6-4
気絶した男に気付けを施し、落ち着かせてから再度聞き込みを行なった。
しかし男は真っ青な顔で震えるばかりで一向に喋ろうとしない。
埒が明かないので、先にルーサーに状況を説明してもらった。
「──で、そのヒヨコを追いかけて彼が飛び出してきて、馬がそれを避けようとしたおかげで馬車が危うく横転してしまうところだったってわけさ」
どうやら、男は胸に抱いたあのヒヨコを追いかけて街道に飛び出してしまったらしい。
ボールを追いかけて車道に飛び出す子供のようなものだろうか。まあ、男はそんな年でもなさそうだが。
「馬ではなくてサクラですよ、ルーサー先生」
「ああ、名前付けたんだっけ。失礼」
その言葉にサクラが少しだけ寂しげな表情をした。
ルーサーはどうやら、これまで何度か行動を共にした馬がサクラだという事に気づいていないようだ。
もちろんサクラの方はそれがわかっている。だから寂しく感じたのだろう。
私はよしよしとサクラの首を撫でてやった。
一方、自分が飛び出した事で領主の娘の乗る馬車を止めてしまったという重圧にさらされた男は、ここでようやくその重い口を開いた。
すでにあらましはルーサーの口から語られている。これ以上黙っていても立場が悪くなるだけだからだろう。
「……じ、実は──」
そうして男が語ったところによれば。
男はこの近くに養鶏場を構える養鶏農家で、彼の抱えていたヒヨコはいわゆる「不良品」なのだという。
生き物に対してそのような評価を下すのはあまり良くないと思うが、要は稀に出来る二股のダイコンだとか双子のナスとかと同じだ。生産者の意図しなかった形状で育ってしまった農作物というわけである。
野菜ではなく家畜でもそんな事が起きるのか、と不思議に思ったが、実際に起きているのだからそうなのだろう。男の話では、マルゴーでは時々起きることらしい。
そうした家畜は基本的に小さいうちに屠殺してしまうのだが、その作業の最中にヒヨコが逃げ出してしまったそうだ。
もし、異常な特徴を持つ家畜が野生化し、そのまま増えてしまえば領内で異常な動物が増えてしまうかもしれない。
だから男はヒヨコを追いかけ、車道に飛び出した、というわけだ。
「そうだったのですか……。ヒヨコさんがかわいそう、という感想はふさわしくないのでしょうね。それが貴方のお仕事であり、そうした貴方がたのおかげで私たちは美味しい卵や鶏肉をいただけるのですから」
「で、ですが、俺、いやわたしはそのせいで領主サマのお姫様に大変な事を……!」
「それは大丈夫です。結果的に誰も怪我をしていませんし、私たちは別に急いでいるわけでもありませんから」
「……まあそうだね。強いて言うなら僕のズボンが汚れたくらいかな。お嬢が言うところの、衛生面での問題だけだ」
「……ルーサー、今はそれはいいだろう。黙っていろよ」
そんなルーサーたちの声は聞こえなかったようで、私の言葉を聞いた男は地面に頭を擦り付けんばかりに平伏した。
「な、何とお優しい……!」
「当然です。お嬢様は我らがマルゴーの姫ですからね」
ディーが誇らしげに平らな胸を張る。
私は背も低めで全体的に小さいのでそこまで問題ないかもしれないが、ディーはそれなりに身長もある。女装の際には胸に何か詰めさせた方がいいだろうか。
「それより、そちらのヒヨコさんの異常とは何なのでしょう。見たところ、それほどおかしな姿というわけでもないようなのですが」
私がそう聞くと、男はヒヨコを手のひらの上に乗せて差し出した。
「へ、へえ。よくご覧になってください。この種の鶏に多い病気で、わたしらは二股って呼んでるもんなんですが、尾羽が全部禿げちまってるでしょう」
「ええ、確かに。禿げているというか、なんかてかてかしていますね」
「そうなんです。もうちょっと大きくなると尾っぽのほうだけ鱗みたいにひび割れてくるんですが、この週齢じゃあまだよくわかりませんね。それより、その尾っぽの先をよく見てくだせえ」
言われたとおりにヒヨコに顔を近づける。
すると、尾の先に目のようなものと口のようなものが付いているのがわかった。
「あ! これですか? もしかして、二股と言うのはこの?」
「ええ、そうなんですよ。こいつは尾っぽの先にも顔があるんです。それで二股って呼ばれてるんです」
「なるほど……」
ヒヨコは急に近付いてきた私の顔を、円らな瞳で興味深そうに見つめている。
黄色い毛玉が小首をかしげる様は実に可愛らしい。
と同時に尾の先の顔も私を見ようと身体を捻る。
そちらには首が無いため、体ごと向けようとして、ヒヨコの頭部とせめぎあって転んでしまう。
「おっとっとお……!」
そしてその拍子に男の手から転げ落ちてしまった。
「あっ」
私は咄嗟に手を出し、ヒヨコをキャッチした。
どんくさい私にしてはなかなかの反射神経を発揮出来たようだ。ヒヨコが落ちてしまわなくて良かった。
「ああ! す、すみません姫様!」
「いいえ。大丈夫です」
私の手のひらでヒヨコは私を見つめている。
暖かい。
領地の農業のためには、このヒヨコは処分してしまうのが望ましい。
これが父や兄たちならば、迷わず男に引き渡しただろう。家族はいつも私に優しくしてくれるが、優しさで決断を迷ったり誤ったりする事はない。
しかし、直にその温もりを手にしてしまった私には、その決断はできそうになかった。
「……このヒヨコさん、この後処分してしまうのですよね」
「え? ええ。その予定ですが……」
「──勝手な事を申しますが、どうか私に譲ってはいただけませんか? お金ならあります」
「ええ!? そいつは……しかし、わたしの一存じゃあ……」
その言い方からすると、彼には共同経営者か出資者でもいるのかもしれない。
だとすると、本来なら処分するべきヒヨコを勝手に売ったとなれば、業務上横領に当たるかもしれない。そういう罪状がマルゴーで規定されているわけではないが、職業倫理としてよろしくないのは確かだ。
しかし私はこの手の中で一心に私を見つめるヒヨコを、もう離す事が出来そうになかった。
「お父様──領主ライオネルには私から言っておきます。後ほど父の方からそちらの養鶏場にきちんと免状を送りますから。お願いします」
一般的に言って、ペットを飼うというのはなかなか親の許可が下りないものだ。しかしすでに犬と猫を貰っていることだし、今さら一匹増えたところで優しい父ならとやかく言うまい。
この程度なら、優しさのせいで判断を誤ったうちには入らないだろう。
「へ、へえ……。姫様がそこまでおっしゃるんでしたら……」
「ありがとうございます!」
私はヒヨコを優しく胸に抱いた。
「……これからよろしくお願いしますね。貴方の名前は……お尻の方の子が首が回らず転んでしまったりと、ちょっととぼけた感じなので、ぼうっとしたお尻という事でボンジリというのはどうでしょう」
◇
それからほどなくして森に到着した。
「このあたりなら問題ないかな。向こうに行くと領軍と鉢合わせしちゃうし」
ルーサーは馬車を停め、荷台の私たちにそう声を掛けてきた。
森と一口に言っても広い。特にマルゴーは。
危険度の少ない辺りにはわざわざ人員を割いたりはしないだろうが、万が一魔物が溢れだせば人類の危機となりうるほど危険度が高いエリアには領軍が常時陣を張っている。
私たちは荷台を下りた。
急に動いたからか、胸元に入れていたボンジリが驚いて飛び出してきた。それを慌てて捕まえて再び胸元に入れる。
「おお。いかにも森という感じですね」
馬車の外には森が広がっていた。
私は足元の轍の刻まれた道を見る。
「森の直前まで道が出来ているのは何故なのでしょうか」
「ああ。木こりがたまに木を切りに来るからだろうな。もっと南の方に管理された森もあるんだが、たまに自然のままの木材を欲しがる金持ちなんかもいるし、何より自然に育った木の方が素材として強靭だ」
レスリーが答える。
見れば、森の浅い部分には、ある程度の間隔をあけて何本かの木が切り倒されたらしい跡があった。
その切り株の切断面は滑らかで、見事のひと言だ。
私はオッサン仮面を思い出した。
彼はどうしているだろう。もしまだ生きているのなら、彼ほどの腕があればここで木こりとして食べていけるかもしれない。
「さ、馬車はとりあえずここに置いておこう。サクラ、だっけ? 正直いまいち信じられないけど、お嬢の言う事は聞くんだよね。お嬢、ここで馬車の見張りをお願いしてもらってもいい?」
「ブルルン!」
すると私が答える前にサクラが頷いた。
ルーサーはぎょっとしている。
「ルーサー先生の言う事も聞いてくれるみたいですよ。よかったですね」
サクラは賢いので、自分を治癒してくれた彼の事を忘れてはいないのだ。
口元から牙を覗かせ、いつかのようにうっすらと白い息を吐きながらはりきっている。
「……ええと、とりあえずわかってくれたんならいいや。頼むよサクラ……さん」
牙や白い息に若干引いた様子を見せたルーサーはサクラにさん付けをした。
まあ、相手が誰であれ敬意を持って接するのは悪い事ではない。
「では行きましょう。ビアンカ、ネラ、行きますよ。
……ビアンカ? ネラ?」
2匹は荷台から出てこない。
何となく、散歩と偽って動物病院に連れて行った時のペットの様子を思い出した。
「大丈夫です。怖いことなんてありませんよ。多少の怪我はあそこのおじさんが直してくれますからね」
「待ってくれお嬢。僕はまだお兄さんだろ」
私は荷台に入り、ビアンカとネラを抱きかかえると、森に向かった。




