1-7
「──来たか」
敵に気付かれた。
私はユージーンの背から降り、魔物の泉と男たちに近づいた。そろそろ中腰はきつくなってきていたため助かった。
その私を庇うようにユージーンたちが前に出る。
「部下の報告では偶然通りがかった傭兵ではないかとの事だったが……。ローブの女、お前は傭兵ではないな。どこの手の者だ」
謎の男たちの首魁と思われる人物が私を睨んでそう言った。
「……私は」
「まあ、誰でもいい。いずれにしろ、作戦は前倒しする必要がある。貴様らを始末し、ここは放棄するだけだ」
別に私も正直に答える気などなかったが、それでも美しい私の言葉を遮ると言うのは人としてどうなのか。
彼らの正体は未だ不明だが、敵である事は確定したようだ。
「作戦と来たか。つーことは、手前らはどこぞの軍に所属する奴だってことだな。こいつは親切にどうも。悪いがこっちの事は話せねえけどな。
で、手前らここで一体何してる?」
ユージーンにちらりと見られた。
さっき、口を開きかけた事を咎めているのだろう。
正直に答えないとしても、嘘の内容から何かを悟られる事もある。確かに、サイラスやルーサーならそういう対人スキルも持っていそうだ。
大して強くもないようだし、ボロボロ喋るこの相手にそこまでの警戒が必要かはわからなかったが、『餓狼の牙』のリーダーであるユージーンが警戒すべきと判断したならそうするべきか。
このパーティの中心は雇い主である私だが、現場で方針を決めるのは経験豊富なユージーンだ。
とりあえず余計な事は言わないように心に決め、フードの端を掴んで少し下げた。
「どうせお前たちはここで死ぬ。聞かれて困る事もない。が、だからと言って話してやる義理もないな。傭兵よ、これまでは聞けば答えてくれる優しい他人しか周りにいなかったのかもしれんが、何でもかんでも聞けば答えが返ってくるわけではないぞ」
敵のリーダーはそう言いながら剣を抜いた。
ただし、左手には魔石の欠片が入っていると思しき革袋を持ったままだ。
気持ちよくしゃべるリーダーを含む男3人、それから最初に林に逃げ込んで行った男は余裕の態度だが、最後に逃げていった男は落ち着かない様子だ。
ユージーンの実力を間近で見て思い知っているからだろう。
兵士や軍人というと、プライベートはともかく任務中は寡黙で余計な事はしゃべらないというイメージがあったが、彼らは違うようだ。
やはり一般人なのだろうか。
もっとも一般人だろうと軍人だろうと、このアングルスを混乱させている大元である魔物の泉に細工をしているとなれば、もはや見逃す理由はないわけだが。
しかし、これが問題になっている魔物の泉だとすれば、アングルスの騎士団が見張っていないのは何故なのか。
彼らは林の外側に布陣していた。魔物が林から溢れ出す事を警戒しているのはわかるが、それはそれとして大元の泉の状況は監視しておくべきではないのか。
この男たちがアングルスの騎士である可能性もないではないが、だとしたら問答無用で私たちを殺そうとする理由がわからない。
「これ以上の問答は無意味だな。しゃあねえ。片付けてから聞くしかねえか。
──お前ら! あの敵のリーダー以外は……」
言いかけて、またこちらを見るユージーン。
なんだろう、と思ったが、先ほど敵を斬り殺した時に私が考え込んでいた件だろう。
気にしていない、という意味も込めて、はっきりと宣言した。
「リーダー以外は殺して構いません。リーダーも、会話できる状態であれば五体満足でなくとも構いません」
ユージーンの言い様は多少挑発的だったとはいえ、こちらは一応は会話での解決を試みようとした。
しかし敵リーダーの答えは抜剣だった。先ほど林の入口で出会った男と同じだ。
その時に命からがら逃げ出した彼も、迷いながらも再び剣を抜いている。
会話をしようとする相手に対し、剣を向けるのではゴブリンと同じだ。
彼らが人として劣っているとかそういう事ではなく、話が通じないようだから腕力で解決するしかないという意味である。
美しい解決方法とは言い難いが、人間である以上、自分たちと利害が対立する者が出てくるのは仕方のない事だし、対立すれば争いが起きるのも当然だ。
人間とは、時に美しくない行動をとらずにはいられない生き物なのである。
残念ながら、それはこの私でもそうだ。
「ははは! 大きく出たな傭兵風情が! おい、魔石の投与は中断していい。先に邪魔者を片付けるぞ。ついでにこいつらの死体も泉に放り込むとしよう。何かの足しにはなるだろう」
リーダーの他に革袋から魔石をばら撒いていた男2人も剣を抜く。
戦闘開始である。
先に動いたのは敵の3人だった。
リーダーと、林に逃げた男は動かない。
リーダーが動かなかったのは3人で十分だと判断したからだろう。逃げた男は逆だ。4人でも足りないと感じたから動かなかった。
果敢にも向かってきた3人だが、1人を相手に同時に3人で斬りかかる事は出来ない。
3人で斬りかかると言っても、実際には1人が斬りかかるを残り2人は見ているだけになる。1人目が剣を引いたタイミングを見計らい、すかさず2人目が、続けて3人目が、という具合に、絶え間なく攻撃し、防御を崩していく事になる。回り込む事が出来れば話は別だが、ユージーンの隣を隙なく守るサイラスと林の木々の存在がそれを許さない。
だが3人はその状態まで持っていくことさえ出来なかった。
まず斬りかかった1人目は、林の外で死んだ男と同じく、ユージーンと一合さえも切り結ぶ事が出来なかった。
剣を軽くいなされ、袈裟がけに斬り捨てられる。
技量もそうだが、膂力もケタ違いだ。レベルが違う。もっとも、この世界でいわゆるレベルという概念を聞いた事はないが。
そしてこれまた先ほど逃げた男と同様、続いて斬りかかろうとしていた2人目が足を止める。3人目もだ。
しかしそれを許す『餓狼の牙』ではない。
いつの間にか忍び寄っていたサイラスの短剣が2人目の喉に赤い筋をつけた。
一瞬の後、その筋がぱっくりと開き、鮮血を撒き散らす。2人目の男は噴き出す血の勢いに押されるように倒れていった。
これで斬りかかってきたのは残り1人、でもなかった。
私がユージーンとサイラスの美技に見とれている間に、3人目にスタンバイしていた男もすでにこの世からおさらばしていた。
地面に倒れ伏す遺体には頭部がない。
2人目と違って血を撒き散らした跡がないことから、何らかの不思議な手段によるものと思われる。やったのは魔法使いのレスリーだろう。
一般的に、発動までタイムラグがあると言われる遠距離魔法である。
それをこの短時間で行使するとは、あらかじめ展開を読んで準備しておいたのか、はたまた何か特殊な技術でもあるのか。
いずれにしても熟練の技だ。
それはきっと美しかったに違いない。ぜひ見たかった。
「なん……、なん……だと……」
一瞬にして配下を物言わぬ骸にされてしまった敵リーダーは驚き、剣を取り落としてしまっている。
逃げた男はこうなる事がわかっていたようで、驚きは見られない。また逃げようとしてか腰が引けているが、逃げたところでもはや近くに仲間がいないのだろう。彼の足が動く事は無かった。
「だいたいの場合、傭兵ってのは兵士や騎士よりなってねえもんだし、俺もそう思っちゃいるがな。ま、傭兵も兵士も人間だ。みんな一律おんなじ腕ってわけじゃねえからな」
「──くそっ! なんだこいつらは! おい! 貴様!」
「……えっ!? は、はい!」
敵リーダーが1人残った部下に声をかける。
部下は2度も同僚が目の前であっけなく死ぬところを見せられ動揺しているが、上官の呼び掛けには条件反射で応じてしまうのだろう。そのおびえた表情とは裏腹に身体はピンと背筋を伸ばした。
「魔石だ! もうそれしかない! そこに転がっている死体の持っていた袋を──ぐっ!」
敵リーダーはそこまで言って言葉を止めた。
見れば、彼の腕には細身のナイフが刺さっている。投擲用のナイフだ。そしてその手に持っていた革袋を取り落としていた。
「……アホかと思っていたんだけどね。なかなかどうして。部下に命令するふりをして、自分で魔石を投入しようとは」
ナイフを投擲したのはルーサーだった。私の後ろにいたのだが、私の頭越しに投げたらしい。
「あの、魔石を泉に投げ込むとどうなるのでしょう。先ほどから彼らがやっていましたが……」
私も足手まといの自覚はある。多少の心得があると言っても、ユージーンたちに比べればただの子供と変わらない。取り柄と言えば美しさくらいだ。
なので戦闘中は口を出さずにいようと思っていたが、戦闘ももう終盤だろう。リーダーは腕を押さえてこちらを睨み、唯一残った部下は怯えて震えている。
「魔石は魔物の体内で生成される、おそらく瘴気を凝縮したものだ。一般的にはマナの結晶とされているけどね。魔物が取り込んだ瘴気を長い時間をかけて体内で結晶化した物、それが魔石だ。ゆえに魔石の質は、その魔物が生活していた地域の瘴気の濃さに左右される」
私の脳裏にふと、前世の記憶の一部が蘇ってきた。
棘棘しい、殺意に満ち溢れた形状。
体内で生成される結晶体。
その材料は、日々の生活習慣によって摂取した物。
私なりに理解した。
つまり魔石とは、魔物の尿路結石のようなものだと。
「……それは、おぞましいですね」
「ああ。おぞましいよ。とはいえエネルギーとして消費する分には瘴気もマナも変わらないし、エネルギー源として有用なのは確かだけどね。
だけど、瘴気の渦たる魔物の泉にとっては違う。そこに新しい、しかも上質の瘴気を外部から加えられれば──」
察するに魔石の欠片とは、魔物の泉にとってドーピング剤のようなものなのだろう。
となると、やはりこの男たちはアングルスの騎士ではない。一方で魔物の泉を強化し、また一方では魔物の泉をどうにかするためにマルゴーに助けを求めるというのは矛盾している。
「泉は成長し、もしかしたら領域と呼べるものにまで至ってしまうかもしれない。彼らの狙いはそれだろうね。
いや、そもそもこんな瘴気の薄い地域に、突然魔物の泉が湧くこと自体不自然だ。もしかしたら、あの泉も何らかの手段で彼らが用意したのかも」
「んなもん、本人たちから直接聞いてみりゃいいだけだ。幸い、予備も残ってる。両方確保するぞ」
ユージーンが敵リーダーを拘束しようと足を踏み出す。
が、警戒から拘束に意識を移したそのわずかな隙を突き、敵リーダーが足を動かした。
「ぐっ!」
それもすぐさまルーサーがナイフで止めたが、一歩遅かった。
敵リーダーは先ほど落とした魔石の欠片の入った革袋を魔物の泉に蹴り込んでいた。
「まずい! こいつら、泉を暴走させるつもりだ!」
「……くはは、計画に変更はない……! 我々が離脱出来なかったのは失敗だったが、それだけだ! もう遅い! これでこの地は──」
「クソッ!」
ユージーンとサイラスが敵リーダーと立ち竦む部下を取り押さえる。
しかし敵リーダーはその笑みを消そうとはしない。
その敵の表情と禍々しく瘴気が渦を巻く泉を見比べながら訝しがるレスリー。
「──おかしい。泉は明らかに暴走状態だ。なのに、魔物を生み出そうとしない……いや、そもそも、この泉が魔物を生み出す所を我々は見ていない。これは本当に魔物の泉なのか……?」
これが魔物の泉ではないとしたら、正体不明の軍人の彼らがわざわざ魔石の欠片を投入していた理由がつかない。
しかし現に泉は魔物を生み出そうとはせず、ただ周りから希薄な瘴気をかき集めるようにして渦巻いているだけだ。
「あの、よろしいでしょうか。
これがもし、アングルスで問題になっている魔物の泉なのだとしたら、アングルスの騎士団が見張っていないのは何故なのでしょう。もし見張られていれば、この方々も悠長に魔石の投入など出来なかったと思うのですが……」
気にはなっていたが、誰も何も言わないのでそういうものなのかと思い黙っていた。
しかしやはりどう考えてもおかしい。
「まさか、泉はもうひとつある……? こっちは入力だけで、対になる出力専用の泉がどこかに──」
その時、どこかから怒号のようなものが聞こえた。
それからかすかに金属音、剣戟のような音も。
誰かがどこかで戦闘に入った音だ。
「やはりそういうことなのか! 入口と出口が、空間を隔てて別々にある泉! そんなものが……!」
「分析は後だレスリー! 向こうで騎士たちが戦闘に入った! 敵はおそらくゴブリン! 数が多い! 加勢しないと多分まずい!」
サイラスが聞き耳をたて、遠くの状況を分析した。
距離があるだろうにそこまで分かるとは。
「ちっ! こっちはどうする? こいつらを放っておくわけにもいかねえが……」
かといって殺してしまうのも良くない。
彼らにはまだ聞くべき事がある。
ユージーンが私を見る。
判断は任せてくれるらしい。
彼らの仕事は本来私の護衛。魔物の泉の調査は私の我が儘だし、アングルスの騎士が死ぬのは痛ましいが私の安全には替えられない。
「……2人を縛り、ここに転がしておきましょう。サイラス様、案内を。アングルスの騎士に加勢します」