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「……あたりの切り株の切り口からすると、前に木こりが来てからそう時間は経っていない。
だとすればこの辺りには魔物はいないだろう。ここらに居た奴らは木こりが始末してしまっているだろうし、生き残った奴も木こりを恐れて森の奥へ逃げたはずだ」
レスリーがそう教えてくれる。
世間一般では、普通は木こりの方が魔物を恐れるあまり木を切れないとかそういう構図になるのではないだろうか。
魔物の方が木こりを恐れて森の奥に逃げるとか聞いた事がない。
私が不思議そうにしているのを見てか、ルーサーが苦笑しながら補足する。
「言った通り、ここらの魔物はそう危険じゃないからね。だからこそ領軍もこの辺りには展開していないわけだし。木こりって言うと非戦闘員ってイメージがあると思うけど、太い木でも両断して持って帰るような連中だからね。普通の非戦闘員よりはよっぽど強いしね」
そういうものなのか。
「よくわかりませんが、お2人がそう言うのならそうなんでしょう。
では、森の奥まで行ってみるしかありませんね」
「まあ、仕方ないか。それより、お嬢は大丈夫? こんな野生の森なんて歩いた経験ないでしょ」
以前、王都近郊の森は歩いたが、あれはある程度木々が間引きされた歩きやすい森だった。
それに比べれば確かにこの森は木の密集具合も高いし、下生えや藪もひしめいている。
「大丈夫です。今日は運動用の靴を履いてきましたから」
「ああ、そう……。まあ、いいならいいけど」
私は抱えていたビアンカとネラの2匹を地面に下ろした。
ここからは修行の時間だ。
この2匹には頑張って私の護衛をしてもらわなければならない。
しかし、2匹は地面に下ろすや否や馬車に向かって逃げようとした。
「あっ! だめです! お座り!」
私が咄嗟に叫ぶと脳裏に【調教】、【使役】などの言葉が浮かび、2匹はびくりと身体を震わせてその場に座り込んだ。
言う事を聞いてくれるらしい。やはり賢い子たちだ。
「いいですか、ビアンカ、ネラ。貴方たちはこの森で修行をして、私の護衛として成長しなければなりません」
話しかけると2匹は顔を上げ、私を見た。
その眼には恐れの色が宿っている。
未知の森や魔物が怖いのだろう。それはわかるが、私としてもここは心を鬼にして命じなければならない。
私が学園に戻るためには必要な事だし、ビアンカとネラにとっても強くなって悪い事はないはずだ。
「大丈夫です。護衛にルーサー先生やレスリー様も付いてくれていますし、この辺りには弱い魔物しか出ないそうです。こんないい条件で修行出来る事なんてそうありませんよ」
私が歩きだしても、ビアンカとネラはお座りの状態のまま動こうとしない。
箱入り娘である私がこうして先頭に立っているというのに。
そう思って頬を膨らませると、ディーが小声で言った。
「……むくれたお嬢様もお可愛らしいですが、あの2匹はもしかして先ほどの「お座り」という命令を実行し続けているだけなのでは」
「あ、そうなんですか? ビアンカ、ネラ。お座りはもういいですよ。さあ行きましょう。貴方たちが先頭ですよ」
私がそう言うと、2匹は我先にと先陣を切って森を進み始めた。
まだ小さいので、茂みに隠れてすぐに見えなくなってしまう。
「あっ! 待ちなさい! まったくもう。先が思いやられますね。あの子たちが怪我をしてしまったらお願いしますね、ルーサー先生」
「……うん、わかった。確かに先が思いやられるね……」
◇
森の中をしばらく進むとルーサーが魔物の気配に気づいた。
やはりヒーラーではなく斥候として働いた方がいいのでは。
「コボルトだね。一匹だ。詳しい種類まではわからないけど。どうする、お嬢」
どうするもこうするもない。
魔物と戦って力を付けるためにここに来たのだから、戦うに決まっている。
「──ビアンカ」
私がそう囁くと、先頭をとてとて歩いていたビアンカがびくりと身体を震わせた。
コボルトは一匹のようなので、まずはビアンカからだ。
「私としても、可愛い貴方たちに突撃を命じるのはとても辛いんです。でも、これからの事を考えると、これは乗り越えなくてはならない壁なのです。大丈夫、私も一緒に行きますから」
私は先行するビアンカの隣に立った。
ビアンカは驚いたように私を見上げた。
「お、お嬢様! 護衛対象のお嬢様が前に出てどうするのですか! 危険です!」
ディーが慌てて私を止めるが、ここは譲れない。
ビアンカたちは私の護衛として育成する事になっているが、現時点ではまだ到底護衛と呼べる実力は無い。まだペットの域を出ていないのだ。
ならば、主人である私だけ後ろでふんぞり返っているわけにはいかない。
「大丈夫です、ディー。普通のコボルトなら私でも相手に出来ます。それに、多少怪我をしたところでルーサー先生が治してくれます。問題ありません」
「怪我をする事自体が大問題です!」
ディーが怒鳴った。
ビアンカは前方と私を交互に見ながらオロオロしている。
私にはまだ見えないが、ビアンカには匂いで前方のコボルトの位置がわかっているのだろう。
同時に、野生の勘か何かで魔物の脅威も感じ取っているのかもしれない。
「そりゃ、よほどの怪我でもなければ痕も残さず綺麗に治してあげるけど。
ていうか、その前にそっちの白いのが頑張ってくれればお嬢が怪我する事もないだろうけどね」
足元のビアンカが俯いた。
ルーサーの言葉にプレッシャーを感じてしまったようだが、今はまだそこまでは求めていない。
「白いの、ではなくてビアンカですよ、ルーサー先生。私の頼もしい護衛です。まだ見習いですけど」
そう、まだ見習いなのだ。
だから今回は保護者である私と一緒にコボルトに立ち向かうのである。
しかし、私の言葉を聞いたビアンカは俯いていた顔を上げ、少しの間私を見上げると、突然前方に向かって走り出してしまった。
「ビアンカ!」
「いけません!」
追いかけようとした私の腕をディーが掴む。
あっという間に茂みに消えていくビアンカ。
ほどなくして、彼の小さな悲鳴が聞こえる。
「ビアンカ! どうしたのですか!」
私はディーの手を振りほどき、茂みの向こうへと急いだ。
「お嬢様!」
「……まあ、所詮コボルトだし、お嬢がどうこうされるとも思えないけど」
ディーとルーサーの声が私を追いかけてくる。
茂みを抜けると、そこにはコボルトに噛みつかれるビアンカの姿があった。
噛みついているコボルトの顔は雑種犬のように見える。特に種として細分化されていない、ノーマルなコボルトだろう。
私は咄嗟に助けようと足を踏み出したが、今まさにコボルトと戦っているビアンカと目が合った。
その黒く円らな瞳に強い意志を見てとった私は、踏み出した足を止めた。
今、私がするべきなのは彼を助ける事ではない。
私を守ろうと必死に戦う彼を応援する事だ。
「──ビアンカ! 大丈夫です! 貴方は出来る子です! 貴方なら殺れます! 噛まれているということは、敵の弱点である頭部がすぐ側にあるということです! それを潰せば貴方の勝ちですよ!」
「……いやいや、そんな無茶苦茶な」
追いついたルーサーが呆れたように呟く。
しかし私は取り合わない。
出来るとか出来ないとかではない。やるのだ。
何より、ビアンカの瞳がそう訴えている。
ビアンカは私の激励に目を輝かせた。
「……なんだあれは。犬の目が光って……?」
いつの間にかレスリーも来ていた。だから、犬ではなくてビアンカなのだが。
目を輝かせたビアンカは身体を捻り、その小さな両前脚を必死に伸ばしてコボルトの頭部を掴んだ。
「おいおい……。え、マジで……?」
そして私に言われたとおりに、両前脚に力を込め、コボルトの頭部を押し潰した。
頭を潰されたコボルトは両の目玉を飛び出させ、だらりと口を開けてビアンカを離す。そしてばたりとその場に倒れ、二度と動かなかった。
「ビアンカ! よくやりましたね!」
私は駆け寄ってビアンカを抱き上げる。
コボルトの頭部を潰すために限界を超えた力を出したのか、ビアンカの両前脚は至る所から血を噴き出しており、まるで力も入らない様子だった。
しかしビアンカはぐったりしながらも、どこか誇らしげな瞳で私を見た。
「ああ、こんなになるまで頑張ってくれたのですね。よしよし……」
抱き上げたビアンカの前脚を優しくさすってやる。
何の力も持たない私ではこうして労わってやることしか出来ないが、きっとすぐにルーサーが癒してくれるだろう。それまで安心させておいてやりたかったのだ。
「ええと、とにかく急いで治癒するよ」
「お願いします、ルーサー先生」
私は抱いていたビアンカをルーサーに渡す。
しかし治療を始めたルーサーは首を傾げた。
「……あれ、ダメージは噛まれた傷くらいしか見当たらないな……? どう見ても狂乱状態で無理に動いて筋肉が断裂してたと思ったんだけど」
狂乱かどうかは知らないが、私の目にもビアンカの前脚はダメージを受けていたように見えた。
が、無事だというなら気のせいだったのだろう。たぶんコボルトの返り血を見間違えたのだ。
「ビアンカは賢いですから、狂乱なんてしませんよ。ダメージが無いのなら、あれはきっとビアンカの実力だったのでしょう。よく頑張りましたね、ビアンカ」
治療が終わったビアンカはルーサーの手からするりと抜け出すと、私の足元に駆け寄って身体を擦り付けてきた。
もう全快したようだ。
今の戦闘は実に頑張ってくれたが、コボルトに勝てたくらいでは父はおそらく認めてはくれまい。
まだまだ鍛えてもらう必要がある。
そんなビアンカの様子を、ネラはじっと見つめていた。




