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不意に、胸元がむずむずした。
「あっ。どうしたんですか。ボンジリ」
ボンジリは身をよじって私の胸元から這い出すと、飛び降りてコボルトの死体の方へ駆けて行った。
そして死体から零れ落ちた眼球をつつく。
「お腹が空いたんですか?」
これはあるかもしれない。
ボンジリは養鶏場で処分予定だったヒヨコだ。前に餌をもらったのがいつなのかわからない。
「……鶏って何食うんだ?」
「……知らん。が、少なくとも魔物の眼球などは食わんはずだが……」
ルーサーとレスリーが困惑している。
確かに、鶏用の飼料と言ったら普通は穀物や野菜くずだろう。
しかしそれは先入観というものだ。
本人が食べたいというのなら、私はそれを止めるつもりはなかった。
それに今なら、多少お腹を壊したところでルーサーが何とかしてくれる。
「……お嬢さ、なんか僕の事便利なアイテムか何かと勘違いしてない? さすがにペットの誤飲の治療は特別料金取るよ」
ボンジリはしばらく目玉をつついていたが、まだ小さく柔らかい嘴では目玉の表面を破れなかったのか、諦めて背を向けた。
と、次の瞬間、尾っぽ側の口が大きく開き、目玉を丸飲みにした。
「なあ!?」
「なんだと!?」
「ああ、そちらは嘴よりも広がるんですね。賢いですねボンジリは」
目玉を丸々飲み込んでお腹を大きく膨らませたボンジリを見ながら私が感心していると、ルーサーとレスリーが詰め寄ってきた。
「お、お嬢! なんだあれは! 鶏のヒヨコじゃなかったのか!」
「ヒヨコですよ。やっぱり突然変異みたいですね」
「尻にも頭があるんだぞ! 突然変異ってレベルじゃないだろ!」
「それは最初からわかっていましたよね。農家の方もおっしゃってましたし」
「いやいや、てっきり病気か何かで尻の毛が生えてこないだけかと……尻の顔だって、そういう痣か何かだと思ってたよ!」
そんな事を今さら私に言われても困る。
別にボンジリが何者であったとしても私の可愛いペットである事に変わりはないし、とやかく言っても仕方がないだろうに。
しかし、ルーサーとレスリーのこの反応を見るに、もしかしたら詳細が父に知られてしまうとボンジリを飼い続けるのが難しくなってしまうかもしれない。
私は少し考えて、ここはお金で解決しておくことにした。
「……まあ何にしましても、もしボンジリがお腹を壊したらお願いしますね、ルーサー先生。特別手当は勿論支払いますから」
言いながら金貨をルーサーに握らせる。
「いや……! ううん……。いやいや! ……うううん……。
……まあ、わかったよ……。見てる限りだと、お腹壊す心配とかはいらなさそうだけどね……」
「ありがとうございます。レスリー様も、どうぞよしなに」
「ま、待ってくれお嬢。これは……ううん……。しかし……うううん……。
その、確認なのだが、そのヒヨコ? は間違いなくお嬢に懐いているのだよな?」
「それはもちろん大丈夫ですよ。ね? ボンジリ」
同意を求めると、ボンジリは「ぴい」と鳴いて片方の翼だけを上げた。
もちろんすよ、と言わんばかりだ。
「……そこまでされると逆に不安になるが、まあ、わかった。危険がなさそうなら、うん。いいか……」
どうやらレスリーもお金でわかってくれたらしい。よかった。
それはそうと、身体の小さいボンジリは目玉一つで満足したようだが、ビアンカとネラはどうだろうか。お腹が空いたりしていないだろうか。
そう思って2匹を見てみたら勢いよく顔を逸らされた。
今はお腹は空いていないらしい。あるいは生の肉は好みじゃないのかもしれない。
「食事休憩は特に要らないようですね。ところで、このコボルトの死体はどうすればいいのですか?」
「コボルトか。毛皮が売れない事もないが、そう高くもない。うまく処理できれば引き取って貰えるが、お嬢にとっては小遣いにもならんだろう。まあ、軍だったら一応作戦中に得た資産になるだろうから持っていくかもしれんが、貴族なら無理してどうこうする必要はないな。
そのまま放置しておけば、そのうち別のコボルトかゴブリンが餌として始末するだろう」
「マルゴー産のコボルトだし、マルゴーの外でならもう少し高く売れるけどね。でもそれも輸送の手間を考えたら微妙かな。僕らなら、もっといい魔物を狩った方が効率がいい」
ビアンカの初めての獲物だし、記念として取っておいてもいいかとも思ったが、ビアンカはもう死んだコボルトには興味がないようだった。
「でしたら、次に行きましょう。まだ修行は始まったばかりですからね。次は──」
「なーご」
ネラが、と言おうとしたところで、その前にネラが私を見て鳴いた。
次は自分の番だ、とでも言っているかのようだ。
その瞳には荷馬車から無理に下ろした時の怯えた光ではなく、先ほどのビアンカのような強い光が宿っている。
「──お友達の活躍を見てやる気になったみたいですね。なによりです。
ビアンカは、まあいきなり走って行ってしまったからという事もありますが、直接的な戦闘力という方向性で成長してもらう事を考えています。
それに対してネラ、貴方には搦め手を。暗闇で視認しづらい黒猫という特性を活かして、斥候のような役割を──」
「うなう」
またしても私が言い終わる前にネラの鳴き声が割り込んだ。
そして話を最後まで聞くことなく、茂みの中に消えて行った。
「……わかってくれたんでしょうか。ちょっと自信ないですね。ビアンカの事も否定していましたし」
「否定、って、お嬢はもしかして猫の言ってることがわかる、のか?」
「はい。なんとなくですが。ネラはビアンカについて、別に友達とかじゃないんだからね、と言っていました。たぶん照れてるだけだと思いますけど。可愛らしいですね」
「あの一言にそんな長文が!? 猫語すごいな……」
私も別に鳴き声を言語化して理解しているわけではなく、何となく彼らの言いたい事がわかるだけなので、本当に猫語が優れているのかどうかはわからないのだが。
「あっと、それよりも、ネラを追いかけないと。ビアンカの時のように敵に見つかって攻撃されてしまうかもしれません」
「それもそうだ。今のところ僕にも魔物の気配は感じられないけど、遠ざかる子猫の気配ならギリギリまだわかる。追うよ」
私たちはその場にコボルトの死体を残し、ルーサーの先導で森を進んでいった。
◇
道なき道をしばらく進むと、やがて私にもかすかに匂いが感じられるようになってくる。
以前、マルゴーの屋敷での戦闘訓練で嗅いだ覚えのあるものだ。
おそらくこの先にゴブリンがいる。
そしてルーサーがそちらに向かっているという事は、ネラも。
道なき道であるにもかかわらず私にも何とか歩けているのは、そのルーサーが的確に足元の藪を切り払ったり、踏み均したりしてくれているからだ。
やはりヒーラーよりも斥候の方が向いている気がする。
そういえば、魔法使いであるレスリーは殿で背後や周辺の警戒役もやってくれているようだ。
ルーサーに限らず、『餓狼の牙』は全員自分の本職以外の技能が高すぎる。父が頼りにしているのもわかる。
私に感じられるくらいなのだから、先頭のルーサーも当然ゴブリンの存在を感じ取っていた。
藪を切り払う動作が小振りになり、踏みつける足も控えめになってきた。
進行速度もゆっくりだ。
「──いたよ、ゴブリンだ」
ルーサーがしゃがみながら、茂みの向こうを指差し、小声で言った。
「……いえ、私はゴブリンを探して欲しかったのではなく、ネラを追いかけてほしかったのですが」
私もルーサーに倣い、茂みの向こうを確認する。確かにゴブリンがいた。
しかしネラの姿は見えない。
「いやいや。ちゃんと黒いのもいるよ。ここからじゃ見えないけどね。さすがは生まれながらの狩猟動物ってところかな。まだ小さいけど、うまく気配を殺してる。いや小さいから可能なのか。大きくなってもこのレベルで気配が消せるなら大したものなんだけど」
そう言われても、私にはどこにネラがいるのか全く分からない。
「……あの子に任せたのは斥候なので、敵を見つけたのならまずは情報を持ち帰ってほしかったのですが」
「いや、どうかな。露払いもしてくれるつもりだったんじゃない? 白いのが頑張ってお嬢に褒められたところも見ちゃったしね──っと、言ってるそばから。ほら、仕掛けるみたいだよ」
「えっ」
ルーサーに言われて見てみれば、ちょうど上からゴブリンにネラが飛びかかったところだった。
「木の上にいたんですね」
そして驚いたゴブリンの目に、ネラの両前脚が突き刺さる。
「グギャアア!」
さらにそのまま、ネラは重力に任せて自分の体ごと前脚を下に振り抜いた。
ゴブリンの血にまみれたネラの前脚の爪が伸びている様子が見える。
「うわ痛そう……」
「ですが、真っ先に敵の目を奪ったのはいい判断です。
──いいですよネラ! 敵は怯んでいます! そのままやっておしまいなさい!」
私の声が聞こえたのか、着地したネラの瞳が輝いていく。
次の瞬間、ネラは再びゴブリンに飛びかかる。
しかしサイズの問題か、あるいは狙ってそうしたのか、ネラが爪を立てたのはゴブリンの足だった。
「ギャ!」
光を奪われていても、足を攻撃されたのがわかったのだろう。
ゴブリンが慌てて足を振る。
が、その時にはもうネラはゴブリンの足にはいなかった。
爪を立てた自分の前脚を支点にアクロバティックにゴブリンの足を駆け上がり、いたるところを爪で切り裂きながらゴブリンの全身に血の花を咲かせている。
「……エリアル乱舞攻撃ですか。やりますね、ネラ」
「えり……何? お嬢今なんて?」
「何でもありませんよ」
しかし、気配を消してからの奇襲や、相手の視界を奪ってからの連続攻撃とは。ビアンカがどちらかというとパワー系のゴリ押しだったのに対し、ネラは真逆の戦闘スタイルであると言える。種族も違うし当たり前だが。
ネラの爪によって体中に傷を付けられたゴブリンは、しばらくの間踊るように引っ掻き続けるネラに合わせてダンスを踊っていたが、やがて力なく倒れて動かなくなった。
どうやら失血死したようだ。
それを見届け、そして再び動き出さない事を確認したネラは、澄ました様子で私の方に歩いてきた。
私の前でちょこんと座り、顎を突き出して尻尾をピンと立てる。褒めて褒めてと言わんばかりだ。
「よく頑張りましたね、ネラ。偉いですよ」
私は血まみれのネラを抱き上げ、その脚をさすってやる。
先ほど、こちらに歩いて来る時に、4つの足がプルプル震えているのに気づいていたからだ。
たぶん、私の期待に応えるために無理をしたのだろう。
私がさすってやると、ネラはすぐに穏やかな顔付きになり、「なぁご」と甘えた声を出した。
が、すぐに私の腕から飛び下りると、今のは別にアンタに気を許したからじゃないんだからね、と言わんばかりにそっぽを向いてしまった。可愛い。
「その黒いのは……。ダメージは受けてない、のかな。ううん、まあ、いいか……」
ルーサーが首を傾げている。
たぶん、治癒が必要ないとなると自分の存在意義が薄れるからだろう。
しかし気にする事はない。
ルーサーがたとえ治癒においてまったくなんの役に立たなかったとしても、斥候技能が優れているのは確かだし、いざという時に治癒出来る手段があるというのはそれだけで重要だ。
そう思って私が微笑むと、ルーサーは「え、お嬢何笑ってるの怖い」と言って引いていた。
「お、お嬢様! お召し物が汚れて……!」
ディーの言葉に自分の格好を見てみると、確かに着ている外出着にはたくさんの血がついてしまっていた。
怪我をしたビアンカや、ゴブリンの返り血を浴びたネラを抱いたせいだ。
「この血はあの子たちの勲章ですから、汚れているというわけではありませんよ。それに、私たちは森に修行に来たのですから、服が多少汚れるのは当然のことです。
さあ、そんな事より次に行きましょう。ビアンカもネラも戦えそうだということはわかりましたが、まだまだ先は長いですよ。
あ、ボンジリ! え、ゴブリンの目玉も食べたいんですか? しょうがないですね──」