学しているだけではよくわからないのだが、こういう時当事者の2人はどういう気持ちで授業を受けているのだろうか。気まずくなったりしないのだろうか。
ちなみに編入生は結局、この日は授業について行く事が出来ずに大人しく特別メニューを受ける事になったようだった。
もうその時点で決闘の理由も消滅してしまっているような気がするのだが、編入生は変わらずユールヒェンを睨みつけている様子だ。
傍から見ていても編入した事情を汲んだかなりの厚遇を受けているように思えるのだが、彼女は一体何と戦っているのか。
「多少躾がなっていないくらいなら、事情が事情だしそこまでうるさく言われる事はないだろうけれど……。
決闘騒ぎとまでなると、さすがにこれは例の何とかっていう子爵の責任が問われかねない問題ね」
「一応、決闘は本人同士の自己責任の上で行なわれるものであって、家は関係ないのでは」
あと、多少躾がなっていないくらいでうるさく言っていた子もいるようだが。
とはいえ本人の将来の事を考えれば、甘やかすよりは小言を言ってやった方がむしろ優しさだと言えなくもない。
「建前ではそうだけど、実際はそうもいかないでしょ。未成年だし」
言われてみれば、たしかにそうだ。
だとすればタベルナリウス侯爵もいい迷惑だろう。
二学期の初めから私に物流を乱され、それが落ち着いたと思ったら──あれ以降は登校時間を早めて他の馬車の邪魔にならないようにしている──大事な娘が決闘騒ぎである。
本人は何も悪くないというのに踏んだり蹴ったりもいいところだ。
物流に関してはどれほどの影響があったのかは知らないが、あれは明確に私のせいであるため心が痛い。
だが今回の決闘騒ぎは100%私は無関係だ。なので完全に他人事気分で見ていられる。気分はスポーツ観戦だ。
もちろん、私が応援するつもりなのは同じクラスの仲間であるユールヒェンである。
しかし、と、ここで一瞬冷静になって考える。
決闘という事はもしかしたら、あの全国的な美しさを持つユールヒェンが、大怪我をしてしまう状況もあるのではないだろうかと。
それは逆に、あの編入生にしても同じ事だ。
他所のクラスの学生であるし、私もユールヒェンほど思い入れがあるわけではないが、だからといって大怪我をしていいとは思わない。
もちろん、お互いがお互いの矜持を懸けて殴り合うのだから、怪我をするのは仕方がない。
しかし後遺症が残るような大きな怪我はどちらにもして欲しくない。
決闘自体はもう、今さら止められまい。
おそらく私よりも止めたいと思っていただろうオットマーでさえ、溜め息を吐きながら立会人として受理を宣言していたくらいだ。
決闘自体は避けられないこの状況で、大きな怪我や死亡につながるような一撃を回避させる方法は何かないか。
あるいは、万が一の事があったとしてもすぐに対応できるような環境を作り出す事は出来ないか。
私は少し考えて、前世のスポーツ中継を思い出した。
そうだ。大事にしてしまえばいいのだ。
人がたくさん集まってくれば、その中で際立って暴力的な一撃を食らわせるような事はそうそうしないだろう。致命の一撃を放てる瞬間だったとしても、その行使を一瞬躊躇ってくれるかもしれない。
人をたくさん集められれば、その中に医療のスペシャリストを紛れ込ませる事も出来るだろう。万が一が起きても被害を軽減する事が出来るかもしれない。
もちろん学園としてもこんな事で被害を出すわけにはいかないだろうから、そのための人材はオットマーが手配するとは思うが、セーフティネットの枚数は多いに越したことはない。
その為には、決闘をひっそりと行なわせてはならない。
幸い、日時と場所はすでに決定している。立会人が宣言した以上、これはもう変更がきかない。
ならば、その日その場所そのタイミングに、強制的に人を集めてしまえばいい。
多くの人を集めるという事は、多くの人の心を動かすという事。
ならば私にできる事は。
「……ねえ。急に黙りこんじゃって、どうしたの」
「グレーテル。ユールヒェン様は私たちにとって大切なお友達です。そうですね?」
「え? いや、まあ、あっちがどう思ってるかは知らないけど……」
「ならば、ここはやはりユールヒェン様を大々的に応援して差し上げるのが、お友達としてするべき事なのではないでしょうか」
◇
そして、その日の放課後。
「──本日の授業もお疲れ様でした。私はミセリア・マルゴーです。ご存知の通り、マルゴー家の長女です。
私には色々な事情があり、残念ながら今夏の社交シーズンでは皆様のようにパーティに参加する事ができませんでした。
しかしそんな私に対して、皆様は優しくしてくださり、パーティで起きた事などを惜しげもなく教えてくれました。それは皆様にとっては何のメリットもない行ないであり、高位貴族の子女である皆様であればそんな事は十分にわかっているにもかかわらずです。
私は皆様の優しさに触れ、とても暖かい気持ちになりました。本当にありがとうございます」
授業が終わるや否や、突然教壇に立った私を見て、クラスメイトたちは皆あっけにとられている。
一旦は廊下まで出てしまった者も何事かと戻ってきたほどだ。
それは担任のフランツもそうだった。
なんであれ、全員が話を聞いてくれそうでよかった。
私の演説を聞き、それがクラスメイトの優しさに対する礼だった事もあって、聞いた皆はどこか照れくさそうな面持ちで視線を彷徨わせたりしている。
肝心のユールヒェンはバツの悪そうな顔で視線を落としているが、新学期も初日から私に厳しい事を言ってしまったと感じているからだろう。私としてはあれも感謝しているのだが。
もちろん、これはフォローしておかなければならない。
「中には、休み明けで少々ボケていた私に、優しい言葉ではなく苦言を呈して下さった方もいます。
ですが、私にはわかっています。その行為はその方なりの、計り知れない優しさの裏返しなのだと。きっと私はその方に言われなければ、毎日周りに迷惑をかけ続けてしまっていたでしょう。それは小さな事かもしれませんが、積み重なればいつか大きな事故を起こしていたかもしれません。
ですから私は、その方にとても感謝をしています」
ユールヒェンの傍にはいつの間にか取り巻きの少女たちが近付いており、私の言葉を聞くと優しくユールヒェンの腕をさすっていた。心なしかユールヒェンの目も潤んでいるようにみえる。
何と美しい光景だろうか。
「そしてそれはきっと、私だけではなく他の皆さんも同じではないかと思うのです。
一見すればきつい物言いのように思えるでしょう。しかしそれは常に、私たちをより高みへと登らせるためのものではなかったでしょうか。
──思い返してみてください。彼女の言葉のひとつひとつを。それは確かに、耳に痛い言葉だったのかもしれません。でも耳に痛いという事は、それだけ私たち自身も問題を自覚していたという事。
嫌われる事も厭わず、あえてその役割を引き受けてくれる姿こそ、私たちが目指すべき高貴なる者のひとつの完成形なのではないでしょうか。
そう、これこそがノブレス・オブリージュ。彼女こそがその体現者なのです!」
私はまだ誰とも言っていないのだが、クラスの何人もがユールヒェンを見ていた。皆、自分や友人のことで多少なりとも心当たりがあるのだろう。
それに気付いたユールヒェンは今さらながら、おやなんだかおかしいぞと思い始めたようで、珍しく少しおどおどしている。
様子を窺っていたフランツはイチ早く何が起きるのか察したのか、ため息をつきつつこちらに近付いて来ていた。フランツも決闘騒ぎの件はオットマーから聞いているはずだし、あの表情からするとそれをよく思っていないのは明らかだ。
しかしここで止められてはかなわない。
私はいっそう熱が入った振りをして演説のペースを上げた。
「皆様は当然ご存知の事と思いますが、そんな高潔な魂を持つユールヒェン・タベルナリウス侯爵令嬢が本日、第二クラスの編入生より決闘を申し込まれました。
私はその時見学で詳しい事情は存じませんでしたが、後から聞いたところによれば、編入生のおっしゃりようは言いがかりにも近いものであったらしいではありませんか。
私たちの敬愛するユールヒェン様が、理不尽な理由で決闘に巻き込まれてしまった。
こんな事が許されて良いのでしょうか」
熱を入れたのは振りのつもりだったのだが、知らず知らずに私は興奮し始めていた。
脳裏をよぎる、見慣れたいくつもの単語。【演説】、【煽動】、【説得】などの言葉が流れては消えていく。
私を止めようと近付いていたフランツもいつの間にか足を止め、私の言葉に聞き入っている。
分かってくれたようでなによりだ。
「私たち貴族に生まれた者は、確かに誤解されやすく、平民の方々からの嫉妬を受けやすい存在であるのかもしれません。それは上位者として、時に甘んじて受け入れなければならないものであるのでしょう。
ですがそうだとしても、ユールヒェン様がここまでの仕打ちを受ける謂れがあるのでしょうか。
彼女の高貴な在り方を、あの様な形で否定させてもいいものなのでしょうか。
そして私たちは、それを看過してもいいのでしょうか」
もはやこの教室内で、私に注目していない者は誰もいなかった。
廊下から何事かとこちらを窺っていた、第二クラスの一部の学生や使用人控室から出てきた者たちでさえ、教室内の熱が伝播したかのような瞳で私を見つめていた。
「本来ならば、この答えは皆様自身で出さなければならないのかもしれません。
ですが、敢えて言いましょう!
そのようなことは、決してあってはならないと!
他ならぬ、この第一クラスの私たちだけは、ユールヒェン様の行為を否定してはならないのです! それがたとえ、他のいかなる方々の不満を買う事になったとしても!
貴族家に生まれたからこそ、また未だ理想を語る事が許される若人であるからこそ、私たちだけは最後までユールヒェン様の高貴な魂を讃え、支えて差し上げなければなりません!」
ここまで来ると、話を聞いていた人たちは皆拳を握りしめ、行き場のないやる気をその手の中に持て余しているように見えた。私の話は理解できるが、ならばどうすればいいのかがわからずにもどかしい。そんな感じだ。
「ならば私たちで、最大限ユールヒェン様をサポートしていこうではありませんか!
──ですがもちろん、神聖な決闘です。余人が関わる事は許されません」
まあ代理人とかは立てられるらしいが、それは別に今言う必要はない。
「たとえ共に戦場に立つ事が出来ずとも、それはユールヒェン様の力になれない事を意味するものではありません。決闘までは一週間あります。装備の用意や、トレーニングの補助。あるいはスパーリングの相手。コンディションの調整。食事の管理。そうした細々としたサポートもまた、必ず決闘の役に立つはずです。
そして何より、私たちがこうしてユールヒェン様を想っているということ。
それをもし、決闘の最中にユールヒェン様が欠片でも思い出してくれたとしたら。
それはあの方にとって、何よりの力になるとは思いませんか?」
おお、と、教室に大音声が響き渡った。
拳を握りしめていた全員が、それを天に突き上げ、咆哮を上げたのだ。
それはユールヒェンの取り巻きの2人も同様だ。
ちなみに当のユールヒェンは両手で顔を覆ってうずくまってしまっている。これは仕方がないと言えよう。たぶん私が同じ事をされてもそうなる。
「そして、この決闘におけるこちら側の正当性を主張するためにも、広く人を集めるようにしてはどうでしょうか。
出来るだけ多くの方々にこの決闘をご覧いただき、その行く末をしかと見定めていただくのです。そうすることで、初めてユールヒェン様の貶められた名誉を回復させる事が出来るのではないでしょうか。
具体的には決闘会場の周りに屋台や出店などを誘致し、一般にも開放出来るようにして……。ああもちろん決闘が神聖なものである事は重々理解しております。ですが、そうであればこそ、女神様に決闘と共に他の貢物も奉納するという意味でお祭り、いえお祀りイベントとして──」
こうして一週間後の決闘は、大観衆の中大々的に行われる事となった。
イベントの総監督は言いだしっぺの私だが、ユールヒェンの取り巻きの2人の令嬢が積極的に手伝ってくれるらしい。
タベルナリウス侯爵家に関わりのある家の出だけあってか王都の商工会に顔が利くらしく、屋台や出店、イベントコンパニオンの手配やレイアウトは任せてほしいと言ってくれた。
つまり、私は何もしなくても他の人が全部やってくれるという事だ。総監督って素晴らしい。
当日に挨拶だけして欲しいと言われてしまったが、そのくらいならなんてことはない。私は飛びぬけて顔が良いので、そういう広告塔のような役割ならうってつけだろう。
これで、当日現場に多くの人を集める手はずは整えられるだろう。あとは学園長の許可をもぎ取るだけだ。
それにこれならきっと、馬車の件で迷惑をかけてしまったかもしれないタベルナリウス侯爵も儲けられる事だろう。
お詫びというわけではないが、これで何かのお返しにでもなればいいのだが。
◇
ちなみに後で我に返ったフランツに呼び出され、結構すごい勢いで叱られた。
神聖な決闘を興業のように仕立ててしまった事もそうだが、それ以上に許可のない演説は煽動行為と見なされ罰せられる事もあるからだそうだ。
考えてみれば当たり前である。それが許されるのは民主主義の社会だけだ。その民主主義社会でさえ、迷惑防止の観点からという名目で人々が集団で集まる事には否定的なくらいなのだ。絶対君主制の国家で許されると思う方がどうかしている。
ここが閉じられた学園であるということ、決闘自体は私に関係なくすでに決まっていたことなどから、今回は大目に見てもらえる事になった。
それだけで済んで良かった。
しかし煽動の件はともかく、その内容については特に何も言われなかった。フランツとしては、どうせそんなものは許可されないと思っていたらしい。




