7-2
なんとか『戦慄の音楽隊』の実力を父に認めさせることが出来た。
終盤はサクラの歪んだ性的嗜好についての議論に話題が移っていたような気もしたが、とにかく父が彼らの実力を認めたのは確かである。
それによって私も行動の自由を得た──と、言いたいところだが、その許可はすぐには出なかった。
新たに問題となったのはサクラの頭部の立派な角である。
父でさえ見た事のない新種の魔物となってしまったサクラに、おいそれと往来を歩かせるわけにはいかない。
しかしそれではいつまで経っても私は領外に出られない。
そこで打開策として、バーディングと呼ばれる馬用の鎧を用意する事となった。
その兜部分、チャンフロンとか言うらしいが、これをサクラの角に合うように穴をあけ、角をさも鎧の一部であるように偽装する事で、目立たないようにするという作戦だ。
これが出来上がるまではサクラを屋敷から出す事は出来ない。
それと同時に、私も乗馬の訓練を受ける事になった。
いざという時、せっかく馬がいるというのに馬車が無ければ逃げられないというのは問題だ。
これはルーサーやレスリーから父に提言があったらしい。
どうせ鎧が完成するまで出かけられないし、サクラも採寸が終わってしまえば暇になる。
その時間を使って裏庭で乗馬の訓練をすればいいというわけだ。
幸い、裏庭の木は根こそぎ枯れてしまい撤去されているし、その後も雑草一本生えてこない。見栄えのために形だけ均されているが、要はだだっ広い運動場のようなものだ。乗馬の訓練にはもってこいだった。
私への指導は母が引き受けてくれた。
母はいかにも正統派の令嬢がそのまま大人になったかのような雰囲気の淑女だが、乗馬も嗜みとしてちゃんと修めているらしい。もちろんそれは妹のフィーネも同じである。ただしフィーネは乗馬はもう出来るらしいので今は別の授業が割り当てられており、私たちと一緒に練習する事はない。
「おおお母様! てててて手を離さないでくださいね!」
私はサクラの背に跨り、片手で手綱を握りしめながら、もう片方の手で母の手を握ってそう懇願した。
馬の背に乗るのは初めてだが、思っていたよりずっと高い。
しかも不安定だし、サクラは何やら落ち着かない。
正直怖い。
「ミセル。そんな事を言っても、これ以上お母様が貴女の手を握っているとサクラの機嫌がどんどん悪くなっていきますよ。そうしたら振り落とされてしまうかも」
そうか、サクラが落ち着かないのは不純担当の母がいるせいだったか。
しかし今手を放されてしまっても、私の細腕が乗馬に耐えられるかどうかわからない。
「……今何か、余計な事を考えてませんでしたか?」
「何も考えておりません! でも怖いです! ユージーン様の背中の方がずっとマシです!」
「ユージーンの背中……? 貴女、ユージーンの背中に乗った事があるの?」
「ユージーン様の背中はサクラほど高くありませんし、私もうこれからずっとユージーン様に乗ります!」
「ミ、ミセル! そんなはしたない事絶対に外で言っては駄目よ!」
めちゃくちゃ怒られた。
そうこうしながらも、とりあえず続けていれば結果は出るもので、10日もすれば私は襲歩でサクラを走らせる事ができるようになった。
普通ならお尻や股の痛みで連続して乗馬が出来ないところなのだろうが、この世界には治癒魔法がある。痛くなったら治癒魔法で即座に回復させ、ほとんど休む間もなく訓練をさせられた。
もちろんルーサーに股やお尻をさすってもらうのはちょっと絵的に問題があるので、マルゴー家で雇用している常勤の女性の治癒士だ。それはそれで問題があったような気もするが。
本来はそれに加えて馬の疲労の問題もあるのだろうが、こちらはサクラの持つ驚異的な体力が物を言った。何と言うか、何をやらせてもまったく疲れる様子がないのだ。
元は馬車曳き用の馬だったのにもかかわらず、現在は体型も変化して、まるで歴戦の軍馬のような威圧感を醸し出している。色も鹿毛から、青鹿毛か青毛かというくらいに黒く濃くなってしまった。
その見た目の通りと言おうか、荷を曳かせても走らせても戦わせても、何をさせても卒なくこなすエリートホースにいつの間にかなっていた。
サクラであれば私との意思疎通も容易だし、人馬一体とまでは言わなくともそれなりに駆る事はできる。
では他の馬はどうかと言うと、さすがにそこまで自由自在には操れなかった。
それでも最低限の嗜みと言える程度には乗馬を習得する事が出来た。
それを以て母からひとまずの合格をもらい、私は乗馬訓練を終えた。
この頃には、サクラ用のバーディングも完成していた。
濃い色の体毛に合わせた漆黒の鎧はサクラの持つ威圧感を増し、要所要所にアクセントとして埋め込まれているルビーは真紅の角と調和しており、角がチャンフロンの装飾であるという偽装に説得力を持たせている。
「いいですね。かっこいいですよサクラ。可愛い感じではなくなってしまったのは残念ですが……」
「……今までサクラが可愛い感じだったことってあったでしょうか……?」
ディーが首をかしげるが、私にとってはサクラはいつでも可愛い愛馬だ。
そしてついでと言うか、余った素材でビアンカとネラの首輪も作られていた。
私たちがボロボロにしてしまったオークジェネラルは、残念ながら皮としては大した価値が無くなってしまった。何によって付けられたのか全く分からない形状の、正体不明の傷だらけで、一枚の革を作り出す事が出来なくなってしまったからだ。
しかし端材のような使い方なら可能であり、犬や猫の首輪なら端材で十分だった。
自分たちで倒した魔物の革をベースに、サクラの鎧と同じ黒鋼とかいう謎金属をあしらった首輪は、白いビアンカによく映える。
もちろん黒い毛並みのネラにも似合う。こちらはあまり目立ってもいい事がないため、暗い色合いの首輪は歓迎だ。
ボンジリには首輪はつけないが、両足に足輪という形で小型のものを巻いた。
言うなれば、『戦慄の音楽隊』のトレードマークのようなものだ。
そうなると指揮者の私も何か欲しくなる。
「貴女にはこれです」
そう思っていると、母が私に細長い何かを手渡してきた。
革製の乗馬鞭だった。
聞けば、ドラゴンの髭を芯材にしてオークジェネラルの革で覆ったものらしい。ドラゴンに髭が生えているというのも初めて知った。弱めのドラゴンにはそういう種類もいるのだとか。
被覆部分は消耗品だとしても、芯材が優秀なのでその気になればちょっとした鎧なら引き裂けるそうだ。いやそれは乗馬鞭としてどうなのか。
サクラであればその程度の攻撃はダメージにもならないそうなので問題ないらしいが、まずサクラとは意思疎通が出来るので鞭が必要ない。じゃあいつ使えばいいんだろう。
「……指揮棒代わりに振りますか」
「鞭をですか? あの、オプションはありますか? 豚野郎とか……」
「ディーが何を言っているのかちょっと分からないです」
とにかく、これでようやく私は正式に学園在学の許可を得る事が出来た。
心配ごともなくなったし、これで残りの休暇も心おきなく過ごす事が出来る。
と思ったのだが、気づいたら休暇はもう2日しか残っていなかった。
「大変です……! 宿題をやらないと!」
長期休暇は元々、学生が里帰りをすることは想定されていない。
そうなると多くの学生は1ヶ月という長い時間、王都で漫然と過ごす事になる。
どこの世界でも、学生というのは暇を持て余すとロクな事をしない。ましてや、王立学園に通っている者の中には金や権力を持っている者も少なくない。
時間と金がありながら、人間性は未だ未熟。
であれば、何らかの問題を起こしても不思議はない。
別にそれを阻止するのが目的と言う訳ではないのだろうが、学園からは学生に休暇中にこなしておくよう課題が出されていたのだ。
なんだかんだと忙しかったせいですっかり忘れていた。
というか、王都に残った学生だって貴族同士の付き合いはあるだろうし、忙しい事に変わりはないのではと思わないでもない。
「使用人用の控室でも多少の勉強はできますが、さすがにお嬢様の課題を手伝えるだけの学力は私にはありません。申し訳ありません、お力になれず……」
「いいえ、大丈夫ですディー。元より宿題というのは自分ひとりでやらねばならないもの。
それに、終盤になってから慌てて取り組むという状況にも慣れています。最終日は王都への移動に使わなければならないので実質1日しかありませんが、私ならきっとできます!」
「……あの、お嬢様が学園に通われるのは今年からでしたよね。慣れているとはどういう」
「よーし、まずは日記からですね! ええと、確か休暇の初日はお母様がフィーネの首を絞めていて──」
「お待ちくださいお嬢様! それは書いてはいけないやつです!」
考えをまとめるために声に出していたところ、ディーにペンを持つ手を止められた。
「えっ? では、真夜中に地下牢の探検をしようとしたら暗殺者が──」
「それもまずいですお嬢様!」
それだと初日は書く事がなくなってしまう。
まあマルゴーと王都は普通は一日かけても移動できないくらいの距離が離れているし、移動していたとか書いておけばいいか。
「……翌朝のお母様のお説教、は前日の騒動を書かないと通じませんし……。
それでは駐在騎士のヨーゼフ様とアインズ様に会いに行った話は?」
「それならば、まあ……」
「よかった。ええと、確か会談の後クロードがアインズ様の名乗りを偽名だと看破し──」
「ダメに決まってますよね!?」
「もう! あれもこれもダメな事ばかりじゃないですか! じゃあ何を書けばいいんですか! これではいつまで経っても終わりません!」
私が怒ってみせると、ディーは諦めたように首を振った。
「……わかりました。こうしましょう。まずは普通に書いていただいて、それをクロード様に検閲してもらうのです。そして表に出してはまずい箇所はインクで潰してもらいます。これならお嬢様がきちんと日記を書かれたという体裁は整いますし、表に出してはまずい部分も隠せます」
別に体裁のために宿題をやるわけではないので釈然としないが、そうしなければ話が進まないのなら仕方がない。
日記だけが宿題というわけではないのだ。こればかりにかかずらってはいられない。
◇
後日、担任のフランツの元に提出された日記は、そのほとんどが検閲され、黒塗りの状態であったという。
我が家に限らず、貴族にとっては表に出してはまずい話などいくらでもあるのだ。
黒塗りの日記は毎年の風物詩のようなもの、らしい。
ならなんで書かせるのか。




