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翌日も同様に、尻の痛みに耐えながら森に向かう。
しかしサクラを残して森に入ろうとしたところで、サクラが首を振った。
「え、ついてきたいんですか?」
しかし、買い物用の荷馬車とはいえ、ここにこのまま残していくのはいささか不用心だ。
そう思ったが、サクラは私のその考えにも反論する。
「昨日一日は誰も来なくて退屈だったと……。ううん、それは確かに可哀想ですが……」
「ねえお嬢? 普通に馬と会話するのやめてもらっていいかな」
「いえ、別に会話が出来るわけではなくて、何となく感情が伝わってくるだけです」
「なんとなくの感情にしては具体的すぎるでしょ!」
そんな事を言われても、そうなのだから仕方がない。
サクラの気持ちはわかる。
伝わったという意味でもそうだが、理解出来たという意味でだ。
確かに、ここに彼を一頭だけ置いていくのは心苦しい。建物の中に入れないとは言え、彼も私の大事なペットだし、立派な護衛だ。仲間外れは良くない。
しかし、荷馬車だけをここに放置して、もし何かがあっても困る。
失った物はまた買えばいいだけだが、その前に馬車が無ければ今日屋敷に帰るのが遅くなってしまう。
そこで私は思いついた。
そうだ。
森の中に入れないのなら、魔物の方に出てきてもらえばいいのだ。
「ルーサー先生、お願いが。もちろん、特別手当はお出しします」
「いや絶対ろくなお願いじゃないよねそれ。正直聞きたくないんだけど」
「先生は釣りという言葉をご存知でしょうか」
「なんで馬の話は聞くのに僕の話は聞かないの? あとお嬢の言ってる釣りって多分僕の知ってる釣りとは違うやつだよね?」
◇
ある程度の広さのある場所での戦闘は、森の中とはまた違った経験をビアンカたちに積ませてくれた。
と言っても、基本的に体当たりで敵に向かっていくビアンカにとっては、森でも平地でも大した差はないようだ。
逆に言えば、どんな環境でも一定のパフォーマンスを発揮できるという事でもある。それはビアンカの大きな強みと言えるだろう。
奇襲を封印せざるを得ないネラは最初の方こそやりづらそうにしていたが、そのうちに身体の大きなサクラを隠れ蓑にして敵の死角から無理やり奇襲を成功させるやり方を覚えたようだった。
仲間を盾にするようなやり方、と言えば聞こえは悪いかもしれないが、サクラは率先してそういう役回りを引き受けているように見えた。つまりネラが盾にしているのではなく、サクラが仲間の盾になっているのだ。
そのサクラの立ち回りはまさにそう、MMORPGなどで言うところのタンクに近いものだった。
圧倒的な存在感で敵を惹きつけ、強靭な肉体で仲間の盾になり、仲間たちの攻撃チャンスを増やすと共に、耐久や防御に不安のある後衛を守る。
タンクとは元はと言えば戦車のことであり、戦車は遡れば戦闘用馬車のことなので、馬が名乗るのならあながち間違っているわけでもない。たぶん。
そうした頼もしい前衛たちのおかげか、小さな後衛は敵の攻撃を気にすることなく存分にカマイタチを放っている。
相変わらず、尾っぽの顔で倒した魔物の一部を丸呑みにしているおかげか、たった2日で少し成長してきたような気がする。
具体的にはひと回り身体が大きくなり、尾が長くなった──というかそちらにもちゃんと首が出来つつあるような、そんな様子だ。
「──はぁ、はぁ……。ねえお嬢、もし知らないんだったら教えておくけどさ。こういうの、傭兵としては最悪のマナー違反なんだよ。見つかったら即座に殺して良いレベルなんだ。ぶっちゃけ、誰かに見られないか気が気じゃないんだけど」
地面にへたり込み、疲れた様子のルーサーがそう言う。
彼の言う「こういうの」とは、森の中から魔物を釣り出してくる事だ。
いやもっと言えば、釣り出してきた魔物をサクラたちに擦り付けている行為の事である。
前世のMMORPGなどではこうした行為をトレイン、またはMPKと呼び、大抵は忌み嫌われていた。MPKとはモンスタープレイヤーキラーの略で、トレインしてきたモンスターを使ってプレイヤーを意図的に死に追いやる事を指す。直接的なPKが認められていないシステムのゲームで良く見られる嫌がらせの手法である。
この国での、魔物という存在がいる世界での傭兵というのは、そうしたゲームのプレイヤーに近い立場にいると言える。
だからこそ、似た嫌がらせの手法も既に存在しているのだろう。
ただしゲームと違い、現実でそんな事をすればやられた方は高確率で死んでしまう。
なので普通に犯罪なのだが、殺意や計画性を証明するのが難しいため、あくまでマナー違反の域に留まっている形だ。
もちろんやられる方はそれでは済まないので、戦場の倣いとして疑いがあれば殺しても誰も文句は言わない、という事だ。
ルーサーが言っているのはそういう話だった。
これは私からお願いしたことなのでルーサーがびくびくする必要などまったくないのだが、確かに知らない人間に見られれば誤解を与えるかもしれない。
「ですがルーサー先生。誰にも見られる事がないようにと、こうして森まで来ていたのではないのですか? お尻の痛い思いまでして」
「そうだけど、別に誰も来ないってほどの場所じゃないよ。たまに子供とかも来るし、木こりも来るかもしれないしさ」
そういう言い方をされると、ここがとても長閑なハイキングコースのように聞こえてくる。
しかし現在、辺りに散らばっているのは魔物の死体ばかりだ。
死体はどれも目玉をくり抜かれている。
真新しい血の匂いがひどい。
「そうですね……」
ルーサーはちょっとグレーなくらいの事なら、お金を積めばやってくれる。
しかし本職は傭兵だ。傭兵として忌むべき行為にはさすがに抵抗があるようだ。
そこまで嫌がられると私としても、見られてまずい事を繰り返して修行するというのは領主の娘としてよろしくない気がしてくる。
ゲーム感覚では単なる効率狩りでしかないが、現実でやったら委託殺人未遂と自然動物の乱獲だろうか。
現場に広がっているのも凄惨極まりない光景だ。
普通にアウトだった。
「わかりました。やり方を変えましょう。別に、同じ魔物をたくさん倒したところで経験値などがもらえるわけでもありませんしね」
「まあ戦闘経験は積めるだろうけど、確かに同じ魔物とばかり戦っても得るものは少ないかもね」
「では最後にもう一度だけ……」
「ええ!? まだやるの? 仕方ないな、本当にこれで最後にするからね!」
ルーサーはそう言いながらも立ち上がり、ズボンの砂を払った。
なんだかんだ言っても金貨と共におねだりすれば大抵言う事を聞いてくれるので、私はルーサーがとても好きだった。
しかし、立ち上がったルーサーをレスリーが手振りで止めた。
「……待てルーサー。その必要は無くなりそうだ」
ルーサーもすぐに表情を引き締め、森の方を睨む。
「……そうみたいだね。どこの馬鹿だろ」




