7-6
休み前と変わらない授業。
しかし授業以外では変化があった。
それは編入生の存在だ。
ホームルームでフランツが伝えてくれたのだが、そうは言っても別に私たち第一クラスに直接関係があるわけではない。
その人物は隣の第二クラスに編入したらしい。
なんでも、とある子爵家の当主がかつて使用人の女性と火遊びをしたことがあったそうで、運良くなのか運悪くなのか、その時に撒かれた種が見事な花を咲かせていたという話だ。
そしてその使用人の女性が亡くなった事で身寄りのなくなったその少女を不憫に思った子爵夫人が声を上げ、この度正式に子爵家に引き取られる事になったらしい。
使用人の女性とやらの行く末について子爵夫人がよくご存知だったのは何故なのかとか気になる点はままあるが、おおよそよくある話ではある。物語では。
もちろん、貴族としてはあまり褒められた話ではないので、現実でやれば普通に白い目で見られることになる。その子爵閣下も今頃さぞかし肩身の狭い思いをしているだろう。
ホームルームでこの話を聞いた時は私はたいそう驚いたのだが、グレーテルをはじめとするクラスメイトたちにはそういう様子は見られなかった。
聞けば、ほとんどのクラスメイトはすでにパーティなどで顔を見た事があるのだとか。
ユールヒェンが少し顔をしかめていたのが印象的だった。
「どんな方なんでしょう。その編入生というのは」
「どんなって……そうね。ああ、ユールヒェン嬢が嫌いそうなタイプの子よ。なんて言うのかしら。自由っていうか、我が道を行くタイプっていうか。そういうところはミセルにちょっと似てるかもね」
「……私は別に自由でも我が道を歩いているわけでもありませんが」
心外である。私ほど謙虚な人間もそうはいない。
何より、往来というのは私だけの道ではない。それは今朝ユールヒェンにぷりぷりされながら言われたばかりだ。ちゃんと理解はしている。ただなぜか上手に出来ないだけである。
「で、ミセルと違うところって言うと、礼儀作法がまだ怪しいところとか、異性との距離が近すぎるところかしら。パーティでも色んな貴族令息に話しかけようとして、普通に警備兼任のフロアスタッフに止められてたわ。同じくらい令嬢にも話しかけてたみたいだけど。身分の違いも無視してフランクに話しかけられた高位貴族はみんな良くは思っていないでしょうね」
「なるほど。貴族でそれはちょっと問題かもしれませんね」
事情を考えると、つい最近までは平民の女の子として過ごしていたのだろう。
それが急に貴族令嬢としてやっていかなければならなくなったという境遇には同情するが、可哀想な境遇というのは別に他人に迷惑をかけても良い免罪符になるわけではない。
平民には平民のルールがあるように貴族には貴族のルールがある。境遇がどうあれ、それを守らなければ困るのは本人とその家族だ。
「ですが、学園に通う事は別に貴族としての義務という訳ではなかったと思うのですが。そんな状態なら、お屋敷の中でみっちりと躾をした方がよろしいのでは」
「まあ、そうね。確かに義務ではないのだけれど……。
よく考えてみて、ミセル。今この学園には、同年代の貴族や有力者の子女がたくさんいるわよね。例えば今朝も、貴女にパーティの様子なんかを教えてくれた子たちがいたでしょう?」
「ああ、そういうことですか。つまり学園に通わないという事は、卒業後の社交界でのポジションを一切作る事が出来ないという事でもあるのですね。そして今の教室での私のように、パーティの中で浮いてしまう事になる」
私は一学期という共に過ごした時間の積み重ねと持ち前の美しさもあってクラスメイトに好意的に接してもらえたが、逆にパーティにしか現れない者であればそこまでの関係を構築するのは難しいだろう。
「そう。ゆえに暗黙の了解ってやつなのよ。この国の貴族に生まれた者が学園に通う事はね。まあ、マルゴー家くらい我が道を行く家なら別にそんな事気にしないんでしょうけど」
「なるほど。先ほど私に言った言葉は、私ではなく我が家の事を指していたんですね」
「いいえ。我が道を行くマルゴー家と、その中の特に貴女の話よ」
◇
いくら編入生が個性的だと言っても、クラスが違うのでそもそも接点がない。
そうして何事もなく平和に数日が過ぎた。
学期始めこそ私が持ち込む護衛たちに難色を示していたユールヒェンであったが、休み時間などは気づいたら私の近くまで来ている事が多くなった。
何なのだろうかと思っていると、私が目を離した隙を狙ってビアンカを撫でているらしかった。これはいつも私と一緒にいるグレーテルから聞いた。
「彼女、犬派みたいね。鳥派の私と競合しないから見逃してあげてるわ」
とかドヤ顔で言っていた。
ちなみにネラは休み時間の度に広く多くのクラスメイトに愛でられている。うちのクラスは猫派が多いようだ。
基本的に気位が高くあまり懐かないネラではあるが、自分がちやほやされている状況はわかるらしく、満更でもない顔をしている。
というか、グレーテルの言った鳥派とか初めて聞いた気がする。
鳥が好きというのはわかるのだが、犬や猫に対抗して派閥形成するほど人がいるのか。
ところが平和だったのは最初の数日だけだった。
クラスが違うと言えど、同じ学園ではあるので接触する機会は当然来る。
魔法実習の合同授業である。
実際は食堂などで遠目に見かけてはいたのでこの授業が初見というわけではないのだが、食堂のような場所は自然と学年ごと、クラスごとに住み分けがなされている。別のクラスの学生と関わる事はそうそうない。
私はただそのピンクブロンドの髪を、派手な色合いをしているなと呑気に見ていただけだった。
ちなみに顔立ちは普通だった。と言っても貴族における普通であるので、一般的には十分可愛いと言える。50人近くいるアイドルグループの真ん中くらいという感じだろうか。顔立ちよりも、仕草や表情で人気が出るタイプだ。
とにかく、事件は合同授業の最中に起きた。
実習中、ユールヒェンと編入生がちょっとした騒ぎを起こしたのだ。
騒ぎと言っても言い合い程度で、別に何かが破損したとか誰かが怪我をしたとかそういう話ではなかった。
途中までは。
ちなみに私とグレーテルはその様子を見学席から高みの見物としゃれこんでいた。実習は見学が基本なので、そうする以外になかっただけだが。
「──正直、第二クラスの問題児なんて放っておけばいいと思うのだけれど。ユールヒェン嬢もなんていうか、面倒くさい性格してるわよね」
流れとしてはこうである。
今回から初の実習になる編入生に対しては、担当教師のオットマーも配慮せざるを得なかった。
そのため彼女専用に特別メニューを用意し、他の学生は今回のところは休み明けの慣らしも兼ねて自主訓練となったわけだが、それに対して当の編入生が異議を唱えたのだ。
曰く、自分のために2クラス全体の授業の進行が遅れてしまうのは申し訳ない、必死についていくから自分も同じように指導してほしい、との事だった。
実際は彼女のセリフは聞こえなかったのでそう言っていたのかどうかはわからないが、その後に叫んだユールヒェンの声はよく通るので何となく状況を察した感じだ。
元々平民であり、つい最近貴族になった編入生が、これまで魔法の訓練をした事などあるはずがない。
その最初の魔法実習において、いきなり他の学生と足並みを揃えるなど無謀もいいところである。
魔法という力はいち個人が持つには危険すぎるもので、だからこそ徹底した訓練が必要なのだ。もし何か予期せぬ事故でも起これば、その被害は想像もつかない。包丁で誤って指を切るのとはわけが違う。
もちろん、持って生まれた類稀なセンスを頼みにいきなり魔法を使いこなす人間もいないでもないだろうが、誰もがそんな伝説級の英雄になれるわけではない。
実際、全方位に美しい私でも、魔法の扱いに関しては兄たちの後塵を拝するしかないのである。
「ですが、お優しいオットマー先生はあの編入生の方にはっきり言えなかったようですし、あえてご自分が悪役になることで現実を教えるというのはなかなか高貴な行ないなのでは」
「でも所詮はよそのクラスの話でしょう。まあ合同授業だからそうも言っていられないのかもしれないけど。本来編入生は第二クラスの人間が諌めるべきであって、第一クラスのユールヒェン嬢が泥をかぶる必要なんてないでしょ」
おや、と思った。
グレーテルはユールヒェンを良く思っていないように考えていたのだが、この言い方からするとユールヒェンを批判する形でありながら、どこか心配しているようにも見える。
ユールヒェンもそうなのだが、グレーテルも十分面倒くさくて分かりにくいようだ。
全く我が第一クラスは最高である。
それはともかく、問題は第二クラスだ。
「あの編入生は確か子爵家のご令嬢でしたね。第一クラスは王家から伯爵家までの子女が集められたクラスです。そして第二クラスは子爵以下の貴族と平民の方々。
成り上がりのようなものと言えども、クラス内で一応最高の爵位を持つ家の出である編入生に物申せる方というのは少ないのではないでしょうか。
ああ、でも学園の方針として、学園外の立場は持ち込まないという前提がありましたね」
「まあ確かにそうなんだけど、それって実際はなかなか難しいのよね。第一クラスにいるとあんまり実感ないけど。
でも、そうか。第二クラス内では子爵の上の身分の人っていないのね。それであの子に何か言える子がいないのか」
入学式でも言われた通り、学園内では外の立場は意味を成さない。
しかしそうは言っても、学生同士の揉め事に毎回それを適用するのも難しい。
教師が介入するような話であるなら、実社会でも一定の立場と影響力を持つ学園教師の肩書が物を言うのだろうが、学園を離れればただの貴族の子供でしかない学生たちではそうはいかない。平民階級であるならなおさらだ。
第一クラスは爵位が高めの貴族しかいないためか、ことさらに「学園内での立場」にこだわる風潮がある。これは爵位の高い貴族の方が、かえって爵位に頼らない学園の影響力を恐れているからだろう。
しかし下級貴族や一部に裕福な平民も混在している第二クラスでは、階級主義的な考え方が少し強いらしい。
なんでも、貴族の子女の方にそのつもりがなくとも、平民の学生の方が勝手に忖度して持ち上げたりする事例が結構あるそうだ。
グレーテルは続けてそう話してくれた。
そういった学園内の情勢や空気なども、休暇中に開催されたパーティやらなんやらで仕入れる事が出来るのだそうだ。
え、私ちょっと時代に取り残されすぎでは。
「それにしても、ユールヒェン様にしては随分と回りくどい事をしていらっしゃるように見えますね。
とっとと手袋を叩き付ければよろしいのに」
私にやったみたいに。
「……貴女彼女の事なんだと思ってるの? 入学当初ならともかく、一学期の間真面目に授業を受けてきたユールヒェン嬢と編入したばかりの子爵令嬢じゃあどんな決闘するにしても結果は見えてるでしょ。あのプライドの高いユールヒェン嬢に限って、そんな公開処刑みたいな真似するわけが──」
グレーテルがそう言いかけていた、まさにその瞬間。
何か白いものが陽の光に照らされた。
「あっ! 見てくださいグレーテル! 手袋です! 手袋が出ましたよ!」
「うっそでしょ!?」
驚いて見守る私たちの目には、相手の足元に手袋を投げつける編入生の姿が映っていた。
お嬢は同性との距離が近すぎるだけなので問題ないですね(




